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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

五等分の花嫁 第121話 感想5: 最終話(122話)次第だけど、『五等分の花嫁』は、きっと『君の名は。』の日常版をやりたくて、でもやりきれなかった。

2020-02-18 12:27:49 | 五等分の花嫁
四葉エンドでこのまま押し切られた場合、物語構造的にどうにも解せないことが多くて、ここのところ、ぼんやり考えていたのだけれど、どうやら『ぼく勉』もうるかエンドに邁進中なところから、こんな感じに思えてきてしまった。

ラブコメって、いつから「セカイ系」化しちゃったのだろうか?

って。

だって、四葉なら5年前の小学生の頃に出会った、その後の風太郎の人生(といってもたかだか高校生ぐらいまでだが)を決めてしまった「運命」の相手だった、

ってことだし、

うるかなら、中学生のころに、父をなくしてどん詰まりだった成幸の心を支えた「運命」の相手だった、

ってことになりそうで。

どちらにしても、以前のように、単なる幼馴染枠=滑り台枠、というお約束を覆してきている。

もっとも、どちらにしても、かつて自分を支えてくれた相手、という設定は、終盤になって明らかにされるわけだけど(特に、うるかの場合は、終幕の直前w)。

要するに、世界には自分の「運命の相手」がどこかにいて、その人と赤い糸で結ばれている、という世界観。

つまり、一昔前の「セカイ」系。

もっとも、一般にメジャー化したのは、新海誠の『君の名は。』からなのかもしれないけれど。

ともあれ、「赤い糸」の伝説ね。

もっとも、純然たる「セカイ」系と言えないのは、特に風太郎も成幸も、世界の危機を救うわけではないから。

せいぜい、赤点を取らない、とか、入試に合格する、というチマチマした、日常、誰もが経験するような「試練(笑)」くらいのもの。

まぁ、だから、セカイ系って、とうとうここまでセカイが矮小化したのか?とも思うわけだけど。

でも、まぁ、そういうこと。

そこで、一応、登場人物たちにとっての「小さな、でも切実なセカイ」の不幸となるのが、どうやら、家庭に問題あり、ということ。

風太郎にしても、五つ子にしても、あるいは、成幸にしても、片親の家庭。

親がそもそもいなかったり、シングルファーザーだったり、シングルマザーだったりする家庭。

そこで、不在の父なり母を埋め合わせるという「小さなセカイの救済プログラム」が発動される。

四葉やうるかといった、幼馴染枠が正ヒロインとして特権化されるのは、この「小さなセカイの救済プログラム」において、主人公に決定的な助力を、まだ自我が曖昧な子どもの頃に行っているから。

まぁ、だから、一種の「無垢な、イノセントな母性」がそこで発揮されてしまうというか。

けれども、その「イノセントな母性」を示された子どものころの主人公が、自分にとっての「不在の母」の場を埋めてくれたものとして、決定的な存在として受け止めてしまう。

本人も気付かない「心の傷」を埋めてくれた相手として、「運命化」されてしまう。

だから、風太郎は、いろいろと他の五つ子との心のやり取りがあったにもかかわらず、そのような、一花、二乃、三玖、五月との、濃密な分厚いエピソードの全てを放り投げて、ステルス・ラブ(忍ぶ恋)に徹していた四葉を決め打ちで選んでしまったのだろうなぁ、と。

なぜなら、「運命の相手」は、もう、最初の出会いで、特権的次元に格上げされた存在になってしまっているから。

でも、その特権性は、あくまでも「京都の子」と会ったというたった一つの事件から生じた絶対性なので、読んでる側からすると、

はぁ、なんで四葉?、いや、四葉が風太郎争奪戦のステージに上がることは予想できたし、歓迎もするけれども、なんで、ステージに上がった途端、即「花嫁」決定なの?、いくらなんでも、それ、途中経過を省きすぎで、イミフなんですけど? ていうか、風太郎の心情、まったくわからないんですけど。。。

というのが率直なところ。

で、結果として、四葉以外の五つ子推しの人たちが不満を述べ、特に「推し」はないけれどこの物語をミステリーとして楽しんできた人たちからは伏線丸投げじゃん!と憤られ(←このブログの立場は基本的にこれ)、結果として、四葉じゃおかしいよ!、という声が強まったことに対して、遂には四葉推しの人たちの中にも、四葉をもっとちゃんと描けよ!、という声も上がってくる始末。

要するに、読者からすると、今の(121話までの)展開は、わけがわからなすぎて、もうこれ、作者が、読者置いてけぼりで、好き勝手なことを書いているだけだろ?という思わずにはいられない。

で、多分、そういう感想は正しいんだと思う。

きっと、作者は、この物語を、ラブコメと考えてはいないから。

家庭に問題を抱えた子どもたちの日常におけるセカイ系と思っているから。

作者なりに『君の名は。』をやりたいだけだから。

要するにそういうことなのだと思う。

で、このような考えに至ったのは、121話で唐突に語られた、風太郎の母の話があったから。

風太郎の母親は、どうやら、自分の店(=飲食店)を始めたものの、開業から日の浅いところで死去してしまったようで。

で、その母の死を風太郎は、多分、小学生にあがったかどうかくらいの頃、らいはがまだ物心つかないくらいの頃に経験したのだと思う。

とすれば、彼なりに心の傷として抱えていたはずで。

竹林が子どもの頃の風太郎を、まさに姉のように気にかけていたのは、母の死の結果、無鉄砲になった様子を知っていたから。

だから、日の出祭に来た竹林は、現在の風太郎を見て、ほんとに大きくなったね、と姉のような感想を持ったのだと思う。

その荒れていた風太郎が、京都から帰ってきて以来、一心不乱に勉強するようになったのだから、竹林からしたら、どんな魔法がかかったのだろう、というぐらいに感じていたのだと思う。

つまり、それだけの変化をもたらした「運命の相手」が四葉だった、ということになる。

問題は、その運命的な重要性が、今までの描写では、他の姉妹とのやり取りに沈んで、大して重要なものには見えない、というところで。

これは、端的に、作者の描写ミスだし、担当編集者の構成ミスだと思う。

ただ、裏返すと、作者も担当編集者もともに、「運命の相手」認定を、読者が四葉に対して勝手に思ってくれるだろうと、暗黙のうちに期待していたことになる。

それだけ、読者も含めて、『君の名は。』モードの、「赤い糸」伝説が自明視されていると信じていたということなのだと思う。

そして、今更ながら、その運命性を強調するために「風太郎の母の死」というエピソードを加えてきたのだろうな、と。


要するに、簡単に言えば、風太郎って、母の不在から生じる、本人も気付かないほどの、重度のマザコンだったわけで、その「母」の場を埋めたのが京都の子=四葉、だったということ。

まぁ、だから、そう考えても、まだ、四葉が京都の子であるかどうかは明らかにされていない、とか、零奈が五月だったこともバレていない、とか、いろいろと伏線の回収方法事態では、四葉以外に相手が花嫁になる、という土壇場のどんでん返しもないことはないと思うけれど。

でも、そうした「バレネタ」についても、すでに高校卒業から作中時間を5年間飛ばすという「キンクリ」によって、その間に実は、四葉が風太郎に話していました、と言われてしまえばそれまでのことなので。

なので、純粋に、なぜ、四葉だったのか?といえば、それは、風太郎が、『君の名は。』ばりに、四葉を運命の子だと感じていたから、ということで、一応の説明はついてしまう。

