BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

五等分の花嫁 第119話 感想5: 120話以降、零奈=五月の「御守り」が顧みられることはあるのか?

2020-02-02 00:05:38 | 五等分の花嫁
118話の最後のチラッと出てきた「御守り」のことね。

五月が最初に零奈に扮した時に、ボートから上がる際に風太郎に渡した「御守り」。

あの中には何が入っていたのだろう?

五月は、風太郎が自信をもてたら中を確かめて、と言っていたわけのだけど、あいにく、あの御守は、その後、風太郎が雪も積もるような冬の寒い日に川に落ちた際、二乃を救うか、御守を確保するか、の二択を迫られた結果、そのまま川に流されてしまった。

なので、今はもう風太郎の手元にはない(はずの)御守り。

でも、その回想場面が118話でチラ見せされた、ということは、そして、119話で、その話はなかったかのように、というか、そもそも118話なんてなかったかのように、風太郎と四葉のバカップルぶりが描かれたことを思うと、やっぱり、120話以降で、あの中身についても言及されるのかな。


一応、最初に言っておくと、あの中身は、直後にでてきたプリクラだ、と受け止められているようだけど、それは、さすがに了解し難い。

だから、あの直後の五月のスマホに貼られたプリクラはミスリードだと思う。

だって、あれ、42話で自信喪失中の風太郎に対して、いかにも咄嗟に御守りのなかに入れた感じだったけど、その時にプリクラをシールのまま、持っているものなのかな?

いや、持っている可能性は否定しないけど。

でも、この零奈なりすましに対して疑問をもっていた五月だったら、事前になにか用意しておくような気がするのだけど。

まぁ、それがプリクラだった、というなら、それはそれで納得はできないこともないのだけど、でも、それも含めて、巧妙なミスリードだと思うのだけどね。

118話の内容にそくせば、あの時の意気消沈している風太郎に対して、「あなたは一人ではない」というメッセージを伝えることができるものだった、ということ。

なにかプリクラ以外のメモ的なものが入れられた、と思うのだけど。


もっとも、あれが確かに、五月、風太郎、らいは、の3人で撮ったプリクラで確定だったとしたら、むしろ、あの42話の時点で、すでに五月は、十分、風太郎のことを意識していた、ということだよね。

最低でも友だちであることを自覚するくらいには。

だったら、日の出祭の「君もわたしの理想」発言までを含めて、五月が、少しずつ一歩一歩、風太郎との距離を詰めてきていたことの証しと受け止めることができる。


あと可能性としてあるのは、あれがプリクラだったとして、風太郎はすでに御守りの中を見ていて、だから、零奈の正体は五月であることを突き止めていた、というもの。

それなら風太郎が、修学旅行の後、零奈=五月を呼び出してスクラップブックを手渡すことができたのも説明できる。

ただし、読者からすると、「零奈問題」というこの作品の最大級の謎が、いつの間にか、はるか昔に解決されていたことになり、盛大に騙されたことになる。

とりわけ、この事実の読者からの隠匿は、そうとう悪質なものといえるので、もしもそうなら、読者が荒れることは必至。

さすがにそんな仕込みは作者もしないだろうから、風太郎は御守りの中身は知らない、ということにしてよいのだと思う。

だとすると、118話の中であの御守りのことが振り返られたことの意味とは、中身が何であれ、風太郎はあの御守りをなくしてしまって、中身を確認することができず、五月が込めたメッセージが伝わることは、金輪際ありえないということ。

むしろ、その「失われたメッセージ」を巡る騒動が、ポイントなのだろうね。

もう一つ、ウルトラCとして、あの川でなくした御守りを、実は三玖が拾っていて、中身を見てしまっており、そこから風太郎が五月のことを大事に思っていることを知って、だから、日の出祭の時に「風太郎への恋がかなわない」と思っていたというもの。

まぁ、ありえなくはないけどね・・・、ぐらいの話。


とにかく、御守りは、6年前の京都の出来事を含めて、この物語の中核をなすものであることは間違いないので、118話でそのことを読者にわざわざ思い出させたことには、やはり何らかの意図があるはず。

となると、そのお守りの件で、京都への修学旅行のさなか、風太郎から、お前は信用できない、と通告された一花が出張ってくる感じかな。

ともあれ、あの御守りの話が、この終盤において無視される、ということないはず。

そこが突破口になるのだろうね。

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五等分の花嫁 第119話 感想4: 120話以降、この作品の黄金率である「愛さえあればわかる!」はいつ発動するのか?

2020-02-01 01:20:01 | 五等分の花嫁
次回の120話では、いよいよ満を持して、トリックスターたる一花が動きだすのだろうか?

もちろん、ぼちぼち動き出してほしい、という願望も込めてのことだけどw

でも、なんかこの118話の気持ち悪い、作り物めいた世界を崩すには、やはり、女優wの一花姉さまに登場してもらうしかないのではないかな。

なんか風太郎くん、硬いなぁ、って。

実際、119話の、告白とばしのいきなりのプロポーズは、四葉も最初、ドン引きしていたように、あまりにもマニュアル通りっぽいw

そのあたりを、お姉さんが指導してあげよう、とかいって、また風太郎をからかうところから入ってほしいのだけど。

でも、真面目な話、今のちょっとお行儀の良すぎる世界を正気にもどすには、一花しかいない気がするんだよね。

それは、もちろん、五月を四葉の世話焼き役から解放させる、という意味でも。

でないと、五月が、自分の本心に沿って行動できなくなるから。

それに、一花って、京都の子のこととかも知っているワイルドカードでもあるからね。

五月が、このまま零奈問題に触れないようなら、その役割は一花がやるしかない。

しかも、一花って、確か、例の「京都の子と風太郎が映っている写真」を、五月が落としたときに、拾っていたよね。

あの写真を五月に返したかどうかはわからないけれど、あの写真を見たとき、何かに気づいた素振りを見せていたから、すでに一花は、あの写真の子が誰か、気づいているはずだよね。

だから、その話を風太郎に(いい加減、最終回が近いのだからw)持ちかける可能性はあるよね。

風太郎くん、昔、会っていたんだね? 私たちと、って具合で。

そこで、例の高3の修学旅行の時の「全部、嘘」発言と絡めて、話を切り出しそうで。

そこで、四葉の口からでも、五月の口からでもなく、京都の子や零奈の話が伝えられる。

そして、それが何かしらの動きのトリガーになる。

いや、どうやら、あの写真の子は四葉ではなく五月ではないか、という見方もあるようで、ちょっとそれはどうだか、まだわからないのだけれど。

確かに五月は修学旅行のとき、清水寺で突然、風太郎に写真を取ろうといって腕を組んでいて、あの場面は、てっきり五月が四葉のことを思い出させようとしていたのかと思っていたのだけれど、可能性としては、五月もあり得る、のかもしれない。

まぁ、夜、七並べをした時に、一花が四葉に「なりすまして」いたことを思えば、どこかで日中、五月が入れ替わっていたけれど、でもその事実に風太郎は気付かなった、という場面がなくはないとは、確かに思うけれど。

なにしろ、「双子の入れ替わり」はミステリーの定番だからね。

ただ、いずれにしても、一花なら、写真の子が誰か、正解を知っているので、さらに言えば、6年前に一花が興味を持った男の子(=風太郎)のことを教えてくれた姉妹が誰なのか、ということも知っているはずだから、彼女が、そのあたりの事情を一気にいっぺんに風太郎に告げる可能性はある。

その結果、例の「零奈問題」の爆弾が爆発する、ということになりそうだよね。

五等分の花嫁 第118話 感想4: 119話以降の展開ではやはり「零奈問題」は爆弾だ

で、その時に、当惑した風太郎を落ち着かせつつ、

それで、風太郎くんは、「本当は」誰が好きなの?

