本日の日経BPからの電子メールに「カメラ撤退のコニカミノルタ、社外取締役が社内の「未練」断ち切る」と言う記事があった。
昨日のブログで、同社のカメラ・フィルム撤退は遅きに失したと書いたので、今回の商法改正に従って、コニカとミノルタが合併した時点で、委員会制度を導入した会社である事もあって、一層興味深く読んだ。
9月期の中間決算発表時点では、複写機等企業向けの事業に集中、時間をかけてカメラ事業を縮小すると言うソフトランディングの選択肢があったようだが、4人の社外取締役の説得によって一挙にカメラとフィルム事業から完全撤退と言うハードランディングに決したと言う。
発表が遅れたのは、社内取締役への説得に時間を要し、一眼レフ譲渡に対するソニーの回答が遅れたかららしい。
フィルムの小西六であり、カメラのミノルタであり、本業の本業たるコア事業からの撤退であるから、複雑な社内事情は良く分かるが、あのIBMさえパソコン事業を中国企業に売り払ってしまう時代であり、命運の尽きた本業に固守したばかりに消えていった企業も沢山ある。
島津、コマツ、ダイキン、明治乳業のトップ経験者の社外取締役であるから、製造業における衰退事業の末路については知りすぎるほど知っていたのであろう、委員会制度を形だけ導入した企業が多い中で、コニカミノルタは、しっかりとコーポレートガバナンスが機能したのである。
昨年、ソニーの役員交代も社外取締役の先導だと聞くが、この時も、アメリカ型の経営組織における日本的なコーポレートガバナンスの現われだと思った。
ところで、コニカミノルタで面白いのは、後継社長の指名について社外と社内の取締役で見解が分かれていると言うことである。
会社側は、社外取締役が過半数を占める指名委員会で、後継社長を決めて欲しいと望んだが、社外取締役は、指名委員会は、役員候補を指名するだけであり、後継社長の指名は断ったと言う。
会社法第404条①に、指名委員会は、株主総会に提出する取締役の選任及び解任に関する議案の内容を決定する。と書いてある。
後継社長、即ち、代表執行役は、第420条①において、取締役会は、執行役の中から代表執行役を選任しなければならない。としており、第416条の委員会設置会社の取締役の権限 七において、代表執行役の選定及び解職を記している。
従って、社長の決定は、取締役会で行われるべきが法の建前であるが、実際は、指名委員会で内定されると言うこともあると言うことであろうか。
社長ぐらいは自分達で決めろと言うコニカミノルタの社外取締役も面白い。
ところで、参考にしたアメリカの委員会制度を導入した商法改正が始動し始めた時期に、アメリカでエンロンやワールドコムの事件が起こって、アメリカの社外取締役制度が有名無実で、機能していないことが暴露されてしまったのであるが、最近は、法律をいくら変えても企業の不祥事は後を絶たなくなってしまった。
最近でも、姉歯耐震強度偽装事件、ライブドア関連の証取法違反事件、防衛施設庁に絡む談合事件等々、とにかく、人気絶頂であった小泉内閣の屋台骨を揺すぶり始めて、外交問題が更に悪化すると、上向きかけた景気も心配になってくる。
もう一度、会社のコーポレート・ガバナンスを考えてみよう。
定義が極めて難しいが、英国のキャドベリー委員会は、「コーポレート・ガバナンスとは、企業を取り締まり、統治する仕組み」だとしている。
どちらかと言うと、経営そのものよりは、方針決定(取締役会)と統治(株主)とについて言及しているようだが、チャーカム氏などは、「株主の力と責任」の中で、
「優良企業とは、経営も良く、方針決定も優れ、株主の統治も効いている。実のところ、良いコーポレート・ガバナンスのなかには、有能な経営陣を確保することも含まれる。最近目につく経営陣の失敗は、制御機能や管理機能の弱さに起因するものが多い。」言っている。
それから、同様に重要なのは、コンプライアンス・遵法とCSR・企業の社会的責任の重視であろう。
最近、古い日本の家訓や社是などを引用して、商業道徳、或いは、企業人のあるべき姿等が論じられることが多くなったが、企業倫理の退廃の問題も大きい。
司法制度の不備は、本来は企業倫理で補うべきを、法の抜け穴ばかり追求してその空隙を衝いて利益を得ようとする会社の輩出、例えば、東横インの検査後に違法な改装を繰り返す全社ぐるみの違法行為など、コーポレート・ガバナンスは問題外で、コンプライアンスもCSRの精神など微塵も感じられない。
社長がイミジクも言っていたが、制限速度60キロの所を、67~8キロで走っていても良いかなと思ったと言う考え方は、法律の遵守とその違反を、交通違反のようにしか考えていない現在の日本社会の風潮に問題がある。
その考え方の中には、誰もが大なり小なり同じ事をやっていて、見つからなければ良くて、見つかった人間は運が悪いのだと言う発想がある。
独禁法の改正で、違反の場合の課徴金が高すぎるといって値切る経済団体がある国だから、法化社会には程遠いのかもしれない。
今度経団連の会長に就任するキヤノンの御手洗社長は、日本的な経営を重視し、コーポレートガバナンスの比較などナンセンスだと言っている。
コーポレート・ガバナンスは、国と時代によって刻々と変化する。
その制度を育んできた国の、社会・経済・法制・政治的背景に照らして最適なものを打ち立てることが最も大切であり、あのアベグレンも日本的なコーポレート・ガバナンスの構築を提言している。
もう一つ、会社法は、プロの経営者による会社経営を期待している。
