詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池井昌樹『冠雪富士』(14)

2014-07-05 09:59:46 | 池井昌樹「冠雪富士」
池井昌樹『冠雪富士』(14)(思潮社、2014年06月30日発行)

 「忙」は、忙しくてころが荒んだときに、ふっとその「すさみ」を消すようにあらわれる思い出を書いている。

いまもむかしもあたらしい
のに
いまはもうないものばかり
いまごろこころにうかぶのだ
それはたとえばふうりんのおと
たなばたかざりのゆれるおと
つばめのひなのあかいのど
えんそくのひのまくらもと
こころときめかせたものばかり
むかしながらのさざなみのよう
いまもよせてはかえすのだ
いまもむかしもあたらしい
のに
いまはみえないこころへと

 途中の「それはたとえばふうりんのおと」からつづくことばは、思い出の「もの/こと/おと」を書いていて、あ、池井はこういうことを思い出しているのだなあとわかる。「おと」「おと」「のど」「もと」と、「お」のつらなる「脚韻」が池井には珍しいかもしれない。暗く静かな響きが、「いま/ここ」から遠い感じを誘っていて、それがよけいに「あ、これがなつかしいのか」「池井はこういうものにこころをときめかせたのか」と妙にしんみりした気持ちで読んでしまう。
 しかし、それがくっきりと見えるだけに、

いまもむかしもあたらしい

 これは、ちょっとやっかいだなあ。
 「いま」があたらしいのは、わかる。でも、「むかし」があたらしいとは? 「いま」と「むかし」は反対とはいわないけれど、同じものではない。それが同じ「あたらしい」と呼ばれるのは、なぜ?
 どんな思い出も、思い出す瞬間には「あたらしい」まま思い出してしまう。それを体験したときのまま、その体験が「いま」であるかのように思い出してしまう。小学1年生のときに描いた絵を小学6年生のときに見て「色があせて古くなったなあ」と感じる、その「古い」という思い出さえ、思い出すときは「いま」体験しているようにして感じてしまう。「いま」と「過去」の「時」と「時」の「あいだ」がなくなって、どんな「過去」も「いま」にぴったりと密着している。それが「思い出す」ということ。「いま」の「肉体」で「過去」を思い出す。だから、その瞬間瞬間に「過去」は更新され「あたらしい」ということかな?
 でも、それがどんなに「あたらしく」ても、それは、「いま」は「もうない」。
 いや、これは正確ではないだろう。
 池井が聞いた「ふうりんのおと」は「いま」もどこかで鳴っている。「いま/ここ」にないだけであって、「いま」もどこかにある。「たなばたかざりのゆれるおと」だって、どこかにある。「ない」とは断言できない。「つばめのあかいのど」も、あすは遠足だと思って胸をときめかせながら眠る子どもの枕元のリュック--それだって「いま」どこかにあるはずだ。
 でも、池井の「いま/ここ」にはない。
 「いま/ここ」にはないけれど、それをくっきりと思い出すことができる。

 では、「いま/ここ」にあるのは何なのか。
 思い出すという「こころ」である。

 そのこころについて、池井は最後におもしろいことを書いている。

いまもむかしもあたらしい
のに
いまはみえないこころへと

 最後の行は、一種の倒置法で、4行前の「いまもよせてはかえすのだ」と「意味」としてはつながるのだが……。
 「いまはみえないこころ」って、何?
 これは、「いまみえるこころ」って、何? と問いを変えた方がわかりやすいかもしれない。「いまみえるこころ」とは何なのかということから考えた方が、手がかりがつかめるかもしれない。
 「いまみえるこころ」。それは昔のことを思い出しているこころ。そして、そのむかしのことは「いま」ここでおきていることと同じようにあたらしく感じることができる。それな「のに」(あるいは、それゆえに)、とてもさびしい。
 なぜ?
 それは、そういうもの、「ふうりんのおと」や何かは、ほんとうは「いま」のこころへ帰ってくるからではないのだ。それは「いまのこころ」に帰ってくるような素振りを見せながら、実は、その「ふうりんのおと」が池井のこころを放心させたあの一瞬のこころ、あの「時」へと帰っていくのだ。あのときの放心、陶酔--その純粋な豊かさを味わうことができるこころ、「いま/ここにないこころ」へと帰っていく。

 なつかしい思い出がある。大好きだった何もかもを思い出すことができる。でも、それをどんなに思い出しても、あのときと同じ陶酔にはひたれない。
 これは逆言えば、大好きだったものたちに、「いま/ここ」へ帰ってくるな、あの幸せな陶酔のこころこそがおまえたちの棲家(よりどころ)なのだ、ということかもしれない。
 「いま」の池井は「忙しすぎる」。「心」を「亡」くしている。
 「いまもむかしもあたらしい」のは「頭」ではわかるが、いまのこころは「あたらしい」を放心して受け止めることができない。酔うことができない。池井は、いつでも放心していたい。
 放心できない哀しみが、怒りに汚されることなく、純粋に書かれている。


冠雪富士
池井 昌樹
思潮社
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池井昌樹『冠雪富士』(13)

2014-07-04 09:54:17 | 池井昌樹「冠雪富士」
池井昌樹『冠雪富士』(13)(思潮社、2014年06月30日発行)

 「内緒」にも母が出てくる。でも、この母は、少し変わっている。

いなかのいえのひだまりに
しんぶんがみひろげ
あつあつコロッケたべたっけ
かあちゃんと
くすくすわらってたべたっけ
まだかえらないとうちゃんや
じいちゃんばあちゃんいぬのコロ
みんなにないしょでたべたっけ
いなかのいえのひだまりに

 「かあちゃん」ということばで登場する。よそのひとの眼を意識していない。身内だけのときは「かあちゃん」と呼び、他人がいるときは「はは」と書く。そういう区別が池井のなかにはあるのだろう。ここでは、他人を気にしていない。
 なぜか。「内緒」の世界だからだ。母と二人だけ。だから「かあちゃん」と無防備なことばが出ている。
 そのコロッケは、たぶん買ってきたコロッケだろう。家でつくってもあつあつだが、つくったあとが残る。買ってくれば料理の痕跡がないから、だれにもわからない。父や祖父母にはわからない。その二人だけの秘密が「内緒」であり、二人だけだから、この「かあちゃん」は非常に濃密(?)だ。揚げたてのコロッケのように、池井の肉体にぴったり重なっている。この密着感、幸福感が「くすくすわらって」にあふれている。大笑いしてもだれにも聞かれないのだけれど、「くすくす」と笑う。それが何かを隠しているようで楽しい。「内緒」の「緒」は「一緒に」の「緒」。
 この幸福感には「たべる」という肉体が関係しているかもしれない。何かを一緒に食べるということは、その何かを共有することだ。コロッケを二人で食べるのだから、これは正確に考えると「分有」ということになるのだけれど、その食べられたはずの「コロッケ」が二人の肉体を「共有」するのか、それとも「食べる」という動詞を二人が「共有」するのかわからないが、「一緒に」何かをもっている感じがする。もしかすると、それは「コロッケ」でも「胃袋(口/肉体)」ではなく、「ひだまり」とか「あつあつ」という別なものとつながっているのかもしれない。
 この「もの」を超えて「共有」がはじまる瞬間に、ここでは「たべたっけ」という音の繰り返し、音楽が一緒にある。「コロッケ」と「たべたっけ」のなかにも共通する響き、音楽があり、それが歌になるので、楽しい。
 書いてある「情報」は母と一緒にコロッケを食べたということだけなのだが、繰り返し繰り返し読んでしまうのは、書いてあることを知りたいからではなく、そこに書いてある「音楽」を味わいたいからだ。
 この長調の明るい音楽が後半はがらりとかわる。

それからなにがあったのか
それからコロはいなくなり
そふぼもちちもいなくなり
ははをしせつへおいやって
いまはもぬけのからのいえ
いなかのいえのひだまりを
いまごろぼくはおもうのだ
あとかたもないこのぼくは
かあちゃんと

 「かあちゃん」は母に、とうちゃん、じいちゃん、ばあちゃんは祖父母にかわっている。そして、コロッケを食べたは消えて、かわりに「施設へ追いやる」がわりこんでくる。そのとき蘇るのは「いなかのいえのひだまり」。太陽が射してぽかぽか。あ、この「自然」は無慈悲にも変化しない。長調から短調へとかわることはない。その家にだれがいなくなっても、つづいていく変わらぬものがある。
 それが、変わってしまったものをいっそう強調する。
 その瞬間、

かあちゃん

 が再び蘇る。それは池井との「内緒」を知っている「かあちゃん」だが、その「かあちゃんと」何をするのか。この詩は書いていない。書けないのだ。蘇ってくる「かあちゃん」といういのちそのものに涙があふれ、それを整える時間がない。整えようとする「理性」を、感動がおしやってしまう。
 その瞬間、そこに、ぱっと、もう一度「いなかのいえのひだまり」が、内側から開くようにあらわれてくる。そして、そこにコロッケと新聞紙と、あつあつと、くすくすとがあらわれながら「内緒だよ」とささやく。
 かあちゃんが言ったのか、池井が言ったのか。二人で「内緒だよ」と「一緒に」言ったのだ。