という問いを発しそうな気がするんだよね。


ちょうど、日の出祭二日目の夜の公園で、風太郎に一花が、鐘キスの相手が誰だったら、嬉しいか?と尋ねたのと同じように。

で、後から見れば、あの一花の問いは、翌日に風太郎が四葉を選ぶことを誘導した問いでもあったわけだよね。

裏返すと、常に、風太郎は、五つ子の誰かの発言によって「選ばされる」状況になっていて、本当のところ、誰が気になるのか、自分で「選ぶ」機会や場面が、自然な形で与えられているわけではない。

そういう意味では、彼自身、そろそろ、四葉とのぎごちない「恋人ごっこ」のごっこっぷりに気づいてもいいはずで。

いや、あれはあれで、高校生として初々しい、という評価もあるようだけど。

でも、あの初々しさを、いまさら見せられるために、119話も費やされたとはどうしても思えないんだよね。

何度もいうけど、四葉が、文字通り、なんの裏表もない、天真爛漫の元気っ子、ならわかるけど、でも、彼女が心に深い闇をもっていることは、もう読者は知ってしまっているわけじゃない。

あと、これは傍証でしかないけれど、

風太郎が、夏あたりから、急に「恋愛マニュアル」に頼っているシーンが増えているのって、あれはあれで、風太郎が、恋ってこういうものだろ、とカタチから入ってしまっていることを(あからさまに)伝えるための描写だと思うのだよね。

すでに、読者は、風太郎が、勉強バカであることも知っているわけだから。

とすれば、今の状況が、五つ子から選択を強いられ、しかたないからマニュアルに頼って正解を書いたつもりになっている、と解釈するほうがあっているでしょ。

そこで気になるのが、113話の、例の、武田と前田との対話であった、「誰から見分けられたのか?」と「誰が好きなのか?」の問いを尋ねられた時の、風太郎の硬直した顔ね。

あれは、明らかに、二つの問いの答えが違っているからで。

で、この作品における(巷にあふれる恋愛マニュアルではない)「愛の黄金率」は、

「愛さえあれば(五つ子を)見分けられる」

というやつ。

で、それだけが唯一、自分でも思いもよらない解を引き当てるためのルールのはずで。

そして、それが、唯一、風太郎と五月を、本人たちの疑心暗鬼の気持ちを抑えたうえで、素直に相手のことを認めるための尺度のはずで。

だってさ、

風太郎が、林間学校のとき、一花に変装した五月に気づいたとき、後で二乃がはっきりいいっていたけど、「あたしたちでも気付かなかった」って言っていたのだから。

もちろん、二乃は、スキーをする格好でゴーグルやらなんやらでわからなかったから、と理由はちゃんと述べていたけど。

でも、それはつまり、あの林間学校の時点で、風太郎は、五つ子の誰よりも深く、五月のことを心配していた、ということだよね。

だって、あのときは、皆、五月が、どこかでコースアウトして遭難しているんじゃないか、と思っていたわけで、その五月をきちんと見つけ出して、事なきを得たことができたのは、風太郎のおかげだったのだから。

そして、その一部始終に対して、五月は、自ら風太郎の寝ている部屋に忍び込んで、(結果的には五つ子全員になったけど)「結びの伝説」をきちんとこなしていたのだから。

そのときから、五月がときめいていたことは明確でしょ。

そして、読者としては、そういうプロセスがきちんと描かれてきた子が最終的に選ばれてほしいのは当然のこと。

その点、四葉は、基本的に「忍ぶ恋」でしかも風太郎と再会したときから「風太郎ラブ」なので、そのあたりの機微が全くわからないのが、ここに来て、フラストレーションを感じるところなんだよね。

ともあれ、あとは、これで最初の一花再臨の話に戻るのだけど、この、林間学校で、五月の父親不信からくる男性不信、はては風太郎を今ひとつ信じられないと頑なに壁をつくっていた五月が、風太郎と雪どけする最初のきっかけを与えたのが、ほかでもない一花だったんだよね。

もっといえば、この時触れられた「父親不信」の話は、後日、日の出祭中に起こった「無堂襲撃事件w」を通じて、五月はなんとか超えることができたわけだけど、その五月の行為の背中を押したのは風太郎だったんだよね。

だとすれば、最後の最後で、風太郎「くん」と五月「ちゃん」の間を取り持つのは、やはり「お姉さん」たる一花の役割だと思うのだよ。

ということで、最終話までの、一花の今一度の活躍に、期待したい。

あと最後に、大事なことだから繰り返すけど、

「愛さえあれば、わかる!」

はこの物語の黄金率。

これに戻らずして、物語が閉じるわけがない。

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五等分の花嫁 第119話 感想3: 「これは風太郎が見ている夢」説を考えてみる

2020-01-30 20:33:11 | 五等分の花嫁
もちろん、前の「四葉が見ている夢」説に触発されてのことだけどw

でもね、この「風太郎が見ている夢」説は、そのまま、この作品のことかもしれない。

だって、第1話冒頭で

「夢を見ていた、
君と出会った高校二年の日
あの夢のような日の夢を」

って、ちゃんと書いてあるのだからw

しかも、わざわざ

あの「夢のような日」の夢を

って、今見ている「夢」の方を強調しているのだから。


となると、この夢はいつ見ていた夢か?ということになるけど、それは一番単純に考えれば、日の出祭三日目の、うつらうつらしていたとき、ってことかな。


じゃあ、なんでわざわざ、風太郎の夢と思ったか、というと、

119話をよく見ると、風太郎って、四葉にプロポーズするとき、右手じゃなく、左手を出してるじゃない?

でも、風太郎って、右利きだよね?

普通、ああいう場面って、利き腕の方を出すでしょ?

という至極単純な理由。

もちろん、あの場面なら、ブランコから転げ落ちて右肩を打撲したので右腕があがらなかったから、という理由は当然ありえるわけだけど。

でも、それにしては、風太郎は、ケロッとしていて、とても痛みがあるようには見えなかった。

となると、じゃあ、なんで左手? ってことにならない?

で、これって、夢なんじゃない?ってことに、一応飛躍してみるw

もちろん、夢なら四葉のほうが可能性は高いのだけど。

でも、そうか夢かぁ、夢ねぇ、あれ、そういえば・・・?

ってことで、第1話冒頭で、そもそも「夢」と風太郎が言っていたことを思い出した。

なので、「風太郎が夢を見ている」説、に至る。

もっとも、前にちょっと考えていたように、この第1話冒頭の「君」と呼びかけていたのが、五月である可能性もあるので、

五等分の花嫁 第118話 感想2: 物語の語り手は風太郎ではなく〈彼女〉だった?

