脱アメリカ世界を展望しながら、ザカリアは、アメリカがこのまま没落するのではないとしている。
興味深いのは、先の覇権国イギリスと対比させながらのアメリカ論で、アメリカはイギリスとは逆に、良い経済と悪い政治が特色だとして、興味深い将来像を描いている。
まず、イギリスだが、経済面の支配力を失った後も数十年間、抜け目のない戦略的見地と優れた外交の組み合わせによって、世界一の地位を守り続けた。
アメリカ経済の台頭による勢力の均衡の変化を見て取ったイギリスは、勢力を延命させるために、アメリカと争うのではなく、アメリカの台頭に順応することに決めて、西半球の支配権を譲り渡しながら、巨大な利権を保持し続けたのである。
イギリスの政治的役割と経済的能力は落ちる一方で、独伊の台頭と世界大戦で、経済大国の地位から完全に転落するまでは、シンガポール、喜望峰、ジブラルタル等の「五つの鍵」を抑えて、世界中の航路と海路を支配し続けて海の覇権を握り続けた。
ヤルタ会談は、ルーズベルト、スターリン、チャーチルの3巨頭会談ではなく、2巨頭だったのだが、これは、イギリスに並外れた意志力と卓越した政治起業家チャーチルあったればこそで、彼の政治力のお陰で、イギリスは、20世紀の末まで、さまざまな大国の要素を保持することが出来た。
あくまで、「悪い政治」ではなく、「悪い経済」が、世界の超大国としてのイギリスを葬ったと言うのがザカリア説の根幹である。
何故、イギリス経済がそれほど悪かったのか。ザカリアは、一般に言われている産業構造の問題のほかに幅広い文化の影響も否定できないとしている。
当時、支配層であったエリート的な地主階級などのイギリスの富裕層たちは、製造と技術をさげすむ風潮があり、オックスブリッジでは、科学や工学と言った実利教育を学ぶ代わりに、古代ギリシャ・ローマの歴史や文学や哲学などを学んでいたと言うのである。
(私には、この風潮は、むしろ、イギリスの民主主義の発展と進化を促進した要因であり、リベラル・アーツの教養豊かで哲学を持った有能な経営者を育成する役に立ったのであって、ネガティブだとは思えないのだが。)
一方、アメリカは、イギリスの凋落の要因となった「不可逆的な経済の衰退」などとは無縁で、その経済的覇権は、130年以上も続いている。
アメリカの世界のGDPに占める割合は、ほぼ一定を保ち、100年以上もの間、25%以上を保っている。
現在のアメリカも、依然、イノベーションと活力と起業家精神における優位さを示しており、その活力によって生み出された揺るぎない経済基盤と科学技術基盤に基づいた強大な経済力が、世界に冠たる強大な軍事力を支えており、アメリカ軍が、陸、海、空、宇宙と言うあらゆる場所を支配化において覇権国家の地位を維持し続けていると言うのである。
アメリカは、これまでに、三度、優位性の喪失を懸念する事態に直面した。ソ連のスプートニク打ち上げ、原油危機と低成長、日本経済の台頭だが、アメリカのシステムが資源と柔軟性と復元力に富み、過ちを正す能力と認識を転換する能力を備えており、かつ、経済の衰退に注目した結果、アメリカは、衰退の危機を克服してきた。
さて、ザカリアが悪いと指摘するアメリカの政治だが、現在、幅広い連合を作り出す能力と、複雑な問題を解決する能力を、アメリカの政治システムが失ってしまっている。
無駄な支出と補助金のカット、貯蓄率の向上、科学技術教育の拡大、年金制度の安定化、実効性のある移民制度の創設、エネルギー消費の効率化等々、政策を変えて実行しさえすれば、これらの問題を解決出来るのだが、アメリカの政治システムは、大規模な妥協を成立させる能力を失ってしまっていると言うのである。
過度の硬直化した時代遅れの政治システムは、金や、特殊権益や、扇情的なマスコミや、イデオロギー的な攻撃集団によって翻弄され、政治は、実利を取ったり、妥協を成立させたり、計画を実行に移すことが殆ど出来ないほど深刻な機能不全に陥っている。
アメリカは、今や、”何もしない”政治プロセスを背負い、制度に命じられるまま、問題解決よりも党派争いに明け暮れ、、過去30年間で、特殊権益、ロビー活動、利益誘導型予算が増大する一方、格段に党利党略の度合いが強まり、目的達成の効率が落ちてしまった。
アメリカの制度の特徴は、権力の分立、機能の重複、抑制と均衡にあり、これの制度下で前進するためには、両党派の幅広い連合と、党の方針に逆らう政治家が必要なのだが、これが機能しない。
特に、深刻な問題を抱えている外交問題をはじめ、医療、社会保障、財政改革など悪化の一途を辿っていると言うのである。
さりながら、アメリカは、サブプライム問題で引き金を引かれた今回の大不況の結果、経済もおかしくなり、政経同時に混迷の度を深めてしまった。
政治的に安定しているように見えるのは、旧共産圏の中国とロシア、それに、一部の独裁国家だけで、わが日本国も、目も当てられないような迷走ぶりである。
むかし、経済学は、政治経済学であったが、先祖帰りが必要であると同時に、政治経済の舵取りも、もっと深みのあるスケールの大きな学際的な発想と哲学を持たない限り、あらゆる分野で引き起こされている100年規模のパラダイム・シフトに対して、有効に対処できないのではなかろうか。
オバマ政権への期待が大き過ぎて、前途に暗雲が垂れ込め始めているのだが、時間が経てば、むくむくと自律的に蠢き始める経済の回復が、案外、高邁な改革や理想の実現をなし崩しにしてしまう心配があるような気がしていることも事実である。
