韓流ブームのおかげで、近所の映画館で2本とも観ることが出来た。
他に@マラソンと@人形霊も上映されていたから、12スクリーンのうち、四館で韓国映画を上映していたことになる。時期が丁度重なったとはいえ、これぞまさしくブームなのだろう。
「恋する神父」の原題(シンプスオプ→神父授業の意)は神父も新婦もシンプと発音し、文字表記も一緒だから、神父になりたいクォン・サンウと新婦になりたいハ・ジウォンをかけているだと思うが、そんな凝ったタイトルとは裏腹にお話はなんということはないラブコメディだった。
「マルチュク通り残酷史」という原題を「マルチュク青春通り」という可愛らしいタイトルにしたもう一つのクォン・サンウの主演作は、青春通りといいながらも、結構骨太な映画になっていてびっくりしてしまった。
同じ1970年代後半の釜山を舞台にした映画@友へ~チングを観た時にこんな感想を書いていた。
********
ローラースケート場で流れる@コール・ミー(ブロンディ)を聞いた途端、心の中であの時代を懐かしむスイッチが入る。韓国と日本 若干の違いはあるが(あの時代 日本ではヒロポンはすでに昔のものだったはずだが)主人公あの4人と同じ時代を生きてきた私にとっては、それでもそうそうと頷く思なにかがあった。制服の下にハイネックのシャツを着る男子学生の姿を、私も何度も校内で目にしたものだった。
があんなに何かにイラつき、有り余るエネルギーを持て余していた学生は居なかったように思う。それが日本と韓国の差なのか それとも私が女だからそのもて余るエネルギーの存在に気が付かなかっただけなのか。もうあれから何年も経ち、それを確認する術はない。
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友へ~チングはチャン・ドンゴンが主演の映画だが、この映画から感じた有り余るエネルギーの行き先はどこなのか?と感じた思いと同じ思いをこの「マルチュク青春通り」を観ながら感じた。学生服姿に無理のある出演者もいたが、主演のクォン・サンウの焦燥感は強く伝わって来た。
テコンドー道場を経営する父親からは独裁的な教育を受け、学校でもどこか軍事政権下の香りがする教育が行われている。そんな中行き場の無いエネルギーが暴力に向かっていく様子、それと同時に胸に残る淡い思い。
女子高生への淡い思い、トッポキを食べる店の壁に貼られたリンダ・カーターのワンダーウーマンのポスター、アバの音楽の事を語る様子から感じられる外の世界への憧れは、あの時代を同じように高校生で過ごした私にも分かるものだが、行き場の無い有り余るエネルギーの存在は私には想像することも出来ないものだった。
キム・イングウォンが演じる@恋する神父の神学生役ソンダルと@マルチュク青春通りのチソクとの雰囲気が全く違うのも面白かったし、人気者のウシクを演じるイ・ジョンジンがペ・ヨンジュン似だったのも面白い発見だった。ちなみにこの二人は現在兵役中なのだという。
マルチュク青春通りには男性客もちらほら見えたが、殆どはクォン・サンウファンの観客ばかりだったようで、映画のストーリーとは直接関係もないちょっとした場面でのクォン・サンウの一挙手一投足に、小さい歓声が上がったりしていた。映画館で観る楽しみの一つともいえるが、ちょっと苦笑してしまうことも確かだ。
マルチュク青春通りの上映前には髭を蓄えたクォン・サンウが投げキッスをするコメント映像も観たし、家に帰ってからは録画していた@悲しき恋歌まで観てしまった。
一日中クォン・サンウの姿を見ていることになろうとは、なんとも不思議な1日だったことは確かだ。
他に@マラソンと@人形霊も上映されていたから、12スクリーンのうち、四館で韓国映画を上映していたことになる。時期が丁度重なったとはいえ、これぞまさしくブームなのだろう。
「恋する神父」の原題(シンプスオプ→神父授業の意)は神父も新婦もシンプと発音し、文字表記も一緒だから、神父になりたいクォン・サンウと新婦になりたいハ・ジウォンをかけているだと思うが、そんな凝ったタイトルとは裏腹にお話はなんということはないラブコメディだった。
「マルチュク通り残酷史」という原題を「マルチュク青春通り」という可愛らしいタイトルにしたもう一つのクォン・サンウの主演作は、青春通りといいながらも、結構骨太な映画になっていてびっくりしてしまった。
同じ1970年代後半の釜山を舞台にした映画@友へ~チングを観た時にこんな感想を書いていた。
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ローラースケート場で流れる@コール・ミー(ブロンディ)を聞いた途端、心の中であの時代を懐かしむスイッチが入る。韓国と日本 若干の違いはあるが(あの時代 日本ではヒロポンはすでに昔のものだったはずだが)主人公あの4人と同じ時代を生きてきた私にとっては、それでもそうそうと頷く思なにかがあった。制服の下にハイネックのシャツを着る男子学生の姿を、私も何度も校内で目にしたものだった。
があんなに何かにイラつき、有り余るエネルギーを持て余していた学生は居なかったように思う。それが日本と韓国の差なのか それとも私が女だからそのもて余るエネルギーの存在に気が付かなかっただけなのか。もうあれから何年も経ち、それを確認する術はない。
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友へ~チングはチャン・ドンゴンが主演の映画だが、この映画から感じた有り余るエネルギーの行き先はどこなのか?と感じた思いと同じ思いをこの「マルチュク青春通り」を観ながら感じた。学生服姿に無理のある出演者もいたが、主演のクォン・サンウの焦燥感は強く伝わって来た。
テコンドー道場を経営する父親からは独裁的な教育を受け、学校でもどこか軍事政権下の香りがする教育が行われている。そんな中行き場の無いエネルギーが暴力に向かっていく様子、それと同時に胸に残る淡い思い。
女子高生への淡い思い、トッポキを食べる店の壁に貼られたリンダ・カーターのワンダーウーマンのポスター、アバの音楽の事を語る様子から感じられる外の世界への憧れは、あの時代を同じように高校生で過ごした私にも分かるものだが、行き場の無い有り余るエネルギーの存在は私には想像することも出来ないものだった。
キム・イングウォンが演じる@恋する神父の神学生役ソンダルと@マルチュク青春通りのチソクとの雰囲気が全く違うのも面白かったし、人気者のウシクを演じるイ・ジョンジンがペ・ヨンジュン似だったのも面白い発見だった。ちなみにこの二人は現在兵役中なのだという。
マルチュク青春通りには男性客もちらほら見えたが、殆どはクォン・サンウファンの観客ばかりだったようで、映画のストーリーとは直接関係もないちょっとした場面でのクォン・サンウの一挙手一投足に、小さい歓声が上がったりしていた。映画館で観る楽しみの一つともいえるが、ちょっと苦笑してしまうことも確かだ。
マルチュク青春通りの上映前には髭を蓄えたクォン・サンウが投げキッスをするコメント映像も観たし、家に帰ってからは録画していた@悲しき恋歌まで観てしまった。
一日中クォン・サンウの姿を見ていることになろうとは、なんとも不思議な1日だったことは確かだ。