冠雪富士
池井 昌樹
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池井昌樹『冠雪富士』(12)

2014-07-03 09:14:39 | 池井昌樹「冠雪富士」
池井昌樹『冠雪富士』(12)(思潮社、2014年06月30日発行)

 「月」という詩の書き出しは「手の鳴るほうへ」と書き出しが同じである。詩の終わり方も似ている。同じ日に書いたのかもしれない。

それはきれいなおつきさま
あんたも みてみ
でんわのむこうでいなかのははが
はははしせつへゆくことになり
それはきれいなおつきさま
のぞんでももうかなうまい

 この電話はいつのものだろう。施設に入る前の日の電話かもしれない。池井がかけたのか、母の方からかけてきたのか。母の方からかけてきたのだろう。月がほんとうにきれいだったからかけてきたのか、それとも思うことがあってかけてきたのだが、思うことをいわずに月がきれいと言っているのか。月がきれいと言えば、いいたかった思いは半分は伝わると思ったのか。
 池井は、そういうことを書いていない。書いていないから、読者はそれぞれ自分の母のことを思い出して、自分の母の姿を見る。私は、最後に書いた母の姿を想像した。言いたいことがある。けれど言ってしまえば息子の負担になる。だから、直接言わずに、間接的に何かを伝える。

それはきれいなおつきさま
あんたも みてみ

 これは、きょう初めてのことばではなく、池井の母が何度も何度も池井に言ったのだろう。池井が母と一緒に暮らしていたと、池井は何度その「声」を聞いただろう。あるときは知らん顔をし、あるときは一緒にならんで見たのだろう。母は、月を見ながら、その「一緒」の時間を思い出している。もう一度、一緒の時間を持ちたくて、そう電話してきた。坂出と東京と離れていても、月を見るとき、「一緒」を楽しむことができる。同じ「月」を見るという時間をすごすことができる。
 でも、その「一緒」も、もうこれからは無理なのだ。

むすこはくるしくうしろめたく
いますぐいなかへかけもどりたく
さりとてもどるにもどられず
なにかてだてはないものか
だれにきいてもしのごのばかり
しのごのしのごのうやむやばかり
ふたおやかいごでかよいづめ
つまはかなしくめをふせて
ばんさくははやつきはてて
むすこはみじかいしをかいたのだ
ははとならんでいなかのいえで
つきをみあげるみじかいし
--それはちいさな
  まずしいつきを

 詩を書くことしかできない。詩を書くとき、池井は母と一緒に月を見ている。詩を書くことは、池井にとってはだれかと一緒にいることなのだ。だれかとつながっていることなのだ。つながることなのだ。大切な大切なだれかと。
 だから、
 と書くとかなり逸脱してしまうことになるかもしれないけれど。
 「むすこはすこしくるしくうしろめたく」と書きつないでいくとき、その「声」を坂出の母は聞いている。池井の苦悩を、そばにいて聞いている。そして「わかっているよ。わかっているから、それはいわなくていいよ。さあ、いっしょに月を見ようよ、きれいなおつきさまだよ」と言っている。
 その母を、ほんとうは書いているのだ。

それはきれいなおつきさま
あんたも みてみ

 は、誘いのことばであると同時に、一種の「和解/諒解」のことばなのだ。
 おなじことばの詩を二度書かなければならなかったのは(あるいは、池井はさらに三度四度と書くかもしれないが)、そのことばのなかで母といっしょにならんで生きるためなのだ。

 きのう「兜蟹」について池井は「フィクション」を拒み「ほんとう」にこだわると書いたが、その理由はここにもある。だれかとつながっている、だれかと一緒にいるということは「ほんとう」のことである。それだけが「ほんとう」に値することである。そこに「間違い」が入り込んでしまうと「一緒」ということさえフィクションになってしまう。だから「兜蝦」ではなく「兜蟹」なんだ、とこだわる。「兜蝦」の方が、ふつうの読者(編集者)からみれば自然であっても、それは池井の体験した「ほんとう」とは違う。違うことを書くと、池井の「正直」は減ってしまう。その結果、大切なだれかと「一緒に」いるということに傷が入る。この「傷」が、池井は嫌いなのだ。


冠雪富士
池井 昌樹
思潮社
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池井昌樹『冠雪富士』(11)

2014-07-02 11:34:28 | 池井昌樹「冠雪富士」
池井昌樹『冠雪富士』(10)(思潮社、2014年06月30日発行)

 「兜蟹」には、池井の「ほんとう」に対するこだわりが書かれている。そのこだわりの部分に少しおもしろいことばがつかわれている。

前作『明星』を校閲中、馴染の編集者からある箇所を指摘された。
「辺りの水田から一斉に蛙声が湧き螢が舞い兜蟹の幼生が銀河のよ
うに渦巻いたかつての郷里」。この兜蟹とは兜蝦の誤りではありま
せんか。海生の兜蟹が水田に棲むはずがありません。だとすれば、
これはフィクションということになりますね。フィクションにされ
ては叶わない。父娘ほどにも隔たりがありながら歯に衣着せぬ敏腕
編集者の物言いに私は怖じけ、即座に「兜蝦」を受諾したのだった。

 「フィクション」。--このことば自体は、「敏腕編集者」の口から出たものをそのまま復唱したものだけれど、うーん、こういうときに「フィクション」というのかな、「フィクション」ということばに反応するのかな? 編集者が言っているように「誤り/間違い」でカタがつく、修正して、それでおしまい、という気がするのだけれど。
 「誤り/間違い」とフィクションは別なものだと思うのだけれど。
 フィクション好きな私は、フィクションでしか語れないことがある、あるいはフィクションによってわかりやすくなることがある、と思うのだけれど。

 「フィクションにされては叶わない。」--この「される」が、池井の考えを見ていくときに大事なのかな?
 「事実」を間違える/勘違いする。そして、それを書く。それは「間違い」なのだけれど、「間違い」とは思わずにフィクションに「される」。フィクションとして受け止められる。つまりフィクションによって何かほかのことを伝えようとしている--そんなふうに理解されたのではたまらない。それは池井の「本心」とは違うということだろう。
 言い換えると、池井はフィクションによって何かを伝えようとは思っていない。フィクションでしか語れないことがあるとは思っていない。「ほんとう」のことを語り、「ほんとう」を知ってほしいと願っている。

 私は、詩というものは読者がかってに読んで感動するものだと思っている。どう読もうとかまわない。筆者が書いたこととは反対のことを読み取って感動してもいい。落語の「ちはやぶる」の世界のようなことが大好きである。
 でも、池井は違うのだ。
 書きたいのは「ほんとう」。それ以外のことは書きたくない。詩にしたくない。
 「間違い」があれば、それは「ほんとう」ではなくフィクションになる。--これは、池井の「認識」のなかには「間違い」というものがないということだ。「間違い」は存在してはいけない。少なくとも、詩のなかには「間違い」は許されない。
 あ、厳しいねえ。

 その後、池井は、池井のふるさと坂出は古い埋立地だったことを思い出す。井戸水にも淡い塩味があった。生家の縁の下には海生の蟹が姿を見せることもあった、ということを思い出す。ふるさと一帯は、純粋な真水の土地ではない。海がひそかに隠れている。あれは、やっぱり蝦ではなく兜蟹だった。そう確信して、「兜蝦」を「兜蟹」にもどす。
 そういう経緯が書かれている。
 ここでも池井がこだわっているのは「ほんとう」である。池井の体験してきたことへの「ほんとう」の執念である。

 でも、なぜ、こんなに「ほんとう」にこだわるのだろう。兜蝦でも、兜蟹でも、田んぼのそばの水のなかに生き物が動いている。それが銀河のように渦巻いているという表現には遠い世界に通じる不思議な魅力があるという点では変わらないのだけれどなあ。兜蟹が兜蝦になっても、「ほんとう」を激しく傷つけるとは思わないのだけれどなあ。私は「兜蟹」に感動したのではなく、「銀河のようにうずまいた」という表現の方に感動の重点があるのだけれどなあ。
 こういう疑問には、詩の、後半部分が答えている。
 なぜ「ほんとう」にこだわるのか。なぜ「兜蟹」でないといけないのか。

                          ちちはは
のちちはは、そのまたちちははの遐い遐い昔から、ながくながく私
たちとともに在り続けてくれたものたち、あのものたちは何処へ往
ってしまったのか。

 「兜蟹」は、あの日、ただそこに「いた」のではない。兜蟹の幼生のつくる銀河はあの日、そこに「あった」だけなのではない。そこに「いた/あった」のは、実は父母、祖父母……とつづく「いのち」のつながりであった。いつからかわからないくらい昔から(それこそ銀河が誕生したときから)、そこに「いつづけた」。
 「在り続けた」というこばが出てくるが、「続く」が池井にとっての「ほんとう」なのだ。キーワードなのだ。
 「つづく」はまた「つながる」でもある。「つながる」は「一緒に」でもある。「一緒に生きる」とき、人も動物も兜蟹もつながる。別々の生き方をしているが、どこかでつながっている。いのちは「つづいている」。
 「ほんとう」はつながっている。続いている。