興味深いのは、先の覇権国イギリスと対比させながらのアメリカ論で、アメリカはイギリスとは逆に、良い経済と悪い政治が特色だとして、興味深い将来像を描いている。
まず、イギリスだが、経済面の支配力を失った後も数十年間、抜け目のない戦略的見地と優れた外交の組み合わせによって、世界一の地位を守り続けた。
アメリカ経済の台頭による勢力の均衡の変化を見て取ったイギリスは、勢力を延命させるために、アメリカと争うのではなく、アメリカの台頭に順応することに決めて、西半球の支配権を譲り渡しながら、巨大な利権を保持し続けたのである。
イギリスの政治的役割と経済的能力は落ちる一方で、独伊の台頭と世界大戦で、経済大国の地位から完全に転落するまでは、シンガポール、喜望峰、ジブラルタル等の「五つの鍵」を抑えて、世界中の航路と海路を支配し続けて海の覇権を握り続けた。
ヤルタ会談は、ルーズベルト、スターリン、チャーチルの3巨頭会談ではなく、2巨頭だったのだが、これは、イギリスに並外れた意志力と卓越した政治起業家チャーチルあったればこそで、彼の政治力のお陰で、イギリスは、20世紀の末まで、さまざまな大国の要素を保持することが出来た。
あくまで、「悪い政治」ではなく、「悪い経済」が、世界の超大国としてのイギリスを葬ったと言うのがザカリア説の根幹である。
何故、イギリス経済がそれほど悪かったのか。ザカリアは、一般に言われている産業構造の問題のほかに幅広い文化の影響も否定できないとしている。
当時、支配層であったエリート的な地主階級などのイギリスの富裕層たちは、製造と技術をさげすむ風潮があり、オックスブリッジでは、科学や工学と言った実利教育を学ぶ代わりに、古代ギリシャ・ローマの歴史や文学や哲学などを学んでいたと言うのである。
(私には、この風潮は、むしろ、イギリスの民主主義の発展と進化を促進した要因であり、リベラル・アーツの教養豊かで哲学を持った有能な経営者を育成する役に立ったのであって、ネガティブだとは思えないのだが。)
一方、アメリカは、イギリスの凋落の要因となった「不可逆的な経済の衰退」などとは無縁で、その経済的覇権は、130年以上も続いている。
アメリカの世界のGDPに占める割合は、ほぼ一定を保ち、100年以上もの間、25%以上を保っている。
現在のアメリカも、依然、イノベーションと活力と起業家精神における優位さを示しており、その活力によって生み出された揺るぎない経済基盤と科学技術基盤に基づいた強大な経済力が、世界に冠たる強大な軍事力を支えており、アメリカ軍が、陸、海、空、宇宙と言うあらゆる場所を支配化において覇権国家の地位を維持し続けていると言うのである。
アメリカは、これまでに、三度、優位性の喪失を懸念する事態に直面した。ソ連のスプートニク打ち上げ、原油危機と低成長、日本経済の台頭だが、アメリカのシステムが資源と柔軟性と復元力に富み、過ちを正す能力と認識を転換する能力を備えており、かつ、経済の衰退に注目した結果、アメリカは、衰退の危機を克服してきた。
さて、ザカリアが悪いと指摘するアメリカの政治だが、現在、幅広い連合を作り出す能力と、複雑な問題を解決する能力を、アメリカの政治システムが失ってしまっている。
無駄な支出と補助金のカット、貯蓄率の向上、科学技術教育の拡大、年金制度の安定化、実効性のある移民制度の創設、エネルギー消費の効率化等々、政策を変えて実行しさえすれば、これらの問題を解決出来るのだが、アメリカの政治システムは、大規模な妥協を成立させる能力を失ってしまっていると言うのである。
過度の硬直化した時代遅れの政治システムは、金や、特殊権益や、扇情的なマスコミや、イデオロギー的な攻撃集団によって翻弄され、政治は、実利を取ったり、妥協を成立させたり、計画を実行に移すことが殆ど出来ないほど深刻な機能不全に陥っている。
アメリカは、今や、”何もしない”政治プロセスを背負い、制度に命じられるまま、問題解決よりも党派争いに明け暮れ、、過去30年間で、特殊権益、ロビー活動、利益誘導型予算が増大する一方、格段に党利党略の度合いが強まり、目的達成の効率が落ちてしまった。
アメリカの制度の特徴は、権力の分立、機能の重複、抑制と均衡にあり、これの制度下で前進するためには、両党派の幅広い連合と、党の方針に逆らう政治家が必要なのだが、これが機能しない。
特に、深刻な問題を抱えている外交問題をはじめ、医療、社会保障、財政改革など悪化の一途を辿っていると言うのである。
さりながら、アメリカは、サブプライム問題で引き金を引かれた今回の大不況の結果、経済もおかしくなり、政経同時に混迷の度を深めてしまった。
政治的に安定しているように見えるのは、旧共産圏の中国とロシア、それに、一部の独裁国家だけで、わが日本国も、目も当てられないような迷走ぶりである。
むかし、経済学は、政治経済学であったが、先祖帰りが必要であると同時に、政治経済の舵取りも、もっと深みのあるスケールの大きな学際的な発想と哲学を持たない限り、あらゆる分野で引き起こされている100年規模のパラダイム・シフトに対して、有効に対処できないのではなかろうか。
オバマ政権への期待が大き過ぎて、前途に暗雲が垂れ込め始めているのだが、時間が経てば、むくむくと自律的に蠢き始める経済の回復が、案外、高邁な改革や理想の実現をなし崩しにしてしまう心配があるような気がしていることも事実である。