となると、「これは五月が見ている夢」説も可能になるのだけどw

しかし、どうやら、五月が例の6年前の「写真の子」である説とか、そうでなくても、五月も6年前の京都ですでに風太郎と会っていた説なんかもあるようなので、あながち、「五月が見ている夢」説もありえなくはないのが怖いところ。

このあたりの説は、さすがにちょっとムリクリで五月エンドにしようとする強弁のようにも思えてしまうでの、なんとも言えないのだけど。

とはいえ、五月エンドに期待したいところがあるのは確か。

なぜなら、今のままの四葉エンドでは、あまりに凡庸で子どもっぽいオチでしかないので、物語的に認めがたいところが多いから。

要は、今のままの四葉エンドはつまらないから。

だから、五月エンドでなくても、たとえば一花でも三玖でもいいといえばいいのだけど。

でも、五月が一番しっくり来る気はするんだよね。

もっといえば、四葉エンドでいくなら、そレも、京都の子とかガン無視のいまのままの四葉エンドでいくなら、あの物語当初からの、ひたすら元気っ子の四葉であってほしかった、と思っているからでもある。

途中で明らかにされた、あの、ややこしいこじらせた本当の四葉の顔を知ってしまった後では、119話段階の四葉でさえ、風太郎に対して「作り笑い」をしているように見えるから。

要するに、「風太郎が大好き」というよりも、「とにかく風太郎に嫌われたくない」という気持ちのほうが前面に出ていて、いたたまれないから。

むしろ、ここのところの四葉は、とにかく無理している様子がありありで、痛々しくてしかたがない。

端的に、気持ち悪っ!、と思うのだけど。

だから、今回のプロポーズ前後の場面を見て、泣けた、とか、エモい、とか、言ってるのって、まったく理解不能なんだよね。

え、これみて、歯が浮くような気持ち悪さを感じないの?・・・って。

なんか、四葉も風太郎も、この選択が正解である、と一生懸命信じようとしているようにしか見えないのだけれど。

なんていうか、ミッション化している。

要するに、不自然な感じがひしひしと伝わってくるのだけど。

てか、しっくり来ない。

割れ鍋にとじ蓋、というしっくり感がないんだよね。

この四葉なら、まだしも二乃のほうがしっくりくるくらい。

もっとも、風太郎との相性でいうと、一花か五月、という感じしかしないんだけどね。

要は、風太郎を(四葉みたいに)全肯定するのではなく、折に触れて、ツッコミを入れ、もっといえば、叱れる相手ね。

てか、全肯定女子って、エモい前にキモいと思うのだけど。違うかなぁ?

ただ、そうなると、もう、一花が、今持っている、「京都の子と風太郎」の写真に賭けるくらいしかなくなってしまうのだけど。。。

うーん。

なんだかなー。

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五等分の花嫁 第119話 感想2: 「これは四葉が見ている夢」説を考えてみる

2020-01-29 18:37:39 | 五等分の花嫁
もちろん、真面目に信じているわけではないけれどw

でも、確かに、ここのところの展開が、四葉の見ている夢というなら納得できることは多いね。


まずは、四葉にとって都合の悪い過去の封印ネタは一切、話題にならないこと

いまだに、彼女が「京都の子」であったことや、五月を焚き付けて零奈を演じさせたことなど、風太郎の前で話題になったことない。

あるいは、四葉のせいで転校しなくちゃいけなかった、ということまでは風太郎も知ってはいるけど、その理由や、そのとき、どう思っていたか、ということにも触れられてはいない。

まぁ、このあたりは、読者だけが、いわゆる「神の視点」から特権的に知ってしまっているだけ、といえばそれまでなのだけど。

でも、いい加減、この話が出てもいいんじゃない、ってこと。


次に、風太郎の振る舞いが妙に子供じみてきたこと。

これは特に今回の、恥ずかしいプロポーズ場面などが典型だけど、突如として風太郎がただの高校男子になってしまったこと。

これには、さすがに彼のキャラ崩壊なみに違和感を覚えたのだけど。

でも、このプロポーズというセリフは、次に四葉から「夢はお嫁さん」という言葉を引き出すための導入に過ぎないようにもみえて。

裏返すと、確かに、これが四葉の見ている夢ならば、「夢はお嫁さん」と言いたいから風太郎に言わせた、という感じがひしひしとするw

前に、五つ子が風太郎に、出世払いで家庭教師を頼んだとき、「でも、さすがになにかお返しをしないと・・・」と五つ子が悩んだ際に、四葉以外の四人が「キスをする」という選択肢を共通して思い浮かべたのに対して、四葉だけが、何かメダルをあげることを考えていたけれど。

どうも、あの時に通じる「子どもっぽさ」が、ここのところの風太郎にも感じさせられる。

でも、それが「四葉の願望」の投影であるなら、逆にとても納得できてしまう。

119話でも、電車の中で、四葉が窓際にいる風太郎をかばうように右手を出しながら他の人からかばう場面があったけど、あそこなんて、完全に、普通の男女の主導権が入れ替わっていて、四葉のほうがエスコートしているようにも見えてしまう。

もちろん、風太郎も「これ、逆じゃね?」とぼやいていたわけだけど。

でも、あの場面も四葉の「風太郎を守りたい」という願望の反映だといわれれば、あぁー、確かに、って思うしかない。


ということで、もっとあれこれ細かいところを指摘することもできるけど、確かに、なんだか、四葉にとって都合の良い世界、都合の良い風太郎、都合の良い姉妹が、登場しているように見える。

じゃあ、仮にこれは確かに四葉の見ている夢だったとすると、それはいつから始まったのか、ということになるけど。

その場合は、107話で日の出祭2日目に竹林と話している最中に倒れてしまい、そのまま病院にかつぎ込まれてしまった、あの時なんだろうな。

あれ以来、ずっと夢を見ている。

まぁ、俗説にある、『ドラえもん』は昏睡状態にあるのび太が見た夢、ってやつに近い話だけど。

でもそうなれば、とりあえず、日の出祭3日目以降の話は、すべて四葉の夢であり、四葉にとって都合の良い話が続いてもおかしくはない、ってことになる。


でも、さすがに、四葉が日の出祭2日目以来ずっと昏睡状態にある・・・なんてトンデモ設定は考えづらいので、これはまさに「都市伝説」でしかないと思うけどね。

ただ、こんな「妄想」が一定の説得力を持ってしまうのは、115話以降の、簡単にいえば、年明け以後の展開が、あまりに四葉にとって都合の良い展開になっているからで。

だって、

オルト一花を生み出すくらい腹黒だった一花が、未練はあれど、あっさり、風太郎を譲る素振りを見せ、

風太郎に告白し、その上、風太郎に覆いかぶさってキス(+α)攻勢をかました三玖は、風太郎との出会いで、自分は自分を好きになれた、とか言って、一人で勝手に納得して撤退を決め、

一番面倒な二乃には、「今は譲るがすきがあればいつでも奪う」と二乃らしく戦線後退を宣言させ、

五月には、都合の悪いことは一切言わせずに、自分のサポート役に徹してもらっている(もちろん、五月が自分の恋心に気づく、という描写はあったけれど)。


これだけ並べられたら、まぁ、確かに、これは四葉の見る夢だ、となってもおかしくはないよね。

だから、それくらい、115話以降の展開は、どこか「おかしい」んだよ。

それは、簡単に言えば、突然、語り部が、(風太郎から)四葉に変わってしまったような違和感。

その結果、風太郎も、なんだかだらしない少年に舞い戻ってしまったようで。

あの、連載初期にあった、唯我独尊の「自信過剰」君は、どこへ行ってしまったのか?

こんなに突然、等身大の高校男子になられても困ってしまう。


ということで、これが何らかの意図がないまま描かれているのだとしたら、さすがにねぎ先生は、物語の基本を崩している、ということになる。

なら、その「何らかの意図」って何?ってことだけど。

その意図が、残り数話で開陳される、という理解でいいんだよね?先生?

