日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

なばなの里に行く

2012-05-17 06:52:21 | 旅行・休養
友人3人の日程優先で決めていたものだから、天候雨の中を決行。
貸切状態かしら、とおもったけれど、団体さんが一組あったりして、ボチボチは人を見かけるガーデンでした。
ベコニア園は当然温度調整の関係で室内。大輪の花の大行列。圧巻でした。シーズン真っ盛りのバラ園も各バラは贅を競っているのでしょうが、なにせ大きな雨粒の中!

手入れが行き届いて、虫食いとか病気の葉っぱも、枯れかかった花も一つもない。
なんと、どれだけの手間がかかっていることか。
バラやベコニアがこんなに幹太く、立派な花を咲かせるために、黙々とした手入れの賜物。

それだけ立派な花をいつも咲かせているには、そのガーデンは、その分農薬漬けなんだよ、といわれると、幾分興ざめの感。
手間をかけるとコストが上がる。その分除草剤とか活用して、そのバランスの上での営業なのでしょう。無邪気にキレイと喜んでいる年頃は過ぎてしまった。



わが家の椿が気にかかる。
昨秋から虫食いの葉っぱが目立ち、花も病気がちだった。そして、この春、当たりの良いところに移殖したけれど、新葉がでるもののいつまでも緑色がうすい。土が合わないのだろうか、など気になる。

移殖した花はなかなか伸びないのに、昨日目に付かなかった雑草がもうみるみる大きくなって、と言うと、
その雑草は、根っこがしっかりしているからだよ、と。

そっか、葉っぱが大事、幹が大事、根っこがもっと大事。
当たり前のことなのだけれど、改めて「復習」の思いです。




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駆け出し園芸家  ナデシコのこと

2012-05-14 07:06:58 | 庭 5月
蒔いた種も双葉、本葉と芽を伸ばし始め、移殖をしている。
◆ナデシコの発芽もなかなかだったけれど、ふた袋も蒔いたので、充分すぎるほどある。
今、アチコチの花壇でこんもりと花をつけているナデシコも見る。
ウチのは春蒔きだから、いつあの花のように追いつくのかしら、と思いながら、いた。
で、昨日webで調べてみたら、なんと咲くのは来年の春とのこと。
あ~あ。なんと気の長い話。
その後培養土を買いにいった園芸店で、既に花のついたナデシコがひとケース千円台で売られていた。
コレを買えば直ぐに花を楽しめる。う~ん、思案しないでもないが・・・。
待った!と、もう一人の私に指令。(苦笑)
一年葉っぱを眺めながら、いつかみたテニスコートのナデシコ花壇のようになることを夢見よう。
◆マリーゴールドは移殖済み。これも園芸店のものは花をつけている。去年も花盛りは遅めだったけれど、結構庭を賑やかにしてくれたのだから、コレでよし。

◆ヒマワリ。とりあえず殺風景な敷地に活を入れてもらおうと、大振りなヒマワリの種を植える。今双葉から本葉でかかったところ。15本ある。かつて絵を描きたいからと、種から植えていた。そんな時代もあったねと~♪。子供たちはまだ小さく私は若かった!

◆松葉ボタンは種も蒔いたけれど、これは失敗の経験しかないので、苗も10株購入。
webによれば、茎先の芯を止めると枝分かれするとの情報。早速実行。で、その摘んだ茎先を挿し芽すると容易につくとのこと。もし成功すればラッキー。10ほど挿し芽する。

◆サルビアの苗5株。これは鮮やかな朱の花をつけて、まだ工事中で殺伐とした庭に紅一点の感。

◆先日、実家に帰省して、アレコレ分けてもらった。
ボタン。シャクヤク。サクラソウ。スズラン。根付いてかつ増えていって欲しいものだ。

◆ほか、移殖を待ってスタンバイしているもの。
ボタン。コブシ。ピンクのマーガレット。ゼラニウム。

◆去年の朝顔の種を連休中に蒔いた。2つ3つ芽が出始めている。

工事の行程も半分は過ぎたと思う。
掘った土を盛り土にしてもらったら、硬い土で覆われてしまった。
培養土をいくら買っても間に合わないほど、ボチボチ地味豊かな土に変えていかないとならない。
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雑感  竜巻があった日

