高橋睦郎『永遠まで』(1)(思潮社、2009年07月25日発行)
高橋睦郎『永遠まで』は死者への接近の仕方をめぐる詩集である。自分自身が年齢を重ね、やがて死ぬという接近の方法は一番簡単(?)な方法かもしれない。「あの世で、私が来るまで待っていてください」という方法である。しかし、これは「接近」なのか。それとも、死に飲み込まれていくことなのか。区別がつかない。
死への接近、とは、死者を考えるということである。とりあえず、そういうところからことばを動かして行ってみることにする。
「奇妙な日」という死には「二〇〇七・一二・一五」というサブタイトルがついている。高橋の誕生日だと思われる。その1連目。
死者を考える--というのは、不思議なことで、実は死んだひとについて考えていない。その人が生きているときのことを考えるのである。その人の「死」は考えることができない。死んだひとの状態を知らないから、知っている「生」について考えてしまうのである。
高橋は「七十八歳」までの母しか知らない。その年にしだいに近づいていく。そして、そんなふうに近づいていくと、やがて立場が逆転してしまうことになる。母は母ではなく娘になる。そして、そのとき「死」と「生」が逆転する。
死んだはずの「母」は「娘」として生まれ変わる。
それは架空の「年齢」だけを問題にしたときの「論理」(トリック)ではない。あるいは、ことばの運動の錯乱でもない。
死を考える、死者に接近するとは、死者を、死んだ人間としてではなく、生きている人間として生まれ変わらせること、新たに誕生させることなのだ。ひとは死者には会えない。会えるのは生きている人間だけである。生きている人間に会うためには、死んだ人間に生まれ変わってもらうしかない。
ここで起きていることは「必然」なのである。
死者に接近するとは、死者をどうやってよみがえらせるか、ということなのだ。
葬儀--このとき、遺影は、たいていの場合「近影」である。もちろん死期が迫っている顔ではなく、最後の、いちばん美しい顔、元気な顔を「遺影」にするのが一般的である。けれど、高橋は、「遺影」に若い母の写真を選んだ。しかも、その写真のなかには幼い高橋が写っている。
3連目。
高橋は「七十八歳の母」ではなく「六十数年前の母」に接近していく。「娘」として生まれ変わった母は、娘のままではなく、一気に成長する。高橋は「娘」としての「母」を知らないからである。知らない「生」を高橋は思い描くことはできない。
これはあたりまえのことではあるけれど、不思議なことである。
1連目で、高橋がどんどん歳を重ねると、母とは立場が逆転する--ということを、高橋はことばの上で確認した。ところが、そんなふうにして死者を追い越し、死者を「生まれ変わらせたあと」、それではその「いのち」をきちんと想像できるかというと、想像はできない。
私たちは「死」に接近できないのと同じように、「生」にも接近できない。自分が生まれる前の、他人の「生」には接近できない。
自分が接近できるのは、自分の「生」だけなのである。
他人の死に接近しようとすると、他人の死はどんどん遠くなる。そして、他人の「いのち」、自分が生まれる前の他人の「いのち=生」も、絶対に触れ得ないものとして目の前にあらわれる。
死者に接近するとは、自分の生に接近すること--自分が何をしたかを点検することなのだ。
高橋は、3連目で、そのことをはっきり自覚しているのかどうかわからない。けれど、そういう世界にたどりついている。
何をしたかは、何をしているのか、わからないまま、
と書いている。
この行が強烈なのは、高橋が、その原因をはっきりとは自覚していないことが理由だ。「いったい ぼくは何をしたのでしょう」と高橋は書いているが、母が若い女性に「なった」のか、高橋が母を若い女性に「した」のか、その区別がつかない。
区別がつかないことを、ことばは書いてしまう。書いて、それを繰り返し読んで、点検し、さらに、そのことばの向こうへ進んでゆく。
そうすると、そこには、死と生が交錯しながらあらわれてくる。死者に接近していくのか、生者に接近していくのか、ますますわからないまま、自分自身の生をみつめることになる。
(この項、つづく)
高橋睦郎『永遠まで』は死者への接近の仕方をめぐる詩集である。自分自身が年齢を重ね、やがて死ぬという接近の方法は一番簡単(?)な方法かもしれない。「あの世で、私が来るまで待っていてください」という方法である。しかし、これは「接近」なのか。それとも、死に飲み込まれていくことなのか。区別がつかない。
死への接近、とは、死者を考えるということである。とりあえず、そういうところからことばを動かして行ってみることにする。