プロの資格のない経営者によるコーポレート・ガバナンスが行われている所に問題がある、そう思っているのだが如何であろうか。
昨日のブログで、同社のカメラ・フィルム撤退は遅きに失したと書いたので、今回の商法改正に従って、コニカとミノルタが合併した時点で、委員会制度を導入した会社である事もあって、一層興味深く読んだ。
9月期の中間決算発表時点では、複写機等企業向けの事業に集中、時間をかけてカメラ事業を縮小すると言うソフトランディングの選択肢があったようだが、4人の社外取締役の説得によって一挙にカメラとフィルム事業から完全撤退と言うハードランディングに決したと言う。
発表が遅れたのは、社内取締役への説得に時間を要し、一眼レフ譲渡に対するソニーの回答が遅れたかららしい。
フィルムの小西六であり、カメラのミノルタであり、本業の本業たるコア事業からの撤退であるから、複雑な社内事情は良く分かるが、あのIBMさえパソコン事業を中国企業に売り払ってしまう時代であり、命運の尽きた本業に固守したばかりに消えていった企業も沢山ある。
島津、コマツ、ダイキン、明治乳業のトップ経験者の社外取締役であるから、製造業における衰退事業の末路については知りすぎるほど知っていたのであろう、委員会制度を形だけ導入した企業が多い中で、コニカミノルタは、しっかりとコーポレートガバナンスが機能したのである。
昨年、ソニーの役員交代も社外取締役の先導だと聞くが、この時も、アメリカ型の経営組織における日本的なコーポレートガバナンスの現われだと思った。
ところで、コニカミノルタで面白いのは、後継社長の指名について社外と社内の取締役で見解が分かれていると言うことである。
会社側は、社外取締役が過半数を占める指名委員会で、後継社長を決めて欲しいと望んだが、社外取締役は、指名委員会は、役員候補を指名するだけであり、後継社長の指名は断ったと言う。
会社法第404条①に、指名委員会は、株主総会に提出する取締役の選任及び解任に関する議案の内容を決定する。と書いてある。
後継社長、即ち、代表執行役は、第420条①において、取締役会は、執行役の中から代表執行役を選任しなければならない。としており、第416条の委員会設置会社の取締役の権限 七において、代表執行役の選定及び解職を記している。
従って、社長の決定は、取締役会で行われるべきが法の建前であるが、実際は、指名委員会で内定されると言うこともあると言うことであろうか。
社長ぐらいは自分達で決めろと言うコニカミノルタの社外取締役も面白い。
ところで、参考にしたアメリカの委員会制度を導入した商法改正が始動し始めた時期に、アメリカでエンロンやワールドコムの事件が起こって、アメリカの社外取締役制度が有名無実で、機能していないことが暴露されてしまったのであるが、最近は、法律をいくら変えても企業の不祥事は後を絶たなくなってしまった。
最近でも、姉歯耐震強度偽装事件、ライブドア関連の証取法違反事件、防衛施設庁に絡む談合事件等々、とにかく、人気絶頂であった小泉内閣の屋台骨を揺すぶり始めて、外交問題が更に悪化すると、上向きかけた景気も心配になってくる。
もう一度、会社のコーポレート・ガバナンスを考えてみよう。
定義が極めて難しいが、英国のキャドベリー委員会は、「コーポレート・ガバナンスとは、企業を取り締まり、統治する仕組み」だとしている。
どちらかと言うと、経営そのものよりは、方針決定(取締役会)と統治(株主)とについて言及しているようだが、チャーカム氏などは、「株主の力と責任」の中で、
「優良企業とは、経営も良く、方針決定も優れ、株主の統治も効いている。実のところ、良いコーポレート・ガバナンスのなかには、有能な経営陣を確保することも含まれる。最近目につく経営陣の失敗は、制御機能や管理機能の弱さに起因するものが多い。」言っている。
それから、同様に重要なのは、コンプライアンス・遵法とCSR・企業の社会的責任の重視であろう。
最近、古い日本の家訓や社是などを引用して、商業道徳、或いは、企業人のあるべき姿等が論じられることが多くなったが、企業倫理の退廃の問題も大きい。
司法制度の不備は、本来は企業倫理で補うべきを、法の抜け穴ばかり追求してその空隙を衝いて利益を得ようとする会社の輩出、例えば、東横インの検査後に違法な改装を繰り返す全社ぐるみの違法行為など、コーポレート・ガバナンスは問題外で、コンプライアンスもCSRの精神など微塵も感じられない。
社長がイミジクも言っていたが、制限速度60キロの所を、67~8キロで走っていても良いかなと思ったと言う考え方は、法律の遵守とその違反を、交通違反のようにしか考えていない現在の日本社会の風潮に問題がある。
その考え方の中には、誰もが大なり小なり同じ事をやっていて、見つからなければ良くて、見つかった人間は運が悪いのだと言う発想がある。
独禁法の改正で、違反の場合の課徴金が高すぎるといって値切る経済団体がある国だから、法化社会には程遠いのかもしれない。
今度経団連の会長に就任するキヤノンの御手洗社長は、日本的な経営を重視し、コーポレートガバナンスの比較などナンセンスだと言っている。
コーポレート・ガバナンスは、国と時代によって刻々と変化する。
その制度を育んできた国の、社会・経済・法制・政治的背景に照らして最適なものを打ち立てることが最も大切であり、あのアベグレンも日本的なコーポレート・ガバナンスの構築を提言している。
もう一つ、会社法は、プロの経営者による会社経営を期待している。
プロの資格のない経営者によるコーポレート・ガバナンスが行われている所に問題がある、そう思っているのだが如何であろうか。