ふるさとの
話をしよう
第3話 ・ はねつるベ井戸
その他一連の用具等、昔人の知恵
* アサガオにつるべ取られてもらい水 (加賀千代女)
昭和時代には、このようなつるべ井戸↓が見られた。ご多分にも
れず、我が家(故郷)でもつるべ井戸に大変にご厄介になりました。
お勝手への水がめ、風呂への水汲みは此処からの水を運んだ。そして
子供の仕事としての、これらの場所に水を運ぶのが役目でした。
水を運ぶ道具は、水桶に天秤で肩に担いだ。水がめや風呂に一杯にするには、
5~7回ほど運んだ。子供であるから半分ぐらいで少なく何回もに
分けて運んだ。片道40mほどの距離でかなり疲れた。
井戸は石垣積みにて築造。地下水が自然と湧き出る方式。
① つるベは竹製、横棒は杉の丸太、真ん中を太い棒で支え、右端には
ツルベが軽くなるように錘(石)を着けた。
② 井戸は水を汲み上げるだけでなく、夏場は冷蔵庫として代用した。
冷やすものを、入れ物に入れて井戸の水面までロープで下げて暑さを凌いだ。
「三種の神器」が普及しだしたのは、昭和30年代です。
(井戸の外は暑くなろうと井戸の中は暑くならない。どんなに冷え込もうと冷たくならない。
一定の気温を保っていた井戸の水=冷蔵庫替わり、昔人の知恵)
水の運搬用具
運 搬の水桶と天秤棒
子供のため半分ぐらいの水量。50m程の距離を4~5回往復した。
水を貯める 風呂を沸かす
台所の水瓶 木製の風呂桶
他のつるべ井戸
「部落・耕地」には、このような滑車のつるべ井戸も有りました。
滑車式つるべ井戸
(画像は、webの郷土の民族用具を引用した)
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歳重ね懐古に浸かりあれこれと
心の襞に語り掛けしや (縄)
( この短歌は、NHKラジオ深夜便「21日・4時」・▽わたし終いの極意 「今日を生き切る」
歌手 由紀さおり(78歳) の放送を聴きながら詠んだ歌です)
コメント欄は開いてます。
https://haruyou-blog.com/2020/01/13/post-7487/#google_vignette
井戸のすぐ傍に流しが有って、風呂にはバケツだったのかな、幼くて、その記憶が殆どありません。この木の桶はありませんでした。
凄いですね、こんなのを見ると昔は大変だったなと思います
井戸から70メートルとは大変!
わが家もつるべがありましたが、台所、風呂場のすぐそばでした。
バケツで運んでいました。
つるべからポンプに代わっていきました。
懐かしい思い出です。
テコの応用、そういえばその通りです!!
山間地方ですから此の他にも水を採取するのに色々な方法が有りました。省略します・・・・。
*水道は捻るとジャーで水が出る
何と便利な水の道かな (縄)
* 水担ぎよっコラショっと風呂に水
お湯が沸けをば入浴だべさ(縄)
当時は母子家庭、何らかの仕事をしなければ、仕事が回っていきませんでした。
大変苦労をしました。
つルべ井戸➡手押しポンプ、➡鉄管を引き風呂場まで➡水道
捻ればねジャーと出る夢のよう
思いで深し古のこと(縄)
水道工事も山あり谷ありで大変のようでした!!
釣瓶井戸は身近にはありませんでしたが、滑車式のつるべ井戸は使っていました。まだ子供でしたので、お袋は「井戸に近づくな!」と私たちに言っていましたね。
その後手汲みポンプ井戸に代わり、その時から、風呂水汲みは子供たちの仕事になりました。
手汲みポンプ井戸の時代が7~8年あった後に、電動モーターポンプを導入してやっと楽が出来るようになりましたね。
そういえば昔櫓を組んで、5~6人ほどで掛け声のように歌を歌いながらドスンドスンと井戸を掘っていく場面も見たことが有ります。
あの時の歌は「よいとまけ」の歌だったのでしょうか。
「つるべ井戸」というのは見たことがないです。
滑車のつるべ井戸は見かけます。
あとは器具のついた井戸ですね。
子供の時に、50m程の距離を4~5回往復とは、大変な重労働でしたね。
いろいろな面で便利な世の中になりました。。。。(*^▽^*)
普通のつるべ井戸は 祖父の家の集落にあったから憶えています。
それから 今回の花巻旅行でも 宮澤賢治の
生まれた家の井戸を見ましたよ。
今日もいい日でありますように。
我が家は当時母子家庭、親父さんが早くなくなりましたので、
子供たちがやらるを得ませんでした。
今で思えば大変(水道の生活・・・・・)ですが、当時は此れが普通と思えば、何でもありませんでした。