「奇妙な日」という死には「二〇〇七・一二・一五」というサブタイトルがついている。高橋の誕生日だと思われる。その1連目。
おかあさん
ぼく 七十歳になりました
十六年前 七十八歳で亡くなった
あなたは いまも七十八歳
ぼくと たったの八歳ちがい
おかあさん というより
ねえさん と呼ぶほうが
しっくり来ます
来年は 七歳
再来年は 六歳
八年後には 同いどし
九年後には ぼくの方が年上に
その後は あなたはどんどん若く
ねえさんではなく 妹
そのうち 娘になってしまう
年齢って つくづく奇妙ですね
死者を考える--というのは、不思議なことで、実は死んだひとについて考えていない。その人が生きているときのことを考えるのである。その人の「死」は考えることができない。死んだひとの状態を知らないから、知っている「生」について考えてしまうのである。
高橋は「七十八歳」までの母しか知らない。その年にしだいに近づいていく。そして、そんなふうに近づいていくと、やがて立場が逆転してしまうことになる。母は母ではなく娘になる。そして、そのとき「死」と「生」が逆転する。
死んだはずの「母」は「娘」として生まれ変わる。
それは架空の「年齢」だけを問題にしたときの「論理」(トリック)ではない。あるいは、ことばの運動の錯乱でもない。
死を考える、死者に接近するとは、死者を、死んだ人間としてではなく、生きている人間として生まれ変わらせること、新たに誕生させることなのだ。ひとは死者には会えない。会えるのは生きている人間だけである。生きている人間に会うためには、死んだ人間に生まれ変わってもらうしかない。
ここで起きていることは「必然」なのである。
死者に接近するとは、死者をどうやってよみがえらせるか、ということなのだ。
葬儀--このとき、遺影は、たいていの場合「近影」である。もちろん死期が迫っている顔ではなく、最後の、いちばん美しい顔、元気な顔を「遺影」にするのが一般的である。けれど、高橋は、「遺影」に若い母の写真を選んだ。しかも、その写真のなかには幼い高橋が写っている。
3連目。
六十数年前の若い寡婦が
幼い男の子を抱いて写真
まいにち見ているうち
奇妙なことがおこりました
ぼくの記憶のなかの 晩年のあなたが
日に日にぼやけ 薄れ ついには消え
写真の若いあなたが あなたになった
いまではもう 老いたあなたの像を
再生することは ほとんど出来ない
いったい ぼくは何をしたのでしょう
高橋は「七十八歳の母」ではなく「六十数年前の母」に接近していく。「娘」として生まれ変わった母は、娘のままではなく、一気に成長する。高橋は「娘」としての「母」を知らないからである。知らない「生」を高橋は思い描くことはできない。
これはあたりまえのことではあるけれど、不思議なことである。
1連目で、高橋がどんどん歳を重ねると、母とは立場が逆転する--ということを、高橋はことばの上で確認した。ところが、そんなふうにして死者を追い越し、死者を「生まれ変わらせたあと」、それではその「いのち」をきちんと想像できるかというと、想像はできない。
私たちは「死」に接近できないのと同じように、「生」にも接近できない。自分が生まれる前の、他人の「生」には接近できない。
自分が接近できるのは、自分の「生」だけなのである。
他人の死に接近しようとすると、他人の死はどんどん遠くなる。そして、他人の「いのち」、自分が生まれる前の他人の「いのち=生」も、絶対に触れ得ないものとして目の前にあらわれる。
死者に接近するとは、自分の生に接近すること--自分が何をしたかを点検することなのだ。
高橋は、3連目で、そのことをはっきり自覚しているのかどうかわからない。けれど、そういう世界にたどりついている。
何をしたかは、何をしているのか、わからないまま、
写真の若いあなたが あなたになった
と書いている。
この行が強烈なのは、高橋が、その原因をはっきりとは自覚していないことが理由だ。「いったい ぼくは何をしたのでしょう」と高橋は書いているが、母が若い女性に「なった」のか、高橋が母を若い女性に「した」のか、その区別がつかない。
区別がつかないことを、ことばは書いてしまう。書いて、それを繰り返し読んで、点検し、さらに、そのことばの向こうへ進んでゆく。
そうすると、そこには、死と生が交錯しながらあらわれてくる。死者に接近していくのか、生者に接近していくのか、ますますわからないまま、自分自身の生をみつめることになる。
(この項、つづく)
永遠まで高橋 睦郎思潮社このアイテムの詳細を見る |