詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

細田傳造「敵」「ヤヴォール」

2025-01-04 22:45:19 | 詩(雑誌・同人誌)

細田傳造「敵」「ヤヴォール」(「納屋」2、2024年11月09日発行)

 細田傳造が「敵」「ヤヴォール」という二篇を「納屋」に書いている。「ヤヴォール」の方が「文体」に乱れがない。そのぶん、いくらか借り物めいたところがある。「アメリカ兵」が「話者」だからかもしれないが、ことばは現実との「距離感」(そのとり方)が、どうも1960年代、70年代のアメリカ文学(の翻訳)っぽい。と、いうことで、引用するのは「敵」の方。

選挙がすんだし雨もあがったし
衆愚にまけたし個体の清掃でもするか
ねんいりにシャワーをあびるひねもす洗濯機をまわす
地球がまわっている
黄昏がきた空腹がきた
思想する自転車を駆って
日高屋に挿入
三百八拾圓の支蕎麦啜り
二百圓の餃子も食らったし
孤塁にもどって
辛亥の夢でもみるとするか

 細田には「すること」がある。明確に、ある。だから、あとは「○○でもするか」とテキトウなふりをするのだが、もちろん「○○でもするか」といった瞬間(意識した瞬間)から、それは「必然」になる。絶対に「すること」になる。
 漢字熟語とひらがな(あるいは古語)のつかいわけのなかに、「すること/しないこと」の区分けのような、明確な意識化のちがいがあって、それが強烈なリズムをつくりだしている。
 「選挙がすんだし」が「雨もあがったし」を挟んで「衆愚にまけたし」とつづくときの批判力の強さ、そのあとに「肉体(裸体)」ではなく「個体」をもってくるとき、さらに批判力が強くなるのだが、そこから「社会(世間)」へ踏み込まずに、さっと身をかわして見せるところに細田の力がある。いわゆる「論理(正義)」にひっぱりまわされない。「個人主義の強さ」みたいなものだね。それは、最初に批判した「ヤヴォール」の方がアメリカ風な色でより鮮明なのだけれど、ね。
 私としては、「日高屋に挿入」の「挿入」のつかい方が、とっても好きだなあ。「ヤヴォール」には「もっと落ちこんで小便がしたくなってそのまんまファック」という一行があるが、「ファック」よりも「挿入」の方が、なんというか、教養(?)を感じさせる。品というか、奥ゆかしさというか。
 で。
 その「個」の強さ(これは「孤塁」の「孤」に通じるのだが)というのは、やっぱり「怒り」というものが原点になっている。それを強く感じさせるのが、

省線電車の架橋の下で
そのチャリをどこでかっぱらったのか
絡んでくる酔っ払い爺一匹を轢く
敵の敵は敵である

 この部分の「そのチャリをどこでかっぱらったのか」という一行にこめられた「忘れがたさ」である。いわゆる「恨み」というものかもしれない。
 「挿入」とも関係するのだが、詩の最後が、また、とてもいい。私は、あえて省略しながら詩を引用しているのでわかりにくいかもしれないが、細田には「衆愚」にかぎらず「衆=集団/全体主義」に対する「恨み」のようなものがあり、「衆=愚」とつきはなして「個=孤」へ引き返す動きがあるのだが、それが最後の部分に噴出している。

塹壕にて
綿布に包まり我が銃身をにぎる
カルル・ヴァルターp22
時。来たりなば発す
声。充ちずとも射す
革命は俺ひとりで充分だ敵の敵は敵

 絶対に「衆=愚」には与しない、という強さが美しい。

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大岡昇平「レイテ戦記」とスティーブ・マックイーン「占領都市」

