日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

初行動、と相変わらずの行動。

2019-04-17 06:49:02 | 私の雑感あれこれ
昨日は、友人とのランチで、私の初「○○ペイ」での支払いをした。
夫婦各自でスマホにアプリを導入していて、これまでは夫のアプリでの支払いをしていた。

世の中についていくのに一生懸命。苦笑

不思議だな~、という気持ちも少し残っている。
だって、面識のないお互いが、ルールを理解しあっていることで成り立っている、その極め付け、みたいなものですから。

で、今2割キャッシュバックがあるらしい。
こういう「お得感」で利用者増を狙おうという仕組みも、古来からの人間心理に根差しているのだろうとも思う。
それで運営が成り立つという計算だろうから、ビックデータの獲得合戦が行われているのだろう。

友人を初誘いしたお店だったのだけれど、好評価でリピートもありの模様。
コーヒー専門店でありながら、3種類限りのランチメニューも丁寧なのです。

その後、一緒に園芸店へ。

もうバラは買わないモードの私でしたが、リーズナブルプライスのミニバラに出会って、お買い求め。苦笑

ミニバラはいつも失敗しているのに~~~。イベリスとの寄せ植え。カラーリーフのヒューケラも一緒に。





その後、仕入れが上手なスーパーへ同行。このお店水曜休日なので、水曜日以外に友人が来た時はほとんど行きます。
そのお店の、一角を利用した花屋さんで、これも何度目からマーガレットの購入。この濃淡のグラデーションがあるマーガレットに弱いのです。絵画の常道ですが濃淡はものを立体的に見せます。


で、野菜、果物、鮮魚、お肉、どれも買わないと~~という気持ちになる品物ばかり。我が家は近くいのでよく来るのですが、友人はしこたま買い込みます。笑
このサザエ。1個100円。もちろん生きています。昨晩お刺身で食べました。土曜日は確か250円だったのに、休業日前日だったからでしょうか。


タイの切り身も購入。フライにするのは手間だから、半身をポワレ風にフライパンで焼きました。
友人持参のイタリアンパセリを彩にして。
あ~、我流の極みです。苦笑
でも、素材がいいから美味しいです。

日当たりの良いところに株分けしたアジサイ。




ボタン。すぐ水切れになるので要注意ですが順調です。


アシュガがピークを迎えています。グランドカバーとして大活躍。1月の塗装工事の時は、足場が組まれてぞんざいにされていたのだけれど、復活しました。





















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確定!

2019-04-15 06:53:09 | 庭 4月
シャクヤクでした。
ボタンの鉢が2つありました。ピンクと紫。白もあったけど2、3年で退場した。
紫色の株が不調続きで、去年ひ弱なのが1輪咲いておしまい。
何とか復活させたいものだと、世話はしていたけれど幹は枯死。でも赤いつやつやした芽があったので、あきらめずに期待していました。それがむくむくと育って、今年は花芽は無理かな?と思っていたのに、小粒の蕾様のものが、、、。
アレ? と思っていました。
その思いが1週間ほど続いて、なんだかボタンの蕾と違うように思えてきました。そういえば葉っぱも違うっぽい。

シャクヤクも地植えで2か所に植えています。
どうやらシャクヤクの葉っぱと同じに見えます。

そういえば、接ぎ木の可能性? と思い当りました。
正解です。多分。

台木のシャクヤクが育ってきているのです。
何色のシャクヤクなのかしら。今はそちらに興味深々。
台木に使う場合は、お花を期待しないのでウツクシクナイかもしれない、という気持ちを半分抱えながらも、期待しています。

ちなみに、我が家のシャクヤクは実家から株を別けてもらったピンクです。
日陰がちになった1株を移転したのですが、機嫌を損ねたのか移転後の開花は2年間見送りでした。今年に期待しているのですが、、、はて?

ハッサクの陰で、3年経過しても育ちあぐねていたアジサイ(ダンスパーティー)も、昨秋に移動し(2つに株分けした)、2つとも小さいながら若葉が日に当たって輝いています。よいお花をつけてくれますように。





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朝から庭仕事。

2019-04-14 09:50:53 | 庭 4月
日月と空模様が下り坂らしくて、雨の前の庭仕事してきました。
フリージアが咲きだしています。これもパープル。フリージァと言えば黄色い花のイメージなんですが、ブルー系にこだわっていた頃に購入したもので、、、もう何年も咲いてくれています。