 フィクションは、このしつこいつながりを切断する。切断することで、その断面に、断面としてしかとらえることのできない「ほんとう」を浮かび上がらせることもあるが、池井はそれには与しない。
 あくまでも、「つづいているほんとう」にだけ目を向け、それとつながろうとする。
 「あれらはほんとうにあったこのなのだろうか」と池井は疑問もことばにしているが、それは疑問ではなく、「ほんとうにありつづけてほしい」という願いが強いために、思わず反語の疑問になったのだろう。





冠雪富士
池井 昌樹
思潮社


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池井昌樹『冠雪富士』(10)

2014-07-01 10:38:38 | 池井昌樹「冠雪富士」
池井昌樹『冠雪富士』(9)(思潮社、2014年06月30日発行)

 「蜜柑色の家」は「地元公立高校入試にただ一人落第した私は隣町高松の私立高校へ通うことになった。」という一行から始まる。そのころの通学の思い出、三者面談のあと、高松駅前の食堂でラーメンと鉄火巻を食べたことなどが語られているのだが、その思い出にさらに過去の思い出が重なる。

       ラーメンは幼い私を連れて母が、私を楯に、贔屓の
橋蔵映画を観た帰りに食べさせてくれた。丼の底の一滴まで綺麗に
啜った。鉄火巻は父が教えてくれた。買ってもらったばかりの自転
車で父と初めて遠乗りした折り、丸亀という街で食べた。この世に
こんな旨いものがあるのかと瞠目した。

 ラーメンの味、鉄火巻の味を、「味覚」ではなく母と父の一緒の時間として描いている。父の方の描き方はあまり親身ではない(?)が、母に対する関する観察がとてもおもしろい。大川橋蔵が好きだったのか。チャンバラ映画を見たのか。池井は、母親に利用されているということを感じながら、それを楽しんでいたのか。「丼の底の一滴まで綺麗に啜った。」はラーメンの汁を啜るというよりも、母と一緒にいる時間そのものの濃密さを啜る感じがする。幸福はラーメンというよりも、母と一緒に、いつもとは違う場所にいて、違うことをしているという喜びの中にあるのかもしれない。
 父と食べた鉄火巻も、もし、それが坂出の商店街のなかの店なら味が違っていただろう。いつもとは違う街、丸亀で食べたからおいしい。それは、父と、いつもとは違う場所に一緒にいるからだ。父の描き方が親身ではないと書いたけれど、池井はしっかりと「時間」そのものは書いている。

 こういう思い出を書いているとき、池井のなかで「時制」はどうなっているのかなあ。
 何かを思い出すとき、時間はどうなっているのだろう。
 この詩の中には「ずいぶん遠くへきたもんだ」ということばが繰り返されているが、その「遠さ」がほんとうに「遠い」のではなく、とても「近い」。それが「近すぎる」ので、「いま」が何か異様に見える。ほんとうは「遠い」はずなのに、こんなに近くに、初めてラーメンを食べたときのこと、初めて鉄火巻を食べたときのことが、三者面談の日にラーメンをたべたこと、鉄火巻を食べたことと「一緒」になって動いている。
 「遠い」思い出こそ、いちばん「近い」。

しかし、あれから、ラーメンと鉄火巻に充ち足りた私と訪問着姿の
若い母はどうしただろう。煮汁の出汁の匂いのする薄暗い駅舎の改
札を抜け、微かに潮鳴りを聞きながら、いまはないディーゼル列車
にゆられ、いまはない窓外を眺め、いまはない、ドコヘ帰っていっ
たのだろう。

 「いまはない」は「いまは現実にはない」ということであって、その「ない」はほんとうに「ない」のではない。

  いまはもうなにもかもことごとく喪われてしまったにも拘らず、
いまもなお、あの頃のまま、蜜柑色の陽に包まれた家。父の十三回
忌もすぎ、母が施設に入り、いまはもぬけのからの家。

 あらゆるものは「いまもなお」、そこにある。「そこ」というのは、池井の「肉体」である。池井の肉体は「いまもなお」、池井が体験したことを覚えている。特に、母と一緒にした「こと」、父と一緒にした「こと」を忘れることができない。
 そういうことを、池井は、何の工夫もなく(ひとを驚かして、何かを印象づけるということもなく)、ただ思い出す順にしたがって書いている。
 この、池井のことばの、「どこに詩があるか」。
 これに対する「答え」は難しい。

ずいぶん遠くへきたもんだ、心の片隅でそう思いながら。

思えば遠くへきたもんだ、熟と、そう思う。

 「遠くへきたもんだ」と一緒に動いている動詞「思う」。そのなかに詩があるかもしれない。「遠い」ものを「いま/ここ」の近くに引き寄せる力、その思いのなかに。
 思い出は、技巧もなしに書かれているので、池井がそれを真剣に思い出しているという感じの「強さ」はわかりにくいかもしれない。いや、それは「強い」ではないのだ。「強い」なら、読者にわかりやすい。「強い」ものはあざやかだから。
 池井は「正直」に思い出している。
 これが池井の詩の「わかりにくさ」である。
 「正直」がなぜわかりにくいか。「正直」なひとが多すぎるからである。「正直」なひとにとって「正直」はあたりまえなので、あたりまえと「正直」の区別がつかない。それゆえに、驚かず、それゆえに、池井の詩を「現代詩っぽくない」「詩ではない」と感じてしまう。あったことを、あたりまえの調子のことばで書いている、と見える。
 そういう「他人の(読者の)正直」にたどりつくところまで、池井のことばは動いている。ためしに自分でラーメンを最初に食べた記憶、鉄火巻を初めて食べたときの記憶を書いてみるといい。池井のようには書けない。こんな正直に、こんなにあたりまえのことを書くのはとても難しい。

 ゆきあたりばったりに、嘘とはったりを書いている私には、この池井の「正直」は強烈に響いてくる。

冠雪富士
クリエーター情報なし
思潮社
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池井昌樹『冠雪富士』(9)

2014-06-30 09:39:52 | 池井昌樹「冠雪富士」
池井昌樹『冠雪富士』(9)(思潮社、2014年06月30日発行)

 「この道は」は短い詩なので全行引用する。

あめのこと
あめこんこんとよんでいた
とおいむかしのにおいがする
みちばたにくさばなゆれて
あめこんこんかすかにゆれて
わたしはわたしのなくなるような
わたしがわたしでなくなるような
かすかなかすかなおもいのなかを
あめこんこん
あめこんこん
いつかだれかのあるいたみちを

 同じことばが繰り返されている。ただし、逆に最後の行は「いつかだれかのあるいたみちを」はことばが足りない。「歩いている」が省略されているのだろうか。たぶん、そうだろう。(二行目が「よんでいた」だから、最終行も「歩いていた」と過去形かもしれないが。)
 そして、この同じことば、同じようなことばの繰り返しのなかに、微妙な違いもある。

わたしはわたしのなくなるような
わたしがわたしでなくなるような

 似ているが、とても違う。「わたしのなくなるような」では「わたし」が消えてしまう。「わたし」が存在しなくなる。「わたしでなくなるような」は「わたし」が「わたしでなくな」り、わたしではない「だれか」になる、ということかもしれない。「わたし」は「だれか」になって存在している。
 そして、この「わたしではないだれか」という人間が、最終行の「だれか」ということになる。「わたし」は「だれか」になって、「だれか」の歩いた道を、歩いている。そのとき「わたし」は、その世界からはじき出されて「だれか」が「ひとり」になっているのか。「わたし」は「だれか」に統合されて「ひとり」になっているのか。厳密に考えずに「ひとり」になっている、とだけ感じればいいのかもしれない。

わたしはわたしのなくなるような
わたしがわたしでなくなるような

 では、「わたし」は「無(0人)」になるか、「ふたり」になってしまうが、最終行では「ひとり」になっている。「だれか」と「一緒」なのだけれど、「一緒」であることによって「ひとり」になっている。
 で、その「ひとり」が「歩いている(歩いていた)」。
 これでいいのかな?
 いいのかもしれない。
 けれど、何かがひっかかる。

 「歩いている」は省略されている。ここにひっかかる。ほんとうに「歩いている」が省略されているのか。もしかしたら違うのではないだろうか。歩いていないのではないだろうか。
 じゃあ、どうしている?
 私は、「みち」になっている、と感じた。瞬間的に思った。
 「わたしのなくなる」(わたしはなくなる)、「わたしでなくなる」はほかの「だれか」になるということではないのかもしれない。「だれか」を通り越して、その「場」になる。その「場」には「みち」がある。そして、雨が降っている。「あめこんこん」と声がする。そこには草花が揺れている。