2012-05-10 07:34:21 | 私の雑感あれこれ
連休最後の日に、実家から戻る。
夫の実家(夫の弟が相続し、今は空家)に寄る。
幹も太く育った石楠花は雑草に侵食されながらも豪華に花を開き、牡丹がいくつもの蕾を付けていた。
これから花壇に牡丹を植えようとしているわが家とは風格が違う。
バラも何本もある。
育て主を失った庭を眺めてきました。
生々流転です。
挿し木用にバラの枝を2本切ってきました。根付いてくれたら、「コレは○○から持ってきたバラ」となるのですが、さぁ、私のレベルで上手くいくかどうか。

その後、里山際にあるお墓に行きました。
ポツポツと雨が落ちてきて、途中何台かの帰宅を急ぐ耕運機とすれ違いました。
年に一度程度の帰省ごとの墓参です。夫の子供の頃からあったお墓ではなく、父が亡くなって作った墓ですから、墓としては新しいのです。回り角にめぼしいものはなく、道に迷ったりしながらたどり着くのです。

今回は天候は荒れ模様で、細い農道に迷い込んだりしながら、ようやくたどり着いたときは、スゴイ土砂降り(翌日、そのあたりで落雷で一人なくなったとネットに報じられていました)。傘はあっても車から降りるどころではなく、駐車場からお墓に向かって手を合わせてきました。
夫も「来たよ」というやり取りを、お墓との間で交わしたことでしょう。

で、不思議なのです。
夫は、「お墓は要らない主義だ」と常々言っています。「千の風になって」が流行ると、自分の主張の裏づけが出来たと言い張ります。
結婚式もシブシブ派です。
常に一言、「自分は結婚式をすることには賛同していないのだと」私に耳打ちします。
夫の主義は百も承知です。それを言って、私をいやな気分にさせるだけなのに、私にどう対応して欲しいのでしょうか。
私には、親に育てられ、親兄弟は私のことを、それなりに気遣ってくれ、そんな中で自分があるのだと、思っています。だから、波風を立てたくない、という気持ちがあります。
夫は、気遣いは自分にもあると言い張るでしょう。でも、その分量が、100のうち、私は80で、夫は40ほどなのではないでしょうか。
そんな夫から見ると、私は形式論者で迎合するタイプに見えるのでしょう。
自分の40は、配慮して世間にあわせている、となるのでしょう。

だから、40の配慮で、親類の結婚式には礼服を着て出席するけれど、わが子の結婚式には、そんな配慮はしたくないから、礼服など着ない。なんでネクタイを締めなくてはならないのだ、なんで個人的な結婚式に親類を呼ぶのだという理屈です。

何かと節目を作って顔合わせをする。喜んだり、懐かしんだりするのも、人間社会の知恵だと思うのだけれどね。

で、話はお墓のことに戻ります。
夫は、自分の葬式は要らない、墓は要らない主義です。
それは、了解です。
となると、私が先に死んだ場合はどうなるのだろうか、とふと思うのです。
夫が「主義」をぶっているのはたいてい晩酌中ですから、私のことを持ちかけても耳に入らないでしょう。
3人の子供がいるので、遺体焼却後放置と言うことはないと思っていますが・・・、なるようにしかならない、そう思っています。

自分が両親の墓を訪ねるのに。不思議です。
私が先に死んだら、どうするのでしょう。
妻たるもの「どこかにばら撒いてくれ」主義まで揃えなくてはならないのでしょうか。
友人から、最近墓を作ったので入魂式があるという話を聞きました。
事情があって、彼女はその墓には入らない、つもりらしいです。
世の中いろいろ。

生きている今が大事だから、死後の墓のことはそんなに悩んではいないのですが、
そんなに、風習を曲げてまで主張を通さなくてはならないことなのか、と。夫の思考が不思議だなー、と思います。だって、雷のなる土砂降りの中、両親の遺骨が埋葬されているお墓にむかって、手を合わせたでしょ。
不思議です。




