ボストン・グローブ紙が地元ボストンの数十人もの神父による児童への性的虐待を、カトリック教会が組織ぐるみで隠蔽してきた事を特集記事で取り上げようとする。
宗教が身近にない私にとっては、神父から労いの言葉をかけられるのがどれほどありがたいことなのかは本当のところは理解できていないだろうと思う。ただ、逆に身近でない故に、神を信じるという行為が悪いのではなく、カトリック教会の組織的な問題なんだろうと割り切って考えられるところもあった。毎週教会に行き、神父の言葉を聞き、祈りをささげる。
そういう行動が生活の中にないからこそ、何も思い入れがないからこそ「信仰を持つということと、組織の腐敗を批判するといういうことは全く別物」と割り切って考えることも出来るような気がした。
人が集まれば組織が出来上がり、そこに権力が生まれる。権力を利用した卑劣な行為を組織を守るために隠蔽しようとする。
権力が当初の目的と違うことに使われ、さらにその権力を維持すること、組織を維持することが目的になっていく。
カトリック教会が組織ぐるみで隠ぺいしようとする性的虐待の話ではあるが、権力は間違った方向に流れていかないために、何らかの形でチェックされる必要があり、そのチェック機能の一つが報道なんだと改めて気づかされる話だ。
ただ、その報道の在り方も、自助努力や他者からの目によって厳しくチェックされる必要があるのだろう。
宗教が身近にない私にとっては、神父から労いの言葉をかけられるのがどれほどありがたいことなのかは本当のところは理解できていないだろうと思う。ただ、逆に身近でない故に、神を信じるという行為が悪いのではなく、カトリック教会の組織的な問題なんだろうと割り切って考えられるところもあった。毎週教会に行き、神父の言葉を聞き、祈りをささげる。
そういう行動が生活の中にないからこそ、何も思い入れがないからこそ「信仰を持つということと、組織の腐敗を批判するといういうことは全く別物」と割り切って考えることも出来るような気がした。
人が集まれば組織が出来上がり、そこに権力が生まれる。権力を利用した卑劣な行為を組織を守るために隠蔽しようとする。
権力が当初の目的と違うことに使われ、さらにその権力を維持すること、組織を維持することが目的になっていく。
カトリック教会が組織ぐるみで隠ぺいしようとする性的虐待の話ではあるが、権力は間違った方向に流れていかないために、何らかの形でチェックされる必要があり、そのチェック機能の一つが報道なんだと改めて気づかされる話だ。
ただ、その報道の在り方も、自助努力や他者からの目によって厳しくチェックされる必要があるのだろう。
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