BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

鬼滅の刃 第183話 『鬩ぎ合い』 感想

2019-11-18 23:29:56 | 鬼滅の刃
前回の救出劇、
振り返れば、愈史郎の超ファインプレイ!
それに尽きた。

あとは、甘露寺が馬鹿じゃなくてよかった。
といっても、自分は馬鹿じゃないと信じているバカwだったわけだが。

しかし、この緊迫した状況で、こんなアホなやり取りを挟めるのだから、作者、大した肝っ玉だなぁw
素で感心した。

てか、甘露寺と愈史郎の二人の協力がなかったら、完全に炭治郎と富岡が詰んでいたので、マジでヤバかった。

この状況ではとにかく岩柱と風柱の到着を待ちたいところだけど、地上に全員、放り出されたところで、必然的に集結!ってことになるのかな?

あとは地味に、禰豆子、いまどうなってるんだろうね?

ともあれ、無惨の憤り方が完全にディオなんだけれど、でも、その身体能力の何でもありっぷりをみると、むしろカーズのようにも見えてきて、何にしても、この無惨を柱が束になっても倒せる気がしないのがやばい。

いや、だって、ジョセフ・ジョースターだって、結局、完全生物と化したカーズを倒すことはできなくて、火山の爆発を利用して宇宙空間に放り出すことで、なんとか脅威を排除したに過ぎなかったわけだけど、なんだか、無惨についてもその手の永久隔離策くらいしか手がないように見えてしまう。

多分、本当はその段階で珠世の力が必要だったようにも思うのだけど、蟲柱も撃沈した今、そういう搦手を施せる人はいないんだよなぁ。

残った鬼滅の剣士は、皆、ファイター系だからなぁ。

そうなると、思いの外、愈史郎が活躍することになるのかな?
でもそうなると、今度は、無惨がまず愈史郎潰しを狙ってくるように思えるので、それがやばい。

ともあれ、この無惨戦で物語は「完!」となるのかどうか。

ジョジョへのオマージュがそこかしこに見える感じからすると、これで無惨戦はスッキリさせてほしいところだけどね。

とはいえ、鳴女を、自分のピンチだからといって、速攻で殺してしまう無惨って、どれだけチキンなんだかw まぁ、その用心深さが、ここまで生き残っている理由なのかもしれないけれど。

でも、文字通り、カーズやワム―に相当する、無惨以外の鬼が登場して、炭治郎の同期で対処する、というとりあえずの決着に至るのかどうか。

緊迫した展開は続く。

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劇場版 『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』 感想

2019-11-16 18:54:19 | 青ブタ
実はこの感想、もともとは原作の「青春ブタ野郎はハツコイ少女の夢を見ない + 青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない 感想」として『青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない』の感想のエントリーをアップした直後に書き始めていたのだけど、途中まで書いてそのまま放ったらしになっていたもの。劇場版のあとに加筆して上げようと思っていたら、それも忘れていたw

ホント、アホだなぁ。

ぼちぼち劇場版のブルーレイも出る頃なので、補足して蔵出ししておきます。



テレビ版の青ブタの最終回があまりにも、淡々と投げっぱなしで終わってしまったので、そのまま続きとなる原作に手を出した。

で、読み始めたらいやはやもう最後まで行くしかないって感じでイッキ読み!

最新版の『青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない』については、すでに感想をアップ済み。

で、劇場版の『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』自体は、原作の
『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』と『青春ブタ野郎はハツコイ少女の夢を見ない』の2冊に基づいたもの。

といっても、この2冊、基本的にはそれまで出ていた5冊分の原作の内容を踏まえた上での構成になっている。だから、いってみれば、青ブタ前半の集大成、という感じの物語。

もってはっきりいえば、この2冊のために、それまでの5冊が書かれていた、といってもよいもの。

内容は、いわずもがなの牧之原翔子編。
控えめにいっても、これ、ここまでの物語全部の総決算!となる話。

実際、この2冊で、原作は、第1部完!ということだった。

なにがいいたいかというと、この牧之原翔子編を、とにかく加速したまま、終わらせるために、それまでの物語の全部があったということ。

つまり、翔子編までの、桜島麻衣、古賀朋絵、双葉理央、豊原のどか、梓川かえで、の5つの物語が、全部、翔子編のための前座だった、ということ。

いやー、これはもうびっくりだよ。

なぜなら咲太は、これまでにこの5人の思春期症候群につきあってきたからこそ、たった1回の「やり直し」のチャンスを「間違わず」に、文字通り「奇跡的」にクリアすることができた。

加えて、今までの5つの物語があったからこそ、それぞれの少女たちが、それぞれ相応しい協力の仕方を、咲太に差し出すことができた。
裏返すと、5つの物語の蓄積があったからこそ、牧之原翔子編は、2冊めの「ハツコイ少女~」だけでキレイに完結することができた。

実のところ、さすがにそれは「ご都合主義的すぎるだろ!」ってところが満載なのだけれど、ただ、そのどれもが、これまでの5つの物語の展開から読者が予測できる範囲のものなので、あー、やっぱり!って感じで、テンポよく進んでしまうんだよね。

もっとも、最後の最後のところは、さすがにそこまでやるか?、ってくらい、都合が良すぎていて、多分、評価が分かれるところなのだろうけど。。。

正直、盛りすぎ、な印象もしたけれど、まー、これもありかなー、って感じ。

あとは、この牧之原翔子編で、このシリーズのタイトルが常に「~の夢を見ない」となっていることの理由も(それとなく)明かされていて、それがうまいなぁ、と思ってしまった。

・・・って、何言ってるかよくわかんないよね? (笑


で、じゃあ、本当にネタバレしてしまうと、

牧之原翔子という、咲太の危機をかつて救った高校生の少女と、咲太が麻衣とともに出会った中学生の少女は、実は同一人物。

ただし、高校生の翔子は、実は未来からやってきた「未来の翔子」。

では、なぜそんなことが起こるかというと、それは「双葉理央」編のドッペルゲンガー事件の応用みたいなもので、あれは「量子力学」的分裂だったわけだけど、これにさらに「相対性理論」的な味付けがなされて、時間差のある分裂体が生じてしまっているということ。

まぁ、このあたりの「説明」は適当に聞き流してねw

実は、この牧之原翔子編に対して、期待ハズレ!という感想もいくつか見かけたのだけど、多分、その理由の一つは、「思春期症候群」という量子力学的「トンデモ」理論が、SF設定的にあまりにもガバガバに見えるところにあるように思えるから。

なので、ここ、あまりマジで突っ込んじゃんだめだよ!とは思う。

でも、個人的にはうまいな、と思ったのは、とりあえず、物語世界内の「事実」としては、トンデモ量子力学的な理解でなんとかなってきた、という話があって、そのさらに積み上げのところで、今回の解決をしているから。

うーん、しかし、ちゃんと書こうと思うと、結構ややこしいな。
やっぱり、この物語。

牧之原翔子編まで読むと、この「ハツコイ少女」までの物語とは、とどのつまり、すべて牧之原翔子の思春期症候群の中、いわば彼女夢の中で起きているということなんだよね

夢という名の一種のシミュレーションなわけで。

ただ、この屁理屈自体は、一応、古賀朋絵編ですでに一度説明されていた。

裏返すと、朋絵同様、翔子も世界改変をできる能力をもっていた、

・・・というか、この劇場版までの世界そのものが、事実上、小学生時代の翔子が抱いた未来=夢の世界であったことになる。

ざっくりいえば、牧之原翔子は、涼宮ハルヒと同じ、世界構築力をもっていたことにある。

で、心臓移植を必要とする難病の翔子が助かる世界をなんとか引き寄せる話が、劇場版の骨子となる。

そして、原作既読者、あるいは、劇場版視聴者にはすでにわかっているように、最後に、世界は書き換えられて、翔子は、咲太でも麻衣でもないドナーから心臓を譲り受け、本来の年齢のまま、中学生として咲太と麻衣に、再び出会うことになる。