2025-01-04 21:23:39 | 考える日記

 大岡昇平の「レイテ戦記」を読み始めて、すぐに思い浮かんだのはスティーブ・マックイーン監督「占領都市」である。
 私はレイテ島がフィリピンにあること、フィリピンの本島(?)のルソン島の南にあること、レイテ島は大激戦地であったこと(大岡昇平がその戦いに参加したこと)くらいしか知らない。レイテ島はもちろんだがフィリピンにも行ったことはない。アムステルダムについていえばオランダにあること、「アンネの日記」のアンネが住んでいたところくらいしか知らない。アムステルダムには一度観光で行ったこと、レンブラントの「夜警」を見たこと、フェルメールのいくつかの作品を見たことを思い出すことができる。ほかは、なにもわからない。
 「レイテ戦記」を読むと、知らない地名がたくさん出てくる。登場人物も、私には覚えきれないくらい登場する。日本軍もそうだし、アメリカ軍もそうである。さらにフィリピンのゲリラも登場する。彼らは、大岡昇平が書いている地名はもちろん知っている(知らない地名もあるだろうけれど、少なくとも彼ら自身が戦った場所の名前は知っているだろう)。ほんとうの名前(昔からある名前)とは別に、日本軍がつけた名前、アメリカ軍がつけた名前さえある。そして、彼らは、さらにそこにはどんな木が生えているか。その海岸はどんなものか。砂の色はどんなぐあいか。いろいろなことを「肉体」で知っている。「肉体」はある場に存在するとき、その場のなかに広がっていく。拡大していく。そして、他の「肉体」と交わる。「名前」をとおして、その「場」そのもの、空気、時間を共有していく。それはたいていの場合、明確な全体像として意識されないが、「肉体」で触れることのできるものとして、そこにたしかなものとして生きている。山も川も海も、水も風も、台風も。あらゆるものが、大げさに言えば死を否定しながら、生きている。死んでいくときさえ、その死を否定するように、もがき、苦しみ、生きている。
 それはアムステルダムでも同じである。私は映画の中に登場する地名、建物の名前、そしてそこに生きていた人たちの名前を知らない。それがほんとうであるかどうかさえ、私には確認のしようがない。しかし、そこには私の知らない土地の名前、建物の名前、何階であるか、どの部屋であるかを自分の世界の中心として生きていたひとがいた。彼らにとっては、世界の中心であり、世界のすべてだったときもあるはずだ。
 そういうものは、抽象化してはいけないのだ。ストーリーにして、要約してしまってはいけないのだ。レイテ島では大激戦があった、無残に死んでいたひとがいた、あるいはアムステルダムでは何人ものユダヤ人が強制移送されいのちを奪われた、という具合に「要約」してはいけないのだ。一つの場所、ひとりのひと、一つの時間(何をしていたか)をむすびつけ、具体的にしていけないといけない。人間は、いつでも具体的な存在であり、具体をはなれて存在し得ないからである。
  「レイテ戦記」も「占領都市」も、大岡昇平やスティーブ・マックイーンにとっては、まだまだ「具体的」とは呼べないものかもしれない。ことば、映像にはかぎりがある。両方とも長い作品だが、どれだけ長くしてみても、そのことば、その映像からこぼれおちたものは限りなくあるだろう。記録すればするほど、記録できなかったものの「量」が逆に増えてくるように思えるかもしれない。
 そして、たぶん、その「増えてくる」ということが大事なのだ。
 私はレイテの惨劇、アムステルダムの惨劇とは無関係であると思っているが、その無関係であると思っているものがどこかでつながっているかもしれない。そのつながりはとても小さいかもしれない。しかし、同じ地球で起きたことであり、それが起きてから百年もたっていない。
 何もレイテ島やアムステルダムに限ったことではない。いま、まさに、世界でいろいろなことが起きている。そして、それを要約されたニュースとして私は知っているが、その要約からはみ出しているものは数限りなくある。それを全部知ることはもちろんできない。しかし、そうした「個別」の「具体」を意識しないといけないのだ。
 映画の中に、虐殺されたユダヤ人の名前を刻んだ壁が登場するが、その名前だけがすべてではないだろう。もっと多くの記録されていない名前があるだろう。だれも、そのすべてのひとを具体的に知ることはできない。しかし、その何人かを具体的に知っているひとがいる。その「具体性」を、どうやって引き受けることができるか。そのことを、観客は問われていることになる。
 大岡昇平は、死者によりそうだけではなく、批判すべきこと(ひと)は批判し、評価できるものは評価し、体験したことをできる限り「具体的」に記録しようとしている。その「具体」のなかに、私がどれだけ入っていけるか、たぶん一毫もはいっていけないだろう。それでも、私は読む。「具体」を忘れない、忘れてはいけないという大岡昇平の意志に触れるために。映画も同じである。二つの作品に描かれているのは悲劇であり、絶望だが、それが悲劇である、絶望であると意識することのなかにこそ「希望」があるのだと思う。