さすがに、四葉の夢オチはありえないだろうと思うけど。

でもね、何か、お話の語りがおかしいんだよ。

今のままでは、

風太郎から見た『五等分の花嫁』、ではなく、

四葉から見た『一等分の花婿』(苦笑)、に見えてしまう。


誤解してほしくないのは、別に四葉エンドが絶対イヤだ、というのではなく、仮に四葉エンドだとしても、今の展開は、なんかおかしい、不自然だ、と感じてしまう、ということ。

だから、このまま四葉エンドになるにしても、きちんと彼女に、五月に零奈を演じさせるような「卑怯なマネ」をしたことを告白させて、風太郎の反応を描いて欲しいと思う。

そうでないと、また、一花や五月あたりが動き出しそうで、気が気でないのです。。。

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五等分の花嫁 第119話 『五つ星ツアー』 感想: やっぱり四葉&風太郎はあの公園で二人でブランコを漕いだね!

2020-01-29 11:31:24 | 五等分の花嫁
予想通り!

でも、まぁ、まさか、そのままプロポーズに至るとまでは思っていなかったけどw

うーん


要はただのバカップル!だったってこと?

四葉と風太郎の二人は?


だってさ、

公園でブランコだぜ?

で、そのまま、ジャーンプ!!!、ってやって転げて、

立ち上がって、プロポーズ。

で、夢はお嫁さん、です!

・・・だぜ!?

どんだけ、オコチャマなんだよ、この二人。

いや、高校生なんてそんなもんだろ?、っていうかもしれないけど、

逆に、これ、今どきの高校生はどんなふうに受け止めるのだろう?

なんか、高校生の願望、というよりも、田舎のヤンキーの願望、って感じなんだけど。

まぁ、もともと、風太郎は茶髪のガキ小学生だったし、四葉も、困った意識高い系女子だったわけだから、順当といえば順当なんだろうけど。。。

そういう点では、今回、厳しいツッコミを入れていた二乃の方が、単純な共感だけなら、納得できるかな。

なんか、結局、四葉を114話で選んで以降の展開に、今ひとつ、乗れないのは、それまでわりと緻密なプロットで物語を回してきたのが、最終コーナーを回った途端、ただの小学生のおとぎ話みたいになっちゃったからなんだろうな。

・・・って、今回、痛感したかな。


いや、相変わらず、「鐘キス」やら「京都の子」やら「零奈」やらのことは、ぜーんぶ、うっちゃいといたままなんだけど。

でも、今回の、ベタな表現をみると、このあたりの、ずっと読者は「伏線」と思っていたことは、ぜーんぶ放り投げてまま、四葉とのゴールにするのかもね。

もっとも、これは、いつもどおり、読後の第一印象なので、もちろん、この後、あれこれ、ああじゃねぇの、こうじゃねぇの、って浮かんでくるとは思うのだけど。

でもね、今回、いきなり「結婚して下さい」、「夢はお嫁さんです」、というのは、なんか、さすがにベタすぎて、他の解釈は難しいかも。


というか、一番の疑問は、というか違和感は、

あれ、風太郎ってこんなこと、言っちゃうやつなんだったっけ?

ということかな。

まぁ、そういう意味では、全国模試3位の優等生ということから、勝手に『神のみ』の桂馬のような、都会的な頭の良い子、と思っていたけど、それはどこまでいっても、こちらが勝手に読み込んでいたイメージだけだった、ってことなのかな。

むしろ、ただガムシャラに勉強をしただけで、いわゆる地頭がいいタイプのキャラではなかった、ってことなんだろうな。

だから、今まであった「なんか考えてる」風の描写も、ただの描写でしなくて、内心は、ほとんど何にも考えてなかった、ってことなんだろうな。

いや、そう考えないと、最近の風太郎の行動が、あまりにも以前と違いすぎていて、むしろイタイ。

というか、残念キャラに風太郎が堕ちてしまった。

うーん、でも前は、もっとシャープな、勘のいい奴だと思っていたのだけど。。。

思っていた以上に、ただのガリ勉バカだった、ってことだね。

さすがに残念だけど。

四葉にしても、あれだけ姉妹を見下していたのに、それが豹変して、「誰かを助けることをしたい」という、意識高い系に転じてしまって。

まぁ、思い込みが激しいという点では、一貫してるんだけどね、四葉は。


ということで、まぁ、バカップルが誕生した、以上!、ってのが今回だった、ってことかなぁ。

他の五つ子にしても、今回は完全にただのギャラリーだったし。

てか、みんな受験前なのに余裕だよなぁ。

進学しない一花や三玖はいいとして、あとB判定の二乃はいいとして、D判定だった五月は、マジで余裕じゃない?

なんか、このあたりの周辺描写が、一気にグダグダになってきたのも気になるところ。

まぁ、でも、風太郎&四葉のバカップル爆誕!、ってことなら、こんな感じなんだろうね。


で、ここまで読んできた人はもう気づいていると思うけど、

うん、思い切り、今回の展開には、不満、

というか、気持ち悪い。

こんなものを見せられるために、ここまでつきあわされたのか?

というのが正直な感想。

・・・ということに、自分でも書いてて気がついた。


とはいえ、こういう「感情操作」は、ねぎ先生の十八番だとも思っているので、残り数話で何かしらサプライズをしかけてくるものと思っている。いや、信じているw

というか、放置したままの伏線は、マジでなんとか回収してくれ。

いや、だって、前にも書いたとおり、零奈問題は爆弾だと思っているから。

五等分の花嫁 第118話 感想4: 119話以降の展開ではやはり「零奈問題」は爆弾だ


これで、実は、

すでに五月は自分が零奈を演じたことを風太郎に白状していました、

ついでにその時、四葉が6年前の京都の子であったこともバラしていました、

だから、風太郎に四葉を追え、とけしかけたのは五月でした、

・・・とかいうことだったら、マジで炎上だぞw

まぁ、炎上商法も今どきのセオリーなんだろうけどねー。

でも、この「すでに114話の時点ですでに風太郎は全部知っていました」って展開も、今の感じだとなくはないようにも思えてくるから怖い。。。

さすがにそれだけは勘弁してほしいけどね。

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五等分の花嫁 第118話 感想6: 鐘キスの相手は五月、風太郎が好きなのは零奈、となると結論は?

2020-01-24 19:23:31 | 五等分の花嫁
最終的に、四葉vs五月、という構図になったときに、

仮に

鐘キスの相手は、五月のふりをした四葉

零奈は、四葉のふりをした五月

だったとすると、互いに「完全な入れ替わり」になって面白いと思ったのだけど、でも、ちょっと考え直したら、やっぱり違うな、と思った。

というのは、多分、鐘キスも五月だと思えてきたから。

あの鐘キスの場面は、五月の格好をした子が自分は誰?と問いかけるのが、自然なのは確かなのだけど、あの五月が、ほんものの五月である可能性も十分ありえる。

一つは、あの「五月の森」の中で、そもそも自分のアイデンティティも揺らいでいたところがあったから、素朴に、自分自身をちゃんと見分けてもらえるのか?、心配になったから、ということ。

これ、理由としてはちょっと弱いけど、風太郎と温泉で待ち合わせる際に、合言葉で「デミグラソース」とか使っていたのが、さすがに屈辱的だったから、というのもあるとは思う。

ただそれでも弱いな、と思っていて、だから、あの五月は、やっぱり四葉だったのかな、と思いなおしたりもしたのだけど。。。


でも、もしも、あの時の仕草が、五月が、五月のことよりも、風太郎に「零奈」のことを思い出してもらいたくてやったとしたらどうだろう? 

つまり、自分のため、というよりも、四葉のために、行ったことだったとしたらどうだろう?

それなら、五月の動機としても、十分ありえる。


なぜなら、まだ、あの時、風太郎は、五つ子のなかに「京都の子」、すなわち零奈がいるとは思っていなかったよね? 

