詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

こころは存在するか(34)

2024-04-28 15:39:39 | こころは存在するか

 和辻哲郎が、マイヤーのことばを引用している。マイヤーは「歴史の基礎理論をアントロポロギー(人類学)」と呼んでいる。それは「しばしば誤って歴史哲学と呼ばれている」。
 歴史哲学は人間学と呼ばれるべきである。これはマイヤーの理解の仕方であり、理解は常に「表現」をもっと具体的に示される。おもしろいのは(重要なのは)、その理解の仕方を「誤って」と呼ぶところにある。たぶん、マイヤー以外のひとは、マイヤーの説(表現)を「誤っている」というだろう。
 「歴史哲学=人間学」を統一することばあれば、この「誤り」は止揚されるだろう。
 和辻は、それを「倫理学」ということばで止揚(統一)したいのである。
 この私の「理解」は「誤っている」か。
 「誤って」いても私はかまわない。私はもともとすべてのことばを「誤読」したい人間である。つまり「誤読」をとおして、私自身の考えていることを書きたい。和辻の感じ得ていること(考えたこと)を「説明」したいわけではない。

 いま書いたことと、直接関係はないのだが、私はときどき思い出すことがある。
 私が小学1年・2年のときの担任は石田先生。参観日に、その先生が「私は、遠眼鏡をもっている。だからみんなが家で何をしているか、すべて見える」というようなことを言った。無学の母は、そのことばを真実と思い、よく私に「石田先生は遠眼鏡をもっているから、なんでも見ている」と言った。幼いながらも、私はそんなものがあるはずがないと思っていたが、つまり母は間違っていると思っていたが。
 最近思うのである。母もそんなものがあるはずがないと知っていたかもしれない。知っているけれど、わざと、そのことばを繰り返したのかもしれない。その場合、母は間違っていたのか。母の行動は「誤っている」のか。これが、むずかしい。私に間違ったことをさせないために、あえて、そう言いつづけたのか。もし、そうだとすると「誤り」は、どこに存在するのか。
 「理解」というものに「誤り」は存在するのか。「理解」はつねに「表現」をともなう。「誤り」というものを、どこで把握するか。それがむずかしい。もし「誤り」というものがあったと仮定して、それでは、それをどうやって「乗り越える」か。
 誰も、「誤り」たくて「誤る」わけでは、ない。

 この歳になって思うのだが。
 私は両親といっしょに暮らした期間が意外と短い。そのせいばかりではないと思うが、いちばん身近な両親のことを語ることばをもたない。何を考えていたのか。それを私のことばで語り継ぐことができない。これは、とても奇妙なことである。どんな人間もことばをもっている。ことばで考えている。そして、だれもが幸せというものを目指して生きている。「石田先生は遠眼鏡をもっているから、なんでも見ている」と繰り返した母のことばも、そうしたものを目指していたはずだ。そう思うけれど、どうことばにすれば、そのことばに近づくことができるか。どう「誤読」すればいいのか。

 

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1 コメント

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こころは存在するか(34) (大井川賢治)
2024-04-30 00:05:06
こんかいの谷内さんの感想文のなかに、遠眼鏡の1節がある。なにげないがグッとくる。それだけでなく、谷内さんの優しさを感じる。谷内さんの感想文からは、いつも慰めや、いたわりを感じる。ズバズバと評論されるのだが。
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