昨日と今日、NHKハイビジョンで、「うるわしのアジア 仏の美100選」が放映されていた。これまで何度かBSでも放送されていたが、ヴィデオにも録っていて、放送は飛び飛びに見ている。
残念ながら、海外の仏はタイだけだが、日本の国宝の仏像は殆ど見て回ったので、とにかく、どの御仏も懐かしい。
万博が終わった頃に東京に移ったのだが、それまでは関西で生活しており、奈良や京都を中心に、それに滋賀、大坂、和歌山等古社寺を精力的に回った。
地方の古社寺や博物館は、旅行や出張の途中に暇を見て歩いた。
和辻哲郎の「古寺巡礼」や亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」等を読んで触発されて、分かったような顔をして歴史散歩を楽しんでいたのだが、少しづつ引き込まれてしまって、趣味になってしまった。
その趣味が高じて、海外に出るようになってからは、美術館や博物館は勿論、寺院や宮殿などの歴史的建物や歴史遺産、遺跡等、歴史と芸術の美を求めて暇にまかせて歩いた。
記憶に残っている私が最初に見た御仏は、奈良の大仏で、小学生の遠足の時で、鼻の穴の大きさと同じだと言う柱の穴を潜り抜けたのを覚えている。
鼻の穴は丸いのに何故柱の穴は正方形なのか、何処が大きさが同じなのか、と変なことを考えていた。
好きな仏、思い出深い仏など数々あるけれど、私にとって一番身近な御仏は、宇治・平等院の鳳凰堂の阿弥陀如来坐像である。
京大に入ると、当時一回生は、黄檗山万福寺の側にある宇治分校に通うことになっていて、自宅から遠くて通えなかったので、宇治駅の前の茶問屋に下宿した。
下宿から京阪電車で二駅だったが、宇治川を渡って自転車で学校に通った。
宇治川の堤や中洲は、私の散歩道であった。
宇治橋を東に折れると南側の川岸に沿って平等院があり、木立の間から、鳳凰堂の正面が見える。
庶民の為にと空けられた丸窓から阿弥陀如来が覗いていて、お顔が良く見えた。
天気が良くて気持ちがよく、観光客が少なくなった夕方などを見計らって、平等院の中を散策したり、鳳凰堂に上がって阿弥陀様を仰ぐことが多かった。
少し西に行き醍醐の三宝院に向かう途中に、日野の法界寺があり、ここにもやはり国宝の阿弥陀如来坐像があり、平等院の阿弥陀様に兄弟のように良く似ている。あの頃、田舎道を歩いて訪れる客は殆ど居なかった。
今でも全く同じだが、川岸が少し高くなっていて、鳳凰堂とその前の池が下にあるのだけれど、岸辺に桜や紅葉などの雑木が植わっているので、川岸の道路からは平等院全景は良く見えない。
しかし、この岸辺は、四季の移り変わりには極めて敏感で、春の豪華絢爛たる桜、極彩色の錦に輝く紅葉など、本当に美しくて、その自然の微妙な変化を味わうのが楽しみであった。
それに、中州の向こう側には水量の多い流れの速い宇治川が流れていて、その向こうの対岸には宇治上神社があり源氏物語の道が続いている。
琵琶湖から流れ落ちているので、宇治川の流れは非常に速くて、平家物語の宇治川の先陣争いも大変だったと思われる。
京都の古寺を訪ねると美しい風景画の襖絵を見て感動することがあり、あんな色に山が染まるのかと思って眺めていた。
しかし、私は、実際に、雨の日も風の日も素晴しい天気の日も、宇治川の畔を歩き続けていて、大和絵に描かれたその多くの素晴しい風景を見た。
紫色に山が染まるなど信じられなかったが、雨上がりの美しい日に、宇治川の上流の山が、素晴しい紫色に輝くのを見たのである。
京都も湖の底なので、夏冬の自然の厳しさは格別だが、宇治はもっと夏には暑く、冬には寒い。
冬など、朝起きると、自分の呼吸の水分で、フトンがパンパンに凍りついて硬くなっていた。
その自然の厳しさゆえに、秋の紅葉の色など格別に美しいのだが、藤原時代、この宇治は、別荘地で、道長や頼道は浄土にしようとまでした。自然の厳しさより風土の美しさを愛でたのであろうか。
源氏物語の宇治十帖を読んで、宇治川の畔を歩くと人生観も変わってくる。
ところで、何故か、宇治の隣の三室戸には行っておらず、黄檗山万福寺にはよく行った。
このお寺は、隠元禅師の開創で、伽藍も仏像も全く中国風である。
学生当時は、あまりにも日本のお寺と違うのでビックリしたが、中国に行って彼の地のお寺と見比べると随分大人しく日本的だなあと思ってしまった。
