ペドロ・アルモドバル監督「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」(★★★★+★)(2025年02月01日、ユナイテッドシネマ・キャナルシティ、スクリーン1)
監督 ペドロ・アルモドバル 出演 ティルダ・スウィントン、ジュリアン・ムーア
前半、あ、この映画は、ちょっとどうかな……、と思った。単調である。アップが多く、映像の色彩情報が妙に少ない。そのため現実感がしない。
ところが。
ふたりが郊外(いなか?)の別荘へ行ってからが、とてもいい。発端は、ティルダ・スウィントンが安楽死のための薬を家に忘れてきたことに気づくこと。ジュリアン・ムーアは「あした取りに戻ろう」と言うのだが、ティルダは受け入れない。このときのティルダの緊張感というか、焦りというか、それしか意識できないという感じが真に迫っていて、そこから映画のスピードが加速していく。目が離せなくなる。
ふたりの顔の対比もきわだってくる。
死を覚悟しているというか、死を望んでいるティルダが、徐々に落ち着いてくる。安定してくる。死んでいくのはあたりまえ、という感じで生きている。薬を忘れたと大慌てしたときとはまったく違ってくる。大慌てしたことによって、なんというか、「峠を越した」感じになる。それが、すごい。
ジュリアンの方は、感情が揺れ動く。まるで彼女の方が死んでいくかのようだ。
で、思うのだが。
こういうとき、どちらの役の方が演じるのがむずかしいのだろう。感情のゆれを演じわけるジュリアンの方がむずかしいと一瞬思うが、逆かもしれない。人間はだれでも感情が動き、その感情が顔に表れるとき、そのひとと一体化してしまう。同調してしまう。自分がジュリアンになった気持ちになる。観客を誘い込めばいいわけだから、むしろ簡単かもしれない。「変化」を演じればいいのだから。
ところが、ティルダの方は「変化」してはいけないのだ。ほんとうは、彼女の肉体のなかで、こころのなかで激しい変化があるのに、それを表面に出してはいけない。しかも同時に、隠している、押さえているという印象をどこかで与えなくてはいけない。それも、あの、アップの連続のスクリーンのなかで。
彼女はまた、母ティルダと不仲の娘も演じているのだが、そのそっくりであり、かつ違っているという感じも、非常に少ない動きのなかで演じ分けている。
これは、ある意味で、映画を見るというよりも、演技を見るための映画だなあ。
で、ね。
私くらいの年齢になると、どうしても死のことを思う。私は痛みが非常に苦手だから、こんなに痛いなら死にたいと思うときがある。網膜剥離の手術をしたときは、手術後がこんなに痛いなら「目は見えなくなってもいいから、もう目を摘出して」と言おうと思ったが、いや、もう一回手術するともっと痛いかもしれないと、「論理的」に考え、ナースボタンを押すのをやめた記憶があるのだが。そんなふうに、感情・意識は、動いてしまうものなのだ。
脱線したが。
ともかく、死を考える。そうするとき、私にはあんな風には振る舞えないなあと思い、なおさら、ティルダの演技力に驚く。映画を見始めたときから、もうティルダが死んでいくのはわかっている。その、わかりきったことを演じきり、視線を引きつけるというのはすごい。ジュリアンの方は、ほら、どんな風に感情が動くか想像できないから、その動きに自然と引きつけられるのだから。そして、揺り動かされるのだから。
これを際立たせるためには、やっぱり、あの単純な色彩計画、アップの連続が必要だったんだなあ。
★一個を追加しているのは、ジョン・ヒューストン監督「ザ・デッド」が引用されているから。あの映画の雪の美しさ。それが、引用だけではなく、再現されていて、それに感動した。余談の余談だが、私はジェームズ・ジョイス「ダブリン市民」が好きで、ダブリンまで行き、「ザ・デッド」のホテルに泊まったのだ。そんなことも思い出した。この映画が、アルモドバル監督なのに「英語」を話すのも、そういうことが関係しているかもしれない。そうか、アルモドバルもジョン・ヒューストンとジョイスが好きなのか、と親近感を覚えたのだった。
**********************************************************************
★「詩はどこにあるか」オンライン講座★
メール、googlemeetを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、ネット会議でお伝えします。
★メール講座★
随時受け付け。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。
★ネット会議講座(googlemeetかskype使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
1回30分、1000円。(長い詩の場合は60分まで延長、2000円)
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。
費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com
また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571
*
オンデマンドで以下の本を発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455
(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com