当然、世界は書き換えられたわけだから、咲太が中学時代に高校生の翔子さんに出会うこともなく、したがって、翔子さんが咲太の「ハツコイ少女」になることもないまま、この世界の翔子ちゃん、というか咲太的には「牧之原さん」と出会うことになる。

でも、この物語が、つくづく甘々だなぁ(←褒めてますw)と思うのは、その再会、というか、邂逅の瞬間、翔子も咲太も互いに、別世界=夢の世界の出来事を全部、記憶として思い出してしまうところ。

ここはね、原作を呼んだときに、一番、おお!、やっぱりそう来たか!とは思ったところ。

もちろん、世界が書き換えられてしまった以上、翔子と咲太はすれ違ったままになると思ってしまうし、実際、とても悲しいことだけど、その終わりもありだろうな、と思っていたところで、でも、二人は出会い、そして出会った瞬間、それまで忘れていた記憶を取り戻してしまう。。。

いや、これ、完全にもう、運命の赤い糸でつながった二人じゃんw

『君の名は。』の瀧くんと三葉じゃんw
いや瀧くんと三葉は、世界改変後も出会いでは、出会ったところでそれまでの物語の記憶は取り戻していないから(少なくとも劇終幕では)、翔子と咲太の場合は、それよりもよっぽど甘々の結末w

むしろ、世界がどう変わろうとも結局は出会える二人として、実は翔子こそが、咲太の運命の人ではないか、と思ってしまうほど。

そして、だからこそ、この翔子編のあとの物語については、『青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない』の感想で書いたように、むしろ、この翔子と咲太の「運命力」に対して、嫉妬し、抵抗し、世界のさらなる上書き、つまりは、自分の描く「夢=未来」で世界を再構成しようとしているのが、他でもない桜島麻衣!、と思ったわけで。

なので、よくこの牧之原翔子編の2冊、ないしは、劇場版の『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』について『涼宮ハルヒの消失』に近い、という感想を見かけることがあるけど、それは多分、違っている。

なぜなら、『消失』における長門のように、世界を自分の都合の良いように書き換えようと無意識の間に試みてしまっているのは、翔子ではなく、麻衣のはずだから。

つまり、青ブタシリーズにおいて、世界構築という点で、ハルヒのポジションをとるのは翔子であり、ハルヒ=翔子の構築した世界=夢を侵食しようとしているのは、長門の位置を占める麻衣だと思うから。

まぁ、今ある物語世界に干渉し、自分の都合の良いように侵食しようとしている点では、『ランドセルガール』の方でも書いたように、むしろ、劇場版のまどマギにおける「ほむら」の立場に近い。
劇場版まどマギでは、まどかに対するほむらの愛が重すぎて、結果として、まどかが守った世界をほむらが侵食していた。

だから、むしろ、劇場版の翔子編の話は、ハルヒの世界改変のほうに近い。

咲太は、一度麻衣を失った世界を経験した上で、咲太も麻衣も死なない、それゆえ少なくとも彼ら二人は翔子を見捨てる選択肢を取り、ある意味で、善意の第三者、ないしは運命の善いいたずらに賭けて、世界を書き換えようとしたわけで。
その点で、咲太は、自分本位でろくでなしの、文字通りの「ブタ野郎」なんだけど。

でも、自分本位の選択が結果として、翔子を襲ったデッドロックからも抜け出せる景気になったというのが話のミソ。それも大甘のミソw


ただ、こういうふうに解釈してくると、ちょっと面白いな、と思うのは、これは量子力学による並行宇宙論で説明がつくのかどうかはまったくわからないけれど、少なくとも青ブタの物語世界では、世界とはすべて夢=シミュレーションであって、ある特定の世界で得た経験や体験をすべて記憶し保存している、一段メタな世界=宇宙があって、物語の登場人物は、みな、その記憶のリソースにアクセスして、それぞれの個々の世界で「生きる」ことを演じているように見えること。

で、こうした世界を超えたメタ世界における「設定アーカイブ」に属するキャラクターがその都度、特定の世界の記憶をリロードされるという点では、構造的には、『東京レイヴンズ』の16巻で明らかにされた(←詳細はこの感想を参照)泰山府君祭の先にある人格記憶のアーカイブへのアクセスに近い。あるいは、量子力学的説明ということであれば、『ゼーガペイン』の設定にも近い気がする。

なんかよくわからないけれど、そうした時間を超越した「設定アーカイブ」の存在が想定される世界観って、いつの間にか、デフォルトになっているかな?

ちょっとそんなことも、この青ブタシリーズを読んでいると思ってしまう。

てか、そのような世界観が読者の間でも共有されていると確信できないと、こんな話、つくれないよね。

ともあれ、青ブタは、牧之原翔子編たる劇場版を経た後に続く作中世界の物語展開についてもそのような形になっているようで、『ランドセルガール』ではそれが徐々に頭をもたげてきたように思う。

どこまで、この「世界を書き換える」話を続けるのかはわからないけれど、願わくば、ハルヒのように作者が物語世界を畳むのを放棄するような、情けない事態にならないように。

で、牧之原翔子編の劇場版に戻れば、とにかく咲太を支える他の登場人物たちの動きも、ミニマルなものに留まるものの極めて効果的な動きを見せてくれていて、ホント、隙がないと思った。

どうやら、『ランドセルガール』の続きは、来年2020年の2月には出るみたいだから、そこでこれまで書いてきた仮説がどこまで通用するのかについても、楽しみにしたい。

もちろん、物語の向かう先についても、

でも個人的には、やっぱり翔子ちゃんが本編に再登場してほしいし、もっといえば、翔子さんが、何らかの形で絡んできてほしいと思うのだけど。

でも、キャラクターに関するあらゆる可能性についてすでに書かれたアーカイブがメタ宇宙としてあるのなら、それも可能のように思うのだよね。

ぜひとも、青ブタには、ハルヒを越えてもらいたい。


とにかく『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』、素晴らしかった!

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五等分の花嫁 第110話 『最後の祭りが五月の場合②』 感想2 五月編が続くのか、それとも…?

2019-11-14 17:20:06 | 五等分の花嫁
なんとなく一花から四葉まで2話完結で来たので、風太郎と一緒とはいえ見開きページの場面もあったので、五月についても同じく今回で終わりと思っていたのだけど、あの終わり方だと、むしろ、このまま五月編の③、あるいは④くらいまであってもおかしくない気もする。

その一方で、『最後の祭りが風太郎の場合』もありそうな気もしたりする。

なぜなら、彼にとっても、日の出祭の3日間は密度が濃すぎたから。
多分、開始前の思惑から思い切りズレているでしょ?
いろいろなことが。

そうすると、風太郎の気持ちの整理や変化についても、ちょっとは補ってほしいなぁ、と思うのだけど、どうだろう。。。

それに、やっぱり竹林とのやり取りが、あの屋台を回っているだけのことで終わっているとも思えないんだよね。

父親の勇也から初日の夕食のときの聞いたであろう無堂のこととか。

もちろん、そのあたりの、無堂についてのシビアな評価は、この先生じるであろう五つ子と無堂の対面の時に合わせて語らせてもいいのだけど。

でもねぇ。

110話でちょっと変だな、と感じたのは、無堂がなぜか五月にだけ執着していることね。
風太郎と一緒にいたとはいえ、二乃や三玖もいる前で、無堂が実父として名乗りを上げないのはなぜ?という気はする。
初見ではわからなかったのかもしれないけれど、さすがに、五つ子なのだから顔見ればわかるんじゃない?とかね。