 いつかだれかのあるいた「みち」になるような、その道になって、「あめこんこん」という声を出しているひとを歩かせている。
 池井は「みち」と一体になっている。そこには「あめこんこん」というひとがいて、「わたし」はいない。「あめこんこん」という「声」そのものが「わたし」であって、人間の形を超えて、「そこ」という「場」と「時」の全体をつくっている。


冠雪富士
池井 昌樹
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池井昌樹『冠雪富士』(8)

2014-06-29 09:27:57 | 池井昌樹「冠雪富士」
池井昌樹『冠雪富士』(8)(思潮社、2014年06月30日発行)

 「柳河行」は、公立校の入学試験に失敗した池井が、中学最後の春休みに北原白秋のふるさと、柳川を旅行したときのことを書いている。白秋は、池井が大好きな詩人だ。初期のころの「雨の日の畳」(だったかな?)などを読むと、ことばが古くさくて、まさに白秋--と私は感じていた。私は中学のときから池井の詩を読んでいた。旅行には母親が同行している。

柳河では呑子舟で『思ひ出』のままの掘割を巡った。水底の欠け茶
碗一つにも白秋の息吹を感じた。生家には白秋が隆吉少年の頃に使
っていた文机が窓際にあり、やはりなまなましい吐息を感じた。来
て良かった、と思った。立ち去り難い生家の朽ちかけた海鼠壁の一
片をそっと剥ぐと、母はもう一片を素早く●ぎ取りちり紙に包み私
のポケットに捩じ込んだ。とんでもない母子だった。掘割に沿い私
たちは夢のように経巡り歩いた。『思ひ出』のままの様々な花々が
咲き競っていた。私は道々それらを母へ解説し、解ったのかどうな
のか母は逐一うなずいていた。私は中学の制服姿、母は着物のよそ
ゆき姿だった。
    (注 ●は「腕」の「月」が「手へん」、もぎ取る、と読ませるのだと思う)

 「時効(?)」になった白秋の生家の壁を剥ぎ取ったことが書いている部分がおもしろい。池井は白秋が大好きだから、その思い出に、思わず壁を一片剥ぎ取った。それを母はとがめずに、もう一片、池井のために剥ぎ取った。それを「ちり紙に包み」というのが、なんとも温かい。そのときの様子がしっかりととらえられている。
 私は池井の母には一度会ったことがある。顔も何も覚えていないが、会っている。大学受験の帰りに、私は池井の家へ立ち寄った。試験はまったくできなかった。就職してしまえば、四国へは来ることもないと思い、私はどう連絡をとったのか忘れたが、坂出の池井の家に立ち寄り一泊している(二泊だったかもしれない)。そのときに会っているが、ほんとうに何も覚えていない。
 だが、この詩を読むと、そうか、こんなふうに池井のことを心底愛していたのか、大事に見守っていたのか、と気づく。そういう愛のひろがりのなかで、私も、そのとき受け入れてもらったのだろうと思う。
 こんなことは、まあ、詩の感想にはどうでもよいようなことなのだけれど、そういうことを急に書きたくなった。そういう気持ちを誘う、ことばの動きが池井のこの詩にはある。あったことをただ書きつないでいるだけ。何の工夫もないエッセイのようでもある。が、その工夫のなさがいいのだ。とても自然だ。ただこういうことがあった--と、それをそのまま書くとき、池井は母をそのまま肯定して、一緒にいる。
 これは、たぶん、柳川に同行した母親も同じだろう。受験に失敗し、気落ちしている池井。詩ばっかり書いていて、ほかの勉強をしなかったからなのかもしれないが(ほんとうは優秀なのに、詩にのめりこんだために受験に失敗したのだろう)、それをそのまま受け入れている。受け入れるだけではなく、励ましている。
 池井は、花々を見て、それを説明する部分で、「私は道々それらを母へ解説し、解ったのかどうなのか母は逐一うなずいていた。」という具合に、ちょっと母親を軽蔑(?)するような、軽い感じで書いているが、母親には解るのだ。池井の言っている「解説」がわかるのではなく、息子が知っている限りのことを夢中になって「解説しているということ」がわかり、うなずぐのである。花の解説なんかは、母にはどうでもいい。息子が自分のために解説しているということ、その「事実」が「真実」なのだ。そうやって、池井のことばのなかから「真実」を引き出し、育てている。
 壁の剥ぎ取りも同じ。心底愛する白秋の家の「一部」をもっていたいという池井の欲望を、ただ欲望として肯定しているのではない。そういう欲望は「真実」であると後押ししている。息子の欲望に「間違い」はない、そう後押ししている。息子のするあらゆることを「真実」にしてしまう力が母親にはある。
 その力と一緒に池井は生きてきた。
 こんなことは、18歳の私にはわからなかったが、私も、その池井の母の何かに触れたんだなあ、と思い出すのである。

 詩の最後に、こんなことも書いてある。

楽しかった思い出はやがて詩となり、私は初めて「詩学」へ投稿し
た。その詩「春埃幻想」は「詩学」史上最高点で第一席となった。
選者は山本太郎、宗左近、中桐雅夫、嵯峨信之。皆物故され「詩
学」も無くなってしまったが、先達四氏の合評を震える指で頁繰り
つつ仰ぎ見たあの興奮はあの日のままに。未踏への憧れは今もなお
私の胸に。

 この「詩学」を私は、池井の家に押しかけて一泊したときにみせてもらった。そのことも思い出した。それをみせてくれたときの池井のことばを覚えているわけではないが、あのときの「声」は「真実」だったと思い出す。

 うまく言えないが、池井にとって「真実」を語ることは「必然」なのだ。
 「現代詩」は「わざと」感覚をつくりだす、ことばで「いま/ここ」にないものを生み出すことを仕事としているが、池井はそういう「わざと」から離れて、「真実」を「真実」にするためにことばを動かしている。
 「真実」に「する」という意識は、しかし、ないだろうなあ。
 書かなければいけないことを書くと、それは「必然」として「真実」になってしまう。「真実」というのは平凡だから、ついつい見落としてしまうが。そして、おもしろみも欠けていることが多いので、そのそばを通りすぎてしまうものだが。立ち止まってみつめると、なんともいえず静かな気持ちになる。
 「真実」と一緒にいると、静かに落ち着く。そんなことを、きょうは感じた。


冠雪富士
池井 昌樹
思潮社
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池井昌樹『冠雪富士』(7)

2014-06-28 09:16:10 | 池井昌樹「冠雪富士」
池井昌樹『冠雪富士』(7)(思潮社、2014年06月30日発行)

 「喜望峰」は子どものときに大好きだったバターの思い出を書いている。大好きだったバターの味がある日、変わってしまった。そして、それ以後、同じ味を二度と味わっていない。そのバターに半世紀ぶりに出会った。内田百間(正しくは「門」構えに「月」だが表示できないので代用)の文庫のなかに、そのバターは出てきた。

           百間先生の「バタ」は遠く喜望峰を経て船
で運ばれてくる缶詰だから独特の強い塩味があった。私はその頁の
前で釘付けとなった。靴墨のような缶詰の蓋の厳めしい模様と得体
の知れない外国語、蓋を剥がした油紙の滲んだ手触り、パンに擦れ
ば陽光のように忽ち明るく華やかに蕩け出す琥珀色、

 百間の文章が池井の記憶になって動いている。「靴墨のようなから」始まる、たたみかけるような、指にからみついてくるようなリズムがいいなあ。漢字のまじり具合が、とても古めかしくて、そうか昔はバターはこういう感じだったのか、と思う。
 「パンに擦れば陽光のように忽ち明るく華やかに蕩け出す」は百間のことばか、池井のことばかわからないが、「蕩け出す」と「華やか」が一緒になるところに、「肉体の愉悦」のようなものを感じる。「陽光」「明るい」「琥珀色」は視覚を刺戟するが、そこに「蕩け出す」が加わると、眼で見ているというよりも、胃で見ているという感じになる。池井は何でも胃袋で昇華してしまうのだ。(若いときの池井は、凄まじい肥満体であった。)こういう「肉体感覚」に満ちた描写、ことばの動きはいいなあ。バターを忘れて、バターを食べている太った池井が目の前に浮かんでくる。その池井の肌からバターのとけた色がにじみ出している。そして池井の肉体を蕩けさせている。
 蕩けるには、なにか輪郭をなくす(輪郭をはみだす)という感じがあって、幸福というのは「蕩ける」ことなんだなあ、と思う。輪郭をなくして、何でも受け入れて豊かになっていくことなんだなあ、と思う。(その直前に出てくる、靴墨、厳めしい蓋との対比が、より強く、そう感じさせる。)
 また、この「蕩ける」は、私が池井について書くときつかってきた表現でいうと「放心」に似ている。自分がどうなってもいい、という感じで、すべてを開け放つ感じにも似ている。開放と放心と蕩けるは、池井のなかでは、どこかでつながっていると思う。
 で、この描写は、実は、次のようにつづいていく。

