モハマド・ラスロフ監督「聖なるイチジクの種」(★★★★★) (2025年02月14日、キノシネマ天神、スクリーン3)
監督・脚本 モハマド・ラスロフ 出演 スマートフォン、ミシャク・ザラ、ソヘイラ・ゴレスターニ、マフサ・ロスタミ、セターレ・マレキ
一か所、思わず笑い出してしまうほど感心した。
主人公たちが(主人公の夫が)「権力の犬」として狙われ、テヘランから脱出する。その過程で反権力に見つかり、カーチェイスがあり、争いになる。反権力のふたりがスマートフォンで動画を撮り、「SNSで拡散する」と脅す。しかし、そこは荒野のまんなかで電波が届かない。主人公の娘が「ここは電波が届かない。動画を発信できない」と叫ぶ。それが引き金になって反権力の二人が主人公の銃の前に屈してしまう。
笑ってはいけないのだが、なんとも「象徴的」である。
この映画は、ヒジャーブの身につけ方が不十分という理由で逮捕された女性の不審死が引き金となり、暴動が起きた事件をテーマにしているのだが、そのときのスマートフォンで撮られた動画が映画にも挿入されている。とても重要な働きをしている。
それ以外も、家族の連絡(家族内の秘密の会話を含む)、友人との連絡、そしてはっきりとは描かれていないが、家族のひとりと反権力側のだれかとの連絡にもつかわれている。
映画そのもののストーリーは、主人公が護身用に持っていた銃が紛失することを引き金に、社会問題と家族問題(世代間問題)が交錯する形で展開するのだが、その銃よりも、スマートフォンの方がパワーを持っている。ただし、パワーを持っているというけれど、それが有効につかわれたときパワーを発揮するのであって、必ずしも「万能」ではない。それは私が最初に書いた部分が、とても象徴的にあらわしている。私が笑い出したのは、その皮肉があまりにも強烈だったからである。
こんなことを書くのは、私の考えていること、大切に思っていることを放棄してしまうことになるのだが。
そうだなあ。
やっぱり「革命」というのは、民主主義では「限界」があるのだ。どうしたって「力」で権力を倒さない限り成功しない。権力は、どんな権力であれ、自由を弾圧する。自由を弾圧しない権力が存在しないのは、トランプを見ればわかる。この映画も、最終的に「勝利」するのはスマートフォンではなく、みんなが憎んでいた「銃」なのである。銃がなければ、問題は解決できなかった。(チェ・ゲバラは、つまり、正しい、というしかない。)
これはつらい「結論」だが、救いは「革命」の引き金を引くのは一番若い人間であるということだ。すべては、これから生きていく若い人の知性と決断にかかっている。
それにしても。
私たちが毎日つかっているスマートフォンはなんなのだろうか。自分を守るための「武器(命綱)」なのか。相手を攻撃するための「武器」なのか。
たとえば。
この映画でつかわれているスマートフォンが撮影したと思われる映像。それは全部ほんものだと思うけれど、何か、捜査されることがあった場合、捜査機関が撮影者を攻撃するために利用することもある。必ずしも捜査機関を追及する(追及することで自分の安全を守る)ときにだけ有効とは限らない。何よりも、捜査機関が、捜査の過程で「スマートフォンの映像そのものを加工し、動画は捏造だと主張するのにつかわれるかもしれない。そうなってくると、「泥仕合」。デジタル加工について何も知らない私なんかには「真偽」がわからない。
「情報」をどう見極めるか。これは、この映画のもうひとつのテーマでもある。
主人公は「情報分析」の専門家なのに、家族の中で起きてことの「情報」を的確に分析し、真実を見つけ出せず、いわば「自滅」していく。
その過程で、いまはもうどこかに消えてしまったカセットテープや、スピーカー、さらにはひとが住んでいない「廃墟」が存在感をしめすところが、まあ、おもしろくもある。「娯楽映画」ではないのだけれど。
さらに、もうひとつ。
この映画は、おとこ対おんな、の戦い(父対母の戦い、夫対妻の戦い)をも含んでいるのだが、一家の「構成」をおとこひとり(父・夫)、おんな三人(母・妻、むすめ二人)にしているのも、とても興味深い。同じ四人家族でも、子供がおとことおんなだったとしたら、この映画の展開は違ってきただろう。
監督は、若い世代を激励すると同時に、おんなたちの「革命」を応援しているのだと思う。
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