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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 第13話 『眷族の物語(ファミリア・ミィス)』

2015-06-27 14:49:53 | ダンまち
いい終わり方だったねー、と言いたいところだけど、
さすがに最後は駆け足だったかなー。
原作は、超絶・盛り上がるラスト!だったんだけどね。

SHIROBAKOのナベP的に言えば

「原作者―、これ、カロリー、高すぎます!!!」

って感じかなー。

いや、最後の超・階層主=大巨人との戦いは、モブも含めて群衆が一環となって大巨人に挑む!という話で、その中で、英雄の一太刀を振るうベルくん!って感じなんだけど、いかんせん、SHIROBAKOの「馬の群れ」の描写と同じく、そこまでモブの動きを表現し切ることができなかった、それゆえ、なんか、駆け足で、ショボイ映像になってしまった、って感じだね。

だから、これは、原作がどうこうというよりも、アニメ化そのものの限界。

それこそ、原作5巻の終盤の盛り上がりをそのまま再現しようとするなら、『進撃の巨人』なみに、贅沢な数だけのアニメーターを動員しないと無理。

いや、それはそれで見てみたかったけどね。
モブの冒険者たちがガッツリ動いてる横で、リューさんやアスフィが、それぞれ一騎当千の上級冒険者として活躍する様は、止め絵じゃなく、動きの中で見たかったなー。

あと、構成的にも、原作の「カッコイイセリフ」ばかりを拾った感じになってしまったので、その分、タメがなく、薄っぺらい感じになってしまったのは残念だったかな。

原作だと、ベルの爺さんが神ゼウスであったことは、もう少し前にヘルメスとヘスティアの対話の中でほのめかされていたので、唐突な感じはせず、あ、やっぱりそうか!という感じだったんだけどね。

何が言いたいかというと、アニメにするための駆け足の構成の結果、ベルくんが、いかにもよくある「俺TUEEEEE」型のキャラのように描写されてしまったのが、ちょっと残念だったかな。ベルくんは「お兄さま」みたいな俺TUEEE!じゃないからね。

原作だとちゃんと努力している。
まぁ、彼のリアリス・フレーゼがチート!といえばそうだけど、でも、これもちゃんと憧憬の対象=アイズが現れたからのものなので。
このあたり、原作でも含みのある描写にとどまっているから、ベルの努力との因果関係がわかりにくくて、それゆえ、チートキャラみたいに見えてしまうのだけど。
原作では、もっとそのあたりは丁寧に描写している。
というか、神々たちですら、ベル、ズルくね?と怪しんでるわけだから。
そのあたり、読者の代弁をする神々の描写が欠けているのも、ベルはチート、みたいな理解に行ってしまう理由なんだろうな、と。

そうそう、最後の「英雄の一撃」のアルゴノゥトにしても、原作では説明が一応されてるしね。

だから、まぁ、半分くらいは、アニメ化が下手だった、ってことにはなるんだけど、でも、そのうちの半分は、まぁ、アニメじゃ無理だよね、という感じで。

そういう意味では、原作は、きっちり書き込んでいて、超・オモシロイ!

原作は未読だったけど、ベルがミノタウロスを撃破したところで、おお!、これはもしかしてすごい?、と思って、原作を手にとって見たら、これが、まぁ、ホントにオモシロイ。

あまりに面白くて、久しぶりに、本編8冊、外伝4冊を、一気読み。
いやー、マジで面白かった。

原作の方の感想も、そのうち書こうとは思うけど、なんだろう、勢いがあった頃の、アクセル・ワールドみたいな感じかな。災禍の鎧編が終わるあたりまでの。

ベルの成長にもちゃんと理由があるし、ベルの憧憬の対象となるアイズについても外伝できっちり描写がある。
その他、ヴェルフやリリ、ロキ・ファミリアについても。

そういう意味で、この最終回の最後で、「豊穣の女主人」で、ベルたちとロキ・ファミリアの面々が、卓を共にして飲み食いしている場面があったけど、あれは、一つのオマージュだよね。

