熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

二月大歌舞伎・・・平成の菊吉時代「幡随長兵衛」「小判一両」

2006年02月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   二月歌舞伎で一寸話題は、中村吉右衛門と尾上菊五郎の共演で、新しい菊吉時代と云われているとか。
   戦後一世を風靡した初代中村吉右衛門と六代目尾上菊五郎を並び称して菊吉と言うのだが、吉右衛門は孫、菊五郎は養子梅幸の長男であるから縁戚であり、それに二人とも東西期っての人気随一の役者であり、話題性は十分である。
   昔の菊吉時代は知らないが、歌舞伎を救った男マッカーサーの副官フォービアン・パワーズも入れ込んだと言うのであるから、大変な人気があったのであろう。

   ところで今回は、昼の部の「幡随長兵衛」で、吉右衛門がタイトルロールで菊五郎が敵役の水野十郎左衛門、夜の部の「人情噺小判一両」で、菊五郎が笊屋安七で吉右衛門は浅尾申三郎で、夫々、前者は玉三郎が女房お時で、後者は田之助が小森孫市で色を添えているが、二人が主役である。

   前者は、吉右衛門が町人で菊五郎が武士で、後者は町人と武士が逆になっているが、やはり町奴の大親分は吉右衛門であり江戸人情噺の町人は菊五郎であるのは当然過ぎるほど当然であろう。

   小判一両は、宇野信夫の作・演出で、今戸八幡の前の茶店を舞台に幕が開く。
   しんみりした安七の昔語りの後、凧を取られたと子供を追いかけてきた凧売り吉六(権十郎)と大喧嘩、江戸下町の風情ムンムンとした雰囲気である。
   ところが、この子供小市(男虎)は、浪人小森孫市の息子で糊口を凌ぐのがやっとであることが分かり、安七は、親父から貰ったなけなしの一両をやってしまう。
   これを見ていた侍(吉右衛門)が、感心して安七を持て成す為料亭へ誘うが打ち首かと思って安七はビクビク、ところが褒められて酒をご馳走になり、しこたま酔って、「見ていたのなら何故浪人に声を掛けなかったのか」と詰問する。
   侍は「声を掛けないのが情け」と答えるが、人間皆同じと感じて孫市に侘びに出かける。
   しかし、孫市は、我が子1人さえ養えず行きずりの安七から情けを受けたことに身の不甲斐なさを感じて自害していた。

   侍同士、情けをかけぬのが情けと言う武士の世界には通用しない町人達の美談が悲劇を招く泣き笑いを、こよなく落語を愛した宇野信夫のしんみりした、しかし、胸にジンと来る話を、菊五郎が実に爽やかに、そして、感動的に演じている。
   立場によって人生観が違う、人生は切ないものだと感じたと言う吉衛門、淡々と、しかし、菊五郎との対話を通して人生を語っている。
   人間国宝・田之助、しょぼくれた浪人を演じているが、存在感抜群で、現役の吉右衛門との対象の妙が涙を誘う。

   「幡随長兵衛」の舞台は、やはり江戸が舞台だが、がらりと変わった江戸で、火事と喧嘩は江戸の華と言う切った張ったの任侠の世界で、町奴と旗本奴との対立抗争。
   太平楽を決め込んだ江戸の謂わば徒花の世界だが、町人が武士に挑んだ町のヒーロー大親分をやんやの喝采で囃す。
   今回の舞台は、「公平法問諍」の場で、村山座の喧嘩から水野邸に呼ばれて湯殿で殺害されるまで。
   旗本8000石と渡り合って意地と美学に人生を捧げる幡随を吉右衛門が豪快かつ繊細に演じていて、自分勝手な道理で手を下す水野を菊五郎が風格と権威を示して上手く演じていて、二人の対決が素晴しい。

   玉三郎の女房お時はやはり秀逸、覚悟を決めて生きてきた人生だが最後の心の揺れを実に上手く表現している。
   門口で「早く帰ってきて」と駆け寄る倅長松(橋之助の次男国生)を抱きしめてほろっとする吉右衛門の涙が唯一の揺れで、死に場所を求めて生き続けてきたシガナイ渡世人人生に見切りをつけた幡随には、最初から最後までぶれも揺れもない。
   太平とは云え、何にも世の中の為にやってくれずに威張っているだけの武士への鬱憤が爆発したのがこの舞台、歌舞伎座でやんやの喝采を受けるのは当然であろう。

   江戸は、ある意味ではアウトローがヒーローであった世界で、ここでも、村の長の役割を、幡随のような口入家業の親分が仕切っていた。
   談合の世界も、官民の癒着もこの歴史と伝統の延長で、競争することが共倒れと考えて長いものに巻かれてお任せして秩序を保とうとした庶民の知恵が、裏目に出てしまった。

   それは兎も角、平成の菊吉の舞台、観て損はない。
コメント (1)
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