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・・・それでも、今日があり、明日がある・・・

2012-05-06 21:16:00 | 母のことなど
母が入院して3週間になる。
月曜日からリハビリ病棟に移る、という。
麻痺した右手を左手で引き上げるように寄せ付けて、擦っている。
食事は左手で、スプーンを使って何とか自分で食べられるようになっていた。
で、「トイレ」が課題。
コレがクリアできないと、退院となっても自宅に戻って世話は出来ない、という話がでた。
①座敷のまじかにトイレを作るから、なんとか自分でトイレに行けるまでに回復して欲しい、と。
②お風呂は、ディケアで何とかクリアできよう。
③で、24時間トイレの介助や、ましてやオムツの世話は困る、と。

③は話題にしないで、①と②を母に伝えた。
まだ、介護認定を受けたことがなかった母。
退院前には、その始めての経験をすることになろう。
①については、顔をほころばせたけれど、②になると話題をそらせようとした。

兄は私に言った。自分の気持ちとしても、病院から即施設ということはしたくない。だから①を考えている、と。

遠方から、時たま来て、いい役ばかりしている、(と思われている)私。
だから、ヤナ役をするのは私でなくてはならない。
ダメな娘にならなくてはならないのだ。

微妙。
母に生きる気力を与えたいと思っているけど、そのために行動することが、お利口さん役になったら、近くにいる人に迷惑になるだろうか、とも。

1週間、1ヶ月と日を送る中で、着地点を見つけることになるだろう。
一番いいのが、①と②の体制。
明日からのリハビリ頑張って欲しいものだ。
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はがきが届いた。

2012-05-03 05:24:38 | 私の雑感あれこれ
夫宛の一枚のはがき。
差出人は歯科医院。夫のかつての○○の仲間です。

「ご挨拶」の文章は、一足お先に彼岸へ旅立つこととなりました。○○で過ごした想い出は一生の宝でした。どうもありがとうございました。と結ばれている。
 もうひとつ長男○○さんの文章があって、文章内の月日と差出日付の漢数字だけが手書きです。
そう、自分の死が近いことを察して、文面を用意し、ご長男に発送を託されていたのでしょう。
こんな挨拶状が届いたのは初めてです。

一緒にハイキングしたのは10年以上前でしょうか。
背の高いジェントルマンでした。大学を卒業後、もう一度東京医科歯科大学に入りなおして歯医者さんになった、なんて経緯を歩く道すがら伺ったことなど思い出しました。
私より一回り以上年上の方です。戦後の混乱期あたりが青春だったのでしょうか。

人の記憶力の器って、結構容量もあるのですね。私が一度しかお会いしていない、夫宛の一枚のはがきを前にして、ハイキングの道すがら聞こえてきた、ささやかなエピソードが思い起こされ、さぞ誠実に生きてこられたのだろうな、と思いを馳せることが出来ます。
あの○○さんだから、こんな形でお別れの挨拶のはがきを出そうとおもわれたのだな、と自然です。

改めて、はがきを見ました。
ご長男○○となっていますが、決して喪主とはありません。お葬式の案内状ではないのです。
「旅立つこと」の案内状なのです。
参考にしたいものです。
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朝ドラ「梅ちゃん先生」

2012-05-02 20:57:23 | 映画・テレビドラマ・音楽
前作は、見落とさないように見ていた。ので、次もみようかなとという気分に満ちていたのに、気が乗らない。で、見たり見なかったりの私です。
すごいな、と思うのは、戦後のバラックのセット。戦後の、焼け跡の東京ってこんなだったのだ、と勉強になる。
でも、ストーリーがいただけない。ドジな末娘が医大生になったわけだけれど、たまたま成績がぱっとしなかっただけでなく冴えているところがない。こんなで医学部生をやっていくなら、決死の覚悟が必要だろうに、おっとり具合はそのまんま。戦後の女子医大ってこの程度だったのかしら。
梅ちゃんの学生仲間みんながそれなりに可愛いのに、ズーズー弁の女の子をブサイクという設定にしているのもマンガ(マンガに失礼かな)。田舎者=ブサイクの構図です。
掘北真希ちゃんは「三丁目の夕日」で、ズーズー弁の六ちゃん役を演じている上手い役者さんです。今回の設定では、みなさん可愛い子は可愛い子なりに、年寄りは年寄りなりに、の演技をしているだけで、学芸会のレベルと思ってしまうのは私だけでしょうか。
梅ちゃん一家、ほんとうは上手い役者さん揃いなのに、皆さん実力の何割かしか出ていない。これって脚本のせいかしら。監督の力量なのかしら。
ドラマは感動も与えてくれるけれど、しらけさせてもくれる。
NHKで予算があるからか、焼け跡のセットはすごいです。
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映画「アレキサンドリア」を見る。

