私の映画玉手箱(番外編)なんということは無い日常日記

なんということは無い日常の備忘録とあわせ、好きな映画、韓国ドラマ、そして
ソン・スンホンの事等を暢気に書いていく予定。

クレームをつける

2005-07-10 12:31:12 | なんということはない日常
自宅のネット接続をADSLから光フレッツに変更することにし、昨日工事が無事完了したのだが、何故かネットにつながらない。
光フレッツの接続はキチンと出来ていることが確認できたので、プロバイダーに電話をしてみると、「サービス変更の手続きをされていないようです。明日が請求締め日でその前後はサービス変更が出来ないので、○○日後に改めて・・・HP上で手続きを」というではないか。先週キチンとHP上で手続きをしたこと、受付しましたというメッセージとともに、必要なくなったADSLのレンタルモデムの返却先を指定されたこと、さらに返送先を確認するためにその画面もコピーして紙で残してあることを口早に告げると、確認しますと言って一旦電話を切られた。その後すぐに、別の担当者から電話がかかってきたのだが、「私担当を替わらせていただきました○○と申します。」という丁寧な口調から、担当がクレーム担当(苦情処理係)の人に変わったことに気がついた。
事実を述べているだけなのに、それさえも苦情なのか?とちょっとショックなところに、丁寧な口調ながら、今までこのような事例はないということをいわれ、誠に失礼ですが、本当に手続きはされたのでしょうかと、駄目だしまでされる。それではこのモデムの返送先が示された画面の「受付終了いたしました」は一体なんなのか?

すごく丁寧な口調で私の文句に付き合ってくれたのは感謝するが、結局手続きがされていないというのは覆らず。自宅からネットにつながるのは火曜日ぐらいになるらしい。

今はメールチェックも兼ねて立ち寄ったマンガ喫茶から書き込みをしているのだが、久しぶりのマンガ喫茶にびっくりしてしまった。以前立ち寄ったタバコの煙が充満しており、5分といられない暑苦しい空間の印象が強かったのだが、このお店はドリンクバーは勿論、DVDは見られるし、テレビも見られるし、個室ペアシートというなんだか洒落た一角もあり、一昔前のマンガ喫茶とは大違いだ。

周りを見回すと20歳台後半の男性客が中心で、私のような女性客がいないのが気が引けるが、みな回りはディスプレイを見つめたり、マンガを見ることに夢中で周りに誰がいようかお構いなしのようである。手続きをしたのに、していないと決め付けられたのは悔しいが、こんな機会でもないとマンガ喫茶に立ち寄ることもなかったろうから、まぁいいチャンスだったと思うことにしよう。

ガラスの華 14話

2005-07-07 21:00:00 | 韓国字幕つきドラマ感想
「今までの恩を忘れたの?」と強い口調でギテの見舞いに行くことを強要され、仕方なくギテの元を訪れるジス。
「もう3日も寝ていないのよ」とのギテ母の言葉に冬のソナタのなかで見た「サンヒョクのハンガーストライキ」を思い出すが、こちらは本当に熱で浮かされて眠れなかったようだ。ジスを部屋から追い出し自分のもとに来ることを拒否するのかとおもったら、母親からさえ見捨てられた自分のことを、ジスだけは見捨てないと思っていたと切々と訴えている。見捨てたわけではないとおもうが、ギテのなかでは結婚出来ないは見捨てると同義語になっているのだから仕方ない。
ギテの告白に動揺するジスに追い討ちをかけるように「憎しみの愛のほうが長続きする。」と独自の愛情論を披露するギテ母。
(こんな独自の愛情論を展開している暇があったら、犯罪の隠蔽工作に力を注いだほうがいいとおもうが・・・)
憎しみながら愛するほうが、愛情が深く長続きすると、私には理解不能の話が続く。こんな話を聞かされていったいジスはどうすればいいのか?