にしても、いろいろと細部で矛盾が生じるところはあるわけど。

でも、そうしたものを全部、ふっとばして、作者は、『君の名は。』の日常生活版としてのセカイ系をやりたかった、ということで。

もっともほんとうにそうだとしたら、お世辞にもその試みは成功したとは言い難いけど。

だって、四葉を運命の相手にするにしても、その説明や描写がなさすぎるから。

加えて、これは作者にとっても誤算だったかもしれないけれど、四葉以外の姉妹の描写が、あまりにもうまく行き過ぎて、どの娘も、つまり、一花も、二乃も、三玖も、五月も、気がつけば、四葉以上に魅力的な存在になってしまっていたから。

彼女たちを覆すだけの魅力を四葉が描かれているわけではないし。

あ、今気がついたけど、『君の名は。』のヒロインは「三葉」だったね。

となると、もう、四葉という名前は、この「三葉」にあやかったもので決定だなw

ともあれ、ただ「赤い糸」、すなわち「結びの伝説」で「運命」を説明するには、四葉の魅力はわかりにくかった、ということで。

率直に言って、四葉エンドという結論だけから見れば、四葉はただのあざとい女子、普通に言えば「泥棒猫」と言われるに等しい存在だから。

その点で二乃が、「いいわね、あなたは。待ってれば向こうの方からよってきてくれるのだから」というのは、けだし名言。

全くそうだと思うし、いまでも、その印象は消えない。

そのあたりは、作者や編集者も気にかけて、115話以降、あれこれ、四葉に弁明の機会を与えたのかもしれないけれど、でも、それでかえって、彼女のあざとさのほうが目立ってっしまった。


とはいえ、この物語が、運命の相手を赤い糸で手繰り寄せるセカイ系の変種だとすれば、風太郎が、あの、バカ丸出しのプロポーズをしたのも理解できる。

なぜなら、運命の相手とは、結ばれる以外の選択肢はないから。

だって、それは、運命だから、自明だから。


・・・とまぁ、こういうこと。

惜しむらくは、作者にこうしたセカイ系的構成を入念に組み上げるだけの力量がなかったこと。

ということで、四葉エンドのままなら、荒れることは必至。


さてさて、最終話、どうなることやら。

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五等分の花嫁 第121話 感想4: 最終話(第122話)のタイトルはきっと「五等分の花嫁」だね

2020-02-15 16:44:26 | 五等分の花嫁
121話の感想1でも書いたとおり、もうこれ、夢オチしかありえないよね?

まともなお話として終わろうとするなら。

というか、もはやそうでないと、あまりにも物語の整合性がなさすぎて。。。

でも、世の中の流れからすれば、むしろ「夢オチ」を積極的に歓迎する方向にもあるようにも思っていて。

単純に、マルチエンディングを可能にする最も原始的な語りのテクニックとしてね。

もちろん、それをうまく使えるかどうか、という基本的な問題点はあるわけだけど。


たとえば、今までにも何回か触れてきた、漫画家・春場ねぎに多大な影響を与えたと言われる『ネギま!』のなかでは、「渡界機」という平行世界を渡る能力をもった便利アイテムが最終的に用意されて、続編である『UQ Holder!』で、本編とは異なる平行世界を描くことに可能にしている。

そうすることで、続編では『ネギま!』のサブヒロインではあるが、人気の高かった吸血鬼のエヴァをメインのヒロインにしている。

あるいは、最近であれば「青春ブタ野郎」シリーズ(いわゆる「青ブタ」)では、量子力学を根拠にした思春期症候群という説明原理を用意して、事実上、作中内の誰かが見た「夢」が、今読んでいる物語が進んでいる世界である、というアクロバティックな展開を可能にしている。

どちらにしても、異なる世界の行き来を任意に可能にすることで、マルチエンディングを添加会することのできる物語世界にしている。

いやまぁ、ぶっちゃけ、ゲームのマルチシナリオの、漫画やラノベへの輸入なんだけど。

で、そんなマルチシナリオを、お手軽に可能にするテクニックが、いわゆる「夢オチ」。

それを『五等分』でも展開しているのではないか、ということ。


というのも、この物語、要所要所で、「夢」という言葉を多用しているから。

今までに何度も指摘してきたように、そもそも物語の冒頭で「夢を見ていた」という言葉が使われている。

直近であれば、120話の冒頭で、「夢かぁ!」といって、風太郎がガバっと起き上がるシーンがあるしw

日の出祭3日目に、四葉からキスされたときの風太郎もうたた寝していたし。

そもそも32話で、らいが見て回った結婚式会場でも、風太郎は寝ているし。

気がつけば、「夢」という言葉や、いざなにかあるときには「寝ている」という描写はちょくちょく出てきている。

それで、121話の感想1でも書いたように、この121話の結婚式は、風太郎が見ている夢でしょ?と思ったわけで。

なので、この「夢」に関わる描写や言及は、この物語の語りをふわふわとした、文字通り「夢」のようなものにしていると思うのだよね。

つまり、この物語に出てくる「夢」は、それこそ『ネギま!』における「渡界機」の代わり。


問題は、機械である「渡界機」のように便利には使えないところ。

「夢オチ」の場合、では、どこの話がどの段階で「夢」として語られていたのか?という疑問が常に付きまとう。

でも、積極的に「夢オチ」を使おうと思うなら、「夢」に触れられていた場所が、「目覚め」のポイントとして用意されている、と解釈することもできるのかも。

となると、121話の夢が、どこからのもので、どこまでさかのぼって物語を語り直すのか、というのも、複数の可能性があるのではないか?ということで。

もしかしたら、その「夢」の言及箇所が分岐点になって、今後、五つ子それぞれについての真・物語が、続編なのか、スピンオフなのかはわからないけれど、始まるのではないかな、という気がしている。


というのも、どうも115話以降の「雑な展開」は、こうした「やり直し」を行うためにわざとやっているようにしか思えないから。

では、今が四葉ルートにあるとして、本当の花嫁は誰なのか?ということになるけど、でも、それは、もはや突き詰めようとしても無意味なんだ、という気がしている。

それは、作者に伏線を「きちんと」回収する気がないから。

残り1話で物語の「考察」を支えてきた伏線が未だにいくつも残っている事実が、作者が伏線回収を放棄したことを意味している。

むしろ、そうした伏線は。回収するためにあったのではなく、多分、五つ子の誰もが花嫁になりうる、という根拠をばらまくためのものでしかなかったのだと思う。

でなければ、こんな、安易な、一種の幼馴染エンドである四葉エンドでお茶を濁すような終わり方はしないでしょ。

121話でいえば、「直前にピアスの穴をあける」というように、たいていの伏線は、それらの間で整合性をつけようとしなければ、あと付けでなんとでもなるから。

多分、その典型が「鐘キスの相手」で、あれはいろいろな考察をもたらすけど、理論上は、全ての五つ子に均等に機会がありえるということでしょ?

だから、121話のタイトルは、四葉エンドが決定しているはずにもかかわらず、いまさらながら「五分の一の確率」なんて、いけしゃあしゃあと確信犯でつけたりするわけで。

いや四葉エンドが確定なら「一分の一の確率」に決まってるじゃん!

