詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

2019年12月09日(月曜日)

2019-12-09 19:54:03 | 考える日記


 精神は見えない。
 見えないものを「絶対」と規定することは危険だ。
 もし精神が間違えても、その間違いを知ることができるひとは少ない。
 精神(ことば)を過信しない方がいい。

 感性も同じではないか。
 見えているのは「感性(感覚)」ではなく、感性がとらえたものである。感性が間違えても、その間違いを指摘できるかどうか、わからない。
 感性によってとらえられたものが「ことば」として表現されないかぎり、それは他者には認識されないからである。

 これは、しかし「ことば」で書かれていること、つまり「精神」の錯乱が噴出しているだけなのではないか。


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