ドンジュは彼らしいソフトだけれど強引なやり方で、父親とジスの顔合わせを設定するが、その場で顔をあわせ凍りつく二人。
同じ蟹アレルギー体質の二人はやはり親子だったのだ。(誰もが納得する当然の展開だ)
自分の野心のために(多分韓国人の名前を捨て、日本人の名前を選択することが野心のためだったものとおもわれる。野心のために黒田福美演じる日本人と結婚したという設定だったらしい)死んだと嘘をつかれたと知り、激しくショックを受けるジスは、ドンジュにチケットを送り返し、テヒにも勤めを続けさせて欲しいといい、ドンジュと一緒になることを諦めたらしい。自分を捨てた父親に「これは二人だけの秘密にしましょう。もう会うこともないでしょう。」と父親に弁解もさせず、(というか多分父親も言葉はないはずだ)ドンジュにも「あなたのお父さんは最低よ」と別れを切り出している。

そんな中、ドンジュの父の不思議な行動で、ジスとドンジュの父親の関係を疑いだしたテヒは・・・・これからどうする?

自分の母親を捨て、別の女のもとに走り、そしてその女に育てられたドンジュと結婚することなど出来ないと、ドンジュと結婚することを拒み、実の父親の謝罪の言葉も聞こうとしないジス。
この場合誰が一番可哀想か考えると、ドンジュだろう。
ドンジュはただ川でおぼれ、助けられた先がたまたまジスを捨てた父親と日本人の母親だっただけなのだ。父親のことは憎んでもいいが、ドンジュのことまで憎んだら可哀想だ。おそらく本当のことを知ったら、ドンジュが養父の犯した罪をまるで自分のことのように嘆き悲しむだろうと思っての行動だとおもうが、打ち明けられても困るし、秘密にされても困るし、日本に帰るきっかけも失うし、ドンジュこれからどうするのか?

更にギテはジスが日本へ行かなかったことを聞き、またコンプライアンスなどそっちのけの詐欺まがいの行動を始めている。ギテはどこへ行くつもりなのか?ドンジュに勝つつもりなのか?で病気はどうなったのか?

夏の香り(2年前の七夕の思い出)

2005-07-06 20:57:12 | ソン・スンホン(宋承憲)
ユン・ソクホが明るいトーンのドラマを作るといことで@ソン・スンホン(宋承憲)の出演も正式に発表されたようだ。タイトルは@夏の香り ということで韓国で7月からの放送とこと。
秋→冬と続き今回は夏が舞台とか。春バージョンが出来る日も遠くないはずだ。

季節感にこだわりがあるのは四季が有る東アジアならではだろう。(同じアジアでも亜熱帯の香港ではこうはいかない。)季節感にこだわるドラマとは趣があってなかなかいいと思う。
日本でも古いが男女7人夏物語とかあったし、季節に合わせてのドラマ作りはストーリー以外に角になるものがあって描きやすいのだろう。
日本で夏の恋というと情熱的、若さ、秋の訪れとともに恋も終焉を迎える・・・
などという連想が簡単に出来るが、韓国で夏の恋というとどんなイメージなのだろう。
日本で考える夏の恋と比較してドラマを観てみたいものだが、残念ながらKNTVには未加入のため、観られるはずもなく・・・・
何年か先香港版VCDが発売されたなら、また懲りずに視聴日記などをつけることになるかもしれない。その時まで夏の香りが残っていることを期待しつつ。
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夏の香りが放送される前自分のHPにこんな風に書いていたのだが、結局KBSに登録し、リアルタイムで楽しんだ。それからもう2年経ったのかと思うと、月並みだとは分かっていても時間の経つのは本当にあっという間だと思う。

独学で韓国語を勉強するきっかけとなったのは、ドラマを楽しむことは勿論だが、スンホン出演のドラマ@秋の童話の舞台となった江原道を、ドラマの舞台となった土地を、いつか自分一人で歩いてみたいという気持ちからだった。束草(ソクチョン)にある渡し舟(ケッペ)に乗ったり、花津浦海岸へ行ってみたい、そんな非常に単純な理由だったのだが、夏の香りを観たことによってここに茶畑のあるポソンが加わったことは言うまでもない。

「茶畑?自分で車を運転して狭山まで行けば?1時間もかからないんだし。」家族のそんな言葉など聞こえないフリをして、ポソンの茶畑を夢見つつ、少しずつ韓国語の単語を覚える日々は今も続いている。