                        琥珀色を透か
して生き活きた生家での幼年時の刻々がありありと蘇ってきた。祖
父はかつて郷里の商戦会社を営んでいたから大陸との交易があり、
喜望峰を巡り大陸を経てもたらされた塩気の強いバターは我が家の
常備菜だったのだろう。その祖父も、祖母も父も疾うに逝き、息子
たちが巣立ち、異境を転々とする日日の生計の果てに、思い掛けな
いこんな遠くで、私はあのバター付きパンを再び手にしていたのだ
った。

 思い出すのはバターの味だけではなかった。
 バターを思い出したとき、祖父の「暮らし」を思い出した。そして、そこに「暮らし」が見えてきたとき、自分が好んだものの「正体」を知った。祖父がいて、その祖父が「世界」とつながっているから、バターがあったのだ。人と暮らすということは、広々とした世界へつながっていくことだ。広々とした世界とつながると、池井は「蕩ける」のだ。
 それは、バターを思い出しているのか、祖父を思い出しているのかわからない。
 いや、「わからない」のだけれど、「わかる」。
 祖父がバターであり、バターが祖父であり、その一体になったものが世界だ。
 何かを思い出すとき、その何かと一緒に生きている「人」をも思い出す。そして、その「人」こそが「世界」だったと、「わかる」。祖父がいて、父がいて、世界は海を越えて、喜望峰を越えて広がっていく。どこまでも、誰かが、何かをつなげている。「一つのもの」(たとえばバター)は必ずほかの誰か、ほかの何かと「一緒」に存在する。その「一緒」のなかに、池井はいつも「蕩け」てゆく。
 こういうことを池井は抽象的な概念ではなく、バターの具体的な味として、バターの缶詰の具体的な手触りとして、肉体で覚えている。その覚えているものと池井は正直に向き合っている。

 正直が、そこに起きていることのすべてを「必然」にかえる。喜望峰を越えてきたバターが好きというのは、偶然ではなく、池井にとっては「必然」。祖父がいて、父がいるという「暮らし」が「必然」であると同じことなのだ。
 あ、こんなふうに、私は正直には書けないなあ、と思う。
 この「必然」の「正直」にたどりつくまでに、池井がどんなふうに生きてきたのか。それは「わからない」けれど、ことばのなかにある「正直」と「必然」がとても静かに伝わってきて、これはすごい詩だなあ、と読むほどに感動する。



冠雪富士
池井 昌樹
思潮社
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池井昌樹『冠雪富士』(6)

2014-06-27 11:06:28 | 池井昌樹「冠雪富士」
池井昌樹『冠雪富士』(6)(思潮社、2014年06月30日発行)

 「幼心」は幼かったときの思い出を書いてる。「日曜の朝は嬉しかった。」なぜか。牛乳が飲めたからである。その牛乳の描写がすばらしい。

                      水滴を弾いた分厚
い壜の広口から直に飲むその液体は驚くばかり濃く甘く、陶然とな
った。一滴残らず搾るように飲み干して、すっかり味の無くなるま
で広口を綺麗に舐ぶった。

 「陶然となった」というのは、私の感覚では子どものことばではない。大人のことばである。(大人のことばであるけれど、まあ、私はつかわない。)大人のことばであるというのは、つまり、ここに書かれていることは「思い出」であることの証拠になるのだが……。
 その「思い出」を、それでは池井は「大人のことば」で書いているかというと、そうではない。子どもの「肉体」で書いている。

すっかり味の無くなるまで

 あ、ここが、いいなあ。
 壜をなめる。最初は味がある。それがだんだん薄くなる。池井は「味が無くなる」と書いているけれど、私の感覚では、だんだん「ガラス(壜)」の味がしてくる。冷たく、硬い感じ。
 だから、私の「味」と池井の「味」、「味」をつかみとる「肉体」は違うのかもしれないけれど、「味の無くなる」の「なる」が、きっと「共通」していて、そこにひっぱられていくのだろう。
 「無くなるまで」味を追い求める。この「まで」の執着心のあとに「綺麗」があらわれる。欲望は最後まで満たされると、何か、欲望のなかがぱっと割れて空っぽになったように透き通る。その感じが「綺麗」なんだな。壜の口の透明な輝きと、池井のなかにある欲望が透明になる感じがつながる。「綺麗」ということば、こんな具合につかうんだね。

 このあと池井は牛乳瓶の蓋でメンコをしたというような記憶を書き、そこから蓋の絵について書きはじめる。そこからがまた、とてもいい感じだ。

                     蓋には鳩の絵がやや
ぶれ気味に刷られていた。フジハト牛乳という地元の小さな製菓店
だった。フジとは窓の遠くに霞んでいる姿美しい飯野山--讃岐富
士のことだった。

 ここには池井の「思い」というよりも、幼いときに池井が暮らした「土地」に生きている「思い」が自然な形で広がっている。
 飯野山の姿が美しい。それを見ながら、池井の周りの人は「讃岐富士」と言っていた。それは池井が生まれるはるか前からそうなのだろう。富士に似た美しい山を「富士」と呼びたい。自分の(讃岐の)富士と呼びたい。そういう「欲望」の「綺麗」な形が、そこにある。
 それは何でもないような、ささやかな夢なのだけれど、そういう「命名」の仕方のなかに、「見えない人」が動いている感じ、人が暮らして互いの「夢」を動かしいてる感じがして、おもしろい。「飯野山」という名前があるのに讃岐「富士」と、富士山に結びつけて自分の見ているものを「大事」にする感覚。それが「綺麗」だ。人は、そんなふうに「自分」というものを大切にして生きている。ここには、不思議な、生きている人間の「温み」がある。あたたかさ、そのものがある。それを呼吸し、自分を整えている池井が「無意識」のまま書かれている。

 この、自分を整える、欲望を夢に整えて、美しいものに育てる--というのは、もう一つ別のエピソードでも語られる。日曜の朝食のあとには「葡萄が出た。」その葡萄の思い出。

食べ終えた葡萄の皮を一升壜に詰め、父が菜箸で突っ突き始めた。
葡萄酒を造るのだという。おさな心はまたときめいた。姉と弟は代
わる代わる壜の中を夢中で突いた。

 葡萄の皮から葡萄酒を造る--いま、ここにないものが新しく生まれる。いまあるものを、どこまでもつかい尽くして新しいものをつくる。そういう「暮らしの智恵と夢」が「暮らし」そのものを整える。人間の生き方そのものを整える。あのとき、整えた人間の暮らしの温みを、いま、池井は「ことば」でもう一度整えなおしている。

 この詩集のどの詩にも、いわゆる「現代詩」っぽい、新しい、人を驚かせるような「わざと」はない。けれども、そこには人間が生きているときに発してしまう「体温」の温みがあり、しかもその「体温」をていねいに整えるときの「生き方」の自然な美しさがある。

                葡萄酒は完成したかしなかった
のか。私の奥処には何事か指折り数え待ち侘びるおさない興奮が酵
母のように今もなお微かに弾ける。父は死んだし、あの家も、フジ
ハト牛乳も疾っくのむかしに絶えてしまったが。

 「完成」は問題ではない。「完成」をめざして「暮らし(生き方)」を整えるということが美しいのだ。父が死んでも、その「生き方」の美しさは池井と「一緒に」生きている。「フジハト牛乳」がなくなっても、牛乳をのんだときの幸福と、「フジハト」という名前に籠められた「暮らしの夢」は池井のなかで生きている。それが、こんなふうにことばになって、いま、しっかりと、ここに「ある」。

 池井は、これからももっともっとすばらしい詩を書き、すばらしい詩集を生み出すだろうけれど、この詩集は、これから始まる「人間の温み」(暮らしを整えて生きる美しさ)の出発点であり、到達点ともなる詩集だ。
 (まだまだ感想を書くつもりだが、そう書いておく。)

冠雪富士
池井 昌樹
思潮社
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池井昌樹『冠雪富士』(5)

2014-06-26 10:51:06 | 池井昌樹「冠雪富士」
池井昌樹『冠雪富士』(5)(思潮社、2014年06月30日発行)

 「草を踏む」に書かれていることば(情報)は非常に少ない。全行引用する。

いつだったかな
おまえとは
このよのくさをふみしめた
ことがあったな

おまえとはだれだったのか
わたしとはだれだったのか
どんなあいだがらだったのか
なんにもおぼえていないのに

どこだったかな
ふたりして
このよのくさのうえにいた
ことがあったな

 いまはじまったばかりのような
 すっかりおわってしまったような
 めもあけられないまばゆさのなか
 こころゆくまでみちたりて

すあしでくさにたっていた
ことがあったな
ただそれだけのことだけが
ただそれだけのことなのに

 同じことが繰り返しか書かれている。「おまえ」も「わたし」もわからない、「いつ」「どこ」かもわからない。わかっているのは草を踏んだということだけ。
 この詩の、どこが詩? どこが、優れているところ?
 聞かれても、答えるのは難しい。
 でも、この詩のリズムに、自然にのみこまれていく。読んでいて、こころが落ち着く。それが詩なんだなあ、と思う。読んで、こころが落ち着く。何かを納得する、ということが。

