日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

ペンだこならぬ、シャベルだこができるかも。

2012-05-23 13:19:14 | 庭 5月
情けない話なのです。
皿洗いしていたら、右手親指に水がしみる。
なんで?
ケガもしていないのに~~。
ははぁ~ん、シャベルで硬い土を掘り起こしているから、です。
電気製品のおかげで、肉体労働から遠ざかっていたので、この程度で皮膚がビックリしている。
情けなや、です。苦笑

硬い土をほじくって、培養土を入れて・・・、なんとかガンバレ!と一声かけることも忘れずに、連日移植しています。
培養土20袋なんて、どこに消えたかのように、まだまだ硬い土がいっぱい。

若いころのペンだこの残骸がひっそりと中指にまだありますが、今度はシャベルだこと交替かも。笑
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映画「愛は終わりぬ」を見る。

2012-05-23 07:16:37 | 映画・テレビドラマ・音楽
録画で。疲れるから字幕じゃないのをチョイス、したといったら、監督からお小言だろうな。(市井の小市民にはそんなこともないか。笑)
終戦後の旗手的存在というか、いい映画でした。
昭和24年(!)制作の溝口健二監督作品です。
しかも、映画の時代は明治17年から22年の時代(!)。
映像に残っているから、私などでも出会えるのだと思うと、映画文化に感謝、です。

ネタばれあり、注意。
・・・こんな古い映画これから観られる方は少ないと思いますが・・・

帝国議会が開かれるのは明治22年。
借金に苦しむ貧家の娘(富家のお嬢さん田中絹代の子守女だったか?)は人買いに売られ、社会は「しかたがない」と受入れている時代。
女性にもひとりの人間として幸せを求められるはずだ、と田中絹代。
自由主義者の同郷人を頼って、都会に出奔。頼った知人は体制派の犬になっていて、そこで知合った自由主義者に賛同し、惹かれてもいく。
彼は討論会でも人望を得て、渦中の人となっていく。
前述の貧家の娘は女郎屋で働かされ、なんとか苦界から救おうと奔走、(自由主義者の取り巻きで体制派にとっては煙ったい存在の)絹代も捕らえられてしまう。
議会開催の恩赦で出獄が適う。
人望氏の妻となっていた絹代なのだか、彼は貧者の娘を妾として囲おうとする。
「キミはボクにとって大事な女性であり、彼女はハシタメじゃないか。キミを不幸にはしない」とのたまう。
貧者の娘も「私はやっと掴んだ幸せです。お嬢さんに迷惑はかけません」と絹代に懇願する。
絹代にとって「オカシイ」のです。
苦界から救おうと、監獄にまで入って助けようとした女性が願うのは、お妾さんで充分満足、という。
彼女には納得いかない。
で、東京にいるより田舎ですべきことがあると考えて、郷里での女子教育を目指そうと列車のひとになる。
思いにふけっているところに、
貧者の娘も、お嬢さんと、声をかけてくる、ところで幕。
(主人公の名前失念で、俳優の名前で書いたりして荒っぽくてすみません)

先日、「新平家物語」を見ました。
たまたまテレビをつけたら流れていたのと、今の大河ドラマ「平清盛」は見ていないので、映画で1度に観られたら便利、程度の鑑賞だった。
なかなか良かった、
ので、監督は?と注視していたら、吉川英治原作で、溝口健二監督作品でした。
清盛は市川雷蔵。生母は白拍子の小暮美千代。久我美子なども出演、の古い映画です。
人間組織の不条理など描かれていて面白かったので、溝口健二監督というひとについて、webでちょっと調べたりしていたのです。
その同じ監督の作品と言うことも、あって、タイトルの安直さをガマンして、見ました。

NHKの大河ドラマのほうは、まったく見ていませんが、視聴率が落ちたから、出演者に○○を起用しようか検討、などの話題を目にしたりすると、製作者の意図ってなんなのだろう、と距離を感じます。
そりゃー、かつての映画は文化だったり、啓蒙的役割があったのでしょう。昨今は映画はいろいろあるとして、テレビは似て非なるものなのでしょうね。
スゴイ媒体だと思うのに、惜しい!

くだくだの雑文になってしまいました。
お粗末、でした。


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