郵政民営化

2005-07-05 22:51:19 | なんということはない日常
給与振込口座に郵便貯金を指定することを認めている企業は少ないだろう。
本来なら従業員の指定する口座どこにでも振り込みをしなくてはいけないのだろうが、企業はどこも預金中心で、貯金で資金運用しているところは限られているはずだ。
田舎で金融機関は郵便局のみという場所に工場や事業所を抱える企業以外は、給与振込み口座に貯金口座を指定することを許しているところは少ないはずだ。

それでも時々、郵便局員の人は給与振込み口座への使用売り込みにやってくる。
「郵便局はご存知の通り、日本全国どこにでもあります。銀行口座なら振込み先を間違えると組み戻しということが発生しますが、貯金にはその概念がありませんから、組み戻しは発生しないんですよ。更に最近では金融機関と提携も始まり・・・・」
と余り企業には魅力のないセールストークが続くのだ。

都会では銀行はどこにでもあるし、組み戻しも何百件送金しても起こる確率は1%以下だ。(というか起こってはいけない事故だろう。)更に金融機関の提携もほんの一部で、その金融機関がメインバンクでもない限り、わざわざ貯金関係の取引を始めようという企業もないだろう。

以前担当者が売り込みに来た際に、売り込みたい気持ちは非常に分かるが、メリットがないし、パンフレットを預かるだけになってしまう。今みたいなメリットだけだったらどこの企業さんに行っても同じだと思いますよ。と正直に告げると、私と同年輩の担当者は「僕もそう思います。」と言うではないか。
そう思うんだったら来るな!と言いたかったが更に「こんなことでは僕の首も危ないかもしれません」と話は続き、最後に兎に角パンフレットだけでも見てくださいと言って担当者はすごすご帰っていった。

郵政民営化といっても、何をする気なのかさっぱり分からない。
民営化し、分社化すれば改革が済むのだったら、民間企業はどこも苦労などしていないはずだ。
分社化する前に、一郵便局に複数の民間アドバイザーでも招聘したらどうか。
トップに人を呼ぶのでなく、各郵便局に配置するのだ。郵便局に必要なのは、分社化でなく草の根改革だと思うのだが、どうだろう。
もし草の根改革が出来ないのなら、少なくとも私が話した担当者の人の仕事内容だけでも見直したらどうだろうか?




郵政法案、5票差で衆院通過 反対票の副大臣ら4人更迭 (朝日新聞) - goo ニュース

インドカレー

2005-07-04 21:02:31 | なんということはない日常
カレー好きというほどでもないが時々無性にカレーが食べたくなる時がある。
特に会社の同僚がインド人と結婚し、直接インド人のご主人からカレーの効能について聞いてからは、更に食べる機会が増えた。
「沢山のスパイスは身体を活性化させるし、適度の辛さは食欲も誘う。中華料理などでも薬膳等というが、中華料理など足元にも及ばない。何種類もの香辛料を混ぜたインドカレーが一番だ。」(ちなみにインドでは離乳食が必要な小さい子どもでも大人と同じ辛さのカレーを食べているのだという。身体にいいのに、別に違うものを食べさせなくてもいいでしょ?ということらしい。)
こんな話をとても流暢な日本語で聞かされると大変説得力があり、影響されやすい私などは、やっぱり「カレーはインドだ。」と思い月に2.3度はお昼に食べるようにしている。

ここ最近韓国料理に足を運ぶ時が多かったので、今日は久しぶりにお昼カレーでもと思っていると、何か通じるものがあったのだろうか。「昨日知人が来て沢山カレーを作ったので、よかったら。今日のカレーは鮭カレーです。」という暖かい言葉とともに同僚がビニール袋にきっちりつめたカレーを持ってきてくれていた。
両親も時々頂くこの本場のカレーを楽しみにしているので、いつもより早めに仕事を切り上げて家路についた。

鍵を開けるのももどかしく急いで家に入ると、「匂いで分かるでしょ?1ヶ月ぶりにカレーを作ってみたの」という母の出迎えの声とともに、台所からカレーの匂いが漂ってきた。

インドの歴史が詰まったカレーを食べたかったのだが、「私が作ったカレーを食べるように」という母の言葉には逆らえず、結局インスタントのルーで作ったカレーを食べることになった。インドのカレーを食べるのは明日の朝食までお預けとなった。
明日は朝からインドパワー全開で行きたいものだ。