なーんか、まだ無堂は隠していることがあるような気がする。
もしかして、父というのは五月に対して自称しているだけのことで実は違う?と疑いもしたのだけど、でも、それだと勇也の話とずれてしまいそう。

もっとも、109話での勇也と風太郎のやり取りについても、風太郎が勇也のいう人相のおっさんに会ったというだけのことで、無堂が五つ子の実父だ、とまではまだ言っていないんだよね。

加えて110話で風太郎も「あんなやつ」としか言っていない。
まぁ、一花には「実父に会ったかも?」と言っているから、風太郎の中でも無堂が実父ということにすでになっているのだろうけど。

あと、風太郎は110話で、どうして五月が学校に来ていないのは、無堂に何かふきこまれてしまったせいだ、と思ったのだろう。というか、そもそも風太郎は、どうしやって五月と無堂が接触した「疑いがある」と思ったのだろう。それも2日目に。

・・・というわけで、なんか、まだ通常進行の時間軸に移行するには、パズルのピースが足りないように思えるんだよね。

なので、『最後の祭りが風太郎の場合』が補足されるのかな、と思ったり。

もちろん、今、疑問に思ったところは、よくよく考えたら引っかかっただけのことなので、重箱の隅をつついているだけかもしれないけれど。

まぁ、無堂が日の出祭に向かったのが五月と話したいからだった、という理由は、下田さん情報で勇也が事前に入手していたのかもしれないけれど。。。

でも、なーんか、無堂の行動には裏があるように思えるんだよね。

実父の代理人・・・なんてことはないよね? さすがに。

でもねー、一花をテレビで見て自分の娘と思った、っていう理由は、どこか胡散臭くて、取ってつけたような理由のように思えてしまう。

要するに、無堂という存在が、どうにも嘘くさいだよね。

加えて、このタイミングで登場した理由だよなぁ。。。

まぁ、実父の失踪の話を少年マンガで突っ込んでやるとは思えないので、いずれも杞憂なのだろうけど。

でも、何かまだ裏がありそう。

あとは、竹林、ね、やっぱり。

まだ、風太郎と竹林とのやりとりにも描かれてない要素があると思うだけどなぁ。。。

ただ、五月回の③ではなく、まさかの風太郎回が挟まれるとしたら、とりあえずのところ、日の出祭の時点での五月に関するエピソードは110話で終わり、ということになるから、彼女だけキスはなし!、ということになるのだけど。

それでいいの?、という気もする。
次回を待てばいい、ということなのだろうけど。
なんか、スッキリしないなぁ。。。

この日の出祭を通じて、五つ子は皆、何らかの成長を遂げた、そのメルクマールとして風太郎との親密なやり取りが合った。

だとすれば、同じく風太郎にも何らかの成長を促す、ないしは成長を風太郎自身が確認する場面があってもいいように思えていて、それを、今の風太郎に指摘するのは、突然、現れた竹林だと思うのだけど。。。

なんか、すっかり無堂に持っていかれちゃってる感があるんだよなぁ。。。
すっきりしない。

まさかの「竹林回」があったりしないよね?

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五等分の花嫁 第110話 『最後の祭りが五月の場合②』 感想

2019-11-13 11:43:59 | 五等分の花嫁
うむ。
ここに来て、変化球を投げてきた日の出祭五月回の締め回。

え?、五月、キスシーン、なしですか?
これ、普通に考えたら、五月が花嫁コースってことだよね?

だって、キスシーンはないけど、ある意味で、五月が一番心の根っこの部分で、素直に風太郎に助けを求めた、ということでしょ?

なにが言いたいか、というと、一花、二乃、三玖、四葉、の四人は、揃いも揃って、まず、彼女たちが風太郎に惹かれて、風太郎に迫っていった、ということでしょ?

でも、五月の場合は、どうやら、この先、風太郎のほうが、五月のほうに気持ちを向かわわせていくという方向づけを、今回の、キスシーンなしの、「勉強、教えてください」という言葉は投げかけてきたわけで。

もちろん、五月の場合、彼女の求める、理想とする「父」の姿を、実父の無堂でも、養父のマルオでもなく、家庭教師の風太郎に重ねようとしているだけなのかもしれないけれど。

でも、その姿勢は、結婚という「生涯の伴侶」を決める儀式には、むしろ、合っている可能性がある。

いや、だって、前からちょっと思っていたのだけど、肝心の風太郎の進路はどうなるの?という疑問はあるわけで、家庭教師で苦労した経験や、今回の日の出祭で学級長として、クラスの面倒な人間関係を身を以て体験したことから、風太郎自身が「教師」を職業として選択する可能性は高い、と思っていたわけで。

その方向性を、今回の五月の「教師になる」という夢の選択は、後押しするようにも思えるんだよね。
つまり、風太郎が、五月の夢を叶えるために、受験の勉強を見てやるだけでなく、この先もあれこれと気にかけてやる存在になる。

なにより、今回の見開きシーンが、今までの、五つ子一人の表情のアップシーンではなく、五月と風太郎の二人が互いに見つめ合って、「勉強する」という「誓い」を建てるところに端的に現れているように思えるんだよね。

それに、日の出祭でキスしなかったという事実は、鐘キスが初めてだった話にも繋がっていくので。

というか、五月だけが風太郎とキスしたかどうかはわからないまま、日の出祭を終えたことになるので。

もっとも、どうやら次回から時間の流れは、日の出祭3日目の単線的な流れに戻るようだから、日の出祭のそれこそ最終場面で、あるいは3日目の最終場面で、五月が、感謝のキスをするという展開もまだ、ありえるのだけど。

そういう意味では、前回の感想の「2」で触れたとおり、やはり、あの日の出祭の終了を告げる時に、四葉を除く五つ子が全員集合していた場面は、実父・無堂との再会の場面である可能性が高まったようだね。

どうやら風太郎から五月が無堂と会ったかもしれないという話を聞いて、一花が、二乃、三玖、四葉に事情を説明して、何らかの行動を起こそうとしていた場面があったから。五月自身も、他の姉妹に無堂を紹介しないわけには行かない、と思っているし。

だから、次の話は、その再会の場面に、風太郎がどう介入してくるのか。
当然、第一にはムカついていて、でも、実父だしな、やっぱり、というとても複雑な気持ちなのだろうけど。

むしろ、ここにきて、マルオ、風太郎父、下田さん、が「大人として」どういう行動をとるか、だよね。

だって、今回、なにが一番ビックリしたかって、無堂のあの、だらしない感じだよ。

いかにも一昔前の教師っぽく「僕」なんて、いい年こいて、しかもハゲでヒゲ面をしているにも関わらず、なよなよした感じで、いきなり土下座をして五月に謝るのだから。
でも、そんな土下座をしながらも、元妻・零奈の異常さを、実の娘である五月に対して主張するのをやめないのだから。

なにがいいたかというと、無堂、おまえ、どれだけジコチュウのやつなんだよ?ということ。

わりと最悪の大人だよね。

だって、五月たちに謝ろうと思ったのは、あくまでも彼女たちを放り出して失踪した事実に無堂自身が耐えきれなくなって、当事者である五月に許してもらうことで、その罪悪感や自己嫌悪の感情から解放されたかったからでしょ?

てか、なに、お前、しれっと、マルオまでディスってんだよ? と思うよね。

お前が親権放棄した娘たちを、まさに養ってくれたマルオに向かって。

だから、他でもない、無堂自身が、自分の中の理想に凝り固まった、その意味では「こじらせたオヤジ」だった、ってことでしょ?

