アメリカでベストセラーで大変な人気だと言うトマ・ピケティの「キャピタル 21世紀の資本論」Thomas Piketty「Capital in the Twenty-First Century」だが、大部700ページで、繰り返し記述と統計が多いと言うので、原書(と言っても仏語の翻訳だが)を読む前に、チボーの要約本(英文)を、まず、読むことにした。
40ページほどの小冊子だが、アメリカのアマゾンでも、かなりの評価なので、イントロとしては、役に立つだろうと思ったのである。
翻訳を急いでいると言う山形浩生の「経済のトリセツ」によると、
本書のあらすじは?
なんかみんな天地鳴動大地震撼の革命的な本だと思ってすっごい期待しているようだけれど、本書に書かれていることはとても簡単だ。各国で、富の格差は拡大してます、ということ。そしてそれが今後大きく改善しそうにないということで、なぜかというと経済成長より資本の収益率のほうが高いから、資本を持っている人が経済成長以上に金持ちになっていくから。その対策としては、世界的に資本の累進課税をしましょう、ということね。たとえば固定資産税は資産額が大きいほど税率高いようにしようぜ。おしまい。
日経ヴェリタス(秋山文人)の要約は、
・ごく一握りの資本家が多くの所得を得るような格差は資本主義の特徴といえる。
・ただ資本から得られる収益率が経済成長を上回れば上回るほど、富はより多く労働者から資本家へと蓄積されてしまう。
・富の分配の権力は資本家が握るため、労働者ではなく子どもに相続させようと世襲的になり、富は資本家サイドにより蓄積されていく。
・これを是正するためには世界的な富裕税を導入しなければならない。
ピケティは経済的不平等の専門家だと言うことで、彼の著作が、USAのOccupy Wall Street運動の理論的バックボーンを提供し、崩壊しつつある中間層の支持を得て、今回の翻訳本が、一気に、アマゾンでベストセラーに躍り出たと言う。
前述の二つの要約から見ても、特に目新しい卓越した新説でもなく、案外、穏健かつ常識的な論旨であり、リベラル派の左派には評価されても、自由市場万々歳の右派からは、否定されると言ったところであろうが、歴史の振り子が、リーマンショック以降、野放しの資本主義批判が大勢を占めている現在においては、受け入れられ易い書物であろう。
さて、私なりに、チボー版を通して得たピケティの「キャピタル」論の概要を掻い摘んで、少し、考えてみたいと思う。
ピケティは、まず、過去300年の先進各国の経済指標を克明に分析して、
アップダウンはあったが、歴史を通じて、経済格差(inequality)傾向が続いて来たことを 資本収益率の伸びが、労働所得の伸び率より傾向的に高いことを、資本/所得比率のトレンドを追跡することによって検証し、市場が完全であればあるほど、この格差傾向が拡大して行くとし、
資本の蓄積によって、富が益々集中度を加速して行き、富者に富が集中して行くのは自然の成り行きであり、経済格差の拡大は、資本主義に内在した本質的な傾向である。と言うことを膨大な資料を駆使して論証している。
しかし、問題は、この傾向が、人類にとってフェアかどうかと言うことであって、この不合理を解決するためには、非常に実現は難しいが、富裕層に対して加速度的累進課税(特に資本税)を課して所得を出来るだけ平準化することで、もし、この格差拡大トレンドを阻止できなければ、保護主義やナショナリズムの台頭を惹起することとなり、経済社会に大混乱を来す。と説く。
この経済格差の拡大について、ピケティは、資本/所得比率(the capital/income ratio)の推移を使って説明している。この数値を、資本収益率(the rate of return on capital=r)/経済成長率(the growth rate of economy=g)、すなわち、r/gによって代替計算している。
フローである所得は、労働と資本両方からの所得だが、その成長は経済成長率(国民所得の三面等価の分配面)に代替可能であり、資本は、蓄積されたストックであるから、資産毎の年間キャッシュフローから、収益率は、推計出来ると考えているのである。
(前の2人の説明は、経済成長が前面に出ていて意味不明だったが、ピケティの経済成長率は、あくまで、所得増加率の代わりに使用されていると言う認識が肝心。)
ピケティは、この数値r/gについて、欧米日の先進国の現在数値は、5~6くらいであり、2100年には、7くらいになるであろうと推計している(因みに、予想経済成長率は1~2%)。