それを、式場で行うには、あまりにも悪趣味な「五つ子ゲーム」まで行うのだから。


ということで、多分、最終話のタイトルは「五等分の花嫁」。

そう言って島て、誰のエンドか有耶無耶にしたかたちで、作品タイトルもめでたく回収、ということで「ひとまず」終わり、になるのだと思う。

ただし、この終わりは、あくまでも「ひとまず」のもので、後日、今までの本編にあった「夢」ポイントを分岐点にして、新しい物語をえがいていくことになるのだと思う。

それが、『ネギま!』を世に出したマガジン編集部としても納得のオチなのではないか。


というのも、そうでもしない限り、115話以降を、こんなに雑な展開にする必要はないから。

そもそも、14巻で完結、なんて性急なことをしなければいい。

多分、人気もでてきたことだし、この先、どうしようか、という話になったときに、ダラダラと引き伸ばして20巻とか30巻とかになるよりも、これは美少女ゲーム的セオリーに則って、五つ子ごとの個別ルートを描いたほういい、というか、カネになる、と踏んだんじゃないかな。

ということで、『ネギま!』同様に、オープンエンドの、花嫁の可能性は「五等分」という形で終わり、

(詳しくはこちらで→ 五等分の花嫁 第120話 感想3: 121話と122話に向けて、結局「振り出し」に戻ってしまった

『ネギま!』の渡界機に変わる「分岐アイテム」が「夢」である、ということに落ち着くのではないかな。

そして、このオチなら「誰も選ばない」などとわざわざ風太郎に一度、凄みをつけた口調で言わせたことにも理由ができるから。

そんなカッコイイせりふを吐いたにもかかわらず、あっさり(安易に)最初から自分に優しくしてくれた四葉を選んだ、というヘタレな風太郎になったことも理解できるから。

加えて、その裏返しとして、最終コーナーで四葉をここまで「泥棒猫」のような小狡いキャラとして、物語当初の「善人」から、どう見ても善人といいがたい、むしろ「悪人」といってもいいくらい悪質なキャラとして扱わなければならなくなったことも理解できるから。


ということで、次回タイトルは「五等分の花嫁」で決定でしょ!

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五等分の花嫁 第121話 感想3: そろそろ春場ねぎ先生の評価を始めておこうか

2020-02-14 17:47:42 | 五等分の花嫁
さすがに残り1話だからね。

つけるときにちゃんと悪態もついておこうかな、と。

で、最初に言うべきは、やはり、年が明けてからの、2020年になってからの展開は、どれもこれも腑に落ちないものばかり。

要するに、読者による「考察」なんて意味なかったんだなぁ、という諦め、というか、シラケた感じ。

これが、結構、真面目に、深刻に、効いているのは、マジで全く同じ思いを、「春場ねぎ」というペンネームの元ネタである「ネギ・スプリングフィールド」が主人公の『魔法先生ネギま!』の終盤で味わったから。

だから、同じ失望をまた味わうのかな?、というのが、1月半ば以降の基本的な気分。

そういう意味では、赤松健、という漫画家は、悪しき先例を作った罪深い悪人だと思いつつある。

要するに、伏線丸投げで、気分だけで、物語を終わらせてしまったこと。

ちょうど『ドラゴンボール』が、フリーザ登場のあたりからパワー・インフレという「アヘン」から抜け出せなくなって、なんともだらしないお話に堕してしまったように、

『ネギま!』は、設定上の謎に関わるような謎を続々と仕込んでくる、いわば「ミステリー・インフレ」の世界を呼び込んでしまい、いつの間にか、収拾のつかないもつれ具合になって、作者自身が丸投げして、途中経過をすっ飛ばして、結論だけ、しかも、ウルトラお花畑エンドだけを供する、という暴挙に至ってしまった。

念のため、公正のためにつけ加えておくと、『ネギま!』が丸投げした謎やら伏線のいくつかは、一応続編である『UQ Holder!』という作品で、あと付けの説明がなされてはいる。

でも、どれも、まさにあと付け、って感じで、しかもその説明にまた新たな設定を持ち出してくるから、『ネギま!』以上に、説明のウソっぽさがどんどん露呈してくる。

で、そういう説明に詰まると、バトルとエロの「絵面」でごまかしてくる。

実際、すでに160話を超えている、つまり『五等分』よりも長く連載をしているにもかかわらず、未だに物語に収拾がついていない。

つまり、「ミステリー・インフレ」のぬかるみ、というか、ドツボにハマってしまって、一向に抜け出せるような感じがしない。

したがって、物語の進み方については、ひたすら、乾いた笑いを向けるしかない。


で、『五等分』の方の話に戻ると、年明け以降の、115話以降の展開を見るだに、

春場ねぎって、結局、赤松健の悪いところしか受け継いでないよね?

と真面目に思いつつある。

まぁ、もしかしたら、それを許している担当編集者が戦犯なのもしれないけれど。

でも、それまでストーリーテリングを支えてきた謎や伏線、もっといえば「思わせぶりな発言」を全部すっ飛ばして、作者にとって一番ラクな道を取っている、という気しか、最近の『五等分』を見ていると感じないんだよね。

まぁ、単純に、作者にそれだけの物語開発力がなかった、ってことなのかもしれないけれど。

そして、そこを突き詰めると、画力と物語構成力の2つの才能をもつ漫画家などそうそういない、という本質的な問いに行き着いちゃうんだけど。

でも、同時期に『進撃』や『鬼滅』があるのを思い出すと、あぁ、やっぱり、天は二物を与えず、なんだなぁ、と嘆息してしまう。

で、終盤の『五等分』だけど。

多分、四葉が選ばれたことが嫌だとかいうことでは全然なく、問題は、四葉が選ばれるにしても、この物語のたたみ方は、さすがにおかしいんじゃない? 雑なんじゃないか?というのが率直な不満。

で、それは多くの読者が、あれれ?と思い始めている理由だと思う。

というか、どのキャラが推しで、その推しが勝つことだけが目的だ!ってやつは、どうぞ、ソシャゲにでも興じていてくれ!と思うよ。

ゲームではなく、物語の方には、ちゃんと「展開」というのがあって、そこでは、張り巡らした伏線なり疑問なりが、いかに「キレイに」回収されるかも、当然、その物語の評価の基準になるんだよ。

もちろん「キレイに」と言ったのは、単純な伏線の理屈だけではなくて、その伏線の回収の表現手段をも含んだもので。

つまり、たとえご都合主義劇説明であっても、その説明がドラマティックであればいい、とか、よくよく考えると確かに納得がいく、ようなものであってもいい。

でも、物語がはった伏線については、終盤においては回収に務めるのは当然のことで、その回収が物語の結末にうまく結びついたものが、物語としての評価を決める一つの目安になる。

なぜなら、伏線があるから、読者はその物語を読み続けるし、適宜、答え合わせをされることで、その物語への愛着も増していくものだから。


ところが、『五等分』については、こうした当然の期待が、終盤、ほとんど顧みられなくなっている。

また、回収を図った伏線についても、必ずしも「上手い」ものになっていない。

というか、何より気になるのは、読者が「伏線」と思っていたものが、どれもこれも、単なる思わせぶりなものでしかなかった(ことになりつつある)こと。

特に五つ子という特性からくる「なりかわり」にまつわるもの。

鐘キスしかり、京都の子しかり、零奈バレしかり。

もちろん、これらの疑問が最終回で明かされる可能性はまだ残っているけれど、それにしたって、最終回にまで引っ張った意味が確かにあった!、という驚きの仕掛けでもない限り、単なる「消化試合」的な義務からのものにしか見えず、もはや納得し難い。

だって、「なりかわり」の問題は、特に鐘キスの問題は、それが論理上は、(五つ子の)誰でもありえる、という可能性を常に開けておくものだったから。

裏返すと、「鐘キスの相手が花嫁」という命題は、常に真に決まっているから

だって、花嫁となった子を、鐘キスの相手だった!といえば済むだけだから。

しかし、そんな答え合わせを、世の中では「茶番」と呼ぶんだよね。

そう、『五等分』は115話以降、茶番の嵐になってしまった。

後出しジャンケンばっかり。

しかも、その「後出し」の答えが、どれもつまらないものばかり。

これだと、さすがに、春場ねぎって、実は、頭悪かったんだね?としか思えない。

そんなことばっかり。


でもまぁ、そんな悪態ばかりついても、読者としては気分が悪くなるだけなので、まだ、ちゃんと答えてくれるに違いない!、と思い直して、年明け以降も、感想を記してきたわけだけど。

でも、それらも、あと1回で、全部、台無しにされるのかもしれない。

そう思うと、さすがに嫌気が指してきたので、最終回前に、一度、毒を吐き出しておいた。

できれば、最終回で、納得がいくサプライズが来てほしいとは思うけど。

でも、その一方で、赤松健を師と仰ぐというなら、丸投げも十分ありえるなぁ、と思うんだよね。

ということで、期待値をとにかく下げて、最終回を迎えるかね。


でも、一つだけ。

わかっていたことではあったけど、まさか、結婚式場で本当に五つ子ゲームをやるとは思わなかった。

まさに冗談で言っているうちはいいけど、ほんとにそれをやられたらドン引きする、って類いのもの。

実はそれもあって、下方修正やむなし、という気になったのだった。

悪い冗談、笑えない冗談だよ。

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五等分の花嫁 第121話 感想2: どうして最近、五つ子はみなデブになってしまったのか?