あー、そうか、そうすると、零奈母が五月に言っていた「私のようになるな」という忠告は、無堂のような見てくれを装うようなヘタレ似非教師のような男に騙されるな、ってことなのかもね。

つまり、零奈は零奈で、無堂を見限っていた。
その零奈の芯の強さを、マルオや、風太郎父や、下田さんは理解していたってことだね。

となると、ここはやはり、マルオが激怒する場面がぜひ見てみたい。
折しも、二乃と和解できたばかりのところだしw

ともあれ、五つ子たちにしてみれば、そのような無堂の存在を打ち消すような存在として改めて位置づけられるのが、きっと、風太郎になるんだろうな。

前に、風太郎がマルオの前で「心配無用、俺は全国模試で1位になる!」と言いかけたことを思い出せば、勢いにのって無堂に対して、「俺は、お前が否定した理想の教師になってみせる!」とか、啖呵を切るのかもしれないね。

風太郎は風太郎で、子供の頃にあった、彼の原点である「ヤンチャな暴れん坊」の姿を徐々に取り戻してきているから。

まぁ、それくらい盛大に、無堂つぶしをしれくれないと、この先の展開に、無堂の影がちらちらしそうでいやだしね。

ということで、次回、風太郎、盛大に無堂を成敗してくれw
楽しみだなぁ!

しかし、五月たちの実父が登場したとなると、いよいよ風太郎の母のことが気になってくる。それが、今度は、五つ子たちの心を決める最終指標になるのかな。

だって、もはや上杉家と中野家は家族ぐるみのおつきあいだもんね。
特に、五月と風太郎父の間には、すでに良好な関係があるしw

こう考えてくると、たしかに、終幕に向かって走り出したように思える。

ともあれ、続きが楽しみ!

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鬼滅の刃 第182話 『激怒』 感想

2019-11-11 17:22:41 | 鬼滅の刃
ラスボス鬼舞辻無惨が本格的に始動。
炭治郎と義勇の二人に対して圧倒的な無双。

てか、いきなりボス戦の展開で、これどうすんだ?と思ったら、蛇と恋の二柱がすでに撃沈した絵までだされて、割と真剣に、あれ?これ詰んでない?という感じだったのだけど。
その直後で、死んだはずの蛇と恋の二柱が乱入してきて、主人公・炭治郎はギリギリで死から免れた、という展開。
しかも、それは無惨に珠代を殺された愈史郎が、鳴女の視覚を奪って無惨の虚を突いたものだった。
タイトルの「激怒」って、愈史郎の怒りだったんだね。

・・・ということで、今回の一連の流れ、一分の隙もなくて、ビックリ。
こういうところが、この作品が大受けした理由なんだろうね。
いきなり「炭治郎vs無惨」が実現してしまうのだから。

あと、主要キャラをどんどん殺していくところね。
このあっけらかんとして怒涛の展開は、やっぱり初期のジョジョに似ている。

ヴァンパイアを吸血鬼と訳すから、これも「鬼」だよね、という解釈は、西尾維新の化物語に依拠しているのだろうけど。

それにしても、この無惨戦、どこまで行くのだろう。

この感じだと、岩と風の柱2人も合流して都合5柱で無惨と対決することになりそうだけど、それでも全然、手数が足りない気がする。

加えて、炭治郎はいきなり右目を負傷して視界が不利になった。

最悪のオチは、5柱全員が惨敗で、炭治郎がなんとか逃げおおせる。
今回の蛇柱の動きを見ると、彼が炭治郎と、それからもしかしたら義勇を逃しそうだよなぁ。

もちろん、このまま総力戦で無惨とは決着をつけるという展開もありえそうだけど。

でも「日の呼吸」のなんたるかが全く判然としないまま、これが最終決戦になるとはなかなか思いにくいのも確かで。

その場合、

無惨を仕留め損なうか、
あるいは、
無惨は仕留めるものの、その背後に無惨を超える強敵が現れる、

とかになりそう。

後者の場合は、完全にジョジョの第1部から第2部への移行に近いのだけど。
無惨がディオに相当して、カーズに相当する「鬼の始祖?」のような存在が出てくる展開?

ただ、この速度と密度で打倒無惨の話が進んできたのだし、すでに相当数の犠牲者、というか殉職者も出ているので、まさにジョジョの第1部がそうであったように、このまま勢いにまかせて無惨の成敗にまで行ってくれることを願いたいところだけど。

うーん、
でも、やっぱりジョジョ第2部の展開が待っているのかな。
炭治郎たちが次の柱になった世代交代後の話として。

あとは禰豆子の状態だよね。
珠代が亡くなった今、禰豆子に施された薬に、仮に副作用があったとしても、それに対処できる医者がいない。
となると、禰豆子は禰豆子で自力で対処していくしかない。

こうやって考えると、やっぱりまだ積み残している物語は多いよなぁ。

となると、やはり無惨の成敗だけでは終わらない展開なのかな。

ともあれ、意外と脇が甘い無惨が、次回、どれだけ慌てふためくのか、そこは楽しみ。

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UQ HOLDER! 第166話 『祝杯』 感想

2019-11-10 17:33:27 | UQH/ネギま!
おー、ようやくネギくん救出作戦、開始か。
いよいよ終わりが近づいた、ってことだよね。
とりあえずはよかった。
この1年間くらいwの展開では、
いい加減、何やってるのか、わからなくなってきていたからw

で、前回までのバウル戦?の勝利を記念?した祝賀会が今回の話。
バトル回が続いたところで、箸休め的に置かれた「おバカ」回wと「ラブコメ?」回w

まぁ、ともあれ、UQH12人衆がようやく集結した、ってこと。
でもさ、この12人集結、って、読者的に初めて、というだけでなく、作中内の、当のUQホルダーたちにとっても初めての集結だった、ってのは、地味にビックリ。

で、それゆえ、
ニキティスvs十蔵、の「最強」対決や
十蔵vs源五郎、の「ジンベエ弟子」対決、もとい、どっちが甚兵衛さん大好きか?対決や、
ニキティスvsダーマ、の「真祖」対決や、
まさかの、ダーマvs九郎丸の、どっちが「最高だぜ―!ヒャッハー!w」対決が生じる始末。
会場は、ちゅどーんw、ばきゅーんwのあふれるカオスと化したのでしたw
チャンチャンwww

いやー、ホント、意味ねーw
バカでぇーw

で、そのバトル脳のバカUQHどもの間を、こちらも久方ぶりに集結した「刀太様大好きズ」wが、あたふたしながら、ラブコメする、という展開w

改めて思ったけど、キリヱを始めとする女子たちは、なんだかんだいってツンデレ属性が強い点で、どの人をとっても、みんな千雨の亜種みたいに見えてくるw

今回、九郎丸が、七重楼の光魔法?のせいで、完全に「九龍」で出てきたけど、たしかに、こっちのほうがムサイ学生服よりもいいかもね。

てか、バトルになった時の「華」という点で、もうずっと九龍のままでいいんじゃないかなー、とマジで思った。

七重楼といえば、唐突に、エヴァ=雪姫の執事になってあっさり今回の進行役になっていたのは、さすがにあれれ?とは思ったものの、要は、人工精霊というのは、かつての茶茶丸みたいなものなんだろうね。ロボみたいなもの。なので、あれこれ命令系統を書き換えれば、簡単に陣営を切り替えられるってことみたい。

ということで、ここのところ続いていたバウル派の裏切り騒動は、終わってみれば、UQH12人衆のうちの未登場のメンバーの能力と気質を紹介するためのものだったのね、ということで。

