アンディ・ラウ主演の香港映画が公開中だ。
私は昨年の第18回東京国際映画祭「アジアの風」部門で鑑賞。
この時のタイトルは@愛していると、もう一度だった。
公開されるにあたり、タイトルが変更になった理由をちょっとだけ考えてみるが、
どっちもあんまり変わらないよな~と、考えなくてもいいような理由に落ち着く。
変更になった理由は分からないが、私は「愛していると、もう一度」の方が好きだ。
愛と死の狭間で思い悩む場面より、「愛しているともう一度言って欲しい。愛しているともう一度言ってあげたい」と思う気持ちのほうがすっきり想像出来るからだ。
去年映画を見た時の感想を読みながら、そんな風に考えたりしている。
****
去年の感想
観る前にアンディファンの友人に「どんな映画?」と尋ねると「なんだか夏の香りみたいなストーリーで・・・」という返事が返ってきた。
韓国ドラマの夏の香りを観ていないという友人だが、恋人の心臓が別の女性に移植されというストーリーを知っているので、「この映画も、交通事故で死んだアンディの奥さんの心臓が別の女性に移植され、何年後かにその女性にめぐり合うとう話で・・夏の香りに似てますよね?」というではないか。
確かに導入部のストーリーは良く似ている。心臓の鼓動が聞こえてくる様子もかなり似ている。しかし1時間30分程の映画は、全く違う解釈で話が進んでいくのだ。
妻の心臓を移植された女性は、拒否反応で死を迎えようとしている。妻を亡くした男は、亡くなる前、妻に優しく出来なかったことを悔やみ、今死に向かっている女性のそばに寄り添おうとする。
夏の香りのように心臓が移植されたことによって、自分の気持ちが心臓に左右されるのではという葛藤はなく、男はただただ彼女が残していった心臓の最後を静かに見届けようとしているのだ。見届けることによって、6年経っても受け入れることが出来なかった妻の死を受け入れようとする。
20話続くドラマとは違い、90分程の映画はテンポよく進んでいくから比較することに意味はないかもしれないが、心臓の鼓動が聞こえるスクリーンを見ながら少しだけ夏の香りのことを思いだす。
私は昨年の第18回東京国際映画祭「アジアの風」部門で鑑賞。
この時のタイトルは@愛していると、もう一度だった。
公開されるにあたり、タイトルが変更になった理由をちょっとだけ考えてみるが、
どっちもあんまり変わらないよな~と、考えなくてもいいような理由に落ち着く。
変更になった理由は分からないが、私は「愛していると、もう一度」の方が好きだ。
愛と死の狭間で思い悩む場面より、「愛しているともう一度言って欲しい。愛しているともう一度言ってあげたい」と思う気持ちのほうがすっきり想像出来るからだ。
去年映画を見た時の感想を読みながら、そんな風に考えたりしている。
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去年の感想
観る前にアンディファンの友人に「どんな映画?」と尋ねると「なんだか夏の香りみたいなストーリーで・・・」という返事が返ってきた。
韓国ドラマの夏の香りを観ていないという友人だが、恋人の心臓が別の女性に移植されというストーリーを知っているので、「この映画も、交通事故で死んだアンディの奥さんの心臓が別の女性に移植され、何年後かにその女性にめぐり合うとう話で・・夏の香りに似てますよね?」というではないか。
確かに導入部のストーリーは良く似ている。心臓の鼓動が聞こえてくる様子もかなり似ている。しかし1時間30分程の映画は、全く違う解釈で話が進んでいくのだ。
妻の心臓を移植された女性は、拒否反応で死を迎えようとしている。妻を亡くした男は、亡くなる前、妻に優しく出来なかったことを悔やみ、今死に向かっている女性のそばに寄り添おうとする。
夏の香りのように心臓が移植されたことによって、自分の気持ちが心臓に左右されるのではという葛藤はなく、男はただただ彼女が残していった心臓の最後を静かに見届けようとしているのだ。見届けることによって、6年経っても受け入れることが出来なかった妻の死を受け入れようとする。
20話続くドラマとは違い、90分程の映画はテンポよく進んでいくから比較することに意味はないかもしれないが、心臓の鼓動が聞こえるスクリーンを見ながら少しだけ夏の香りのことを思いだす。