2020-02-13 19:41:44 | 五等分の花嫁
第121話を読んでいて、実は、地味に気になったのが、

あれ、五つ子、いつの間に、こんなに、みんなふくよかになってしまったのか?

ってこと。

いや端的にいえば、

なんで、こんなデブになったの?

ってこと。

だってさ、5年後だよ? 23歳だよ?

普通、20歳過ぎたら、もっと痩せるよ。

というか、大女優様の一花があれ、ってどういうこと?って思うくらい。

四葉なんか、お腹ぷよぷよじゃない。

むしろ、四葉の場合は、スポーツ推薦が取れるくらいのスポーツ女子なんだから、体育大に4年も行ってたら、もっと身体がスッキリしてないとダメでしょ。

二乃や三玖にしてもそう。

20歳超えて、むしろ可愛くなくなる、ってどういうこと?って感じで。


で、こういう、最近の五つ子のデブ化に対して、単純に作者の画力が落ちた、という評価が上がっている。

ぶっちゃけ、絵が下手になった、ってことね。

で、それはそれで、もしかしたらそうなのかもしれないのだけれど。

でも、もしも、この「五つ子のデブ化」が意図的になされているとしたらどうだろう?

作者が意図的に皆を太って描いていたら?

ということ。


で、何が言いたいかというと、要は、五つ子が、みな五月ベースで描かれていると思ったらどうか?ということ。

なぜ、そう思うかというと、121話の感想1で書いたように、121話は、基本的に風太郎が見ている夢であるという立ち場に立った場合、この太った23歳の五つ子たちは、みな、風太郎が想像したものである、ということ。

で、そうだとすれば、風太郎が基準にしている五つ子が(四葉でなく)五月なのではないか、ということ。

要は、夢が覚めたときの風太郎の花嫁は、五月なのではないか、ということね。

いや、これがトンデモ理論であることはわかっているのだけどw

でもさ、それにしても、最近の五つ子、太り過ぎでしょ。

これを素で作者が描いているとしたら、もはや絵が下手になったというよりも、単にデブ専なんじゃないか?と疑いたくなるレベルだと思う。


じゃあ、いつから、五つ子が太り始めたかというと、多分、112話で、無堂事件を終えた五月とともに日の出祭の屋台巡りをしたときからだと思うんだよね。

あの辺りから明らかに胴回りが太った。

で、その五月の太さを風太郎が想像するようになったきっかけはなにか、といえば、それは、92話の水着回で、五月ともに風太郎がウォーターライドをしたときから、なのだと思う。

あのとき、五月のぷにぷにしたお腹に頭をのせて、枕みたい、と言ってたくらいだから。

なので、あのときの記憶が蘇って以来、風太郎は、五つ子を五月のように太った子としてしか想像できなくなったんだよw

その結果、112話以降、基本的に皆、胴回りが太い五つ子になってしまった。

そして、これは決して画力が落ちたり、作者が突然、デブ専になったりしたからではなく、風太郎の夢だから、風太郎の想像力補正が働いた結果なんだよw

・・・なーんてね。

まぁ、半分冗談だけど、半分は割と真剣にそうだと思っている。

出ないと、最近の五つ子はあまりにも滑稽な体型にすぎるから。

最初の頃は、もっと背筋がスッキリして、スタイルももっとよかったじゃない、ってね。

もう一度、そういう五つ子を描くんだよね、という期待も込めて。

最終回前だから、いいよね、こんなバカなことを考えてもw

でも意外と、ほんとにそうなんじゃないかな、と思ってもいる。

だって、この物語は、風太郎が見た夢なのだから。

次回、最終回での、盛大な夢オチに期待している。

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五等分の花嫁 第121話 『五分の一の確率』 感想: これって絶対、式場でうたた寝している風太郎が見ている夢だよね?(らいは談w)

2020-02-12 12:52:05 | 五等分の花嫁
予想通り5年後の世界、しかも風太郎と四葉の結婚式当日。

大女優?になった一花の帰国を、ですます口調をやめた五月先生が車で迎えに来て、そのまま二乃と三玖が経営する喫茶店?につれてきたところで、花嫁四葉登場。

母のピアスがつけられるよう、二乃が半ば恨みwをこめて四葉の耳に穴を開けて、姉妹は会場へ。

一方、風太郎は、東京の大学を卒業して、そのまま東京に就職した模様で、結婚式でこちらに帰ってきた。

式場で、マルオ「おとうさんw」といろいろと話して、ついでに上杉家の抱える借金が、実は死んだ母の店の開業資金だった、という衝撃?の事実がいまさら、伝えられる。

ちなみに、その店がいま、二乃&三玖が開いたお店だったということ。

居抜きでそのまま開業できたようだから、だれも使ってくれなかったのかね?

ともあれ、そんな話を終えたところで、改めて新婦・四葉を探しにでかけたら、これもまた予想通り、五つ子がみなウェディング・ドレスを纏っていた。

ジャジャーン!!! さぁ、最後の五つ子ゲームの開幕です! 


・・・という展開w


・・・なのだけど。

いやー、これ、どう見ても、風太郎が観てる夢でしょ?

いくらなんでも、いままでちょこちょこ描かれてきた結婚式の様子と違いすぎる!

なにより、風太郎は、「僕」なんて、絶対言わない!

彼の本質は「俺」様だからw

それにさ、らいはが全然出てきてないじゃん?

らいはが風太郎にあげたミサンガも出てこない!

なので、これは、間違いなく風太郎が観ている夢だよ。

そうでなくて、このまま、この「アホ」で「雑」な展開のまま、最終話にするのなら、正直なところ、このマンガは、ただの駄作に堕ちて、今後、春場ねぎの作品は、すべて「地雷扱い」されるようになるよね、クソマンガだと。

いや、だってさ、今回の描写だけでも、

●五月が、なんのてらいもなく、ですます口調をやめている。

●四葉、いつの間にか「上杉さん」から「風太郎」に呼称を変えている。

という、いままでこのマンガを読んできてものからすれば、最大級の「イベント」があっさりかわされてしまっているのだから。

これね、もしも、何の作劇上の意図もなく、こんな「雑」な扱いをしてもいいと、作者が思っているのだとしたら、あんた、読者をバカにするのも大概にしろ!、と脅迫されてもおかしくないところ。

それを、苦情対応の窓口になる講談社の担当編集者も了解したうえで、こんな内容にしているのだから、絶対、裏があるはず。

いや、ホントになかったら、マジで、ねぎ先生、漫画家、終わりだよ。


それくらい、あからさまに違和感ありありの描写が続いているのだから、次回の最終回で、夢から覚める大ドンデン返しがあるに決まっている!