とにかく、原作では、ベル以外のキャラにもちゃんとストーリーがつけられ、しかも、本編と外伝で、それぞれ、ファミリアの話と、都市・神々の話が、描き分けられていて、結果として、とても重層的な物語になっている。

ベルの祖父が神ゼウスで、どうやらベル自身は、ゼウスファミリアのメンバーの落とし胤らしい、ということも含めて、きちんと神話・英雄譚的な仕掛けもされているし。

アイズやヴェルフなど、どうやら、神に最も近い「精霊」との関わりがあるようだし。

なにより、神々の戦いたる、巨大な陰謀も背後では動いているみたいだし。

・・・という意味では、この先、二期が仮に作られたとしても、今回の階層主との決戦以上に、原作的には群衆の動きが錯綜する描写が続くはずなので、どう考えても、『進撃の巨人』なみのリソースを割かない限り、ショボイものになるのは目に見えている。

まぁ、ロキ・ファミリアの総力戦とか、実際には見てみたいんだけどね、映像で。
でも、絶対、ショボくなるよなー。

なので、二期を期待するよりも、このまま原作を、文字ベースで楽しんだ方がいいような気がしている。

いや、原作、ホント、オモシロイし!

だいたいさ、ベルくんがチートだから云々、とか言うけどさ、
英雄譚における「英雄」って、半神半人だからね。
神の一歩手前。
むしろ、神の絶対性をひっくり返すところがオモシロイわけで、だから、チートであるのはある意味、当然。
そういう意味で、ベルくんは、あと、アイズも、そのあたりは、きっちり、ちゃんと正統の英雄譚を題材にしているところが、かえって好感がもてるところ。

まぁ、このあたりは、原作の感想の方で書くようにするけど。

ということで、アニメは面白かった。

とにかく、ミノタウロスとの死闘のところは、動きも構成もBGMも含めて、よく出来ていて、鳥肌ものだった。
なにより、あれをきっかけにして原作を知れたのはよかった。
タイトルがタイトルだけに、そうそう手にするものではないけど、読んでみたら、タイトルから来る、いかにもなラノベ(まぁ、そういう部分もあるけど)ではなく、むしろ、正統派のジュブナイルで、ファンタジーだったのがよかった。

アニメは、最終回のCパートを見て、あー、やっぱり、ヘスティア目線でベルくんの成長を見守る、という構成だったのだな、と思った。

それはそれで(最初期の「紐」騒動も含めてw)、よく出来ていたんじゃないかな。

とにかく、原作を紹介するためのPRアニメ。
でも、その策に乗っかって、原作を手に取ると、オー!と思う世界が待っている。

その意味でも、成功したアニメ化じゃないかな。

群衆の動きもバッチリやります!というのなら、二期にも期待したい!
なにしろ、この最終回の後から、つまり、原作6巻以降から、「眷属の物語」が本格化するのだから。

ワンピとかだらだらアニメ化するくらいなら、こういう作品を映像化していくほうがいいのではないかな。


追記

最後、あれ? と思って原作5巻を見なおしたら、
やっぱり、階層主は、ベルくんのアルゴノゥトの一太刀でやられていたよね。
なんで、あの一太刀で決めなかったのだろう?

これ、結構、地味に「改悪」だよね。

なぜなら、「英雄の一撃」で決着した事実こそが、ヘルメスをしてあれほど感嘆させたわけだから。

つまり、アルゴノゥトならば、起死回生の一撃、乾坤一擲の大博打を打っても絶対勝利する!というのが、ヘルメスを驚愕させた理由なわけだから。

それをアルゴノゥトでは退治できずにトドメを撃たなくちゃいけなかった、じゃ、英雄の一撃じゃないじゃん!

まぁ、上でも書いたように、アニメ化は、基本的にヘスティア視点の物語だったから、最後はヘスティアナイフを使って決着を付けたかった、ってのもあるのだろうけど。

でもなー。

比類なき一撃、撃退できない相手はいないのがアルゴノゥトだ!という意味では、台無し。

むしろ、あのトドメをさすところに使った尺を使って、その後の様子をもう少し増やして欲しかったかも。
酒場の光景とかね。

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