今日、新高輪ホテルで、蔵前高専・東京工大の同窓会の「蔵前工業会創立100周年記念特別シンポジューム」が開催され、白川英樹、野依良治、小柴昌俊の3人のノーベル賞学者と末松安晴元東工大学長による「21世紀の科学のフロントランナーとしてのあるべき姿」と言う演題で討論会が行われた。
日本の科学と技術の発展と産業界の為に多数の逸材を送り続けた最高学府のシンポジュームで会場の熱気も大変なもので、素晴しい3時間であった。
マイクの試験中に行われた前座で、健康法はと聞かれて、白川氏は畑仕事、野依氏は仕事、小柴氏は1日11時間の睡眠と出来るだけの散歩、末松氏は出来るだけ歩くことと答えていた。
この10年の日本社会の科学に対する対応について、
白川氏は、
基本法によって始めて科学が認知されたが、成果を性急に追い求める傾向が強いが、地道に、しっかり、時間をかけてやるもの。成果ばかりを期待されても困る。
野依氏は、
産業技術や経済活性化ばかり強調されるが、科学はこれ等の下僕になりさがってはいけない。
科学は、無限に広がった知の創造であり、技術より圧倒的に広大な学問である。
科学の本質・可能性・重要性について真剣に考えるべきである。
小柴氏は、
日本のニュートリノは世界最高。日本には、世界に誇るべきトップ分野の科学があることを知っておいて欲しい。
基礎科学については、
野依氏は、
宇宙の歴史から見れば、人間の存在などささやかなもので、人間が純粋に生きてゆく為には、基礎科学の知識が極めて重要である。
基礎科学の最も重要な点は、自然をより深く理解させてくれることであり、まっとうな自然観は、人間とは何かを、そして、謙虚さを教えてくれ人間が人間らしく生きる糧となる。
小柴氏は、
応用科学はその先の成果をある程度見通せるが、基礎科学は全く予測がつかない。先が分からないからやるのであって、国家の役割である。
基礎科学は、株取引と同じで、株価の将来を見通せる学問等ない。株で儲ける人は、考えて考えて、ヤマカンの当たりが良いからである。
基礎科学も同じで、その分野でうんと苦労をして考えて考えて、ヤマカンが当れば成功する。
基礎科学の将来など誰も予測など出来ない。
役所は、科学分野の将来などにつき理論に秀でた有名専門家を集めて判定するが、公平な判断など不可能である。
理論屋には、一流と二流があるが、二流は、何でも自分の理論で分かると思っておりこの数が圧倒的に多い。一流は、自分の判断に限界があること意識しているのだが数が少ない。
これ等の集合体の出す結論は推して知るべしである。
白川氏は、
基礎研究を行っている人は、見返りなど期待していない。
ワトソンの二重螺旋の研究などでも、研究中はこれほど偉大な結果とインパクトを与えるなど本人達は考えてもいなかった筈である。
基礎科学を長い目で見る社会を期待したい。
何故科学者を目指したのかと聞かれて、
小柴氏は、非常に興味深い話を始めた。
中学生で病気入院した時に、先生がアインシュタインの本を持って来てくれたのが科学に目覚めた縁だと巷で言われているが、難しいアインシュタインなど分からなかった。
旧制高校の時は、ロマンティストでドイツの恋愛小説にウツツを抜かしていたし、ノーベル賞学者の朝永振一郎氏を紹介されて親しく出入りするようになったが酒ばかり飲んでいて物理の話などしたことはなかった。
理学部に受かり物理を勉強するようになったが好きでもなんでもなかった。
大学院生の時に、先輩に、乾板に素粒子を写せる技術が出来たと言われてやってみると面白くて、これならやれると思って病みつきになってしまった。
学問をやるのに一番大切なことは、自分が好きで好きでこれをやりたいと思う自分にピッタリのものを見つけて、頑張る事に尽きる。
もう面白くなって苦労など一切忘れてしまって没頭できる。