問題は、いつからこの夢が続いているのか、ということなのだけど。

最悪、この物語の第1話から風太郎の夢だった可能性もある。

ていうか、前にも指摘したように、第1話冒頭で、「夢を見ていた」って明言しているくらいだから。

だから、本気で夢オチがありえる。

つまり、ほんとに、最終回を前にして、五つ子の誰が選ばれるかは「五等分」されてしまった。

タイトル通り、「五分の一」の確率。

しかし、ほんと、ねぎ先生も性格、悪いよね。


にしても、まだ風太郎の夢オチを信じない(主には四葉信者の)人たちもいるかもしれない。

でも、ポイントは、らいはの存在ね

今まで、結婚式場の描写がなされていたときの「視点キャラ」はらいはだった。

そのらいはが、今回どこにも現れていない。

それが、少なくとも今回の結婚式描写が、風太郎の観ている夢である最大の根拠。

つまり、らいは視点で描かれてきた今までの結婚式描写のほうが、本来の結婚式のありかた。

だから、うたた寝する前にマルオがまだ来ていないと告げられていた風太郎は、夢の中で、マルオの来場に慌てて、いまさらながらの「僕」口調で、しどろもどろしながら弁解していた。

単純に、あの「僕」口調は、風太郎の不安の現れだよね。


ともあれ、今までの話が、風太郎の観ていた夢だった、

少なくとも今回の結婚式は夢だった、とすれば、

次回、夢の中の五つ子ゲームで誰を選んでしまうのか?

そして、目覚めて、本番の結婚式で行われるであろう五つ子ゲームで誰が選ばれるのか?

最終的に、誰が花嫁だったのか?

の3つが焦点になるはず。


まぁ、普通に考えれば、夢は、その人の願望の投影であるはずなので、夢の中の五つ子ゲームで、四葉以外の誰かを選んで、実際、その相手が、本当の花嫁だった、ということになる気がするのだけど。

問題は、本物の花嫁が誰であるか、わからないまま終える可能性。

あるいは、本番の五つ子ゲームで終わる可能性。

いずれにしても、荒れることだけは間違いないので、

炎上商法としては正解なのだろうね。


このように、さんざん、気をもませて挙げ句、

四葉が、変わらず押される可能性はあるし、

物語全体で風太郎の表のパートナーだった五月が選ばれる可能性も依然ある。

もちろん、一花、二乃、三玖の三人にも。


そう書いた上で、個人的には、ここまで面倒な書き方をしたのだから、最後は、キレイに五月で終わらせてほしいと思っているけれどね。

簡単に言えば、一花推しも、二乃推しも、三玖推しも、そして、四葉推しも、みな、一度は、それぞれの推しのキャラが、風太郎といい関係にある描写を観てきてわけだから、五月についても、その描写があってもいいと思う。

でないと、日の出祭以後の五月があまりに不憫すぎるので。

いいじゃん、もう四葉は十分、いい目にあったのだから。

さすがに、四葉推しといわれるねぎ先生も、その自分の願望だけで、読者の期待や物語の流れを無視したりしないよね?


ていうか、最後には、ちゃんと、

鐘キス、と

京都の子、と

零奈の正体

については、明らかにするよね?

その伏線を丸投げにして終えたら、マジで『ネギま!』同様、ただただ荒れて、駄作認定されてしまうから。

画竜点睛を欠く、を地で行くのだけは、是非とも避けていただきたい。

ということで、次回、最終回。

風太郎が、盛大に、ガバッと目覚める姿が描かれることを期待したいw

てか、絶対あるはずw

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五等分の花嫁 第120話 感想4: 第121話で5年後の風太郎はきっと〈あの場所〉で〈彼女〉と再会する!

2020-02-07 11:28:59 | 五等分の花嫁
120話のタイトルからすると、すでに物語の語り手の気分は、5年後に飛んでいる。

だったら、121話は、いきなり5年後の世界で始まってもおかしくはない。

そもそも、120話って、風太郎と五つ子は、高校を卒業後、それぞれの道を歩み始めた、ってことを表していたわけだよね。

風太郎は、東京の大学へ。

五つ子は、それぞれ、
一花は、女優
二乃は、ケーキ屋さん (大学進学はやめた?)
三玖は、調理師 (パン屋さん?)
四葉は、スポーツ推薦の大学 (どこ?)
五月は、大学進学 (地元?)

という道。

風太郎は、高2のときとはいえ、全国模試で3位をとるような優等生なので、東京の大学、というからには、東大か、滑り止めでも早慶くらいには行くのだろうな、と思ったけど、あ、そうか、家が裕福じゃないから、私大進学はありえなくて、となると、東大か一橋、って感じなんだろうな。

ということは、末は霞が関の官僚か、丸の内に本社のある、たとえば三菱村のどこか?、に就職、ということになるんだろうな。

・・・などと最初は思っていたのだけれど、でも、それじゃ、どう考えても(四葉に限らず)五つ子が花嫁になるルートなんてないじゃん!、と思ってしまった。

いや、普通、大学進学で上京したら、そこでそれ相応の出会いがあって、そこで付き合う相手も生まれて、場合によったら同棲したりして、・・・、って展開が当たり前だよね。

そうすると、むしろ、あれ、これ、もしかしたら在学中に竹林とつきあったりしない?、だって、竹林も十分優秀な子だから、きっと大学は東京に進学しているよね?、とか思ってしまったりして。

もっとも、竹林は竹林で、小学生時代の同級生の男子と相変わらず付き合っていたみたいだから、それこそ二人して早稲田とか慶応に進学、とかしてそうだなぁ・・・と。

となると、やっぱり、風太郎と竹林が付き合う展開はないよね。

じゃあ、全国デビューした女優・一花か?とかも思ったけど、それならなおさら付き合いにくくなるだろうから、それも現実的ではない。

そうすると、逆に、風太郎が、地元に戻ってくる可能性を考えないと難しい。


・・・と考えてきて、思いついたのが、あ、そうだ、教育実習があるじゃん!と思ったのだった。

教育実習で母校にやってきて、そこで、同じく教育実習で来た五月と再会。

それで、いろいろあったけど、結局、風太郎は五月とゴールイン。

うん、この一択だな!

と思ってきた。

てか、これが最もキレイで、最も整合性のある終わり方だろう、ということで。


再会後、「いろいろあったけど」、というのは、もちろん、零奈のことをすでに高校時代の思い出話として語ったりして、とかね。

なんだったら、物持ちのよさそうな五月は、風太郎に再会したとき、零奈のコートを纏っていてもいいかも。

それなら、めんどくさい確認事項をすっ飛ばして、「なんだ、やっぱり、お前だったか」とか言って、あっさり答え合わせのフェーズに入りそうだし。

といっても、多くの「伏線」はすでに5年(4年?)経った風太郎には「自明」のこととして全て推理ができてしまっていて、それも含めて、五月と風太郎の間で、あの頃は、という、昔話にひとしきり花を咲かせることになりそう。

その上で、さらに物持ちのいい五月は、いまだに(機種更新した)スマフォにも、例の、風太郎、らいは、五月の映っているプリクラを貼っていて、その事実に風太郎が気がついて、あれれ・・・、という展開にある。

で、五月と風太郎でゴールイン!

・・・ありえそうな話でしょ?