しかし、私にとっては始めての異国情緒への遭遇であった。
残念ながら、海外の仏はタイだけだが、日本の国宝の仏像は殆ど見て回ったので、とにかく、どの御仏も懐かしい。
万博が終わった頃に東京に移ったのだが、それまでは関西で生活しており、奈良や京都を中心に、それに滋賀、大坂、和歌山等古社寺を精力的に回った。
地方の古社寺や博物館は、旅行や出張の途中に暇を見て歩いた。
和辻哲郎の「古寺巡礼」や亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」等を読んで触発されて、分かったような顔をして歴史散歩を楽しんでいたのだが、少しづつ引き込まれてしまって、趣味になってしまった。
その趣味が高じて、海外に出るようになってからは、美術館や博物館は勿論、寺院や宮殿などの歴史的建物や歴史遺産、遺跡等、歴史と芸術の美を求めて暇にまかせて歩いた。
記憶に残っている私が最初に見た御仏は、奈良の大仏で、小学生の遠足の時で、鼻の穴の大きさと同じだと言う柱の穴を潜り抜けたのを覚えている。
鼻の穴は丸いのに何故柱の穴は正方形なのか、何処が大きさが同じなのか、と変なことを考えていた。
好きな仏、思い出深い仏など数々あるけれど、私にとって一番身近な御仏は、宇治・平等院の鳳凰堂の阿弥陀如来坐像である。
京大に入ると、当時一回生は、黄檗山万福寺の側にある宇治分校に通うことになっていて、自宅から遠くて通えなかったので、宇治駅の前の茶問屋に下宿した。
下宿から京阪電車で二駅だったが、宇治川を渡って自転車で学校に通った。
宇治川の堤や中洲は、私の散歩道であった。
宇治橋を東に折れると南側の川岸に沿って平等院があり、木立の間から、鳳凰堂の正面が見える。
庶民の為にと空けられた丸窓から阿弥陀如来が覗いていて、お顔が良く見えた。
天気が良くて気持ちがよく、観光客が少なくなった夕方などを見計らって、平等院の中を散策したり、鳳凰堂に上がって阿弥陀様を仰ぐことが多かった。
少し西に行き醍醐の三宝院に向かう途中に、日野の法界寺があり、ここにもやはり国宝の阿弥陀如来坐像があり、平等院の阿弥陀様に兄弟のように良く似ている。あの頃、田舎道を歩いて訪れる客は殆ど居なかった。
今でも全く同じだが、川岸が少し高くなっていて、鳳凰堂とその前の池が下にあるのだけれど、岸辺に桜や紅葉などの雑木が植わっているので、川岸の道路からは平等院全景は良く見えない。
しかし、この岸辺は、四季の移り変わりには極めて敏感で、春の豪華絢爛たる桜、極彩色の錦に輝く紅葉など、本当に美しくて、その自然の微妙な変化を味わうのが楽しみであった。
それに、中州の向こう側には水量の多い流れの速い宇治川が流れていて、その向こうの対岸には宇治上神社があり源氏物語の道が続いている。
琵琶湖から流れ落ちているので、宇治川の流れは非常に速くて、平家物語の宇治川の先陣争いも大変だったと思われる。
京都の古寺を訪ねると美しい風景画の襖絵を見て感動することがあり、あんな色に山が染まるのかと思って眺めていた。
しかし、私は、実際に、雨の日も風の日も素晴しい天気の日も、宇治川の畔を歩き続けていて、大和絵に描かれたその多くの素晴しい風景を見た。
紫色に山が染まるなど信じられなかったが、雨上がりの美しい日に、宇治川の上流の山が、素晴しい紫色に輝くのを見たのである。
京都も湖の底なので、夏冬の自然の厳しさは格別だが、宇治はもっと夏には暑く、冬には寒い。
冬など、朝起きると、自分の呼吸の水分で、フトンがパンパンに凍りついて硬くなっていた。
その自然の厳しさゆえに、秋の紅葉の色など格別に美しいのだが、藤原時代、この宇治は、別荘地で、道長や頼道は浄土にしようとまでした。自然の厳しさより風土の美しさを愛でたのであろうか。
源氏物語の宇治十帖を読んで、宇治川の畔を歩くと人生観も変わってくる。
ところで、何故か、宇治の隣の三室戸には行っておらず、黄檗山万福寺にはよく行った。
このお寺は、隠元禅師の開創で、伽藍も仏像も全く中国風である。
学生当時は、あまりにも日本のお寺と違うのでビックリしたが、中国に行って彼の地のお寺と見比べると随分大人しく日本的だなあと思ってしまった。
しかし、私にとっては始めての異国情緒への遭遇であった。