多分、本来なら、まっとうな敵を出して、それに対して十蔵やニキティスや七重楼をぶつけるのが筋なのだろうが、強さのハイパーインフレが進んでしまった刀太の世界では、そんなスーパーな敵役もおいそれとは出てこない、ということで、物語進行上は苦肉の策として、バウルというポッと出の真祖に操られたという結構で、UQHの間での同士討ち、という形を取るしかなかったんだろうなぁ。

だって、ホント、この半年?一年?くらいの間の物語って、ニキティス、十蔵、七重楼、の人となりを紹介するためだけの展開だったわけだから。

ついでに、甚兵衛の個人史にも触れることで、ずっと謎だった「イレカエ」の秘密に迫ることで、なんだかよくわからないけど、UQHとか吸血姫真祖とか神(←夏凛のキリスト)とかを超える「宇宙存在w」の可能性まで見せているのだから。

あと、バウルくんのもう一つの役割は、今回の最後に出てきた彼の逃走経路をたどることで、強引にヨルダ・バオトとのつながりがはっきりしたことかな。
それによって、強引だけれど、この流れでいきなり「ネギくん救出作戦」に向かうことになった。

そうそう、ついでにバウルの騒動を通じて、若干うざくなっていたフェイトも、頭部だけの存在(哀れな・・・)になって、いつの間にか、エヴァ=雪姫の協力者に格下げwされていた。

なんていうか、随分と強引に物語をネギくん救出にくっつけてきた、という感じ。

でそのために必要な刀太のウルトラパワーアップを、ニキティスとじゃれ合うことで達成し、ついでに九郎丸や三太に比べれば格段に猛者である十蔵やニキティスや七重楼が、刀太チームの戦列に加わったw

てかさー、
もうニキティスが刀太にベタぼれになっている様子って、フェイトがネギくんに堕ちたwときとそっくりで、笑うしかないなぁ、と。

ニキティス、終わってみれば、ただの「厨二病をこじらせて図書館に籠城するこどおじのかまってちゃん」みたいな、なんか属性だらけの面倒くさいキャラになっちゃったしw

いや、キャラマンガとしてみれば、ニキティスも十蔵も、面白いと思うよw
十蔵なんて、ようするに、UQHにおけるジャック=ラカン、でしょ?
なんたって「概念を切る」と、バグキャラなんだから。
まぁ、そういう意味では、その十蔵の師匠で「イレカエ」を使う甚兵衛は「チートキャラ」なんだけど。
その二人を前にすると、いくら真祖だといっても、ニキティスなんて、所詮はゲーム盤上で最強なだけのキャラになるわけでしょ。

やっぱり、この世界の最強は、異世界渡航を自在にできるダーマ師匠なんだろうね。
実際、ニキティスはガキ扱いだし。

でも、そのダーマもバウルに操られたんだよなぁ。
このあたりの、バウルの裏技の存在は、バウルにイレカエをかわされたといった甚兵衛の発言とともに、ヨルダとの最終決戦における「要注意事項」になるんだろうな。

まぁ、それくらい、つまり、イレカエの真理に迫ることのできるくらいのチートな存在にヨルダがなっていてくれないと、もはや刀太たちのパワーインフレでも殲滅できないというのが無理になっちゃうからね。

ということで、次回の、ネギくん救出作戦、つまりはエヴァの言う「反撃」の期待w

で、最後に蛇足だけど、とはいえ、やっぱりバウル騒動のエピソード、長すぎた。
それで、今回の祝賀会?の描写も含めて思ったけど、赤松健は、やっぱり月刊の連載に合っていない。

ホントは今回みたいな、おバカ回やラブコメ回は、バトル回の合間に適宜挟んでいくのが望ましいと思うのだけど、今のUQHの問題は、月刊連載の分量を週刊連載の分量と同じように、全部を使ってバトル回ならバトル回、おバカ回ならおバカ回を行ってしまっているところ。

週刊連載のときのリズムを考えたら、月刊連載の一話の中では、当然、バトルとおバカ、あるいはラブコメや日常を適宜挟む必要があるはずで。

でも、そういった緩急の切り替えが、全然ないんだよね。

なので、ものすごく物語が単調で、ついつい読み飛ばしがちになる。
裏返すと、読み進めながらのドキドキやワクワクが殆どない。

ネギま!の時でも、最初はクラスの全員が登場していたけど、魔法世界編になってから、クラスのメンバーも随分絞られて、物語が進められた。
あれくらい、キャラを絞って、その分、物語の強度を保ってほしいかな、やっぱり。

今でも思うけど、千雨がネギくんに「ここがポイント・オブ・ノーリターンになるぞ」と問いかけてから以後の魔法世界大戦?の怒涛の展開は、やっぱり、今でも素晴らしいと思っているし、魔法世界の委員長がユエを救った後に、魔法世界人であるがゆえに消されて(イレイズ)しまった場面を目の当たりにしたユエが大激昂して魔物たちに立ち向かうところとか、ドキドキするもの。ついでに言えば、その場面でユエを叱咤激励する龍宮隊長の姿とか。キャラがそれぞれ、物語を進める上で必要な役割をきっちり過不足なく果たしていたんだよね。

ああいう、文字通り、手に汗握る展開の物語をもう一度読みたいと思うのはダメなのかなぁ。

ぜひとも、ネギくん救出作戦は、そんなワクワクする展開を期待したい。
ほんとに、もう終盤なんだから。

あと、やっぱり最終決戦のエヴァは、雪姫大人モードではなく、キティモードでよろしく!
なんだったら、ダーマ師匠がガチで、「異世界を超えて人びとの運命を操る」ラスボスで、最後は、刀太とキティ・エヴァが出会った数百年前の塔で終わってもいいよ。
ネギくんが主人公ではなく、あくまでも刀太が主人公となるのなら、そのような物語の締め方でもいいと思うのだけど。
あ、でも、この世界では、エヴァのほうがネギくんにぞっこんなんだっけ?

それでも、キティ・エヴァと刀太の物語で終えてくれないかなぁ。。。
頼むよ、ダーマ師匠!

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五等分の花嫁 第109話 『最後の祭りが五月の場合①』 感想2 日の出祭3日目の「選択」とは本当は何だったのか?

2019-11-08 17:20:34 | 五等分の花嫁
109話の実父・無堂の登場があまりにも想定外だったので、思わず99話からの日の出祭編を読み直してしまったw

で、それでやっぱり確信をもってきたのだけど、第100話の最後の方にあった、日の出祭3日目の風太郎の内面の言葉と思しき

「この選択は
 あるいはこの選択をすることは
 正しかったのだろうか。
 そんなことを考えるには
 三日間はあまりに短すぎた」

という言葉は、今までてっきり、風太郎が五つ子の誰かを恋人に選ぶことだとばかり思っていたのだけど、これ、実は、盛大なミスリーディングではないのか、という気がしてきた。

で、結論から言うと、これ、風太郎が五つ子に実父・無堂と再会することを五つ子に協議させるか、もしくは、すでに協議はして、では会ってみよう、ということになって、無堂の到着を待っているところじゃないのかな?、ってこと。

『最後の祭りがXXの場合①』の扉で、五つ子が、四葉を除いてある教室に集結している場面が描かれているけど、あの場面は、まさに、無堂との再会に関する議論をしている場面じゃないのかな?

