精神は見えない。
見えないものを「絶対」と規定することは危険だ。
もし精神が間違えても、その間違いを知ることができるひとは少ない。
精神(ことば)を過信しない方がいい。
感性も同じではないか。
見えているのは「感性(感覚)」ではなく、感性がとらえたものである。感性が間違えても、その間違いを指摘できるかどうか、わからない。
感性によってとらえられたものが「ことば」として表現されないかぎり、それは他者には認識されないからである。
これは、しかし「ことば」で書かれていること、つまり「精神」の錯乱が噴出しているだけなのではないか。