少なくとも確信はもっていない。

だから、五月の動機としては、まずは、京都の子が五つ子の一人であることに気づいてもらいたかったのではないか。

そして、次にそれが四葉であることに気づいて欲しいと思っていた。


というのも、四葉が、五月に零奈を演じてくれるようにお願いしたのって、要は、あの時の五月の姿が、5年前の小学生の時の五つ子の姿に最も近かったからでしょ?

で、あの鐘キスのときに五つ子が皆、五月の姿をしたのも、おじいちゃんに小学生の時と五人とも変わっていない、という安心感を与えるのにふさわしいと思ったからでしょ?

だとすれば、あの時の五つ子の姿は、(五月が演じた)零奈の姿に近かったはずで。


しかも、鐘キスの時点では、風太郎は零奈とはもう会えないと思っていたし、そもそも零奈が五つ子の一人であるとも確信してはいない。

零奈という名前を出して四葉が「え?」と驚いたのに、風太郎が目ざとく気づくのは、その後の79話の、修学旅行の準備のときだから。

しかも、その四葉の反応から、四葉が零奈ではないことを、ついでに確信しているよね。

となると、あの鐘キスの場面で、五月(の姿をした誰か)がやってきたのは、五月の姿と零奈の姿が被るよね?ということを気付かせたい五月だった。

それゆえ、あれだけ、顔を突き出してプルプルしてみせていた。

ね、ね、この顔、誰か思い出さない? ほら、零奈の顔に似てない? って。

で、そのままあそこで転んだのは、もちろん事故。

そして事故ゆえ、きっと鐘キスも、唇が触れたくらいのものだったんだとは思う。

でも、そんな事故であってもキスはキス、「初めてじゃないでしょ」と結婚式の時にわざわざいうのは、いかにも「生真面目な」五月っぽいじゃない?


それに、鐘キスのあった第62話では、実は、見過ごせないポイントが二つあって。

一つは、

あの時、鐘キスの前に、温泉に入りながら、五月は、二乃に言ってたでしょ?

「あったとしても言えないから隠し事なんです」って。

あそこでいう「隠し事」とは、明らかに、五月が零奈のふりをして風太郎の前に現れたことだよね。

つまり、温泉で二乃と話して以降、五月は、自分が零奈のふりをしたことを思い出して、なんとかしたいと思ってしまった。

で、今なら零奈のことを風太郎に思い出させることができるかも、と思ったに違いない。

なぜなら、さっきも書いたとおり、あの時の五月たちの姿は、小学生の時の面影を残したもので、それはまた零奈に似ているはずだから。


それから、もう一つ大事なことは、五月たちの祖父が、風太郎に対して、彼の娘、つまり五つ子の母の名前が「零奈」であることを伝えたこと。

だから、風太郎は風太郎で、零奈のことを意識しないではいられない状態になっていた。


となると、鐘キスの場面で起こったことは、

五つ子の誰かが、零奈であると、風太郎が確信したこと。

そして、

零奈の姿を漠然と思い出させた五月(の姿をした五つ子)とキスをしたこと。

(ついでにいえば、だから、風太郎は、108話で(零奈と思い込んだ)四葉にキスされたことで、この鐘キスのときのことを思い出していて、だから、その直後(111話)で、五月と階段で顔がニアミスした際に、バッチリ鐘キスのことを思い出して、ビビったのだと思う。)


その結果、風太郎は、修学旅行に行く前に再び接触を図ってきた零奈(=五月)に対しては、すでに、五つ子の一人であり、そして、かなりの確度でその時の零奈が(状況証拠も含めて)五月であると推測することができた。

あの場面で「わからん!」といって即答しているのは、すでに零奈が五月とわかっているから、半分以上、からかっていたということで。


ということで、

鐘キスの相手は五月、

風太郎がその時から意識してしまったのは「零奈」

なのだと思う。

つまり、風太郎が、恋しているのは、やはり(五月が変装した、と同時に風太郎は京都の子その人だと思っている)零奈。


けれども、零奈からは、すでに一度「さよなら」と言われ、しかも、それが五月となるなら、これ以上、追いかけても仕方がない、

という半端な状態にずっといたところで、立て続けに二乃やら三玖やらから、好きだ、答えが欲しい、と迫られて、日の出祭に至ってしまった。

ただ、あの時点では、実は風太郎は、こんな半端な状態では「選べない」と思っていたのだけれど、そのことを一花に「誰も選ばない」と、かなりいろいろなニュアンスや説明を省いて答えてしまったがために、結果として、「何がなんでも一人選べ、それが誠実さ、ってもんでしょ?」と詰め寄られて、三日目に選択しなければならなくなった。

となると、やっぱり、心の底からこの子、すなわち零奈=五月、というのではなく、あれこれ考慮して判断した結果、四葉にした、ということになってしまった。

・・・のだと思う。

ただ、114話で四葉を選んだ時に、四葉が京都の子で、だから零奈かもしれない可能性はあると風太郎は思っていて、だから、四葉にそのことを念の為、確認しようと思ったのだけど、残念ながら、問いをきちんと口に出せないまま、四葉に遮られてしまった。

そのことがどこか引っかかっていて、だから、風太郎は「好きだ」と言いそびれてしまっていた。


となると、この先こじれることが必至なのは、確かに四葉は京都の子だったけれど、でも、零奈ではなかった、という事実が判明した時。

その時になって初めて、風太郎は、四葉か五月か、という選択を迫られることになる。

ただ、そこで最終的に選ぶのは、零奈というよりも、素の五月だった、となるように思う。

そして、その時、五月も、もはや「好き」と言われて拒む理由はない、というのが最終的な選択ではないかな。

もちろん、その場合、四葉も納得してのことで。


ただし、こういう展開になった時、一つ気になるのは、やっぱり、風太郎はどうやって、京都の修学旅行の後、フォトブックを渡すために、零奈を呼び出したのか、ということ。

どう考えても、この時点で五月が零奈であるとわかっていないと呼び出しようがないよね。


あれ、でも、もしかしたら、こういうことか。

風太郎は、とにかく中立的な五月に連絡して、零奈を呼び出してほしいと頼んで、結果的に、五月がそのまま変装して現れた、ということか。

いわば、風太郎も五月も、互いにとぼけたまま、互いに零奈が誰かはわからないまま、会っていた。

そして、風太郎は、すでに、零奈には「さよなら」と言われていた、つまりは、五月には振られた、と思われていたから、日の出祭の時、零奈であり、風太郎はそのまま京都の子と思っていた五月は選択対象から外し、今まで自分のために尽くしてくれた四葉を選んだ、という流れか。

それなら、一応、筋は通る。

それに108話の最後で、四葉を夢うつつで零奈と誤認した時、風太郎は無意識のうちに、すでに零奈との関係は終わってしまっていると思っていたことを含めて、「昔のことより大切なのは今だろ」と言ったのではないか。

いや、そうか、あの夢うつつの時に、すでに、無堂事件が起こっているのだから、風太郎は、その混濁した意識の中で、零奈だと思っている五月に対して、無堂なんていう昔のことは忘れて、先に進め、というつもりで言ったんだな、きっと。

うん、そのほうが筋が通る。

さらにいえば、このとき、四葉は、風太郎を「君」と呼びかけ、時系列的にこの後になる111話で、五月が「君」とさらに呼びかけたことで、風太郎の中で、零奈=五月は確実なものになったのだろうな。

だから、彼は、その後、零奈=五月ではなく四葉を選んだ。

うん、筋が通る。


となると、やっぱり、零奈は五月だったけど、京都の子は四葉で、五月に零奈を演じさせたのは四葉だったとバレた時、何が起こるのか。

そのバレに、四葉が京都の子と知っている一花が絡んだりしたら、さらに状況は激変するね。

そして、その話を行うには、これだけ綿密にプロットが組まれていれば、2話か3話あれば十分じゃない?