カミオカンデの発見の時、アメリカでは10倍以上の予算と人材で対応していたが決して負けなかった。
子供達の理科離れについて、
野依氏は、
学校でもっと真剣に理科教育をすべきである。
しかし、学校の教育だけでは不十分で、本物の自然に触れた教育が大切である。理科は効率主義に馴染まない学科で、ITに頼りすぎだがこれは信頼できない。
何よりも悪いのは、科学の重要性の認識の欠如で、金さえ出しておけば結果が出ると思っている。
優れた科学者や技術者に対する尊敬の念が少なく、社会に上手く利用してやろうと言う風潮があり嘆かわしい。
多くの優秀な逸材が海外流出している。
白川氏も、
教科書の勉強より、実際の実験を行うことが重要である。
素晴しい教育用のビデオが出来て教育に使われているが、実際の自然や実験に接する機会を削ぐので身につかないし、むしろ悪い場合がある、と強調した。
小柴氏は、自分で主宰する「楽しむ科学教室」などを例に面白い話をした。
理科が面白くないのは、先生が悪い為で、子供たちに本当に理科が好きで教えている先生がどれだけ居るであろうか。
理科が好きな先生が教えないとダメで、大学院の学生に母校の小中学校で教えさせるのが一番良い。カナダではこれをやっていて、子供の理科嫌いは1人も居ない。
楽しむ科学教室では、40代くらいでその分野の権威の現役の先生に来てもらって子供たちに教えているが、専門分野の科学を質と程度を落とさずに丁寧に教えることを条件にしているが、この授業が人気抜群でNHKで放映されている。
印象的だったのは、小柴氏は勿論、白川氏も野依氏も、学生に、挫折や苦しんだことがありますかと聞かれて、全くそんなことはなかった、楽しくて楽しくてしかたなっかと言った口ぶりであったことである。
最後に、末松氏が、
科学や技術も大切だが、より良い人間社会を築いて行く為には、もっと、芸術や社会科学など、人間のあり方や幸せに生きると言うことを考えている分野との総合や融合が大切ではないかと極めて重要な提議をしていたのが印象的であった。
日本の科学と技術の発展と産業界の為に多数の逸材を送り続けた最高学府のシンポジュームで会場の熱気も大変なもので、素晴しい3時間であった。
マイクの試験中に行われた前座で、健康法はと聞かれて、白川氏は畑仕事、野依氏は仕事、小柴氏は1日11時間の睡眠と出来るだけの散歩、末松氏は出来るだけ歩くことと答えていた。
この10年の日本社会の科学に対する対応について、
白川氏は、
基本法によって始めて科学が認知されたが、成果を性急に追い求める傾向が強いが、地道に、しっかり、時間をかけてやるもの。成果ばかりを期待されても困る。
野依氏は、
産業技術や経済活性化ばかり強調されるが、科学はこれ等の下僕になりさがってはいけない。
科学は、無限に広がった知の創造であり、技術より圧倒的に広大な学問である。
科学の本質・可能性・重要性について真剣に考えるべきである。
小柴氏は、
日本のニュートリノは世界最高。日本には、世界に誇るべきトップ分野の科学があることを知っておいて欲しい。
基礎科学については、
野依氏は、
宇宙の歴史から見れば、人間の存在などささやかなもので、人間が純粋に生きてゆく為には、基礎科学の知識が極めて重要である。
基礎科学の最も重要な点は、自然をより深く理解させてくれることであり、まっとうな自然観は、人間とは何かを、そして、謙虚さを教えてくれ人間が人間らしく生きる糧となる。
小柴氏は、
応用科学はその先の成果をある程度見通せるが、基礎科学は全く予測がつかない。先が分からないからやるのであって、国家の役割である。
基礎科学は、株取引と同じで、株価の将来を見通せる学問等ない。株で儲ける人は、考えて考えて、ヤマカンの当たりが良いからである。