したがって、経済成長率であるrが、近似値として労働による所得増加率をも示しているので、資本の収益率であるgより、遥かに低いことから、すなわち、労働者の所得が、資産保有者の収益より遥かに低い伸び率で増加していることを示しているので、格差が拡大するのは、当然の帰結なのである。
この基本的なr>g不均衡(r>g inequality)が、歴史的にもトレンドとして存在するので、より多くの富を増殖する資本の重要性がますます増大し、富者の資本が蓄積に蓄積を重ねて行くので、益々、経済格差が拡大して行くと言う。
ピケティは、今問題になっているCEOの異常な高額報酬よりも、有能なプロを使って大胆にリスクを取って投資し増殖し続ける富者の金融財務資産のダイナミックな集積や、膨大な相続財産(inherited wealth)の複利的増殖など富者の所有する資産・資本を注視しており、この傾向を阻止するためにも、加速度的な累進課税、特に、累進的資本税(a progressive tax on capital)の導入をを強力に提案しているのである。
さて、フェアネス(公平性)実現のための富者への累進的資本税の問題だが、現実には、タックス・ヘイヴンの存在や外資勧誘のために世界各国が激しい減税競争に明け暮れている今日、非常に難しい。
公平かつ効率的なグローバル資本税(a fair and effective blobal tax on capital)の実現には、完全な国際的な協力が必須なのだが、悲しいかな、ピケティも認めているように、現状では、このようなa global tax on capital、あるいは、a global wealth taxの可能性の片鱗さえ見通すことが出来ない。
ピケティは、もし、前述の累進課税制度を実現出来ずに、経済格差の解消に失敗すれば、人類は、あの途轍もない辛酸を舐めた20世紀の保護主義とナショナリズムの悪夢を繰り返さざるを得ないであろうと警告している。
このブログでも、ピケティの考え方に近いクルーグマンやスティグリッツやライシュの良識的なリベラル派の論客のブックレビューなどを通して、政治経済社会のフェアネスについて、何度も論じて来た。
確かに、趨勢としての経済格差の拡大は、時ところをかまわずに、世界各地で進行しているのだが、グローバルベースの経済成長によって、中国やインドなどの生活水準の向上に伴って、最貧層の人口が著しく減少を続けるなど、地球全体としては、別な意味でのフェアネスが進行していることも事実である。
ピケティも論じているのだが、第二次世界大戦終結後10年間くらいの間、古い富が大々的に崩壊消滅してしまっていて、復興のために、労働需要が拡大して労働の価値が一気に上昇した時期に、r>g不均衡が逆転して、富者が沈潜し、ミドルクラスが台頭した時期があった。
従って、現状では、富者に目の飛び出るような高率の累進的資本税を課したとしても、程度問題で、資本から収奪しない限り、経済格差の解消は無理であろうし、
スェーデンなど北欧で実施されている現状よりも、もっと徹底した政府主導の福祉国家政策を取るなど、ドラスティックなアクションを起こさない限り、期待するような不平等の解消は有り得ないと思っている。
いずれにしろ、ピケティが、どの程度マル経の影響下にあるのかは知らないが、資本の労働からの収奪と言う切り口ではなく、資本主義の必然によって生ずる経済格差の拡大を論じた21世紀の資本論とも言うべきこの本、今だからこそ、注目して拝読すべきであろうと言う気がしている。
尤も、アメリカの自由市場至上主義の保守派が主張するように、経済成長の推進者である企業家や富裕層を叩いたり、極端な平等化政策が、経済発展なり、イノベィティブな創造社会への、人びとのインセンティブを削ぐ心配もあることも事実であろうから、このトレードオフをどう考えるのか、難しいところである。
とにかく、経済学は、何時まで経っても、数学や科学のように、これが正しいと言う決定版が出ず、現状では、どう考えるべきかと言う仮説や理論が、どんどん飛び交って、軸が絶えず、右に行ったり左に行ったり、ブレにブレ、移動しっぱなしであるのが面白い。
(追記)大前研一氏が、「訣別ー大前研一の新・国家戦略論」で、コミュニティーに資産税を、道州制には付加価値税をと提言していて、
日本全体で不動産資産が1500兆円、金融資産が賞味1000兆円あるので、資産の時価評価の1%にすれば資産税の税収は25兆円になる。と書いていたが、ピケティ提言が、新しい「途上国の税制から老熟国の税制へ」のトレンドでもあるならば、日本でも、本格的に、資本税の導入を考えるべきではなかろうか。
40ページほどの小冊子だが、アメリカのアマゾンでも、かなりの評価なので、イントロとしては、役に立つだろうと思ったのである。
翻訳を急いでいると言う山形浩生の「経済のトリセツ」によると、
本書のあらすじは?