ポップコーン

2005-07-03 19:01:36 | ソン・スンホン(宋承憲)
金曜日にWOWOWで放送の際録画したものを、1日中流しながら掃除をしたり、洗濯をしたりして過ごす。VCDでも何回も観ているので、次でどんな衣装を身に着けているかまで覚えているのだが、それでも何度も見てしまうのだから自分でも呆れてしまう。

何回も観て、今更新しい発見もないだろうと自分でも思っていたのだが、カン・ドンウォン主演の暢気なコメディ@1%の奇跡で主人公カン・ドンウォンの唯一の親友、弁護士のヒョンジュンを演じるキム・スンミンが出演しているに気が付きびっくりしてしまった。5話の前半、スンホン演じるヨンフンが自分の代わりに後輩を撮影に行かせるのだが、その後輩が弁護士のヒョンジュンを演じているキム・スンミンだったのだ。(巻き戻して確認までしたから間違いない)
6話のビデオショップの場面で、茶髪のチソンが出演しているが、出演時間でいうとかなりいい勝負だ。

ソン・スンホン(宋承憲)が日焼けしている様や、短髪を観るだけでは飽き足らず、とうとうそんな所まで眼が行くようになった自分にびっくりである。

1%の奇跡



掌せき膿疱症

2005-07-02 18:59:56 | なんということはない日常
死んでたまるか!―波瀾万丈の人生と全闘病記 奈美 悦子 (著)は掌せき膿疱症性胸肋鎖関節炎に悩んだ著書の闘病記だ。
昨日の会社帰りに15分立ち読みしただけの本について書くのは正直気が引けるのだが、私自身も同じ病気なので、掌せき膿疱症について書く資格はあるのではないかと思う。

10年程前風邪で医者にかかった際、内科のほかに皮膚科も専門という女医に左手小指下の肌荒れを見せると「これは掌せき膿疱症ですね」と何だか聞いたことの無い病名を言われた。
「最近なったわけではなく、以前からずっとそうでしょ?」と聞かれたので、10年以上前からそうであること、症状が悪い時もあるが、手のひらの5分の1以上には広がらないこと、以前見せた医師からは直らない病気だといわれ、我慢しなさいと言われたことを伝えた。
「治らない病気ではないけれど、あなたは全然酷いほうではないわね。酷い人は両手、両足に出ます。あなたは足には?」というので、足には出たことがないことを伝えると、あなた以上悩んでいる人が沢山いるから、心配する必要なし」というようなことを淡々と説明された。
医者に「あなたより症状の酷い人は沢山います。」と言われたら素人には、それ以上返す言葉はないだろう。正直随分あっさりした言い方だなと思ったが、心配する必要なしと言われればそれま出だし、それ以上大して気にも留めなかった。
全く出なくなるときもあれば、時々出るときもあり、治らないと言った医者も正しければ、酷くならなければ大丈夫とどちらの医者が言ったことも正しいというような症状が10年以上続いていたのだが、そんな時著者の記者会見をテレビでみてびっくりしてしまった。

この本を立ち読みしただけで買わなかったのは、「治ると信じれば必ず治る」と半ば盲目的に語られ過ぎている気がしたことだ。

以前喉が痛くて医者に言った際に「喉が腫れている」と症状を説明すると「診断するのは医師だ。喉が見えないのに、何故腫れていると分かるんだ」と一喝されたこともあるし、花粉症による肌荒れの際、仕事が忙しくて通院するのが遅くなってしまった時は「治す気がないなら、来なくていい。今は医学が進歩しているのだから、自分の病気の事は自分で色々調べて、努力するぐらいの気持ちでないと駄目だ。治らないと思っているなら来る必要はない。」と言われたこともある。

医学が発達している現在に、素人が病気について考えるのはとても難しいことだと思う。しかしその難しいことを病気になった時は、本当に真剣に考えなくてはいけないのだ。立ち読みをしながら改めてそのことを強く感じたことだけは確かだ。


死んでたまるか!―波瀾万丈の人生と全闘病記

主婦と生活社

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