新学期が始まったり、入社式が始まる今のような時期には、新人に対して、どんな本を読むべきかと言った本のアドバイス特集が、雑誌などでなされている。
この口絵写真は、先週、神保町の三省堂のビジネス書のベストテンのディスプレーであるが、勿論、ベストセラーと、良書(?)推薦書とは、違うので、一概には言えないが、一致しない場合が多い。
結論から言えば、良書に巡り合うためには、一期一会、自分自身で苦しんで、良書を探す以外にないと思っている。
私の場合には、小さな頃から、本は自分で、本屋さんに行って、自分で選んで買ってきて読み続けてきたので、一応参考にはするが、殆ど、ベストセラーにも、推薦本にも、影響されたことはない。
図書館を利用したのは、精々、高等学校の図書館までで、京大にも、ペンシルバニア大学にも、立派な図書館があったが、殆ど利用しなかった。
大分経ってから高校を訪れた時、懐かしくなって、図書館に出かけて自分が借りて読んだノイマンの「未来への道標」の貸出しカードを見ていたら、自分の名前と、ひとつ後輩の彼女の名前だけが残っていた。彼女とは直接話したこともなかったのだが、唯一の甘酸っぱい図書館での思い出である。
また、友人などから本を借りることも殆どなかったし、また、借りても特別な本は別として、殆ど読むことはなかったように思う。
結局、読みたい本は、すべて自分で選んで買ってきたし、その時読みたいと思って買った本だが、あんなに本と格闘し続けてきたにも拘わらず、その本さえも十分満足に読みこなしていないと言うのが正直なところである。
ところで、誰にも、愛読書だとか座右の書だとかと言った特別な本があるようで、NHK BS2でも、「私の一冊 日本の100冊」と言う特集番組で、有名人たちが、自分にとって、こころに残る本とか大切な本として思い思いの本を紹介している。
しかし、残念ながら、私には、その時々には、感激し素晴らしい本だと思ったことはあっても、今、最も心に残る本、大切な本は何ですかと聞かれて、この本ですと答えられる本がない。
一番影響を受けた本は、何かと聞かれれば、おそらく、シュンペーターの「経済発展の理論」だと思うのだが、これさえも、学生の時以来、殆ど手にとってはいないし、結局、この本で学んだコンセプトが、その後の勉強や読書などによって、大きく増幅されて、私の頭の中で育ってきたということであろうか。
本もそうだが、良く考えてみれば、一番影響を受けた人は誰ですかと問われてみても、また、世界中で、一番素晴らしい風景はどこでしたかと聞かれてみても、あるいは、あなたにとって一番・・・・・は何ですかと質問されても、いろいろあると言うか、ぼやけた印象しかなく、殆ど、これですと言って答えられないと言うことに気づいた。
比較的、自分の考え方や意見などは、はっきりしているし、どちらかと言えば十分考えると言うよりは直感型で、ものをずばずば言う方なのだが、これには、自分でも不思議な気がしている。
さて、本のことだが、特に仕事や問題意識がなければ、自然と書店や神保町に足を向けているのだから、私にとっては、本は趣味と言うよりも生活そのものであり、人生の活力の源でもある。
いろいろな書物を紐解きながら、新しい発見や素晴らしい勉強の機会に遭遇したりすると、たまらなく嬉しくなる。
先日も、あるセミナーで、安藤忠雄氏が、学生たちに、もっと本を読め、病気になるほど勉強しろと言っているのだと語っていた。
読書を続けて行くためには、それだけの心構えと忍耐が必要で、必ずしも楽しいことばかりではない。
漫画や通読小説など比較的読み易い本もあるが、専門書や学術書などは、時には難解で、正に真っ向から挑戦せざるを得ない場合が多いが、知との交流の楽しさ、真実を学ぶ喜びには、何事も代え難い。
尤も、最近では、視聴覚関連のマスメディアやAVの発展進化などで便利にはなり、豊かな代替手段は随分増えたが、やはり、活字を通しての知の挑戦ほどの喜びはないのではないかと思っている。
本としての活字文化の存在意義は、膨大な知識と豊かな文化芸術など、人類にとって深みと幅のある知的活動と知の保存伝承に向いており、ジャーナリスティックかつニュース的な情報手段としては、インターネット等代替手段で十分だと思っている。
したがって、私自身は、日経や日経ビジネス、ナショナル・ジオグラフィック、Foreign Affairsなどほか数点、限られた新聞や雑誌を講読はしているが、新聞・雑誌・週刊誌などと言ったこの方面の分野のメディアは、縮小して行くだろうと思っている。
シェイクスピアは、やはり、本で味わいたいが、カレント・トピックスは、紙媒体ではなく、インターネットで十分だと言うことである。
歳をとると、先の人生が短くなってきて焦る所為かもしれないが、最近では、歴史や文化芸術と言ったスケールの大きな本よりも、経済や経営などの専門書を読むことの方が多くなってきているのが不思議だが、「おくりびと」ではないけれど、ぼつぼつ、自分の納棺の時に、納めて貰いたい本を決めておこうかと思ったりしている。