基礎科学も同じで、その分野でうんと苦労をして考えて考えて、ヤマカンが当れば成功する。
基礎科学の将来など誰も予測など出来ない。
役所は、科学分野の将来などにつき理論に秀でた有名専門家を集めて判定するが、公平な判断など不可能である。
理論屋には、一流と二流があるが、二流は、何でも自分の理論で分かると思っておりこの数が圧倒的に多い。一流は、自分の判断に限界があること意識しているのだが数が少ない。
これ等の集合体の出す結論は推して知るべしである。
白川氏は、
基礎研究を行っている人は、見返りなど期待していない。
ワトソンの二重螺旋の研究などでも、研究中はこれほど偉大な結果とインパクトを与えるなど本人達は考えてもいなかった筈である。
基礎科学を長い目で見る社会を期待したい。
何故科学者を目指したのかと聞かれて、
小柴氏は、非常に興味深い話を始めた。
中学生で病気入院した時に、先生がアインシュタインの本を持って来てくれたのが科学に目覚めた縁だと巷で言われているが、難しいアインシュタインなど分からなかった。
旧制高校の時は、ロマンティストでドイツの恋愛小説にウツツを抜かしていたし、ノーベル賞学者の朝永振一郎氏を紹介されて親しく出入りするようになったが酒ばかり飲んでいて物理の話などしたことはなかった。
理学部に受かり物理を勉強するようになったが好きでもなんでもなかった。
大学院生の時に、先輩に、乾板に素粒子を写せる技術が出来たと言われてやってみると面白くて、これならやれると思って病みつきになってしまった。
学問をやるのに一番大切なことは、自分が好きで好きでこれをやりたいと思う自分にピッタリのものを見つけて、頑張る事に尽きる。
もう面白くなって苦労など一切忘れてしまって没頭できる。
カミオカンデの発見の時、アメリカでは10倍以上の予算と人材で対応していたが決して負けなかった。
子供達の理科離れについて、
野依氏は、
学校でもっと真剣に理科教育をすべきである。
しかし、学校の教育だけでは不十分で、本物の自然に触れた教育が大切である。理科は効率主義に馴染まない学科で、ITに頼りすぎだがこれは信頼できない。
何よりも悪いのは、科学の重要性の認識の欠如で、金さえ出しておけば結果が出ると思っている。
優れた科学者や技術者に対する尊敬の念が少なく、社会に上手く利用してやろうと言う風潮があり嘆かわしい。
多くの優秀な逸材が海外流出している。
白川氏も、
教科書の勉強より、実際の実験を行うことが重要である。
素晴しい教育用のビデオが出来て教育に使われているが、実際の自然や実験に接する機会を削ぐので身につかないし、むしろ悪い場合がある、と強調した。
小柴氏は、自分で主宰する「楽しむ科学教室」などを例に面白い話をした。
理科が面白くないのは、先生が悪い為で、子供たちに本当に理科が好きで教えている先生がどれだけ居るであろうか。
理科が好きな先生が教えないとダメで、大学院の学生に母校の小中学校で教えさせるのが一番良い。カナダではこれをやっていて、子供の理科嫌いは1人も居ない。
楽しむ科学教室では、40代くらいでその分野の権威の現役の先生に来てもらって子供たちに教えているが、専門分野の科学を質と程度を落とさずに丁寧に教えることを条件にしているが、この授業が人気抜群でNHKで放映されている。
印象的だったのは、小柴氏は勿論、白川氏も野依氏も、学生に、挫折や苦しんだことがありますかと聞かれて、全くそんなことはなかった、楽しくて楽しくてしかたなっかと言った口ぶりであったことである。
最後に、末松氏が、
科学や技術も大切だが、より良い人間社会を築いて行く為には、もっと、芸術や社会科学など、人間のあり方や幸せに生きると言うことを考えている分野との総合や融合が大切ではないかと極めて重要な提議をしていたのが印象的であった。