この展開で問題があるとすると、そもそも、らいはに苦労をさせたくないから勉強して「エラく」なって金を稼ぐ、ということを、さしあたっての目標にしていた風太郎が、「教師」を仕事に選ぶのかどうか?ということ。

風太郎の能力なら、もっと稼げる仕事にも就けるだろうに、どうしてまた薄給の教師?、ということになるのだろうけど。

でも、まぁ、その進路を選択するきっかけになったのが、五つ子への家庭教師だった、ということなら、いささか鼻白むところはあるもののw、納得の展開ではある。

五つ子との出会いを通じて、風太郎も変わることができた。


で、この、風太郎が教師になる、という展開になった場合、彼の決断を促した言葉があったとすれば、それは、日の出祭の最終日に、無堂事件が解決した後の五月からかけられた、

「君も私の理想なんだよ」

という言葉に違いない。

というか、それなら物語全体の整合性もキレイに取れるから。

なぜなら、この物語自体は、五月が風太郎に勉強を教えてほしい、という問いかけから始まったものだったから。

そして、最初はすれ違っていた五月と風太郎の関係も、「君も私の理想」の言葉が発せられたときには、良好な関係にまで達していたから。

その後、教師になる夢のために大学進学をかなえることができた五月にしてみたら、風太郎は、文字通りの「恩師」でもある。

だから、きっと進学して以後の五月は、口調も母のまねから解放されて、自分らしさを取り戻すことができたのだと思う。

そんな万感の想いを携えたところで、風太郎と再会したら、そりゃあ、コロッといくよねw

だって、高3のときとは違って、気持ちは多分、もうダム決壊直前です!、ってところまで達していたはずだから。


一方、風太郎にしても、五月とのやりとりがあったから、なんとかなった、という思いもきっとあったことだろうし、それで、再会した時に、いや実は零奈だったんです、ってバレたら、もうどうしようもないよね?


いや、じゃあ、四葉は何だったの?ってことになるのだけど。

でも、115話から120話までの四葉の態度を見れば、ある意味で、四葉は四葉で、自分の道を過去を振り返らずに進む、という方向に、すでに日の出祭3日目に決断してしまっていたと思うのだよね。

だから、彼女は、113話で、当初、保健室から逃げ出していたわけで。

あれは、もちろん、自信がないから逃げ出していた、ということもあるけど、そもそも、自分は、6年前の京都での風太郎との約束(という呪縛)から解放されて、違う道を目指すべきなんだ、と、それこそ憑き物が取れるような感じを持っていたのだと思う。


じゃあ、なんで119話で、風太郎のプロポーズを受けたのか?ということになるわけだけど。

でも、それにしたって、四葉からしたら、この受験や卒業を控えた時、風太郎や他の姉妹の感情を損ねて、皆を不幸にすることが、最悪のシナリオとして想定されてしまっていたから、なのではないか、と思う。

つまり、四葉からすれば、自分のせいで風太郎や五月たちが受験に失敗し、その余波で、たとえば一花は卒業ができなくなる、みたいな事態が起こることに対して、それこそもう、例の転校事件の経験から、トラウマとして恐怖していたのだと思う。

で、ここで思い出さなくちゃいけないのは、四葉は、国語が得意で、演技が得意だということ。

四葉は、風太郎と他の姉妹の「心情」を読んだ上で、今の6人の危うい関係が破綻しないように「風太郎の想い人」を演じることを選んだのだと思う。

それなら、四葉が最後まで、「風太郎くん」ではなく「上杉さん」という呼び方をやめなったこともわかる。

四葉は、風太郎の呼び方を変えないことで、自分を律していたのだと思う。

もうこれ以上、他人の人生を自分のせいで壊したくない・・・、その一心だった。

そういう意味では、多分、四葉が国語が得意、というのも、先天的なものではなく、きっと転校事件を起こしてしまった結果、常に周りの人の「真意」に敏感になったからなのだと思う。

だって、もともと四葉は、空気を読まずに我が道を歩むタイプの「挑戦者」キャラだったわけだから。

そういう意味では、四葉が、もう周りの空気を読むことではなく、自分の本来の得意技である「身体能力」を活かす方向で、体育大学にスポーツ推薦で進学する、というのは、この上ない解放感を与えたのだと思う。

ということで、四葉は四葉で、もう、日の出祭の一部始終で、過去を精算して、真面目に前向きに自分の道を探ろうという「挑戦者」のモードになっていたのだと思う。

もちろん、日の出祭の一部始終、には、体調を壊して倒れている間、周りが自分を支えてくれたことで「報われた」と実感できたことも含まれる。

そうして、四葉は変わることを選ぶことができた。

得意科目は「国語」ではなく「体育」である、という本来の自分の方向で。

・・・ということなのだと思う。


だから、四葉が日の出祭で風太郎に選ばれたのは、感想1で書いたように、ひとえに、それまで物語を縁の下で支えてくれたことへの功労賞、作者からの贈り物だった。

もちろん、四葉からすれば、風太郎が選んでくれたことはものすごく嬉しいことだったし、自分が風太郎を「好き」であることも間違いないことなのだけれど、

でも、それを選ぶことのリスクも直感的にわかってしまうし、

それ以上に、すでに四葉の心は、次の「挑戦の舞台」に向かっていたのだと思う。

そして、そうした目標ができてしまったら、他のことは顧みれないところが、本来の四葉らしさ、ということで。

つまりは、四葉の中では、日の出祭での風太郎にキスした時点で、すでに風太郎への(本当の)想いにはケジメがついていた。

だから、こう書くと四葉推しの人からは怒られそうだけど、115話から120話までの四葉は、ずっと「風太郎を好きな四葉」を演じていたのだと思う。

自分の最愛の姉妹と風太郎を破滅の危機から救うために。

なにしろ、四葉は、演技の巧者なのだから。

その意味では、姉妹の中で最も「大人」だったのは、(一花でも二乃でもなく)四葉だったのだと思う。

そして、多分、四葉は、一連の零奈事件から、五月が風太郎に抱いている感情にも気づいていた。

・・・のだが、さすがに長くなったので、一度、ここで切っておこう。


とにかく言いたかったことは、風太郎は4年後、教育実習で帰省したときに、母校で、同じく教育実習にやってきた五月と再会し、そのままゴールイン、ということ。

だから鐘キスの相手もきっと五月w

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五等分の花嫁 第120話 感想3: 121話と122話に向けて、結局「振り出し」に戻ってしまった

2020-02-06 15:35:33 | 五等分の花嫁
120話の感想1感想2で書いたように、多分、この物語は、『ネギま!』的に、オープンエンドのままで基本的には終わってしまう可能性が高い。

実際、驚くことに、物語は、まさに振り出しに戻ってしまって、なんと

5人に均等にチャンスがある!w

という状態になってしまっている。

いや、もちろん、今、つまり高校卒業時点では、一応、四葉が頭一つ抜け出てはいる。

けれども、それはあくまでも、高校卒業時点のことに過ぎない。

むしろ、四葉が選ばれたことで、他の姉妹が完全に一抜けしてしまう状態を封じて、まさに「幸せも五等分」の状態が生み出されてしまった。

なんていうかさ、究極的にいうと、四葉って、風太郎よりも姉妹の方を優先したわけで。

あるいは、こういってもいいかもしれないけれど、

四葉って、いわゆるハーレムものでいうところの「正妻」ポジションを、一応、取った上で、第2夫人以下もちゃんと統御する存在になってしまっている、ということかなと。

これが、一花や二乃、三玖だったら、完全に風太郎を独占してしまうだろうから。

ということは、もっといえば、このマンガが描きたかったのって、風太郎と五つ子の関係性の話では実はなく、単純に、一種の育てゲーとして、五つ子姉妹の成長の跡を愛でる類のものだったんだな、と痛感してきていた。

要するに、風太郎とのラブコメなんて、どうでもいい作品だった、ということで。

それもまた『ネギま!』と似ているところで、結局のところ、描きたかったのは、かわいい五つ子姉妹のキャラだった、ってことだよね。

でも、ただ、五つ子姉妹だけを、ポツネンと出しても、お話にはならなくて、ただの設定画にしかならないから、そこでイラストを動かすために採用されたのが、ラブコメ、という文法だった、ってことで。

そういう意味では、単純に、母・零奈の残した「五等分」が最終テーマだったってことかな、と。

もちろん、それで面白いか?と問われれば、うーん、どうだろうね?と応えるしかないのだけど。

でも、作者がやりたかったことは、実は、それだったらしい。

ミステリー仕立ての構成に、まぁ、まんまとしてやられた、ってことかね。

悔しいけど。

だってさ、たとえば、日の出祭以後のエピソードにしたって、あれは、とどのつまり、

四葉をむりやり花嫁レースの舞台に乗らせ、

五月に自分の恋心を自覚させること、

が狙いだったってことでしょ?