チューリップもこの色。去年は球根を購入しなくて、これ3年目の球根だったかな?バックの紫の花穂はアシュガです。


ベロニカオックスフォードが満開。日差しがないので彩度が出ません。ずいぶん増えました。


草刈りをしていたら、アスチルベ(多年草)がここまで育っていました。周りのスイセンの葉っぱを光合成できる程度に短くしてやって、アスチルベに光を、です。


イベリスも、混植していたスイセンの葉っぱを短くしたので、華やかさアップ、です。


時期を見て地植えにしてやりたいと思っています。

キキョウの球根もあるハズなのですが、出てきません。3年目は無理なのでしょうか。






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花見。

2019-04-14 07:37:11 | 私の雑感あれこれ
金曜日夕方、テレビが地方ニュースでチューリップ畑の画像を流していた。
「奥殿陣屋」という紹介で。
陣屋!とくれば、行ってみたくなりました。苦笑

これがチューリップ畑。




華やかですが、周りから切り取られたように、ここだけ。これから観光客を呼び込むように北欧風ガーデンも作っていく構想みたいでした。
あたりは徳川幕府の親藩「奥殿藩」の陣屋あとのようでしたが、めぼしい史跡はありませんでした。
陣屋というのは、徳川時代に一国一城令がしかれ、多くの城が廃城にもなったのですが、城郭を持たない小藩は藩主が居住し行政を執り行うところとして陣屋がおかれたとのことです。高山陣屋は幕府直轄地ですが、行政官を置いた場所として陣屋と称されています。
大小260ほどの藩があったといわれていますが、その半分は城郭を持たない陣屋だったとのこと。

時間が余ったので、「松平発祥の地」にも立ち寄りました。
春ののどかな田園風景はドライブを何倍にも楽しいものにさせてくれます。
今年の桜時期の気温の低さもあって、まだまだ桜は満開だったり、桜吹雪を楽しめたり、のグットチャンスでした。

桜の名所は、大勢の人並とセットというイメージです。
でも、今回の花見の田園風景の中の桜は、川べりの10本、20本の満開の光景をほぼ独り占めのように目に飛び込んできます。若芽の柳や落葉した雑木にも初々しい若芽です。住んでいる家屋の庭や近隣畑の土手に植えられている花モモやレンギョウ、ユキヤナギも、土地の人たちが毎年の春の光景を心待ちにしていらっしゃるのだろう、という気持ちも想像しながら、眺めてきました。

松平氏一族である徳川の系統の地です。


「高明院」徳川の菩提寺とのこと。門の遠景の桜は満開。




カメラを横に振ると




水芭蕉も出迎えてくれました。




桜の名所の花見よりも、こんな風景の中の桜、充分楽しめました。









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日差しの中の庭。

2019-04-12 10:44:14 | 庭 4月
青系が多いので、日照がない時は地味目です。
草取りをしていたら、日が差してきたのでパチリ。

草取り目線で庭を見ると。


ワスレナグサが満開です。




ノースポールも日差しを喜んでいます。


ビオラたちも。






ベロニカオックスフォード。


ベロニカによく似た、ロベリアの挿し芽は2度も失敗に終わったので、先ほど3度目のチャレンジで、挿し芽やってみました。
購入してきた苗株のほうは、元気が出てきています。

ニームオイルの希釈液を10リットル散布して、草取りして、↑ の挿し芽をして、約2時間で一区切りにしました。







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目まぐるしく(?)、雑然と日々は過ぎていく。

2019-04-12 08:20:23 | 私の雑感あれこれ
3月下旬からいくつかの遠出の予定はすべてこなして、ほっ。

昨日は仕事に出た。長くやってきた仕事は、自分にむいていたのか、充実感を感じるところはある。これを毎日こなしていたんだ~と、馬力がなくなっている自分を実感。仕事(を通じて)が今の自分が作られてきたのが分かる。もともと理屈っぽいといわれるタイプだったのに、仕事では、相手にどう伝えるのが的確か、わかりやすいか、と、そんな文章を書き続けてきたんだな~と思う。

ブログは駄文の羅列ですけどね。苦笑


さて、庭。
スギナやカラスノエンドウがニョキニョキと目について、しっかりと草取りに回らなくてはならないのに、今こうしてPCの前。苦笑
竹ぼうきで芝生スペースに落ちているハッサクの落ち葉を掃いた。真ん中に箒を倒している。まず最初に芝生の半分の草取りをしようという「ここまで」の目印です。苦笑

バラへのニーム油の散布も今日のうちにしようとおもう。密集している新芽を見て回らないといけないのに、、、気になる。

午後は、某委員会の総会と例会。
金曜日はホットヨガも休日です。
久しぶりに、まともな夕食を作ってもみたい。
家を空けがちだったり、食あたりだったりで、手抜きのオンパレードでした。




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4月の寒波。雨が止んで

2019-04-11 06:50:03 | 庭 4月
ワスレナグサやノースポールのシーズンになりました。
こぼれ種と越年組なのですが、今年はちょっと成績不良。埋め尽くすほどにはなっていません。
ネモフィラのペニーブラックもこぼれ種から丁寧に取り分けて育てたのですが、ブルー種に比べると花弁が小さ目でかつ黒色なので地味。来年からはブルーにしてみようかしら、と検討中。ワスレナグサのブルーと重複するし、、、。