 

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「シネマ歌舞伎 ぢいさんばあさん」(★★★)

2025-01-04 17:50:03 | 映画

「シネマ歌舞伎 ぢいさんばあさん」(★★★)(2025年01月03日、キノシネマ天神、スクリーン1)

出演 片岡仁左衛門、坂東玉三郎、中村勘三郎

 正月なので、歌舞伎でも。でも歌舞伎は高いし、福岡では見ることができないので、「シネマ歌舞伎」で、その気分だけでも……。
 たいへんな人気だった。私のように考えたひとが多いのか、片岡仁左衛門、坂東玉三郎、中村勘三郎という人気者の顔合わせに惹かれたのか。指定席なのに、入場前に列を作らされた。入場をスムーズにするためとか。(私のような高齢者が多いからかもしれない。入場も時間がかかったが、出るときはもっと時間がかかった。立ち上がり、コートを着て、手袋をして、忘れ物がないか確認して……。)
 映画は、というと。
 うーん、歌舞伎そのものをあまり見たことがないから、私の視点が的確かどうかわからないのだが。
 シネマ歌舞伎は、たしかに見やすい。表情もアップで見ることができる。あ、こんなところに体の動かし方に気を配っている、なるほどなあ、と関心もする。若いときのじいさんというのも変だけれど、片岡仁左衛門の座ったときの背中(背筋)の線がいかにも若くて美しい。じいさんになったときの、膝、腰の曲げ方というか角度も、品がある。とても美しく見える角度を保っている。乱れない。この姿勢の「維持」というのがすごいものだなあと思いながら見た。
 でも。
 歌舞伎だけに限らず、芝居というのはやっぱり「映画」ではだめだなあ。「空気」が動かない。先に書いた片岡仁左衛門の肉体、それが動くとき舞台の上の空気も動く。その空気の動きが劇場全体に広がっていく。それはちょっといいようのないものだが、何かしら直覚できる微妙なものがある。そばにいるわけではないのだが、役者の肉体が動くとき、それにともなって動く空気が私にまで伝わってくる。もちろんほかの観客にもつたわっていて伝わった感じが劇場の閉ざされた空気のなかで増幅する。これが感動になる。
 そして、それは何といえばいいのか、役者にも跳ね返っていく。たとえば、「じいさんばあさん」では、第三幕の、ふたりが「つらいことがあったけれど、幸せだねえ、これからもっと幸せになろうねえ」と語り合うシーン(実際に、そう言うわけではないが)では、歌舞伎座なら、きっと観客がすすり泣き、そのこらえてもこらえてもこらえきれない震えが役者に伝わり、また観客に跳ね返ってくるというような「共有感覚」が生まれる。
 観客が役者に声をかけ(大向こう.、と言うのだったっけ?)、役者が「どうだいいだろう」というように観客を見渡す、といような応答も生まれる。
 それが、シネマ歌舞伎では、生まれない。
 これは、「声」についても言えることで、スピーカーで増幅され、役者の口とは違うところから響いてくる「音」も、なんだか奇妙である。はっきり聞こえるが、はっきり聞こえればいいというものではない、ということだろうなあ。
 歌舞伎を見る予習(?)なら、それでいいかもしれないが、シネマ歌舞伎で歌舞伎を見た気持ちになったら、それは大事なものを見逃すことになるかもしれない。
 しかし、まあ、片岡仁左衛門は、うまいね。やっぱり「花」があるね。映画のアップが芝居を損ねない。スクリーンをしっかり引き締める。


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