 と、書いてしまうと、あ、これは批評ではないし、感想にもなっていないかもしれない。
 で、もう少し、書いてみる。

 この詩には、実は「わからない」ところがある。

このよのくさをふみしめた

このよのくさのうえにいた

 「このよ」って、何? 漢字をあてはめれば「この世」になるだろう。「この世」は生きている世界。でも、これって、あたりまえ。「あの世」の草を踏むなんてことは、できない。
 なぜ、「この世」と書いたのか。
 それは、池井には「この世」であるかどうか、よくわからないからだ。「いつ」「どこ」もわからなければ「おまえ」「わたし」がだれなのかもわからない。なにもわからないのだから、「この世」であるかどうかもわからない。
 「この世」を「あの世」と比べるのではなく、「この世」を「現実」と言い換えるなら、もしかすると草を踏んだのは「夢の世(国)」かもしれない。「夢」だけれど、それは生きている世界なので「この世」と言ったのか。
 けれど、そんなロジックの世界を書いているわけではない。
 池井は、ほんとうにそれが「どこ」「いつ」かわからない。
 けれど「草を踏んだ」という「こと」だけははっきりしている。だから、その「こと」を基準にして「この世」と書いたのだ。
 あらゆる「こと」は「この世」で起きる。

 「こと」について考えてみる。
 「こと」にはひとりでできる「こと」がある。また何人かでする「こと」がある。
 池井がこの詩で書いてるのは、「おまえ」と「わたし」の二人でした「こと」である。「こと」は共有された。「こと」のなかに、「おまえ」と「わたし」が一緒にいた。
 そのとき二人が考えたこと、感じたことは違っているかもしれない。しかし、草を踏んだということは共通している。草をとおして、二人は、そのとき「生きた」。
 それはどこから始まったことか、あるいはどこへ進んでゆくことか、まったくわからないが、たしかにあった。

 最後の連で「それだけのこと」が繰り返されている。「こと」が繰り返されている。
 この詩でほんとうに繰り返されているのは、「こと」なのだ。
 だから、と言ってしまうと、きっと乱暴するぎるのだが、

いつだったかな
おまえとは
このよの「みずをのんだ」
ことがあったな

 と、この詩を書きなおして読んでもいいのだ。誰かと何かを一緒にした「こと」。その「こと」を思い出すとき、「この世」は「いまはじまり」、「この世」は「すっかりおわる」。はじまりと終わりが「こと」のなかで出会い、「永遠」になる。
 「永遠」が「この世」にあるのか、それとも別の世にあるのか、私はわからないが、はじまりと終わりの区別がないのが「永遠」だろう。そして、それは「こと」のなかにある。
 「こと」というのは、池井の場合、だれかと「一緒に」すること、あること、なのだ。同じことばをくりかえしてしか言えない何かなのだ。それが「この世」の仕組みなのだ。その「この世」の「仕組み」を池井は書いている。その「仕組み」が動かない限り、世界は「この世」ではない。そのことを強調したくて、いけいは「この世」ということばをつかっている。

 でも、こんなことは、どうでもいい。
 ただ、ここに書いてあることばをくりかえし読んでいるだけでいい。
 選び抜かれたことばが、ただ、そうあるように、そこにある。「ありのまま」のことばがそこにある。かっこいいことばで人を驚かそうというような「作為」がない。「現代詩」の重要な「要素」である「わざと」がここにはない。
 ことばから「わざと」を取り去ると、こんなに純粋になるという、美しい姿、そのうつくしさが、ここにある。


冠雪富士
池井 昌樹
思潮社
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池井昌樹『冠雪富士』(4)

2014-06-25 10:38:11 | 池井昌樹「冠雪富士」
池井昌樹『冠雪富士』(4)(思潮社、2014年06月30日発行)

 「手の鳴るほうへ」は、母を思い出す詩。

それはきれいなおつきさま
あんたも みてみ
でんわのむこうでいなかのははが
むすこはははのとなりにすわり
それはきれいなおつきさま
かたをならべてみあげていたが

 ことばはすべてわかるが、状況はちょっとわかりにくい。いろいろなことを想像できる。田舎の母が「それはきれいなおつきさま/あんたも みてみ」と電話をかけてきた。その電話をとりながら、池井は「はははのとなりにすわり/それはきれいなおつきさま/かたをならべてみあげていた」ときのことを思い出したのか。いま、いっしょに肩を並べて座って月を見上げているわけではないだろう。
 そのことを、まるで「いま」のように思い出してしまうのは、それが池井にとって大切な思い出だからだ。母にとってもとても重要な思い出だ。だから、ついつい昔と同じ口調で「それはきれいなおつきさま/あんたも みてみ」と言う。
 ひとつのことば(声)のなかで、ふたりがいっしょになっている。
 けれど、現実は違う。

そんなうそならもうたくさん
としおいたははおきざりにして
むすこはこんやものんだくれ
ホームのベンチでよいつぶれ
ゆめみごこちできいている
おきゃくさん
さいごのでんしゃ でましたよ

 電話で話したことさえ「いま」ではない。でも、その電話で話した「いま」と、昔いっしょに月を見た「いま」がくっついて離れない。電話で話した「いま」さえも、昔いっしょに月を見た「いま」なのだ。「時」と「時」のあいだ、「時間」は消えて、「いま」だけが池井のとなりに肩を並べている。

 こんなことは、私がごちゃごちゃ書かなくても、読めばわかること。
 でも、どうして、それがわかるんだろう。
 ときどき思うのだが、「時」と「時」の「あいだ=時間」を忘れてしまうのは、池井の表記方法「ひらがな」と「七五調(五七調)」も関係しているかもしれない。「意味」「論理」をきっちりと整理する前に、ことば全体をながれる何かにのみこまれて、「意味」「論理」というものを忘れるのかもしれない。

 でも、それを「意味」「論理」を忘れ、「時間(時と時のあいだ)」を忘れ、「いま」がいつなのか、ここで書かれていることが「いつ」のことなのか忘れたとしても、忘れてはならないことばがある。

あんたも みてみ

 「あんたも」の「も」。この「も」の不思議な静かさ。「池井も」と意味は簡単だが、「も」のとなりにはだれがいる? 父や姉も見ている、だからあんた(池井)も見てみろ、なのか。そうかもしれないけれど、それよりも「私(母)は見ている」、だから「あんたも」なのだ。「も」は省略された「私(母)」を語っている。
 そして、その「省略」のなかには、日本語のリズムと同じように、長い時間をかけてつづいてきた愛がある。私(母)は月を見てきれいだと思う。だから、あんた(池井)も「一緒に」見ようよ、の「一緒に」という誘いかけがある。
 「も」のほんとうの「主役(主語?)」は、この「一緒に」かもしれないなあ。
 「一緒に」こそが、池井の詩では、いつも隠れているのかもしれない。省略されているのかもしれない。

 時と時の「あいだ」が消えるように、いつも何かが省略されている。省略されているけれど、それは存在しないわけではない。存在があまりにもなじみすぎていて、書く必要を感じない。省略されているのではなく、くっきりと存在している。
 時と時の「あいだ」は消えてなくなったようであっても、いつも存在しているのと同じように、人が人と結びつき、そのときできた「あいだ(関係/つながり)」は遠く離れてしまって消えたように感じるときでさえ、いつも存在していて、それが存在しているがゆえに、「あいだ」のなかに「一緒」があらわれる。「一緒」が母を引き寄せる。

やれやれまたか どっこいしょ
こしにてをあてみあげれば
それはきれいなおくいさま
むすこはひとりいずこへと
--あんよはじょうず
  てのなるほうへ

 引き寄せられた「母」はいつでも池井を見つめている。いつでも、どこでも、池井を見つめている視線がある。見守られていると感じる池井のかなしみ、切なさがある。うれしいから、かなしい。うれしいから、せつない。


眠れる旅人
池井 昌樹
思潮社
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池井昌樹『冠雪富士』(3)

2014-06-24 10:20:23 | 池井昌樹「冠雪富士」
池井昌樹『冠雪富士』(3)(思潮社、2014年06月30日発行)

 「秋刀魚」については、雑誌に発表されたときに感想を書いた。特に付け加えたいことがあるわけではない。いや、前に何を書いたか忘れてもいるのだから、付け加えるとか、修正するとかということではないのだが、ふと、全篇にもう一度つきあってみようかな、という気持ちになっている。