バラの葉っぱもモリモリと成長中。こんもり具合が気になります。剪定が下手という証かな。風通しのためには摘葉してやらなくてはいけないのでしょう。

ボタンの蕾が上がってきました。今年は5つついています。去年は7つ、8つだった記憶。


花弁の色ものぞいています。


ボタン紫色のもう1鉢は、木部が全部朽ちて不調でしたが、芽をだし葉っぱが茂ってきました。今年は樹勢を盛り返すための1年になりそうです。

ミヤマオダマキの1番花です。


ヒメシャガもシーズンです。藪状態の中で花を咲かせています。ゴメン。


イベリスが元気に開花中。多年草とのことですが、何度購入しても、越年してきれいに咲くことはなかったのですが、今年はしっかりと咲いてくれて、おやっ!ありがたい、です。


ワスレナグサ。光が当たっていないので発色はイマイチですが。




クレマチスの蕾もにぎやかです。


アシュガも花穂がいっぱい。


ムスカリ。移植した年のこともあり、ちょっとまだらに開花しています。


越年したサフイニア。


今朝の画像には登場しませんでしたが、株を購入したビオラや桜草、ハナカンザシなども元気です。












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東京から戻る。

2019-04-10 07:20:45 | 家族
入学式にかこつけて、久しぶりの東京行き、でした。
新幹線が東京駅に近づくと、ワタシ、ちょっとボルテージが上がるタイプ?
何だかそのざわつきが経済の機関車部分のような感じを持ってしまいます。

超複雑に配された交通網が的確に回っているのも、単純に感動です。
途上国から日本に来て、「交通機関を運行(操作)していることもそれはすごいけれど、それを普通の人たちが難なく利用していることもすごい」と驚いていたと聞いたけれど、その意見に共感するところがあります。

私は、無駄足することなく、いつものルートでお土産を手にバスで娘宅に。
超高層ビル群が林立する中をバスはいきます。
停まったバス停に自転車用のヘルメットをかぶった4歳児とママが迎えに来ていました。
4歳児には、このエリアが「おうちの近辺」なんですね。
ふぅ~ん、です。

翌日は、花祭りで催し物があったり、縁日も出ているということで築地本願寺に出かけました。
信長に敗退した「石山寺本願寺」のあとに、秀吉の大阪城が築城されたという記憶を呼び起こしながら、興味深々。

築地本願寺って、外観が日本のお寺イメージとは違うので、ビックリ。
関東大震災で焼失後の昭和9年に伊東某氏設計による、インドの寺院を模した形、ということらしいです。
焼失前はどんなお寺だったのだろう、私の中に知りたい持ちは残っています。

そもそも江戸に本願寺ができたのは1617年とのこと。夏の陣の2年後。
最初は浅草あたりにお寺ができたのですが、1657年の明暦の大火で焼失。あの江戸城も焼けた大火です。
その後幕府は、もともとの場所での再建築の許可を与えず、再建を許可した場所は海の部分(今の築地)だったそうです。
佃の信徒たちにより、海は埋め立てられて築地本願寺となったとのこと。

築地市場の移転問題が姦しかったけれど、海水エリアを再建築地に指定した幕府もすごいものですね。埋め立て工事込みのもくろみなのですから。

ちょうど、花祭りの行われる日曜日でしたので、久しぶりにお稚児さん行列を観ました。
(娘も2、3歳の時に経験しています)
「パレードが入ってきます」のアナウンスとともに、白い像を曳いた幼子の行列。チビちゃんたちよりパパママのほうが熱心なのでしょうが、鼓笛隊やらチアガール(?)のダンスやら、皆さん真剣で、物事一生懸命にする姿っていいな、と思いました。

きっとお稚児さんの行列姿って、何百年も続いているのでしょう。不思議!

前置きが、長~くなりましたね。

入学式は祖父母は参加できずで、弟君と留守番。
なんとかお兄ちゃんは小学校生活がすべりだしました。

ママはハラハラっぽいですが、おばあちゃんは外野です。

朝から1日時間があったのに、マンションでゆっくりして、早々に帰路に着きました。
あちこち動き回るのは疲れるし、、、、そう判断してしまう心境でした。
















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ようやく「司馬遼太郎記念館」訪問。

2019-04-04 06:44:59 | 旅行・休養
かねてから、いつか訪ねたいと思いながら、何年も経過していました。

4月1日の大阪城記事の出だしにも書きましたが、一般道を走る時間の長いコースのチョイスになって、少々イライラもありましたが、
植わっている菜の花が目に入った時は、ほっこりした思いになりました。
司馬遼太郎さんのお気に入りの花ですものね。住居が記念館敷地につながっているのですから、普通の住宅街の一角にあります。