なんかみんな天地鳴動大地震撼の革命的な本だと思ってすっごい期待しているようだけれど、本書に書かれていることはとても簡単だ。各国で、富の格差は拡大してます、ということ。そしてそれが今後大きく改善しそうにないということで、なぜかというと経済成長より資本の収益率のほうが高いから、資本を持っている人が経済成長以上に金持ちになっていくから。その対策としては、世界的に資本の累進課税をしましょう、ということね。たとえば固定資産税は資産額が大きいほど税率高いようにしようぜ。おしまい。
日経ヴェリタス(秋山文人)の要約は、
・ごく一握りの資本家が多くの所得を得るような格差は資本主義の特徴といえる。
・ただ資本から得られる収益率が経済成長を上回れば上回るほど、富はより多く労働者から資本家へと蓄積されてしまう。
・富の分配の権力は資本家が握るため、労働者ではなく子どもに相続させようと世襲的になり、富は資本家サイドにより蓄積されていく。
・これを是正するためには世界的な富裕税を導入しなければならない。
ピケティは経済的不平等の専門家だと言うことで、彼の著作が、USAのOccupy Wall Street運動の理論的バックボーンを提供し、崩壊しつつある中間層の支持を得て、今回の翻訳本が、一気に、アマゾンでベストセラーに躍り出たと言う。
前述の二つの要約から見ても、特に目新しい卓越した新説でもなく、案外、穏健かつ常識的な論旨であり、リベラル派の左派には評価されても、自由市場万々歳の右派からは、否定されると言ったところであろうが、歴史の振り子が、リーマンショック以降、野放しの資本主義批判が大勢を占めている現在においては、受け入れられ易い書物であろう。
さて、私なりに、チボー版を通して得たピケティの「キャピタル」論の概要を掻い摘んで、少し、考えてみたいと思う。
ピケティは、まず、過去300年の先進各国の経済指標を克明に分析して、
アップダウンはあったが、歴史を通じて、経済格差(inequality)傾向が続いて来たことを 資本収益率の伸びが、労働所得の伸び率より傾向的に高いことを、資本/所得比率のトレンドを追跡することによって検証し、市場が完全であればあるほど、この格差傾向が拡大して行くとし、
資本の蓄積によって、富が益々集中度を加速して行き、富者に富が集中して行くのは自然の成り行きであり、経済格差の拡大は、資本主義に内在した本質的な傾向である。と言うことを膨大な資料を駆使して論証している。
しかし、問題は、この傾向が、人類にとってフェアかどうかと言うことであって、この不合理を解決するためには、非常に実現は難しいが、富裕層に対して加速度的累進課税(特に資本税)を課して所得を出来るだけ平準化することで、もし、この格差拡大トレンドを阻止できなければ、保護主義やナショナリズムの台頭を惹起することとなり、経済社会に大混乱を来す。と説く。
この経済格差の拡大について、ピケティは、資本/所得比率(the capital/income ratio)の推移を使って説明している。この数値を、資本収益率(the rate of return on capital=r)/経済成長率(the growth rate of economy=g)、すなわち、r/gによって代替計算している。
フローである所得は、労働と資本両方からの所得だが、その成長は経済成長率(国民所得の三面等価の分配面)に代替可能であり、資本は、蓄積されたストックであるから、資産毎の年間キャッシュフローから、収益率は、推計出来ると考えているのである。
(前の2人の説明は、経済成長が前面に出ていて意味不明だったが、ピケティの経済成長率は、あくまで、所得増加率の代わりに使用されていると言う認識が肝心。)
ピケティは、この数値r/gについて、欧米日の先進国の現在数値は、5~6くらいであり、2100年には、7くらいになるであろうと推計している(因みに、予想経済成長率は1~2%)。
したがって、経済成長率であるrが、近似値として労働による所得増加率をも示しているので、資本の収益率であるgより、遥かに低いことから、すなわち、労働者の所得が、資産保有者の収益より遥かに低い伸び率で増加していることを示しているので、格差が拡大するのは、当然の帰結なのである。