2012-05-01 21:50:38 | 映画・テレビドラマ・音楽
2009年スペイン映画「アレキサンドリア」。
日本では2011年封切(?)らしい。
舞台は紀元4世紀末のエジプトのアレキサンドリア。従来の神を崇拝している古代ローマの都市であるアレキサンドリアに、ユダヤ教とキリスト教が入ってきて、二つの宗教がせめぎあう。
世界最古の図書館があったというアレキサンドリアの図書館長の娘(天文学者、哲学者)
が、先にキリスト教徒に宗旨替えした人たちから、改宗を迫られ、拒むと魔女と石打の刑に。
実は、キリスト教がヨーロッパに根付いていくところに興味があったのだけれど、私の「ローマ人の物語」読破はカエサルが帝政を施行としているところ12巻で頓挫。(苦笑)
で、この映画が古代ローマの町にキリスト教が入ってきた物語だったので、興味深かった。
食べるものにも事欠く人たちへの布教。奴隷として理不尽を抱えて生きている人たちの洗礼。宗教に入信する多くの場合はそんなものだろうな、と思いながら見た。
時代考証もしっかりしているこの手の映画って、勉強になります。

<老婆心ながらの付けたし>
上記「アレキサンドリア」をクリックして映像をご覧になった方は判ると思うけれど、キリスト教徒が図書館に攻め入ってきたとき、蔵書を抱えて逃げるシーンがあります。この時代の書物は、「巻物」だったことがわかります。
先に「ローマ人の物語12巻」と書いたように、書物は巻物だったのです。巻物では、途中を抜粋で読みにい、という難点があります。カエサルは同じ大きさにきり、重ねて閉じる「冊」のようにと提案していますが、この形が根付いたのは、中世になって羊皮紙が使われるようになり、分厚いことから巻物から冊子になったとありました。
カエサル自身の戦闘記「ガリア戦記」長編を記していますが、彼は名文家でした。
因みにイタリアの高校生は現代でも(塩野七生さんの息子さんのケースであり、他のヨーロッパの国でもそうかも知れません)、ラテン語の授業でカエサルの文章を学ぶそうです。紀元前に書かれた文章を!
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ツアーバスの悲劇

2012-05-01 15:06:34 | 私の雑感あれこれ
バスツアーをよく利用する口である。
先日の「竹田城と鳥取砂丘」しかり、「ツタンカーメンと吉野の桜」しかり。
添乗員さんは、既にツタンカーメン会場への団体客案内は何度も。
運転手さんは、今年吉野の桜7回目、とか。
でも、運転手さんは、吉野の桜を眺めてはいないし、添乗員さんはツタンカーメン会場の中には入ってはいない。

だろうな。
仕事だもの。
桜を眺めるより休憩が大事なのだろうと、そう思っていた矢先の
長距離バスの事故!

コストカットづくめで、きつい勤務状況だったのだろう。
竹田城コースは、定年再雇用の経験者をかりだした感じで、誘導も口数も最小限(苦笑)。
疲れを見せまいと頑張ってはおられたけれど、あの歳では一泊二日の旅も、さぞしんどいだろうと、実は少々こちらが気になるほど。

どこにも台所事情があって、コットカット。
命まで失う結果を招いてしまったのは、なんとも痛々しい。

昨今、格安航空券も大流行。
こちらは大丈夫だろうか。

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