それなら、二乃が教壇に立って、多分位置的にその前の五月が座っている構図。

一花と三玖は、それぞれベランダと廊下で、それぞれ物思いにふけながら、無堂の到着を待っている。
もしくは、二乃と五月の口論に加わるのを避けて、外にいるのかもしれない。

で、じゃあ、なんで二乃と五月か、というと、今までの109話も重ねてきた物語の中で、この二人が最も家族や父や母のことについて執着を持ってきた二人だから。

二乃は、今回の日の出祭のエピソードで、ようやく養父マルオとわかりあえたところだったわけだけど、とにかく、二乃からすれば、母の思い出と父(=養父)とのわだかまりをなくすという意味で、家族を再確認できたばかりだった。

五月については、109話で、突如として実父・無堂から、母の姿を追って教師になろうというのは「呪い」だ、と看破されてしまう。実際、五月の場合は、ずっと自分が「母=零奈」になり代わろう、ということで、今日まで至っているのだから。

その結果、話し方まで母の話し方を真似するのようになったのだから。それゆえ、彼女は常に本心を隠しているキャラになってしまった。

この五月の「母のモノマネ」の呪いは、多分、次回に、何らかの形で風太郎によって「解呪」なり「昇華」なりがされると思うのだけど、ともあれ、五月が、二乃とは違ったベクトルで母や家族のことを考え続けてきたのは変わらない。

で、ここからがポイントなのだけど、そんな二乃や五月の本心を十分なほどよくわかっている風太郎が、実父・無堂の日の出祭への来場を(風太郎父から)知って、何のアクションも起こさないなんてことは、ぜーったいに! ありえない! と思うわけ!

もはや五つ子の誰かを選ぶことなんかよりも、風太郎にとって遥かに優先順位が高い案件だと思うので。

だから、五つ子の四人が教室に集まっているのは、きっと無堂との再会のためなんだよ。

もしかしたら、無堂を連れてくることは五つ子にはだまったまま、教室に集めただけなのかもしれない。

対して、一人だけ校庭にいる四葉は、間違いなく誰かを探しているわけで、それはまずは、風太郎だと思ってしまうところだけど、あの真剣な面持ちをみると、やっぱり無堂関連なんじゃないかな、と思うのね。

で、無堂関連といっているのは、具体的には、風太郎父とマルオ、そして下田さんだっけ?五月の予備校の先生。

といっても、四葉が顔の分かる人ね。
もしかしたら、らいはちゃん、なのかもしれない。

もう一つ、こういうふうに解釈していくと、当然、「よぉ 待たせたな」という第100話の最後のセリフが、どこで誰が発したものなのかも考え直さなきゃいけないと思っている。

このセリフを最初に聞いたときから、なんか風太郎っぽくないなぁ、どちらかというと、風太郎父のセリフだよな―、と思っていたのだけど、多分、本当に風太郎父なんだよ。

じゃあ、何を「待たせた」のかというと、これ、風太郎父がマルオに言っていた、彼らの「同窓会」なんだよ、きっと。

マルオ、風太郎父、下田さん、それに無堂、の4人による同窓会。

その場面に五つ子が立ち会うという形で、無堂との再会が図られるんじゃないかな。

少なくとも109話の五月への応対ぶりをみると、下田さんは「伝説の塾講師」が無堂であることも知っていて、だから、直接的には五月に彼が来ることを教えていなかった。多分、五月を無堂に無造作に会わせるのは避けていたんじゃないかな。

もしかしたら、下田さんが塾講師になった背後には、無堂が口を利いた、なんてこともあったのかもね。

逆に、風太郎父は下田さんとは日頃から連絡をとっていて、彼女ルートで無堂が来ることを知り、マルオに「同窓会、やろうぜ!」と持ちかけたことになる。

風太郎の様子だと、もともと風太郎父は日の出祭の初日には来る予定ではなかったにもかかわらず現れていたのは、下田情報で無堂が初日に来ると知っていたからかもしれないね。

まぁ、この流れだと、風太郎父は、何もかも知りながら、五つ子と風太郎の関係をずっと見ていた、というか、見守ってきていた、ことになって、ラスボス感が半端なくなるわけど。

てか、もしかすると、6年前に風太郎が京都で出会った子のことも写真を見て、あ、零奈先生のお嬢さんの一人だ、って気づいていたのかもしれない。

そうなると、むしろ、気になってくるのは、未だでてこない風太郎母の話だけどね。

でも、風太郎と五つ子が同い年なのだから、すでに五つ子が誕生した時点で、何らかの情報を風太郎父が掴んでいた可能性はあるよね。だいたい、マルオが思い切りコミットしているのだし。

ということで、日の出祭の目玉は、ずっと風太郎が五つ子の誰を選ぶのかにあると思っていたのだけど、それは実は盛大なミスリーディングで、話の根幹は、五つ子の家族の問題、とりわけ無堂の登場と、風太郎父たちによる「同窓会」の開催にあった、ということになりそう。

あ、そうだね、やっぱり、彼らの同窓会に、風太郎と五つ子が立ち会うってのがポイントなんだろうな。

あとは、突然の竹林の登場にも、場合によると無堂が一枚かんでいるのかもしれないなー、なんて思ったり。風太郎父かもしれないけれどw

ともあれ、ここまで書いた、ある意味どうしようもないほどの妄想wは、どう考えても無堂の登場というイベントは、次回の1回で片付くようなものではないと思っているから。

というか、五月にせよ、多分、その五月の支えとなるであろう風太郎が、無堂の存在を他の五つ子に秘匿し続けるとは思えないから。

加えて、風太郎の情報源が、そもそも彼の父親であるということ。

あの真っ直ぐでお節介な風太郎父子が(ついでにらいはも)、マルオを含めて五つ子の家族問題をそのまま放置しておくとは思えないんだよね。

・・・ってここまで書いてきて、あ、そうか!と気づいたことだけど、わかった、風太郎はきっと、無堂と五つ子の家族の問題を、行きがかり上、竹林に相談することになったんじゃないかな。

だとすれば、竹林が100話の、さっきの「よぉ 待たせたな」というシーンの直前で、「頑張りなよ、風太郎」というのも理解できる。

この「頑張りなよ」というのは、五つ子の家族を取り戻すことに頑張りなよ!、ってことなんだよ、きっと。

幼馴染の竹林からすれば、そんなお節介で熱血な、ある意味でヤンキーな風太郎こそが、彼女が小学生の時に手を焼いた風太郎の姿であり、そこにこそ、彼の本質があるということなんだと思う。

てかさ、さすがに五つ子の家族のことについては風太郎も、当事者である一花、二乃、三玖、四葉、五月に相談することはできないでしょ。

で、竹林は、絶対、四葉が倒れた後、風太郎に連絡したはずだから。

その時に、風太郎は、竹林に相談しているんだろうね。

となると、日の出祭2日目の、四葉が倒れる前に、無堂と五月の揉め事?に風太郎は介入していることになるのか。

そうなると、2日目の、五月がプラカードをもちながら二乃とクラスの売店の呼び込みをしている場面(これも100話。うわぁ、100話、重要な仕込みばっかりじゃんw)の時点で、すでに無堂との問題は解決されていて、ということは、五月は風太郎とのキスを終えていたことになるw

なんと、五月、五つ子の中で、一番先に風太郎とキスしていたことになるのかw

でもそれなら、二乃とのやりとりで「あんたが風太郎に選ばれる可能性がある」と指摘されてモジモジしたり、風太郎を従えてきた竹林に対して「風太郎との関係の深さでは負けない」と宣言してみせたのも理解できる、かな。

うーん、さすがは記念すべき第100話、全部、すでに書き込まれているではないか!
びっくりw

ともあれ、五月は、実父・無堂との再会事件をきっかけに、風太郎の存在の大きさを、竹林に喧嘩を売るくらい「深い」ものとして納得した、ということだな。

うーむ。

次回が楽しみだな。

てか、日の出祭エピソード、全編がもう叙述トリックだらけで、これは何のマンガか、と思ってしまうくらいw

ラブコメと思って読んでたら、家族愛を巡る一大騒動でした!というのがどうやらオチになるみたいw

ともあれ、風太郎父の暗躍に、次回、期待だな、やっぱり!