この基本的なr>g不均衡(r>g inequality)が、歴史的にもトレンドとして存在するので、より多くの富を増殖する資本の重要性がますます増大し、富者の資本が蓄積に蓄積を重ねて行くので、益々、経済格差が拡大して行くと言う。
ピケティは、今問題になっているCEOの異常な高額報酬よりも、有能なプロを使って大胆にリスクを取って投資し増殖し続ける富者の金融財務資産のダイナミックな集積や、膨大な相続財産(inherited wealth)の複利的増殖など富者の所有する資産・資本を注視しており、この傾向を阻止するためにも、加速度的な累進課税、特に、累進的資本税(a progressive tax on capital)の導入をを強力に提案しているのである。
さて、フェアネス(公平性)実現のための富者への累進的資本税の問題だが、現実には、タックス・ヘイヴンの存在や外資勧誘のために世界各国が激しい減税競争に明け暮れている今日、非常に難しい。
公平かつ効率的なグローバル資本税(a fair and effective blobal tax on capital)の実現には、完全な国際的な協力が必須なのだが、悲しいかな、ピケティも認めているように、現状では、このようなa global tax on capital、あるいは、a global wealth taxの可能性の片鱗さえ見通すことが出来ない。
ピケティは、もし、前述の累進課税制度を実現出来ずに、経済格差の解消に失敗すれば、人類は、あの途轍もない辛酸を舐めた20世紀の保護主義とナショナリズムの悪夢を繰り返さざるを得ないであろうと警告している。
このブログでも、ピケティの考え方に近いクルーグマンやスティグリッツやライシュの良識的なリベラル派の論客のブックレビューなどを通して、政治経済社会のフェアネスについて、何度も論じて来た。
確かに、趨勢としての経済格差の拡大は、時ところをかまわずに、世界各地で進行しているのだが、グローバルベースの経済成長によって、中国やインドなどの生活水準の向上に伴って、最貧層の人口が著しく減少を続けるなど、地球全体としては、別な意味でのフェアネスが進行していることも事実である。
ピケティも論じているのだが、第二次世界大戦終結後10年間くらいの間、古い富が大々的に崩壊消滅してしまっていて、復興のために、労働需要が拡大して労働の価値が一気に上昇した時期に、r>g不均衡が逆転して、富者が沈潜し、ミドルクラスが台頭した時期があった。
従って、現状では、富者に目の飛び出るような高率の累進的資本税を課したとしても、程度問題で、資本から収奪しない限り、経済格差の解消は無理であろうし、
スェーデンなど北欧で実施されている現状よりも、もっと徹底した政府主導の福祉国家政策を取るなど、ドラスティックなアクションを起こさない限り、期待するような不平等の解消は有り得ないと思っている。
いずれにしろ、ピケティが、どの程度マル経の影響下にあるのかは知らないが、資本の労働からの収奪と言う切り口ではなく、資本主義の必然によって生ずる経済格差の拡大を論じた21世紀の資本論とも言うべきこの本、今だからこそ、注目して拝読すべきであろうと言う気がしている。
尤も、アメリカの自由市場至上主義の保守派が主張するように、経済成長の推進者である企業家や富裕層を叩いたり、極端な平等化政策が、経済発展なり、イノベィティブな創造社会への、人びとのインセンティブを削ぐ心配もあることも事実であろうから、このトレードオフをどう考えるのか、難しいところである。
とにかく、経済学は、何時まで経っても、数学や科学のように、これが正しいと言う決定版が出ず、現状では、どう考えるべきかと言う仮説や理論が、どんどん飛び交って、軸が絶えず、右に行ったり左に行ったり、ブレにブレ、移動しっぱなしであるのが面白い。
(追記)大前研一氏が、「訣別ー大前研一の新・国家戦略論」で、コミュニティーに資産税を、道州制には付加価値税をと提言していて、
日本全体で不動産資産が1500兆円、金融資産が賞味1000兆円あるので、資産の時価評価の1%にすれば資産税の税収は25兆円になる。と書いていたが、ピケティ提言が、新しい「途上国の税制から老熟国の税制へ」のトレンドでもあるならば、日本でも、本格的に、資本税の導入を考えるべきではなかろうか。