 「谷川俊太郎の10篇」というシリーズを書き終わって、あ、書き漏らしたなあと思ったことがある。
 谷川の詩の行には、ものすごく独創的なことばの動かし方があるわけではない。
 シェークスピアの芝居を見たある人が「シェークスピアは決まり文句だけで芝居を書いている」と言ったそうだが、谷川の詩も、ある意味では「決まり文句(誰かがどこかで言っていることば)」で成り立っている。少女のことばだったり、母親のことばだったり、老人のことばだったり、無邪気な子どものことばだったり。
 そういうことばを読みながら、私は何をしているかといえば、自分自身のことばを整えなおしている。あ、こういう言い方があったなあ、と。そして、そのときの気持ちはこうだったんだ、と思い出している。谷川のことばをつかって、自分の体験を思い出し、それを語るためのことばを整えなおしている。こういう整え方がいいなあ、と感じている。
 それは、こういう言い方が好きだなあ、というのに似ている。
 そして、ことばを整えるというのは、生活を整えるのに似ている。私はほとんど毎日、朝起きると犬の散歩に行き、帰って来て朝食を食べ、新聞を読み終わってから、こうやってパソコンに向かって詩の感想を書いている。目が悪いので、タイマーをかけながらというのが、まあ、私の独自のスタイルだけれど、それを繰り返している。午後から仕事に行く。--この整え方は、他人にはつまらないだろうけれど、私には向いている。この繰り返しが好きだ。好きな詩を読んで、思ったことを好き放題に書いている。
 この繰り返しの生活に「意味」がないのと同じように、私は詩のことばにも「意味」なんてないと思っている。それが好きで、それを読むだけ。それに合わせて自分のことばを動かしてみるだけ。そして、そのとき整っていく「息」のようなものをいいなあと感じ、それで満足。
 「意味」はあとから適当に考える。「意味」が思いつかなくても気にしない。むりやり作り上げたりはしない。見つからなかった、と書いておくだけだ。

 脱線したが。
 「秋刀魚」という詩は、池井が働いている書店を舞台にしている。どうも近くに大きな書店ができるので、さてこれからどうしようというようなことを経営者が話している。それを耳にはさむ。

なにやらおかねのはなしをはじめ
ひそひそぼくのはなしをはじめ
からだぜんぶがみみになり
つむりたくてもつむれずに
ぼくはみもよもなくなって
のどのおくからにがいつば
いっしょけんめいはたらいた
こんなにこんなにがんばった
のに

 あ、この感覚。
 あるでしょ? 会社や何かで。一生懸命働いた、一生懸命がんばった、それなのに誰かがひそひそと自分のことを言っている、そのときの「……のに」と思わず動くことば。
 なんだろうね、この「のに」。
 学校なんかでは教えてくれない。だれものが言うのに、「いっしょけんめいはたらいた/のに」「こんなにこんなにがんばった/のに」。「のに」で言いたいのは、なぜ、自分は報われないのだろう、かな? でも、そこまでは口に出しては言えない。ほかの人だって一生懸命働いて、がんばっているのがわかるからね。言いたいけれど、言えないことばがある。その言えないは、ただ口に出せないだけではなく、ほんとうは、まだことばになりきれていないからだね。「なぜ報われないのだろう」だけではない、もっと違うことばも動いていて、それが単純に「なぜ報われないのだろう」という怒りにつながらない。悲しみや無念ともつながって、肉体の奥に沈んで行く。
 ことばのかわりに「のどのおくからにがいつば」があふれてくる。
 こんなふうに、がまんして、暮らしを整える--そういうことがある。

 池井は、そういう「どこにでもある暮らし」をどこにでもある、その姿そのままに、ことばのなかに整えている。
 こんなことばだから、労働者は搾取されるんだ--なんていう批判は、まあ、何と言えばいいのか「意味」がありすぎて、うんざりするね。「意味」にしばられて動きたくないなあ。「意味」って、どんなに動いてみても、それを動かしている人にとって便利なものであって、その「意味」についていく人にとっては、そんなに好都合なものじゃない。他人の考えた「意味」にあわせて動くなんて、めんどうくさい。自分に嘘をついている。労働者の権利のためにデモするなんて、なんだかめんどう。もっと違うことをしたい。

 で、池井は、どうするのか。

にげだすようにかえってくれば
さんまのけむりがたちこめて
ぱあとですっかりひやけした
あなたがにっこりたっていて

 「いっしょけんめいはたらいた/こんなにこんなにがんばった/のに」の「のに」を共有する妻がいる。にっこりと池井の「のに」を見守っている。見守られながら、池井は妻の笑顔のなかに、やっぱり「のに」が隠れてるのに気づく。

 あ、そんなことまで書いていない?
 書いていなくたってかまわない。私が、私の勝手で、そういうことばを付け加えて池井の詩を読むのである。そして、いいなあ、と感じる。「いいなあ」を強く感じるために、ことばを動かす。そういうことが、私は好き。







明星
池井 昌樹
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池井昌樹『冠雪富士』(2)

2014-06-23 10:25:24 | 池井昌樹「冠雪富士」
池井昌樹『冠雪富士』(2)(思潮社、2014年06月30日発行)

 「一夜」は若い時代の池井、妻、こども二人が、「いま」の池井を尋ねてきたという作品。

わたしをたずねてきたという
つとめおわったほんやのよるに
まずわかわかしいおとうさん
まだういういしいおかあさん
おいででしょうか いけいさん
おずおずたずねるそのうしろ
あたまだしたりかくしたり
ちいさなおとこのこがふたり

 誰かをたずねたときの記憶が、自分をたずねてくる。
 こういう「夢」はだれもが見るものかもしれない。でも、なかなか書けないね。こんなふうに自然には。
 こどもがはずかしそうに両親のうしろに隠れたり、好奇心で顔をのぞかせたり。もっと行儀よくしてくれたらいいのにと思いながらも、「おいででしょうか」というような「敬語」で誰かと対応している。そこに、なんともいえず温かい感じが広がっている。こどもへの理解と、自分がしたいことを、微妙なバランスで整えている。
 こういうとき「ういういしいおかあさん」は池井が見ているから、そう言えるのだけれど、「わかわかしいおとうさん」は、どうして言えるのかな? 考えると不思議だ。自分の姿は直接は見えないね。
 でも、直接見えなくても、見えるということはあるのだ。
 妻の態度や子どもの態度、それを気にかけながら自分を整えている、その姿。それは「肉体」のなかに残っている。その「肉体のなかに残っている姿」を、ひとは、自分の肉体でもう一度繰り返すとき、見てしまう。見えてしまう。「目」ではなく、きっと「肉眼」で。このとき「肉眼」とは「肉体」の内部にあると同時に、「肉体を離れた場」にもある。
 「肉体を離れた場」というのは、「永遠」というものかもしれない。「永遠」とは、そして池井の場合、「誰かを見守る場」でもある。
 若い妻と子どもを連れて池井が誰かを訪ねる。その姿を「誰か」がやさしく見守っている。その視線を池井は感じたことがある。その「視線の感じ」が池井の肉体のなかからふわっと外へ出る。そして、池井をみつめている。
 そこには誰かが若い妻と子どもを連れた誰かを訪ねるのを見た池井の記憶もまじっている。あ、あの感じはほほえましいなあ。そこには、両親に連れられて誰かを訪ねたときの池井が子どもだったとき記憶も含まれる。両親に隠れるようにして、知らない誰かを覗き見したこととか。
 時間と事実がゆっくりとけあって、若い両親が子どもを連れて誰かを訪ねるという「こと」が、そこに自然に動いている。

 どこを読んでも、池井のことばには「自然」しか書かれていない。池井は「必然」を「自然」にまで昇華して、それをていねいにことばにしている。

そういえば
あれはいつかのわたしたち
いつかどこかではぐれたきりの
まさしくあれはわたしたち

 「いつかどこか」がわからないのは、それはいつだって「いま/ここ」だからでもある。「はぐれた」と池井は書くが、思い起こせばすぐに「いま/ここ」にあらわれる。「はぐれた」のは「わたしたち」ではなく、池井の「思い」なのである。
 暮らしのなかで、「思い」がはぐれていく。でも、そのはぐれていった「思い」は、ときどき池井を訪ねてくる。
 見守り/見守られて生きるのが人間なのだと、教えにやってきてくれる。

あのものたちはあのひのまんま

 「あのひのまんま」変わらない。変わらないものは「永遠」であり、「自然」にまで昇華した「必然」である。

もうあとかたもないものたちが
こんなさびしいあけがたに
こんなところでいまもまだ

 「あのひのまんま」「いまもまだ」。「あのひ」と「いま」が出会い、一つになるとき「永遠」が見えてくる。それは「さびしい」。
 「さびしい」は「静か」で「懐かしい」「哀しい」かもしれないなあ。
 何かが「肉体のなかからあらわれる」というのは、それを「おぼえている」から。何かを忘れられないというのは「さびしい」。忘れてしまって新しいことをするのが人生の醍醐味かもしれないけれど、そんな具合には人間は生きられないね。どうしても、思い出してしまう。「大事なもの」を。
 「大事なもの」「大事なこと」--それは、繰り返してしまうが、池井の場合「見守り/見守られる」ということなのだと思う。「見守り/見守られる」という「こと」のなかで、人は動いている。生きている。それは、永遠に変わらない。

