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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

【推しの子】 第164話 『終幕』 感想3:「アクアの死」があくまでも「劇中劇」や「夢オチ」である可能性について。

2024-10-31 12:25:14 | 推しの子
感想1感想2もあります)

前回のツクヨミによる解説に続いて、今回のアクアの内面吐露、その後の顛末のあかねによるナレーションによって、「アクアの死」は確定してしまったように見えるけど、ネットを見ると、でもね!という意見も見られるのは確か。

それらは確かに検討の余地はあると思うので、残り2話で何をするかも含めて、ちょっと考えておくと。

まず、
このアクアの死が、あくまでも映画『15年の嘘』の一部、あるいは、アクアがカミキにアイの真意を伝えた後で付加されたエピローグである可能性。

いや、エピローグである必要すらなく、単なる「エピローグ案」である可能性。

一応、アクアは、『15年の嘘』の脚本を書いた本人だから、彼がエピローグ案として「終幕」に到る部分を、たとえば五反田監督と相談していたような展開。

その場合は、五反田に対して、アクアの本心を「告白する」という機会にもなると思うけど。

ただ、五反田は、幼少の頃からアクアの特異性に気づきながら、アクアをずっと見続けてきた、半分親代わりのような存在だから、彼に対して、アクアが脚本化する過程で全てを告白する、という流れも、まったくないとは言えない。

だって、この物語は、基本的に、アクアの復讐劇で構成されているけれど、でも、茜が言う通り、それでは、アクアが幸せになることはないから。

だから、アクアが、ルビーとアクアが転生者だという「大嘘」を物語的に設定して、監督に、その脚本の良し悪しを検討した、という可能性も、なくはない。

いや、まぁ、これがだいぶ無理があることはわかっているけれどねw

でも、あの「アクアの死」を覆すには、物語的にメタな構造を入れない限り無理なのは間違いないし、都合の良いことに、最終章の少し前から、この物語は基本的に『15年の嘘』という映画製作を並行した物語なっていたから。

なんだったら、『推しの子』という物語が、最初から映画『15年の嘘』の一部としてて語られていたのかもしれない。

そうすると、アニメ化はバッサリ切られた、序盤のいくつかのエピソードの頭にあった登場人物たちに対するインタビューのシーンも、この映画がクランクアップしてさらに上映後に収録されたものである可能性もある。

だって、そうでないと、あの「アクアの死」を迎えた後で、あんな呑気なインタビューができるかな?と思うわけでw

ということで、

「アクアの死」はあくまでも映画『15年の嘘』のエピローグだった。

そういう物語的ひっくり返しも、あるかもしれない。


で、「アクアの死」がひっくり返るもう一つの可能性として「夢オチ」もなくはない。

なぜなら、夢オチの場合は、単純に、脚本家アクアが監督五反田に告白する、というプロセスを排して、単純に、自分の夢で自己完結するだけのことだからw

その場合、夢を見ているのはあくまでもアクアではなく生前の吾郎、ってことになるだろうけど。

その可能性がなくもないのは、前回のツクヨミの解説の中で、アクアが、吾郎として、さりなが病気から回復してアイの同僚としてB小町入りしてアイドルになる、という「夢」を見ていたから。

いわゆる、「夢=並行世界」理論に従えば、長い夢として、別世界の自分を経験する、というのも物語的にはなくはない。

ドクター・ストレンジがやってことだよねw

なので、この物語が最初から、在りし日の吾郎が見た夢だった、というのもなくはない。

そうなると、最終回は、「・・・という夢を見た!」とさりなに語る吾郎で終わる、という感じ。

まぁ、その吾郎・さりな時空にまで戻れば、アイも存命で出てきて終わり、ってことになるので、なくはないかもw


・・・ということで、「アクアの死」をひっくり返してなかったことにする可能性はゼロではない。

そもそも、「推しのアイドルの子どもに転生する」という設定そのものが、相当キモいドルヲタの妄想、といえなくもないので。

ただし、その結末はそうとう荒れそうだけどw


次回、冒頭で、今回の「泣き崩れるあかね」を完成試写会であかね本人が見ている場面から始まる可能性も・・・・なくはないと思うかなw

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【推しの子】 第164話 『終幕』 感想2:結局、この作品のヒロインはあかねだった、もっとも悲劇のヒロインだったけど。。。うーん。。。

2024-10-31 11:43:11 | 推しの子
感想1感想3もあります)