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五等分の花嫁 第109話 『最後の祭りが五月の場合①』 感想

2019-11-06 11:56:55 | 五等分の花嫁
なんと、やっぱりそう来たかー。
遂にラスボスたる五月たちの実父、登場!

にしても、前回の感想で書いたとおりになるとはね。
しかも、その実父が例の「伝説の塾講師」、その名も無堂。

一から五までの名を持つ五つ子の母が、ゼロの零奈だったのに、
その父は、そもそも存在否定の「無」とはね。。。
この先の展開の険しさを暗示するような名前だなぁ。

というか、「零」と「無」とは、似て非なる言葉だから、
その「似て非なる」ところが、最終的に
無堂と零奈の夫婦が破綻する理由だったんだろうなぁ。
多分、理想を巡る扱いの違いというか。


というわけで、今回は、もうこの無堂先生の登場!、に尽きる。

しかも、この無堂先生、やっぱり、日の出祭初日の99話で、フータローが道案内していた髭面のおっさん?爺さんだった。
これも、きっと無堂はフータローとわかって接触してきたんじゃないかなぁ。
となると、フータローにとっては、マジでラスボスだろうなぁ。

あと、この展開だと、五月が、無堂ではなく、理想とする父の姿を重ねる相手としてフータローを見て、そこから思慕の念が生まれる、ということなのだろうね。

なんていうか、フータローの存在自体が、五月の心の支えとして不可欠の存在になる展開。
その一方で、おそらくは次回以後の話になると思うけど、五月の夢、すなわち、零奈のように教師になる、という夢を、フータローが全肯定していく流れになるのだろうな。
無堂の言うような「母の呪い」なんて捉えるのではなく。
そうして、フータローが無堂に対して、全肯定の「有」を主張する。

・・・って展開なら、五月がフータローに想いを寄せないはずがないよね。

さっきちょっと書いたけど、
零奈の「ゼロ」と、無堂の「無」は、似て非なるもの。
ゼロは、存在自体はあって、おそらくは、出発点としてのゼロポイント。
対して、無は、文字通り、何もかも相対的にみて、実体を感じない見方。
要するに、枯れた爺さんの見方、ということになるのだけど、
そんなジジイの見方なんか、根が熱血のフータローが認めるはずがない。

ということで、多分、フータローと無堂の間で、大げさにいえば、人生観を巡る言い争いが起こるに違いない。

今回、無堂が五月を諭した言い方で行くと、人まねなんかしちゃだめ、誰かを理想像なんかに置いちゃだめ、自分で考えろ!、ということなんだろう。
少なくとも、無堂の中では、死別した零奈を理想と仰ぐ五月の姿には、単純に憧れの母になりきりたい、という一種の投射なり転移の心理を見ているのだろうけど。

でも、そんな五月に対する無堂の理解は、あくまでも子どもの頃の、それも幼少の頃の五月の姿からの勝手な連想にすぎなくて、フータローからすれば、俺がこいつら(=五つ子)と出会って変わったように、こいつらも俺と出会って変わったんだ!、とか言って、無堂の勝手な言動を全否定していくんだろうな。

あと、フータロー的に看過できないのは、彼自身も、今の自分があるのは、6年前の零奈=四葉との「誓い」があってのことで、その誓いがあったからこそ、自分はがんばれた、ということを知っているから。

なので、多分、フータローからすれば、無堂の夢や理想を否定する態度は、零奈=四葉に出会ってから以来の今までの自分の歩みをも否定するものとして、絶対的に戦わなければならないもののはずだから。

いわば無堂のいう「身の丈にあった未来」の選択、なんてクソくらえ!というのがフータローの基本姿勢になるのだと思う。

ということで、単純に五つ子の実父ということだけでなく、この無堂は、フータローにとってのラスボスになる感じがプンプンするなぁ。

そういう意味では、何かとはじめから達観してるマルオでは、きっと、この無堂に対峙することができなかった。
というか、そもそも、無堂からすれば相手にならない「真面目な子」くらいにしか見えなかったんだろうな

だって、フータロー父の話しぶりからすると、無堂って、マルオやフータロー父の担任だったんでしょ?きっと。
で、その担任が、かつての教え子で、新卒の教師となって赴任してきた零奈と結婚した、という展開なのだろうから。

零奈親衛隊会長のマルオの憤怒たるやいかばかりだったのかw
しかも、五つ子をおいて、無堂は消えてしまったのだから。

そしてこうなってくると、いやがおうにも、フータロー父のその間の行動も気になってくる。
もしかして、五等分世界の人びとの出会いを裏で操作していたのはフータロー父だったんじゃないの?とまで思えてくるw

まぁ、もちろん、教師という立場にあった無堂が、五つ子をおいて消えたのだから、それ相応の理由や事情はあるわけで、その話もおいおい、語られていくのだろうな。
きっと、フータロー父の口からw

今回の日の出祭のエピソードで、無堂のことまで解決できるとはとても思えないので、次回は、フータローと無堂の第一回戦が行われて、その様子を見た五月が、フータローのことが好きだ、というのを明確に意識するところで終わるのだろうし、今までのパタンからすると、その御礼としてのキスなのかもしれないねw

ともあれ、ここまで、前回の予想が当たるとは思っていなかった。
次回の話、
そして、日の出祭の終了のときの、五つ子とフータローの「新たな関係」の構築がとても気になる。

とはいえ、いやー、ほんとに来たか、実父問題。
漫画で父の話をするのって、結構ムズいよね。

いやまぁ、無堂が自称「五月の父」の可能性もゼロではないのだけどw

それこそ、ねぎ先生も大好きなネギま!においても、ネギくんにとっての父ナギは最後まで理想の父であり、その父に辿り着くのが物語の幹の一つだった。

対して、この五等分の場合は、父がずっと不在のままここまで来ていたとおもっていたら、むしろ全否定の塊のような圧倒的「ノン(否)」として、完全に乗り越えるべき障壁として現れるのだから。

もちろん、妻にする女性の父は、求婚を申し出る男性からすれば、最後の障壁、というのは、ある意味でお約束中のお約束なのだけど、それがきっかけで、女性=五月が男性=フータローのことを意識させる起爆剤にする、というのは、なんともトリッキーな展開だと思う。

ともあれ、これで、最終兵器・五月が、強制的に舞台に上がる、という感じかな。

あわせて、その過程で、フータローが、フータローの口から、零奈=四葉との誓いがどれだけ今の自分を形作っているかを無堂に向かって力説することになるだろうから、それを聞いて、四葉が一人だけ離脱を決め込むとはやっぱり思えない。

つまりは、ようやく五つ子全員が舞台に上がる、ということ。
最後の五月回になって、ようやく時間の流れがストレートになってきた気がする。

ホント、この先、どうするんだろう。。。
いやー、楽しみだなぁ。

てか、トリックスターとしてのフータロー父の暗躍に目が離せないw

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ありふれた職業で世界最強 ウェブ版全部 感想 ネギま!好きは是非読むべしw

2019-11-05 12:40:02 | ありふれ
結局、「ありふれ」、アフターストーリーまで含めて一通り読んだw
まさか、最後(といってもまだ連載中なんだけど)まで読むとは思わなかったけどw
長かったー。
でも、変なそこらへんの物語よりも面白かったかな。