残りの話数で十分こなせる。


しかし、こうなると、むしろ、なぜ、ねぎ先生が14巻で完結!って最初から言っていたのかも理解できる。

もう残り話数がないから、という理由で、もう四葉で決定でしょ!と思わせておいて、

さらにいえば、それまで「好き」と言っていた、一花、二乃、三玖の、落選は日の出祭の時に済ませてしまっておいて、

残り1冊分で、五月を急速に変貌させる。

ただし、その変貌は、小説で言えば、一文で済んでしまうような内容かもしれないけれど、その一文が十分な効力を発揮するくらい、風太郎と五月のやり取りについては、いままできっちり描かれてきている。

そうして最後の最後でどんでん返しをかます。

全てはそのためだった。

しかも、そのための仕掛けは、いままでしっかり仕込んできているから、あとは、名探偵よろしく、その謎をドミノ倒し的にひっくりかえしていけばいい。

うーむ、まるで、西尾維新のような、メタフィクション的ひっくり返し!

うん、きっとその展開だな。

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五等分の花嫁 第118話 感想5: 119話以降、この局面でトリックスター=一花はどう動く?

2020-01-24 16:44:12 | 五等分の花嫁
118話の最後に描かれた、五月のスマホの裏面に貼られたプリクラだけど、あそこに「ずっと友だち」と書かれているから、五月は風太郎のことを友だちと思っているとか、いってるのを見かけたんだけど・・・

アホか?

あれは、見つかった時のエクスキューズでしょ?

「友だち」って書いてあるから、仮に姉妹に見つかったとしても、「上杉くんは友だちです!、らいはちゃんも映ってます!」って、即答できるからでしょ?

そういう「釈明」が用意できないと、五月って、自分の気持ちを表現できないんだよ。

つまり、あのプリクラの存在は、五月が風太郎が好きだ、という気持ちの現れ。

なんたって普段持ち歩くスマホに貼ってあるくらいなのだから。

肌身離さず持ち歩きたい、ということの現れ。

風太郎が、小学生の時の京都の子との写真を生徒手帳にいれて持ち歩いていたのと同じ心理。

だから、五月にとっては、姉妹と同等、あるいはそれ以上に、風太郎のことが大切なんだよ。
(もちろん、らいはのことも大切だと思ってると思うけどね)。

それくらい、五月も恋愛については(風太郎同様)お子様、ってことで。

それが今、少しずつだけど、動き出した、というのが、前回と今回で、五月に起きたこと。

とはいえ、五月は、自分の気持ちを伝えられるだけの語彙がまだない。

さすがは「理科」が得意科目だけのことはあるw 要はリケジョなのだ。


ところで、こういう膠着状態になったときに、ゲーム盤を無理やり動かす何かをやらかしてくれるのが、一花。数学が得意の、策士・一花ねw

面白いことに、一花って、五月に対してだけは、「五月ちゃん」と呼んで、明確に「かわいい妹」という態度をずっと取っている。だから、五月は一花にとって別格の存在。

その五月が、風太郎のことで思い悩んでいるのを知ったら、間違いなく五月の背中を推すはず。ちょうど、四葉に対してそうしたように。

なので、あのプリクラは、きっと一花が目にするためのものだと思うんだよね。

で、今更ながら、五月に恋心が芽生えたのを知って、ここはまさに「お姉ちゃん」らしく、五月のことを愛おしく思いながら、後悔したくないなら、ちゃんと風太郎くんに気持ちを伝えなきゃダメだよ!、とか言って励ますような気がする。

なにしろ、「公平」な機会が、姉妹のモットーだからね。

ともあれ、五月が零奈バレの話をきっかけに窮地に立たされるのは、ほぼ間違いないので、その時、きっと妹想いの長女・一花が、また何かしでかしてくれるはず。

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五等分の花嫁 第118話 感想4: 119話以降の展開ではやはり「零奈問題」は爆弾だ

2020-01-23 19:19:56 | 五等分の花嫁
118話の最後の2ページのシーンがどうにも気になって、零奈が風太郎にあった42話の前後を読み直したのだけれど、

五月って、42話で零奈として風太郎に会ったときに、風太郎から「本当はやればできるのにもったいない」と自分の評価を聞かされた時点で、すでに「落ちて」いるよねw

それに風太郎は風太郎で、すでにこの零奈が五つ子のうちの誰かだとなんとなく気づいているよね。


でも、初めて零奈に出くわした時の風太郎の驚愕ぶりを思い出すだに、風太郎がどれだけ零奈=京都の子を大事にしていたかがわかる。

だって、あの時、零奈に「さよなら」と言われてマジで落ち込んだわけで、その落ち込みぶりは、当時はまだ険悪な仲だった二乃を真剣に心配させるくらいの酷さだったのだから。

なにしろ、風太郎から零奈の顛末を聞いた二乃は、あの時、号泣してたからね。

だから、あの時の風太郎を泣かせた零奈が、実は、オリジナルの京都の子である四葉が、五月に頼んでやらせた芝居だった、なんてことが発覚したら、これ、いまや「フーくん愛」の結晶である二乃からすれば、そして正義ガールである二乃からすれば、もう四葉とは絶好、というレベルを超えて、殺意を覚えるレベルじゃないの?

ということで、どう考えても、零奈問題は、この先の土壇場の展開で、ものすごい爆弾になるはず。

もちろん、五つ子だけでなく、風太郎も含めてね。


それに、正直なところ、実はだんだん、この数話の、いつになく四葉が自分自身のことを語っているところを見続けた結果、あれれ、もしかして四葉って、実は腹黒?という気もしてきていて。

それは、四葉の過去話を扱った89話で、その時通っていた高校の講堂でバスケかなにかで優勝したことで全校生徒に紹介されている場面で、

「私が姉妹で一番なんだ!特別なんだ!」

っていってる場面を思い出してしまったからなのだけど。

つまり、四葉の本質って、どこまでいっても「自己チュー」の、自分が一番大事な子なんだよね、きっと。

もちろん、その後の自分の不始末で、姉妹まで含めて転校しなくちゃいけなくなったことをきっかけに、今度は「姉妹が一番!」の子になったわけだけど、それも「自分の居場所を作る」という点で「自己チュー」であることは変わらない。

要するに、姉妹の中で、実は、三玖以上に、コミュ障の困ったちゃんが四葉。

そして、それが高じて、天然に「腹黒」な所作に及んでしまう。

これ、天然だけに、始末が悪くて。

オルタ一花さんなんて、目じゃないくらい。

いや、だってさ、冷静に考えたら、そもそも零奈という架空キャラを出さなきゃいけなくなった理由って、今の自分が恥ずかしくて風太郎に直接名乗りあげることができない、ということでしょ?