そうして、風太郎への恋心も「五等分」ってことになったw

いやー、思い切り、迂遠だけどね。


もしもひとつ、マジックがあるとすれば、

風太郎は、5年単位で五つ子と出会う運命にあるってことかな。

高2から見たら、

5年前に京都で五つ子(の2人? 3人?)と出会い、

5年後に、再び結婚式で五つ子に出会う、

という星の下に生まれた、ということかな。

まぁ、織姫と彦星みたいなものだよね。


だから、仮にもろもろの伏線が、それでも、一応まがりなりにも解決が図られるとしたら、改めて高2からみた5年後の時点で、回収されることになる、ということかな。

もちろん、全部ではないだろうけど。

というか、それくらいは期待させてもらいたいけど。

鐘キスとか、京都の子とか、零奈とか、・・・、ね。


そして、そうやって、この物語のテーマは

「誰も選ばない」

ということを合法化するようなラブコメの新形態を目指す、ということなんだろうな。

まぁ、読む側からすると、完全に「生殺し」だけど。


でもまぁ、それが、ソシャゲとか、ゲームとかが幅を利かす時代のマンガの新形態ってことなのかもしれない。

いや、それはあまり面白そうには見えないけど。

でも、115話から119話までの展開を見ると、作者がやりたいのはそれだったのかな、と。


もっとも、少なくとも、120話についていえば、

あ、四葉エンドって、わけではなかったんだ!

ってことがなんとなくわかって、ホッとした瞬間があったのは確かだから。

なので、答えを出さないのが答え、というのは、安易なことはまちがいないけど、でも、この物語「らしい」話なんだろうね。

その場合、漫画家は究極的には絵師でしかない、ということで。

いや、まだ、わからないところは多々あるわけだけど、その結果、五つ子の誰にも可能性がある、というままで終わるのが一つのあり方になりそうで。

少なくとも120話の内容を見ると、もう、結末はどうなるのか、というのを考えるのが馬鹿らしくなった、というのが正解かな。

なので、この、おそらく書かれるであろうオープンエンドの終わり方が、ラブコメとして正解になるのかどうか、その読者の反応を持って、審判がくだされるのだろうね。


で、そのように、最後の最後にきて、可能性がまた五等分になったのなら、では、誰に賭けるか、ということだけど、それなら、五月だな、といっておく。

四葉以上に、五月にも、報われる機会が与えられるべきだと思うから。


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五等分の花嫁 第120話 感想2: 『五等分の花嫁』は『魔法先生ネギま!』への完全なトリビュート!

2020-02-05 18:59:30 | 五等分の花嫁
120話の前の感想でも書いたとおり、この『五等分の花嫁』は、作者である春場ねぎ先生がかつて大ファンだったと公言している『魔法先生ネギま!』の完全なトリビュートであるとみなすと、いろいろと腑に落ちるところが多くて、困ってしまうくらいw

多分、キャラ造形もそうで、たとえば、

風太郎  ネギ・スプリングフィールド
四葉  神楽坂明日菜
五月  長谷川千雨

風太郎もネギくんも努力する天才だしw


その上で、四葉が『ネギま!』における明日奈で、五月が千雨である、と考えると、全部スッキリする。

明日奈は、出会ってそうそう主人公のネギ君のサポート役になり、物語の間中、ずっとその役割を引き受けることになるのだけど、四葉も全く同じように、出会ってからすぐ、風太郎のサポート役になる。

陰日向で、明日奈/四葉は、ネギ/風太郎を支えていく。

ネギ/風太郎もそんな明日奈/四葉に対して、早くから信頼を寄せるようになるし、実際、大変感謝もする。


けれども、それ以上に、五月と千雨のマッチングの良さにもびっくりする。

だってね、千雨も、最後の最後まで、ネギ先生の相手は明日奈・一択だろ!、って言い続けて、自分の気持ちをひた隠しにしてきていたのだから。

これ、もう、なかば狂信的に、風太郎に四葉のことを伝えよう、風太郎が追うべきは四葉だと、風太郎に面と向かって言ってきた五月ともろかぶりなんだよね。

その一方で、なにかあれば、千雨/五月は、必ずネギ/風太郎に対して、苦言を呈すことも辞さずに、陰ながら支え続けていた。

千雨が最終的にデレたことを思えば、五月のデレも必至だよねw


で、この三人にならって、他の姉妹に当てはまるネギま!ヒロインを考えると、

三玖  宮崎のどか
二乃  エヴァ(エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル)、和泉亜子
一花  綾瀬夕映、雪広あやか

あたりかな。

三玖が「のどか」というのも、歴女と本屋ということで、ものすごくしっくり来る。

二乃がエヴァというのは、女王様気質なのと、もともとエヴァがネギの父であるナギに惹かれていたあたりが、風太郎父のイメージと重なるキンタローを、当初、二乃が好きだったのとも被るなぁ、と。

アコもナギに化けたネギくんが好きだったので、一応加えておく。

そういう意味では、意外と一花に該当する娘がいないなぁ、と感じて、一応、むりやり、夕映とあやかを足しておいた。

夕映にしたのは、親友ののどかが好きなネギくんを横恋慕してしまったところが、一花に重なるかな、と。

風太郎を好きになった三玖の傍らで、同じく風太郎を好きになってしまったところね。

あやか(=委員長)は、単純にネギ君ラブのお姉さんキャラということでw


ちなみに、今これを書いている人は、『ネギま!』の終盤では千雨が選ばれることを望んでいた一人w

なので、今まで誰エンドとかにはあまり関心をもっていないと書いてきたけれど、改めて、この『五等分の花嫁』では、五月エンドを希望したくなった。

というか、もはや五月が千雨にしか見えなくなってきた。

あ、そういえば、ふたりとも、実はメガネっ娘だなw


で、この五月=千雨説に気づいた結果、なんで自分自身が『五等分の花嫁』に、今更ながら惹かれたのがわかったので。

要は、千雨を応援したかった時の心境と同じものを、五月に対して感じていたからなんだろうな、と。

『五等分の花嫁』の物語のキャラ配置や構図が、『ネギま!』そっくりだったからなんだな、と。

そもそも、風太郎も、ネギ君同様、五つ子の家庭教師=先生、だからね。

そうやって仔細に見ていけば、多分、もっと二つのマンガが被るところを見つけることができると思う。

あ、そうそう、『ネギま!』は、最後、それまで振りまいてきた伏線や疑問のほとんどに対して、誰がネギの意中の人か?を含めて、なんら解答を示さないまま、放り出して終わっているので。

多分、『五等分の花嫁』もそうなるのだと思うw

てか、むしろ、この2作の類似性に気づいてしまった以上、期待しても無駄、ということがよくわかったw


となると、最終2話を残したところで作者の腕の見せ所は、どうやって、物語的には、「誰も選ばない」ことで終えるかだな。

うん、日の出祭初日の風太郎の発言は、メタ的には正しかった。

ネギ君も最後、そのあたりをゴニョゴニョさせたまま、終わってからw


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五等分の花嫁 第120話 『五年前のとある日』 感想: 結局、五つ子ゲームの『ネギま!』エンドなのか!

