詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

江戸時代は、いつまでか

2024-02-19 23:16:42 | 考える日記

 私は他人の「評判」を気にしないのだが、知人にすすめられて、ちらりと聞いたユーチューブでの「世界のおきく」の「評判」が、とんでもないものだった。
 何がひどいといって、発言者のだれもが「田舎の生活(昔の生活)」を知らない。
 この映画について、私はすでに「さぼる」ということばは江戸時代にない、と批判した。それに類似したことを批判しているのだが。
 たとえば、(1)あの時代、おきくが食べているご飯があんなに白いはずがない(2)糞尿をつめた樽(桶)を手に持って、糞尿をばらまくというのは変だ。せめて足で蹴るくらいだろう、というものがあった。
 (1)について言えば、モノクロ映画なので、ご飯がどれくらい白いかはわからない。他のものとの対比で白を強調して撮影したかもしれない。それに、彼らは江戸時代の白米を実際に見たことがあるのか。「あんなに白いはずがない」は想像でしかない。
 (2)は、糞尿のつまった樽(桶)に実際に接したことがない人のことばである。それはたしかに汚い。しかし、農民にとって、樽(桶)はとても貴重。足で蹴って、その弾みで樽(桶)が壊れたらどうなるのか。いまの暮らしから見て、どんなに汚い(不衛生)に見えたとしても、それだけで農民が糞尿の樽(桶)を手で触るはずがないと判断してはいけない。貴重な道具を、農民が足で蹴ったりするはずがない。けんかをするときでも、道具は大切にする。

 こんなことを書いてもだれも信じないかもしれないが。
 私の子供時代は、糞尿のつまった樽や桶を担いで、山の畑、山の田んぼまで運ぶというのは、子供もする仕事だった。服が汚れたり、体が汚れたりするが、それは洗えばきれいになる。服にしみついたものは、なかなかとれないが、だからこそ、そういうときは汚れてもいい服で仕事をする。だれもが、それくらいの「工夫」をする。
 糞尿で汚れるのも、泥で汚れるのも、同じ汚れである。友達が肥え壺に落ちたりしたら、みんな笑ってからかったりするが、仕事で汚れているときはからかったりはしない。両親や兄弟、あるいは子供たちがが汚れた体で野良仕事から帰って来たと、彼らに対して、家族の誰が「汚い」と言うだろうか。糞尿は汚いかもしれないが、仕事で、それにまみれるとき、それは汚くはない。生きるために、必要なことなのだ。
 そういうことは、「江戸時代」でおわりではなく、昭和、しかも戦後もそうだったのである。

 「世界のおきく」から離れてしまうが。
 私の生まれ故郷の集落は、みんな貧しかった。いまでこそ、どの家でも畳を敷いているが、私の子供時代は畳を敷くのは、葬式だとか結婚式だとか、特別なときだけであり、ふつうは「板の間」だった。畳が傷まないように、畳を積み上げておく台のようなものも、どの家にもあった。雪国なので、冬はさすがに板の間は寒い。どうするか。筵を敷くのである。その筵は、どうやってつくるか。機織り機のようなものがあって、それでつくる。これも、たいていは子供の仕事である。私もしたことがある。ついでいいえば、縄をなうのも、もちろん大人もするが、たいていは子供に割り振られる。みんなが手を動かして仕事をしていた。それは東京オリンピックのころまでは、どこでも当たり前だった。
 さらに。
 ドン・キホーテに、旅籠屋では、藁の上に毛布をかけてベッドを急ごしらえする描写があるが、薄い布団の下に藁を敷いてクッションにするということも、ごく日常的だった。藁だから、すぐにへたる。これを新しいものに取り替えると、日向の温かい匂いとやわらかい感触につつまれ、なんだか豊かになった気持ちになる。
 そういう時代が、つい先日まであったのだ。100年前のことではないのだ。「江戸時代」の生活は、東京オリンピックのころまでは、まだ日本の隅々に残っていたのだ。

 誰に言うべきことでもないのだが、ふと、書いておく気になった。

 


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1 コメント

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江戸時代は、いつまでか (大井川賢治)
2024-02-19 23:39:38
江戸時代は、東京オリンピックの頃まで、日本の隅々に残っていた。言われてみれば、確かにそのとおりです。
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