だったら、ただ黙っていればいいんだよ。

それを(当時の)五月が、風太郎に対して最も中立的であることをいいことに、彼女に頼んで「さよなら」とわざわざ伝えさせるのだから。

これって、いろいろな意味で、他人の気持ちが全然わかってない。

というか、他人の心を踏みにじっている。

もちろん、それくらい四葉が悩んでいたことはわかる。

でもね、それなら彼女は、ひとり遠くから風太郎を眺めていればいいんだよ。

だけど、今のように、表舞台に立たされてしまったときに振り返ると、あれれ、なにそれ、キモ!、それはないわ―、って類のヤバさ、だよね。

だから、四葉推しの人に悪いけれど、この数話の四葉の行動は、こじらせすぎている、という点ではドン引きしてしまうレベルにまで達していると思う。


でもまぁ、四葉のことはこれくらいにして、もとに戻るとして、

118話で一番気になったのは、なぜ、いまさら、零奈(=五月)のお守りの「中身」のことを思い出させるわけ?ってこと。

しかも、あのお守りは、50話で風太郎が川に落ちた時になくしてしまったわけで。風太郎からしたら、もう確認のしようがないもので。

あの中身は何なの?

あの中身が、最終局面で重要になるものなの?

まさか118話の最後で見せた、五月のスマホの裏面に貼ってあるプリクラじゃないよね?

というか、118話で五月が風太郎にスマホを貸すのを躊躇ったのって、裏面にこのプリクラが貼ってあることがバレちゃうからだよね?

いやだから、118話の最後で、いずれも五月が関わった

零奈
お守り
プリクラ

なんてこの物語の上でめちゃくちゃ大事な出来事を、三連チャンで畳み掛けるように、この期に及んで読者に思い出ささせておいて、

その上で、最後のページで、風太郎に、まるでもう(恋人であるのを通り越して)夫婦であるかのように、寄り添うように座っている姿を見せられて、そのうえ、

「上杉君、おめでとう」

といわれて、ハイ、そうですか、で終わるはずないでしょ?

これは、もう、ただただ、五月のゲージが目一杯触れていることの表現でしかない。


だから、繰り返しになるけど、この3つの出来事の畳み掛けで示されたことは、物語当初では、というよりも林間学校の頃には、父親嫌いから男性嫌いの気があった五月が、日の出祭以降、風太郎に対する意識の封印をどんどん次々と破ってきているのであって、それが今回でマックス!に達したということ。

だって、五月はとうとう明確に恋心を自覚した上で、四葉を思って「引く」決意をしたのだから。

だからこそ、今思えば、確かに日の出祭の時、五月には、無堂という実父の負わせた枷を外すエピソードが必要だったことになる。

あのとき、最初に無堂が現れたときは、なんでこの「風太郎が五つ子の一人を選ぶ」なんて一大イベントが控えている時に、五月だけ、こんなハゲオヤジの相手をしなくちゃいけないの? って、真剣に思ったけど。

でも、あれは、むしろ、今、五月が末脚を発揮して、風太郎ラブマックスとなるために必要な、まずは突破すべき第一の関門だったんだよ。

あれで初めて五月は、父親嫌いに発した男性不信から解放されたのだから。

しかも、その不信を取り除いてくれたのが風太郎なのだから。

これで惚れないわけがないじゃない?

五月にとっては、あの時が、始まりだったんだよ。

もちろん、それまでに、風太郎ならびに上杉家とは長いお付き合い、それに竹林に対して啖呵を切るくらい「深い」お付き合いがあったわけだけど、でも、それを恋心と認識するには、父親嫌い=男性不信、という障害が邪魔していた。

そういう意味では、竹林に対しては、自然と制動がかかる姉妹に対するのとは違って、あの時点での五月の本音(=すでに風太郎ラブ)がダダ漏れしてた、ってこと。


ともあれ、こうして五月が、風太郎ラブに向けて急速にゲージを上げつつある間に、114話で風太郎に選ばれた四葉は、115話から118話までをかけて、一花、二乃、三玖からの了承を得ることに奔走した。

そして、次回の119話以降、ようやくきちんと風太郎と対峙することができるようになった。

裏返すと、いまだに四葉は、京都の子の話をしていない。

もちろん、五月に頼んで零奈を演じてもらった、という話もしていない。

何が言いたいかというと、この四葉がいよいよ過去話をすることになるまでの間に、五月の気持ちが風太郎ラブという点でマックスな状態にまでゲージを引き上げておくことが、115話から118話までの、もう一つの「裏」の役割だったということ。

つまり、四葉も、五月も、いまや「アイム・レディ!」ということ。


そして、ここから、ようやく京都の子のこと、そして「零奈問題」の話題に移るはず。

問題は、誰がどのような状況で、どんなふうに風太郎に伝えるのか?

順当に、四葉が(多分、例の公園でブランコを漕ぎなら)話すのか?

それとも、五月がいたたまれなくなって思わず話してしまうのか?

あるいは、一花がうっかり話してしまうのか?

これは、その手順によっては、話は思い切りこじれるはず。

そして、仮にこの話に日の出祭期間中の竹林もからんでいるとすれば、二乃や三玖が口を挟む可能性もなくはない。

ということで、零奈問題の扱いは、状況を一変させる破壊力を持つはず。


もっとも、零奈問題が、相変わらず不発で終わる可能性もなくはない。

ただ、その場合、四葉は、風太郎に、彼との関係上、最も重要な話を秘匿したまま付き合っていくことになる。

さすがにそんな理不尽な結末にはしないと信じたい。

ということで、119話。

さて、どうなる?

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五等分の花嫁 第118話 感想3: むしろ五月エンドは温まり始めている

2020-01-22 18:28:01 | 五等分の花嫁
流れを知ってからもう一度、第118話を読み直して思ったのは、

あれ、風太郎はホントに四葉のことが好きなのかな?

ということだった。

具体的な理由は、第100話の最後で風太郎がナレーションとして語ったことからなのだけど、あそこでは

「この選択は、あるいはこの選択をすることは、正しかったのだろうか」

と自問したうえで、

「そんなことを考えるには、三日間はあまりに短すぎた」

といい、とりあえずは自分を納得させている。

これ、普通に考えれば、この選択をこれが語られた後日において、後悔しているという表明だよね?

要するに、三日間では、正しい選択をすることができなった、ということ。

もちろん「この選択」とは、四葉を選んだことね。

で、117話冒頭の風太郎って、実はこの「後悔」モードの数歩手前の、117話の五月的にいえば、なんか「もやもやした」感じになっているんじゃないの?

あれ、これで、ほんとに良かったんだっけ? という感じ。

風太郎にとって、四葉って、あの日の出祭の勢いの中で、無理やり選ばされた感じも拭えない、という気にもなっていると思う。

その点で、やらされていることは、京都の修学旅行の時の映画村での三玖と大して変わらない。

周りのサポートがあって、むりやり正解(とおぼしきもの)を掴み取らされたという感じ。

でなければ、普通に考えて、今回、風太郎も、好きだ、と四葉にいってもいいシチュエーションだよね。

もしも、四葉のことが好きで好きでたまらないのなら、四葉の気持ちを盗み聞きした上で二乃に見つけられてしまった時点で、四葉に対して、言い残していた「俺もお前が好きだ」といってしまえばよかったのに。

それを、あそこで言いよどむかな。

むしろ、五月が「モヤモヤした感情がなくなった」ということに、「?どういうことだ」と問い直していたりして。

いまさらながら、風太郎って「好き」ってどういうことなんだろう?って悩んでたりしてはいないのかな?