で、いろいろと感想はあるのだけれど、まずは言わなくちゃいけないのは、
この作者、『ネギま!』が大好きだったんだろうなぁ!、ってことw

ある意味で

私家版『ネギま!』、

ないしは、

『ネギま!』アナザーストーリー

といっていい感じ。
本家の続編であるUQHがとても続編とはいえないグダグダなものになりさがってしまっているだけに一層、『ありふれ』のネギま!スピリット(?)が際立ってしまう。

だって、アフターになると、もうネギま!ネタばっかりだもの。
特に、シアね。
彼女のバグキャラ化のネタは、ネギくんの師匠たるジャック・ラカン。
あったよねー、気合い防御w
身体強化マックス!ってそういう方向かよ!、と思わずツッコみたくなるw
ラカンインパクトやエターナル・ラカン・フィーバーwのオマージュもあるしw

で、シアがラカンなんだって目で見ると、キャラだけでなくプロットまで含めてネギま!っぽく見えてくるから不思議w

ハジメこそ、右目の邪眼がぁ。。。、俺の左腕がぁあ。。。(笑)の、完全な厨二設定なわけだけど、天職は錬成師ってところから、ネタ元はハガレンになるわけだけど、全編に亘る彼の「開発力」や「アイデア力」という点では、それこそ、ラカン戦のときに魔法の「開発力」でラカンの身体能力に挑んで勝利したネギくんとダブって見えてくるわけで。

そう思うと、吸血姫のユエって明らかにネギま!のエヴァ、だよね。
明日奈ではなくエヴァがメインヒロインだった『ネギま!』

そういえば、『ネギま!』も終盤、明日奈が囚われの姫になってしまったし。
それに、物語の終盤が、主人公が囚われの姫の吸収に向かう一方で、世界を賭けた総力戦が行われる、という構図も一緒。

ティオは竜人族って設定からしてネギま!の魔族キャラだし。
香織は、夕映&本屋ちゃんかなぁ。
雫は大河内?
リリィや愛子先生もネタ元探せそうだしw

そうそう、アフターを読むと、優花が千雨にしか見えなくなってくるしw
どちらも、主人公の心根をよく知る愛人気質。
主人公に本命があると知りながら、なんだかんだいいながら、そのバックアップを影で行ってしまう子。
UQHで、実はネギくんが選んだ本命が千雨だった、という結末が示されたりすると、あれもしかして優花も・・・?とか、思いたくなってしまうw
ハウリアではないけど、未来に絶対はない!ので。

ってな具合で、『ありふれ』のネギくんオマージュは結構多い。

異世界を亘るゲートの利用なんて、まんま、超鈴音の渡界機だしね。

そもそも、主人公だけでなくクラス全員を異世界に転移させた、という構図からして、ネギま!っぽい。

というのも、アフターになると、このクラス全体の転移、というのが、サブキャラやモブキャラの格上げしたりするためにも実は役立っていたりして。

遠藤=深淵卿の準主人公への格上げや、
本編では、タダのクズキャラだった勇者(笑)=光輝の更生とか、
ネタに困らなくなるし。

というか、この転移されたクラスが「帰還者」というカテゴリーで呼ばれる、というのが、本編とは全く異なる物語のイメージを喚起させるところも上手い。

「帰還者」が一種のコードネームとして、東洋の異能力集団みたいになり、そこからイギリスのなんちゃってMI6や、バチカンのエクソシストが絡んでくる、という展開になるのだからw

とはいえ、帰還後の地球では、もはやハジメ一行は、文字通りの「魔神」一味として君臨することになるので、下々の等身大の事件になんか関わることができない。だって、関わった瞬間、神のような圧倒的力で解決が図られてしまうから。

そこで、魔王の片腕たるコースケ・E・アビスゲート(笑)のように、さりげなく人類最強、のレベルでまずは細かいお話が進んでいき、いざ大団円!というところで、必要ならハジメ・パーティが参戦して圧勝!ということになる。

で、このコースケの地球での役割を異世界トータスで引き受けているのが、いまだに彼の地に残って勇者(笑)の光輝ということになるわけで。

このあたりのキャスティングは上手いよね、ほんとに。

結果として、神をも圧倒する「魔神」たるハジメたちは、要所要所の異世界物語で登場すれば、忘れていた「無双」を示すことができる。

で、どうやら、異世界については、北欧神話の「世界樹」設定が導入されるようで、多分、あるタイミングで、今度は、地球やトータス、あるいは、アフターになってから登場したトータス以外の異世界も含めて、巨大な話になるのかもしれない。

てか、普通に考えて、ラグナロクwなんだろうな、きっとw
総力戦のレベルが更に膨れ上がるということでw
盛大な祭りになるのだろうw


にしても、前にも書いたように、このお話はもう、ホント、「全部盛り」の超・盛り盛り!

前にも書いたように、本編では、宮﨑駿のジブリ風のボーイ・ミーツ・ガールを愚直にやりながら、アフターストーリーでは、押井守の手になる『うる星やつら』のようなドタバタだが、ちょっとほっこりさせられる日常世界を描いていく。

その日常世界のトリックスターがミュウなわけでw
てか、ミュウは下手すると、物語全体のラスボス的なトリックスターになる可能性もあるけれど。
なんたって、彼女の方が、ハジメとシアを引き寄せたという、超「魅了」の力の持ち主であることがほぼ確定してきているからw

だいたい、アフターストーリーは、本編に対する、著者自らの手による、それぞれのキャラ中心の二次創作なので、そういう意味では、キャラをいじるという点では、もう死角なし!って感じの、モリモリの転がし方。

本編がいわゆる「大戦もの」のカテゴリーの「有事の物語」だとすると、アフターストーリーは、戦争後の「日常」を描く「平時の物語」であり、当然、有事と平時では各キャラクターの個性の評価も変わってしまう。

有事においては、最強かつ最凶の吸血姫であるユエも、平時においてはポンコツになってしまう、という感じw

キャラクター一人ひとりについて書いていったら、正直、キリがないのだけど、平時では、ユエと香織がただのケンカ友だちとなって、どちらもダメさや残念さを競うキャラになったり、シアは家事全般が得意なウサミミ殴殺魔として、むしろユエに代わる大黒柱的キャラになったりする。
忍術・八重樫流による雫の微妙なネタキャラ化なんて、本編のときには想像もつかなかったしw
もちろんダークホースは完全にミュウで、むしろラスボス的貫禄すら漂わせてしまうw

こんな具合に、とにかく、何でもありの世界になってしまう。
だけど、面白いのは、その何でもありが、一応、あー、あり得るかも・・・、と思わせてしまうところね。これも、作者の上手いところ。

しかし、ホント、美味しいところの全部盛りの物語ですごいw
多分、ゼロ年代の漫画やアニメの要素はほとんど盛り込まれている。

ということで、とりあえずは本編を畳むアニメ二期の放送がいつになるかは気になるところ。

でも、それ以上に、作者自身「広げた風呂敷を畳む」と宣言しているウェブ連載がどういう形で決着がつくのか、気になるところ。

といっても、アフターの構成をみると、この物語はいつ終わっても、もはや容易にリブートできるから、文字通りの「終わらないコンテント」になりそうだけど。

その意味で「渡界機」設定は万能だよね。

ということで、ネギま!好きは、ありふれ、楽しめるんじゃないかな。

とりあえずは、ウェブ連載の更新を待つことにする。

だって、この間始まった、魔王&勇者編、なんて、どうやらファンタジーではなくSFを地で行く異世界攻略に挑むみたいだしw

ホント、渡界機設定、万能だよなぁ。

しかし、そう思うと、ネギま!って、全部盛りのモリモリものだったんだね。
今更ながら実感w

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