菜の花の向こうに見えるのは、司馬さんが晩年まで執筆していた書斎です。

ご自宅の横に、安藤忠雄氏の設計になる記念館があります。

館内撮影禁止。

時空の旅人 司馬遼太郎 という人物紹介画像が流れていました。
書架には見事な著作物がデスプレィされていて、ああ、あれも読んだ、これも読んだ、と目が追います。読んでいた頃の自分を思い出されもします。きっとこの記念館を訪問している人たち共通の感覚なのかも、、、。
圧倒的に同世代が多いのですが(そんなに混んではいない)、海外からのグループともすれ違いました(台湾あたりの大学院生?)。

近隣で駐車場を探すつもりでしたが、記念館にも6台分の駐車場があり、1台分の空きがったのでラッキーでした。

ここを訪問した記念に、お土産として本を買おうと思っていました。
「21世紀を生きる君たちへ」という小品。

館内にも、この「21世紀を生きる君たちへ」の全文(多分)が掲示されていました。(だから、読了)
まだ、この文章を読むには数年早い孫たちへのプレゼントにしたいと思って、2軒分、2冊買い求めました。
文章自体はそんなに長くはなく、見本本をめくってみると「洪庵のたいまつ」という文章も併載されていました。

不思議!
だって、今いる東大阪市の司馬遼太郎記念館を出ると、緒方洪庵の「適塾」に向かう予定にしていましたから。

1冊ずつプレゼント包装にしてもらって、喫茶コーナーでコーヒーで一服。

何年後かに読んでもらいたい本をなんて、「キミの自己満足だよ」と言われながらも、おばあちゃんは買いたかったのです。苦笑

  ↑  は、個人的余談、です。


記念館訪問の感想としては、司馬遼太郎の書籍収集はすごいとは聞いていましたが、まったく、でした。彼の作品はこれらから時代の情報を読み取って編み出されてものなのだと、恩恵に浴するものとして、その巨人さに圧倒されるばかりです。



洪庵の適塾の画像もここに。ここは大阪市中なので、周りに有料駐車場はあるのですが、適当なのを探してぐるぐる回ったりしました。














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花冷えの中の名古屋城本丸御殿行き

2019-04-03 07:33:30 | 歴史探訪・城巡り
桜が満開。
集合場所を本丸御殿の入り口にしたので、ひとり先に本丸御殿を一巡り見学できました。
3人集まって、私は復元された檜の御殿を2順できました。
空襲で焼け落ちた城ですが、空襲になることを想定して、外せる襖絵など数千枚は避難させてあったとのことで、それらの素絵を誠実に復元されているので、往時を想像しながら順路をたどりました。
解説として、画像シュミレーションも置かれており、「大阪城夏の陣へいざ出陣じゃ」という画像に、先月下旬に訪れた落城した側の大阪城のことを思ったりしました。

豊臣征伐の大阪城へは名古屋城から多くの武将、兵が出陣していった、と。
名古屋城が作られたのは1610年に始まり1615年完成。1615年が夏の陣なのですから、、、、。

本丸御殿の後、1630年代に上洛御殿が作られています。上洛、つまり将軍が京都行のための宿泊用御殿です。この時の将軍は3代家光。上洛先は二条城。昨秋に二条城へ行ったときは、家康が作り始めて、完成後に二条城に入った徳川将軍は、家光、家茂、慶喜の3人だけとありました。その家光の上洛に際して、名古屋城に立ち寄るということで御殿が新造されたということなのでしょう。
名古屋城の上洛御殿が使われたのは、この時1度だけ。きっと、あとのふたりの将軍は船を使ったと思います。

1945年の空襲までは現存していた国宝第1号のお城だったそうです。
石垣もそれは立派なのですが、大阪城で見た巨石が目にちらつくので、そこまででは、、、、です。
この城も徳川の世になってから天下普請で作られた城ですから、石垣には刻印も確認もできました。

湯殿書院、黒木書院は入り口が別です。
入場制限しており、待ち時間の間に、現存する3つの櫓(東南、西南、西北)のうちのひとつ西南隅櫓に上りました。
天守閣と同時代(1612年)に作られたもので、解体修理はされているけれど、戦災にあっていないので、木材等は当時のもの。こちらも人数制限されていましたか、上階まで昇って降りてきたところで、湯殿書院入館にぴったりの時間でした。

私は早目に本丸御殿に着いたので、待つことなくスムーズでしたが、集合時間とした11時ごろには大そうな行列ができていたということでした。

いつでも行けるから、と思いながら、紺屋の白袴状態だったのですが、完成オープン9か月経過してにしてようやく訪問したというわけです。

御殿や櫓の中から満開の桜を垣間見るとは、贅沢なひと時でした。
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