先に言ってしまうと、今回までの話は、四葉が姉妹の不安を取り除いて、いよいよ風太郎にちゃんと向き合えるようになる、というお膳立てをしてきた回だったわけだけど、実は、それと同じくらい、五月が自分の気持ちにきちんと気づくことができたという意味では「アイム・レディー」、つまり「準備は整った」という回だったと思うのだよね。

つまり、一見すると、五月もまた二乃と同じように風太郎に対する気持ちに区切りをつけたように見えるけど、その実、五月が、風太郎を、二乃と同じくらいにまで「好き」になっていることを認める回だった、ということ。

そして、これは五月の悪い癖だけど、今回、けじめがつけたと思えたのも、単に二乃の威勢のいい宣言を聞いて納得してしまっただけのことで、実は、彼女自身の言葉で、風太郎に対して区切りをつけたわけでは全くないのが実情。

ホント、五月って、優等生なんだから!、ってこと。

だから、五月の場合は、むしろ、エンジンが温まってきた、ってことだと思うよ。

でなければ、今回のラストでわざわざ、「五月の思い出」として「零奈の姿で」風太郎とボートに乗ったシーンなんか思い出さないでしょ?

あれは、物語展開の上でも、五月が思い出すことで、同時に(こんなふうに毎回感想を上げてしまうような呆れた読者wではなく)普通の読者にも、改めて零奈のエピソードを思い出させるための誘導としてのシーンだった、のだと思う。

単行本なら、次の回のシーンにそのまま続くわけだし。

で、問題は、やはり、そんな「モヤモヤした感情がなくなった」という五月に対して風太郎が逐一気にかけていること。

ついでに言えば、彼が前回、五月に相談を持ちかけようとした内容が、明らかにされてはいない。

その意味では、四葉以上に、いま、風太郎がなにを考えているのか、全くわからない。


で、多分、風太郎的にどうしても気になるのが、零奈のことなんだろう。

そして、だからこそ、彼は99話で、日の出祭初日の午後3時に、わざわざ五つ子を「全員」招集して、

「俺はお前たち五人が好きだ」

と言ったのではないか。

すでに告白している二乃と三玖、加えてほぼ告白したような一花は、そう言われるのは理解できるとして、あの時、「あれ、え、私も?」と、四葉と五月も、慌てていたわけで。

で、あのシーンは、今から振り返れば、四葉については、純粋に、いつも俺を救ってくれてありがとう、というのが、風太郎の本心だったわけで、それが高じて「好意」に変わっていた。

でも、あの時、五月をも、風太郎が「好き」だと言った理由は、まだ風太郎からは明かされていない。

となると、風太郎としては、五月が零奈であると踏んでいて、それが理由で、五月に対しても好意を持っている、という判断をしたのだと思う。

だから、やはり、風太郎からしてみたら、零奈は誰かを突き止めるイベントを、誰が本当に「好き」なのか、はっきりさせるためにも、外すわけにはいかなくなる。


要するに、四葉が、風太郎のことは好きだけど、同時に、姉妹のことも大事です、というのと同じくらい、風太郎にとっては、「零奈」ならびに「京都の子」が誰か、はっきりさせないではいられない。

多分、この問題が、実際に四葉を(まずは)選んだ、という決断をしてから、具体的に風太郎の気持ちに覆いかぶさってきたのだと思う。

だから、風太郎は風太郎で、どこか四葉に対して、よそよそしい態度をとる。

なので、順番として、次回まずは、四葉と一緒にブランコを漕ぐことになるのだろうけど。

でも、それだけでは終わらないと思うのだよね。


そこで一つ気になるのが、日の出祭最終日(だけ)に、五月がわざわざ、

「君だって私の理想なんだよ、それだけ聞いてほしかったの」

っていったこと。

キーワードは「君」という呼称ね。

絶対、このタイミングで風太郎を「君」と呼ばせたのは、時間軸的には、日の出祭三日目の、この五月とのイベントの前に起こっていた、四葉による「夢うつつ」の風太郎のキスを五月がしたのではないか?と、風太郎に誤解させる、というよりも、ミスリードさせるためのものなのではないか、と。


しかも、五月がこう呼びかけるシーンの直前では、階段を降りてくる五月が(鐘キスのときの五月のように)風太郎に覆いかぶさるようにするカットが挟まれて、あまつさえ風太郎自身、鐘キスのことを思い出して赤面しているような場面に続いている。

しかも、わざわざ、階段の前後で話す、という形で。

この五月との階段のシーンは、

6年前の京都で、京都の子(=四葉)が風太郎に声をかけてくれたシーン

を思い出させると同時に、

直前の夢うつつの風太郎に対して、今の高3の四葉が、しかし口調だけは「京都の子=零奈」としてキスするシーン

をも思い出させるものだから。

この、四葉から五月へという流れで行けば、風太郎が、五月を零奈、そして京都の子と誤認してもおかしくはないと思う。

もっといえば、この結果、風太郎は、四葉は「京都の子」ではないと誤認して、それもあって、四葉を選ぶことになったのではないか。


ただ、その判断がだんだんわからなくなってきた。

多分、風太郎は風太郎で、零奈のことが気になって仕方がない。

そのため、零奈の最有力候補として五月も「好き」の対象に入っていた。

とにかく風太郎は五月が「零奈」であり「京都の子」であることをはっきりさせたくて仕方がない

それが、117話で、風太郎が、五月を昼飯に呼び出した理由だったのではないか?という気がしている。

もっといえば、風太郎は、五月が零奈であってほしいと思っている。

要するに、118話の話を受けても、いまだに、四葉エンド以外のルートがあるんじゃないか、と思っているわけで、そのなかで、可能性が高いのが、やはり五月エンドではないかな、ということ。

そして、そのためのお膳立てが、五月自身、「零奈」を演じたことを今回の最後で思い出したことで、本格的に整ったのではないか、ということ。

だって、あの、らいはにせがまれて撮ったプリクラが、いま振り返られるなんて、反則以外のなにものでもないじゃない。

ただ、問題は、京都の子は四葉であって、零奈は五月であること。

そういう意味では、風太郎がどちらを選ぶのかは、五分五分かもしれない。

ただ、それでも五月が優位だと思うのは、風太郎の100話最後のナレーション。

「この選択」は正しかったのか?

つまり、まだまだ、簡単には終わらないと思う。

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五等分の花嫁 第118話 感想2: 物語の語り手は風太郎ではなく〈彼女〉だった?

2020-01-22 11:50:20 | 五等分の花嫁
118話の結果を受けてこれで首尾よく、四葉と風太郎がお付き合いするようになりそう。

ただ、こうなってくると気になるのは、風太郎も四葉とともに、小学生のときの京都での出会いをすっきり「健忘」でもしない限り、彼のナレーションが成立しないのだけど。

このあたり、どう解決するのだろう?

で、思いついたのは、第1話冒頭の独白として、

「夢を見ていた、君と出会った高校二年の日、あの夢のような日の夢を」

と語っているのは、今まで風太郎だとばかり思っていたのだけれど、実はそうではなく、五つ子のほうであった、ということ。

となると、、風太郎のことを「君」と呼ぶのは誰か、ということ。

それは、四葉、五月、しいていえば、一花、なのだけど。

でも、118話に出てきた「恋の思い出」という言葉につなげれば、第1話冒頭の言葉を告げていたのは、五月、でもいいように思える。

つまり、この『五等分の花嫁』という物語の「語り手」は、今までずっと新郎である風太郎だとばかり思っていたのだけど、そうではなく、結婚式のシーンを眺めている「五月」だったのではないかということ。

『五等分の花嫁』という物語は、(風太郎のではなく)五月の回想として語られていた。

だったら、一応、整合性はつくし、五月が最初から、物語の要所要所に関わってきてもおかしくはない。

なぜなら、この物語は、五月が回想して語っているものだから。

それなら、いわゆる「五月皆勤賞」という現象にも説明がつくし。

いや、こう考えるのは、多分に118話のタイトルである「五月の思い出」に引っ張られているからなのだけど。でも、それなら、五月に、日の出祭の時に、風太郎を「君」と呼ばせた意味もあるよね。

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