この口絵写真は、先週、神保町の三省堂のビジネス書のベストテンのディスプレーであるが、勿論、ベストセラーと、良書(?)推薦書とは、違うので、一概には言えないが、一致しない場合が多い。
結論から言えば、良書に巡り合うためには、一期一会、自分自身で苦しんで、良書を探す以外にないと思っている。
私の場合には、小さな頃から、本は自分で、本屋さんに行って、自分で選んで買ってきて読み続けてきたので、一応参考にはするが、殆ど、ベストセラーにも、推薦本にも、影響されたことはない。
図書館を利用したのは、精々、高等学校の図書館までで、京大にも、ペンシルバニア大学にも、立派な図書館があったが、殆ど利用しなかった。
大分経ってから高校を訪れた時、懐かしくなって、図書館に出かけて自分が借りて読んだノイマンの「未来への道標」の貸出しカードを見ていたら、自分の名前と、ひとつ後輩の彼女の名前だけが残っていた。彼女とは直接話したこともなかったのだが、唯一の甘酸っぱい図書館での思い出である。
また、友人などから本を借りることも殆どなかったし、また、借りても特別な本は別として、殆ど読むことはなかったように思う。
結局、読みたい本は、すべて自分で選んで買ってきたし、その時読みたいと思って買った本だが、あんなに本と格闘し続けてきたにも拘わらず、その本さえも十分満足に読みこなしていないと言うのが正直なところである。
ところで、誰にも、愛読書だとか座右の書だとかと言った特別な本があるようで、NHK BS2でも、「私の一冊 日本の100冊」と言う特集番組で、有名人たちが、自分にとって、こころに残る本とか大切な本として思い思いの本を紹介している。
しかし、残念ながら、私には、その時々には、感激し素晴らしい本だと思ったことはあっても、今、最も心に残る本、大切な本は何ですかと聞かれて、この本ですと答えられる本がない。
一番影響を受けた本は、何かと聞かれれば、おそらく、シュンペーターの「経済発展の理論」だと思うのだが、これさえも、学生の時以来、殆ど手にとってはいないし、結局、この本で学んだコンセプトが、その後の勉強や読書などによって、大きく増幅されて、私の頭の中で育ってきたということであろうか。
本もそうだが、良く考えてみれば、一番影響を受けた人は誰ですかと問われてみても、また、世界中で、一番素晴らしい風景はどこでしたかと聞かれてみても、あるいは、あなたにとって一番・・・・・は何ですかと質問されても、いろいろあると言うか、ぼやけた印象しかなく、殆ど、これですと言って答えられないと言うことに気づいた。
比較的、自分の考え方や意見などは、はっきりしているし、どちらかと言えば十分考えると言うよりは直感型で、ものをずばずば言う方なのだが、これには、自分でも不思議な気がしている。
さて、本のことだが、特に仕事や問題意識がなければ、自然と書店や神保町に足を向けているのだから、私にとっては、本は趣味と言うよりも生活そのものであり、人生の活力の源でもある。
いろいろな書物を紐解きながら、新しい発見や素晴らしい勉強の機会に遭遇したりすると、たまらなく嬉しくなる。
先日も、あるセミナーで、安藤忠雄氏が、学生たちに、もっと本を読め、病気になるほど勉強しろと言っているのだと語っていた。
読書を続けて行くためには、それだけの心構えと忍耐が必要で、必ずしも楽しいことばかりではない。
漫画や通読小説など比較的読み易い本もあるが、専門書や学術書などは、時には難解で、正に真っ向から挑戦せざるを得ない場合が多いが、知との交流の楽しさ、真実を学ぶ喜びには、何事も代え難い。
尤も、最近では、視聴覚関連のマスメディアやAVの発展進化などで便利にはなり、豊かな代替手段は随分増えたが、やはり、活字を通しての知の挑戦ほどの喜びはないのではないかと思っている。
本としての活字文化の存在意義は、膨大な知識と豊かな文化芸術など、人類にとって深みと幅のある知的活動と知の保存伝承に向いており、ジャーナリスティックかつニュース的な情報手段としては、インターネット等代替手段で十分だと思っている。
したがって、私自身は、日経や日経ビジネス、ナショナル・ジオグラフィック、Foreign Affairsなどほか数点、限られた新聞や雑誌を講読はしているが、新聞・雑誌・週刊誌などと言ったこの方面の分野のメディアは、縮小して行くだろうと思っている。
シェイクスピアは、やはり、本で味わいたいが、カレント・トピックスは、紙媒体ではなく、インターネットで十分だと言うことである。
歳をとると、先の人生が短くなってきて焦る所為かもしれないが、最近では、歴史や文化芸術と言ったスケールの大きな本よりも、経済や経営などの専門書を読むことの方が多くなってきているのが不思議だが、「おくりびと」ではないけれど、ぼつぼつ、自分の納棺の時に、納めて貰いたい本を決めておこうかと思ったりしている。