 私は池井の作品について何度も何度も書いているので、だんだん私の自身のなかに「省略」が多くなって、文章が飛躍してしまう。きっと、私の書いていることは、わかりにくいと思う。--でも、気にせずに、ただ感想を書いておこう。



池井昌樹詩集 (現代詩文庫)
池井 昌樹
思潮社
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池井昌樹『冠雪富士』

2014-06-22 11:33:48 | 池井昌樹「冠雪富士」
池井昌樹『冠雪富士』(思潮社、2014年06月30日発行)

 手にとって、すぐにこれは傑作だとわかる詩集がある。手に重くない。ページがぱっと開く。
 で、いちばん大切なのは、最初の予感と違って、「あ、平凡かな……」という印象がまずやってきて、平凡なはずなのに、ぐいぐいとひきこまれてゆく。その感じ。
 池井昌樹『冠雪富士』は、そういう感じ。
 巻頭の「千年」。

私は神鳴りが怖い。音も光も耐え難い。畏ろ
しい。遠雷を聞くだけで身も世もなくなる。
穴があったら入りたくなる。幸いそれが休日
なら耳に栓詰め頭から布団を被る。呆れ顔の
妻を尻目に桑原桑原唱えつつひたすら雷鳴雷
光が去るのを待つ。かたく眼を閉じ天翔ける
麒麟や龍に想いを馳せる。それは至福の一刻
でもある。何時しか転た寝していたりする。
うっすら頭から黄砂被され。束の間千年の眠
りを眠る。虹が立ち。香木の夢を私は夢みる。

 雷がこわくて布団をかぶって隠れている、なんて別におもしろくもない。ばかなやつ。「穴があったら入りたい」というのは怖いときじゃなくて、恥ずかしいときにいうことばじゃない? 雷がこわいということが恥ずかしいから、そんなふうに書いたのかな? よくわからないが、変である。「桑原桑原唱えつつ」なんて、ほんとうにそんなことするの? けっこう余裕があるなあ。我が家の愛犬なんか、なんにもいわない。ただ縮こまる。と、犬なんかとも比べて、池井はばかだなあ、つまんない詩だなあ。こんなものを巻頭において……と一瞬思うのだが。

         かたく眼を閉じ天翔ける
麒麟や龍に想いを馳せる。

 この辺りから、ことばが激変する。
 えっ、雷って麒麟や龍の世界? そうだっけ?
 でも、いいなあ。「風神雷神」を思い出すなあ。天を麒麟や龍がかけまわっているのか。かっこいいなあ。
 布団をかぶって震えると、そういうものが見えるのかなあ。「くわばらくわばら」と言えば、その幻に近づくのかなあ。こんど雷が鳴ったらやってみようかな、と思ったりする。
 楽しいだろうなあ。

至福の一刻

 池井は、そう書いている。こわくたって、麒麟や龍が空を駆け回っているのがみられるなら、それは楽しいさ。幸福になれないわけがない。幸福のなかで「転た寝」してしまうのもよくわかる。
 でも、ほんとうに感心、感動するのは、そのあと。

うっすら頭から黄砂被され。束の間千年の眠
りを眠る。虹が立ち。香木の夢を私は夢みる。

 この書き方、変じゃない?
 さーっと読んでしまうのだけれど、思わず引き返して、何が書いてあったのかなあ、何か、見えないものがあるぞ、という感じで「肉体」が止まってしまう。

うっすら頭から黄砂被され。
虹が立ち。

 これだ。
 なぜ、句点「。」なのだろう。なぜ読点「、」じゃないのだろう。
 さーっと読むとき、句読点というのは読み落とされる。無意識に自分のリズムで読んでしまう。

うっすら頭から黄砂被され「、」束の間千年の眠
りを眠る。虹が立ち「、」香木の夢を私は夢みる。

 私は、句点を読点として読んでしまう。そして、読んだあとに、肉眼が「。」につまずく。あれ、「、」じゃない。
 句点なら「被された。」「立った。」にすればいいのに。
 でも、もし「被された。」「立った。」だったら、私は、この詩はおもしろいとは思わなかっただろうなあ。前半に思ったことそのまま、池井はばかだなあ、というだろう。
 でも、句点で切れているために、何か、ぐいと引きつけられ、うん、傑作だと思ってしまう。
 そして、傑作だ、と思ったあとで、なぜなんだろうと「理由」を探しはじめる。どうことばを補って行けば、自分の感じた感動に近づいて行けるのかな、と考えはじめる。

うっすら頭から黄砂被され。束の間千年の眠
りを眠る。虹が立ち。香木の夢を私は夢みる。

 ここでは「切断」と「接続」が、私たちの常識(あるいは「流通言語(文法)/学校文法」とは違った形で書かれている。
 「頭から黄砂被され」ること(黄砂が降ること)と、「千年の眠りを眠る」こととは別のこと。「切断」された世界。黄砂が降ろうと降るまいと、人は眠ることができる。「虹が立つ」ことと「香木の夢を私は夢みる」ことも無関係。虹とは関係なく、人は千年の眠りを眠ることができる。
 だから、それは切断されていていい。句点「。」で切れていいていい。
 しかし、「。」の前のことばが「終止形」でないと、私たちは(わたは、だけ?)、そのことばを無意識に次にあらわれる文につないでしまう。「。」を「、」のように無意識的に処理して「接続」させてしまう。
 何を切断し、何を接続するか--これは、意識的であると同時に、無意識的でもある。いや、意識的であるというよりも無意識的であるという言い方の方が、たぶん、正しいだろうなあ。
 池井は、この「。」を意識して書いてはいない。
 意識したとしても、「ここは句点にしよう」と瞬間的に思って書いただけで、その「理由」は考えていない。誰かに質問されたら、こう答えよう、と考えて書いているわけではないと思う。「。」にした方が、気持ちが落ち着く--くらいの意識だろう。
 で、こういう「無意識」こそが「詩」なのである。

 池井は現実に生きている。それは「雷がこわい」という世界や、布団をかぶって震えるという世界である。
 その一方で、麒麟や龍が空を駆け回る世界があることを知っている。いや、そういう世界があることが「わかっている」、かな?「わかってる(わかる)」というのは「肉体」で覚え込んでしまっていて、いつでもそれを「使える」ということ。
 英語がどういうことばなのか「知っている」ひとはたくさんいるが、「わかっている」ひとは少ない。「わかっている」ことは「つかえる」ということ。自転車はどうすればこげるか知っているだけでは自転車にのれない。そのときの「自転車の力学」は知らなくても、力の配分の仕方を「肉体」で分かっている(覚えている)ひとは、自転車に乗れる。何かを「使える」ひとは、何かを「わかっている」人である。
 この「わかっている」はほとんど無意識。意識化できない。説明できない。自転車の漕ぎ方をことばで説明するなんていう「意識化」は面倒くさくてできない。そんなことをしなくても「のれる(自転車が使える)」なら何も困らないから、説明できなくてもちっとも困らない。
 で。
 池井の詩にもどると、その「わかる」というレベルで、池井は麒麟や龍を「わかっている」。その「麒麟や龍」は遠い中国からやってきた。黄砂のように。そして、それは「千年」という時間を超える。「千年」を超えるけれど、その超え方は「一瞬」。千年を超えるのに千年の時間はいらない。
 「いま」と「千年を超える時間の向こう」はとても隔たっている。切断されている。しか、それは「一瞬」のうちに「接続」される。思い起こすとき、「いま」と「千年前」も、「いま」と「3秒前」も、想起にとって「差」はない。で、「差がない」からこそ、「接続」はいつでも起きる。

 池井は「いま」を生きていると同時に、「いま」ではない時間と「接続」して生きている。「常識」としては「切断された世界」なのに、遠い世界と「接続」している。それは「接続」というより、同居。同居というより、「いま」ではない時間にすっぽりと抱擁されて生きている。
 この感覚が、句読点の不思議なつかい方のなかに凝縮している。

 さの詩だけではわかりにくいかもしれないが、この詩集に書かれている世界は「いま」が「いまではない時間」によって抱擁され、とろける至福に満ちている--まだ「千年」しか読んでいないのだけれど、そういう「予感」が詩集を開いた瞬間に押し寄せてきた。雑誌で発表された作品、それについて思ったことが、瞬間的に、「千年」を突き破ってあらわれてきた。
 私はいままで、池井の詩について書くときに「放心」ということばをしばしばつかったが、あの「放心」というのは「いま(池井)」が「永遠(遠いけれどすぐ近くにある)」ものに抱擁されて、遠近感を見失うということだったのだなあ、と思った。


手から、手へ
池井 昌樹
集英社
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