この回の「終幕」を見る限り、この物語のヒロインは、あかね、だったってことだよね。

だって、最後までアクアの本心を理解して、彼の意図に寄り添って、時にはそれを先取りしながら「尽くして」きたのは、あかね、だったから。

じゃ、ルビーとかなはどうだったかといえば。

ルビーについては、さりなの転生であることがわかった時点で、文字通り、さりなの「生まれ変わり」として、念願のアイドルになり続けることを願う対象でしかなかった。

アクアからすれば、ルビーは、献身の対象であり、吾郎の記憶からすれば、ある意味、贖罪の対象だったってことで。

で、かなは、アクアからすれば、最後まで意図的に蚊帳の外に置くことで、幼少時に出会ったときの「太陽」の面影を残したサンクチュアリだったのだろうな。

かなは、あくまでも癒やしの空間だった。

アクアにとっての「かな」は、吾郎にとってのアイのポジションをしめていたというわけで。

その意味で、かなは、アクアにとってのアイドルだった。

ただ、こんな感じで、ルビーもかなも、アクアからは一歩距離が置かれたまま、アクアの死を迎えたことになる。

対して、あかねは、彼女の感の良さと頭の良さから、アクアからすれば、気が付かなくていいことまで気がついてしまう、その意味で「便利な女」だった。

だから、途中で、あかねを利用対象としてそばに置くようになったわけだけど、一方のあかねは、アクアの本心に近づけば近づくほど、アクアのことが放っておけなくなった。

多分、あかねだけが、物語の全体を通じて、丁寧に心の変遷が描かれていた。

それは、あかねが頭のいいキャラとして登場して、彼女の独白を通じて、何を考え、何を憂えているか、その都度描かれてきたから。

正直、そういう描写はルビーやかなにはほとんどなかった。

ルビーはただ、アイが大好き、先生(吾郎)が大好き、アクアが大好き、という感情を示してきただけ。

それでも、ルビーの場合は、前世の吾郎への思慕のことがあったから、アクア大好き!も理解できたけど。

かなの場合は、どうしてアクアに惹かれたのか、そこは今ひとつ、不明。

その意味では、完全に幼馴染キャラになっていたよね。

だから、こう見てくると、もともと、あかね、が浮上してもおかしくない話だったわけだけど、でも、それだと、アクアの罪悪感が拭えなかった。

そういう意味で、恋愛物語としては破綻していたから、この「アクアの死」の結末は、全てを円満に解決するには仕方がない着地点だったのかな、と思い始めている。

でも、まさか、ホントにアクアが死ぬとは思ってなかったけどね。。。

もちろん、物語の「結構」としては、まだ逆転の話はあり得るのだけど。

それは、また次にでも。

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【推しの子】 第164話 『終幕』 感想:アクア、ホントに死んでしまった。そして、最後まで理解者であり協力者はただ一人、あかね、だったんだね。

2024-10-31 11:42:38 | 推しの子
感想2感想3もあります)

前回、ツクヨミに死を宣告されたアクア。

その死にゆく様を、アクアの主観でしばらく描いた後、彼は永眠。

アクアも最後は苦しむのではなく、B小町3人の歌声を聞きながら(そう思いながら)安らかに息を引き取ることができた。


そして、その後を引き受けて、アクアの死を語るのが、彼が見つかった浜辺に花を添えるあかね。

結局、アクアが、カミキへの復讐の件で最後まで信じていたのあかねだった。

だから、あかねにルビーを守る方を任せ、アクアは単身でカミキの殺害に向かった。

あかねはやっぱり、どこまでアクアとともに歩んで、最後は一緒に畜生に堕ちてもいいと思っていたけど、でも、そのあかねの決意を、アクアは認めなかった。

だから、あくまでもカミキの殺害は一人で行った。

と同時に、ルビーにスキャンダルをもたらさないよう、カミキに恨まれて殺された、というシナリオを最後まで演じた。

ということでカミキへの復讐劇は、あかねによる解題で幕を引いた。

あかねだけがアクアの真意を知る。

ある意味、あかねが最もアクアに愛されていた、という幕引き。

まぁ、完全によき理解者としての愛人ポジションだったけど。。。

浜辺で一人アクアを偲ぶあかねの姿は、完全に女優のそれだよね。

アクアとともに現実を劇的に生きた。

復讐劇を演じきってあげた。。。


さて、残り2回、何を話す?

アクアの死後、ルビーやかな、それにあかねがどう生きたか、その話かな。

しかし、ツクヨミによる再度のアクアの転生はありえるのだろうか?

とりいそぎ。


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Re:ゼロから始まる異世界生活 3rd season 第55話『濁流』 感想:改めて見ると、これ、全然、スバルたちの勝ち筋が見えないな。

2024-10-31 01:58:57 | リゼロ
前回の最後で因縁の大罪司教〈暴食〉と遭遇したスバル。

レムの敵とばかり、(実力差を鑑みず)攻め入ろうとするけど、ユリウスの静止でなんとか落ち着き、そのまま、〈色欲〉のほうへ。

しかし、この〈色欲〉がまた酷いやつで。。。

クリシュが、これでこのまま怪物にされちゃうんだよね?

〈憤怒〉は暴れるし。

いや、もうめちゃくちゃだよ。

あ、処女王の〈強欲〉もいたけど、今回は少しおとなしめ。

でも、繰り返すけど、めちゃくちゃだな。

残念なのは、この3期になって、キャラデザが原作ラノベの絵師に寄せたものになったのが、完全に仇になっている。

いや、だって、あのゆるい絵面で悲劇をやると、めちゃくちゃミスマッチで、なんか認知的不協和ってやつで、とても見るのが疲れる。

『ダンまち』を原作ラノベのイラストのキャラデザでやってたら、絶対面白くなかったのと同じこと。

1期のときのキャラデザでやったほうが、事態の悲惨さが素直に表現されて見やすかったと思うのだけど。

キャラデザが軽すぎて、悲惨な戦闘をしていても、なんかギャグでやってるようにしか見えなくて、全然凄みがない。

正直、これはアニメ作品としては失敗だと思う。

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