2020-02-05 12:48:25 | 五等分の花嫁
いきなり、前回のプロポーズはやっぱり夢オチだったかぁ、と思わせるような、風太郎の目覚めから始まった今回。

この導入だったら、真面目に115話から119話までが、風太郎の夢だった、という解釈もまんざらではなかったりして。。。w


ともあれ、タイトル通り、すでに(誰かははっきりしないけど)物語の語り部の意識は、結婚式当日に飛びつつある。

で、残り2回で結婚式をやって終わり!、ってこと。

はーあ。

なんか、ホントに茶番になっちゃったね。

これ、マジで、終了直後大炎上した『ネギま!』エンドじゃん。

さすがは「ねぎ」先生、そこまで『ネギま!』にトリビュートするか!

だって、今回の話を見る限り、高校在籍中の話では、結局のところ、誰が花嫁だったか、決まりませんでした、ってことだからね。

四葉が選ばれたのは、暫定的に、今、五つ子に風太郎が順位をつけるとしたら誰?、というだけのことで。

つまり、一花が、鐘キスは誰だったら嬉しかった?、と聞いたことと大して変わらない。

で、今回におけるやり取りを見る限り、風太郎と四葉については、要するに、京都に最初に出会った時の「精神年齢」での、オコチャマどうしのオママゴトを再現するにとどまった、ということで。

しかも、風太郎は大学で上京して、卒業以後は、四葉にしても、遠距離恋愛になるわけで。

つまりはさ、四葉が114話で選ばれたのは、風太郎、というよりも、ねぎ先生からの「ご褒美」ということでしょ。

功労賞。

いや、ごめんね、君だけ、お話の都合で、いろいろと我慢させちゃって、という。


これもまた、『ネギま!』を参照すれば、要するに、魔法世界編になって以降の貢献からすれば、どう見てもネギくんの好きな子は千雨だろ?、って思って当然だったけど。

でも、明日菜が100年(だっけ?)の眠りについて、この先、物語世界の人身御供になってしまうから、やっぱりネギ君の意中の人ははっきりさせないまま終わってしまった。

加えて、ナギ救済編をすっ飛ばしての、いきなりの超ハッピーエンドで、まるで「打ち切り」のような終わり方をしてしまった。

あの終わり方と似たような展開にする、ということなのだと思う。

だって、『ネギま!』だって、『五等分の花嫁』の五つ子の5人以上に、ネギ君ラブの娘たちがいたのだから、全く状況は同じ、というかもっと大変だったw

多分、それと同じ終わり方をするのは必至。


ということで、とりあえず、高校編は、暫定的に四葉エンドにしておいて、そこから5年経ってから、まぁ、当然、その間、気持ちが離れたり、東京で、風太郎は別の女の子とつきあったり、ぶっちゃけ童貞も捨てたりとか、修羅場を経験したりとか、すったもんだあったところで、再び、五つ子の「誰か」に会って、そのまま電撃ゴールイン!ってことなんじゃない?

その間の、高校卒業から結婚式までの間は、ご自由にご想像下さい、ということで。

そういう意味では、この120話の時点では、将来の花嫁が誰になるかは、思い切り白紙に戻ってしまった。

四葉とは限らず、
五月であるかもしれないし、
三玖かもしれないし、
一花かもしれないし、
もちろん、二乃かもしれない。

文字通り、「五等分」の可能性に、(むりやり)引き戻された感じ。


ということで、結婚式会場で、五つ子ゲームをするのは必至だろうし、『ネギま!』の終了の仕方をふりかえれば、そこでも「誰を選ぶか」は決まらず、オープンエンドのままで終わるのだろうね。


で、後日、五つ子それぞれのバージョンのエンドが「外伝」的に描かれるんじゃない?


あるいは、これも『ネギま!』にならうなら、『UQ Holder!』のような外伝的続編を作る感じじゃない。

ちなみにこの『UQ Holder!』では、『ネギま!』の正編エンドでネギ君が選んだ相手は、やっぱり、物語後半、徹底的にネギ君を叱咤激励した千雨だった。

なので、それにならえば、『五等分の花嫁』の正編エンドの相手も、同じく、風太郎を叱咤激励してきた五月になる、ってことなのだと思う。


そして、こういう、まぁ、ぶっちゃけ美少女ゲーム的マルチエンディングのTrue Root的発想を踏まえれば、114話で四葉が選ばれたのは、さしあたって選ばれた後も、四葉が相変わらず五つ子への忠誠心を捨てずに、自己犠牲的に、風太郎と五つ子をつなぎとめることに徹しててもらうためだった、ということになる。

それこそ、『ネギま!』の明日奈のような人柱の役を引き受けた、というkと。

メタ読みだけどね。

で、千雨の役を五月が引き受けるのだとすれば、この数話で、駆け足のように、五月に風太郎に対する恋心を自覚させたのも理解できる。

実際、今回、一花を除く、二乃、三玖、四葉、とともに、五月も、風太郎を見送るとき、自然に涙を流していたからね。

今回をもって、ようやく、五月が、他の四姉妹にちゃんと肩を並べるようになった、ということで。

母に対してといえ、「ですます」ではない、自分の口調を取り戻してもいたし。


ということで、すべては『ネギま!』へのねぎ先生のラブを加味したことだけど、それによれば、True Endは五月で、でも、本編最終回では、そのことは明瞭にされずに終わる、ということだと思う。


もっと書きたいことはあるけれど、続きはまた後でw

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五等分の花嫁 第119話 感想6: 120話以降、積み残しの疑問や伏線はどこまで明かされるのだろう?

2020-02-04 11:17:06 | 五等分の花嫁
どうやら、もう作者的には、今まで色々とばら撒いてきた、思わせぶりな発言や事件については、どこかに放り投げたまま、一気に終わりにするつもりでいるようだけど。

そういう意味では、作者のペンネームの元にもなった『魔法先生ネギま!』と同じようなラストを迎えそうだけどw

さすがはマガジンw

いや、褒めてないけどね。

ともあれ、そういった疑問なり伏線なりをもう一回、おさらいしておくと。


鐘キスの相手は誰?

京都の子バレはするの?

零奈バレは?

写真の子は誰?

結局、風太郎は6年前、五つ子の何人と会っていたの?

四葉が、日の出祭最終日に風太郎から一度は逃げ出していたのは、不問のまま?

日の出祭初日夜に風太郎をビンタした相手は誰?

「愛があればわかる!」の出番はある?

「この恋が成就しないと知っている」と言った三玖の理由は?

「全部、嘘」と言った一花の真意は?

日の出祭に竹林がやってきた理由は? 動機は?


・・・とまぁ、こんな感じで、はっきりさせてほしいことはてんこ盛り。

細かいことをあげれば、リストはもっと膨れると思うけどw


でも、ホント、『ネギま!』もこんな感じにリスト化されるくらいあった疑問や伏線をほとんど蹴っ飛ばしたまま、強硬に終わらせていたからね。

あれを思うと、同じことが繰り返される可能性は高いかな。

マガジンだしw (褒めてないからね!)


それはさておき、いまだに本編で疑問なのは、

確かに、日の出祭最終日での風太郎の頭の中は、

四葉 >> 一花=二乃=三玖(同列) …  五月(圏外)

だったはずなのはわかる。

なので、これがその時の彼にとっての「正解」だったことも。

ただ、そうなると、やっぱり、圏外にいた五月と風太郎の関係がこのままで終わるのは理解しにくいんだよなぁ。

というか、風太郎、日の出祭以後、三玖と話してる場面が全然ないじゃん。

そうなると、120話から風太郎は風太郎で、四葉以外の姉妹と一人ずつ、ごめん、なり、これからもよろしく、なり、言葉をかわす場面が出てくるのかね?

てか、それがないと、さすがに、今の風太郎は、鬼畜に過ぎなくならない?

まぁ、一花と、それにギリギリ二乃は、言葉を交わしたことにはなっているけどね。。。

とにかく、風太郎のダメさ加減をなんとかしてほしいかな。

救済措置という意味でもね。

ともあれ、120話ももうすぐか。

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