もう、随分、前になるのだが、シーズー犬を、リオと名付けて飼っていて、大切に育てていた。
リオは、ブラジルでの生活の思い出に、長女が、川を意味するポルトガル語のリオを借用したのである。
リオは、子犬を貰って、家族と同じように室内犬として可愛がっていたのだが、心臓病が悪化して、10年少しで亡くなってしまった。
可愛そうだったので、もう、二度と犬を飼わないことにした。
ところが、先日から、長女の家族が、1週間タイで休日を過ごすと言うので、飼い犬を預けられてしまった。
レシペと言うかメニューと言うか、詳しく指示書きを置いて行ったので、それに従って、犬の世話をしている。
この口絵写真のダックスフントなのだが、人懐っこいと言うか、これまでにも、何度も会っているので、違和感がないのか、素直に従ってくれているので、特別雑作はない。
私の担当するのは、朝晩の犬の散歩くらいなのだが、やはり、生き物なので、どの程度犬任せにしたら良いのか、迷うところもあって、多少気を使っている。
犬か猫かと聞かれれば、私の場合には、完全に犬で、何故か、猫には興味はないし、NHKで岩合光昭の世界ネコ歩き が放映されたり、猫の写真の展示会などがあるが、見たこともないし、犬猫の混ざったカレンダーを頂いても、かけることもない。
猫が嫌いだと言う訳ではなく、関心がないだけではある。
犬の良さは、飼い主になついて、完全に反応してくれることで、幼児3歳くらいの智慧があって、十分に受け答えしてくれて、十分に対話が出来ることである。
もう、10年以上も前になる。
会社からの帰途、最寄の駅について、何の気なしに家に電話したら、丁度来ていた長女が電話に出て、リオが亡くなったと泣きだして、まだ、温かいからすぐ帰って来てと言った。
私は、一目散に家にダッシュして、リオを取り巻いて沈んでいる家族を尻目に、リオを抱きしめたら、まだ、体が柔らかくて温かかった。
死に目には会えなかったけれど、私の帰りを待ってくれていたのだと思うと、愛しくて愛しくて、リオとの思い出を走馬灯のように巡らしながらしっかりと抱きしめて、少しずつ体温が引いて行くのを待って、毛布に静かに横たえてやった。
翌日、火葬にして、庭の椿の根元に埋葬した。
今回、移転に伴って、庭の土を少しと、墓石代わりにしていた長女が創った土偶風の人形と脇侍にしていたブラジルのインディオの男女の彫像を持ってきて、墓代わりにして思い出を反芻している。
リオが亡くなる前、数日間は、何も食べずに、ずっと、小さなサークル型の寝床に横たわっていて、殆ど動かなかった。
ところが、亡くなる二日前の夜、晩く帰宅したら、これまでのように、ベッドから飛び出して来て、尻尾をあらん限りの力を振り絞って振りながら、私の足元に飛んで来た。
良くなったのかと一瞬錯覚を覚えたが、そんな筈はない。
私は、心なしか軽くなってやつれたリオを抱き上げて、しっかりと抱きしめたらじっとしていたので、何時ものように頭を手で押さえて肩に引き寄せると子供のように頭を肩に擦りつけて来た。
後で聞いたら、その日は一日中ベッドで動かなかったので、奇跡だと言う。
10年間、朝昼晩、出来る限り一緒に生活を共にしながら息づいて来た命の証であろうか、最後の力を振り絞って、私に、別れの挨拶をしてくれていたのだと思うと、居た堪れなくなって、その夜は眠れなかった。
もう一つ強烈に覚えているのは、かなり、広い庭は、リオの天国であったので、自由に振舞わせていたのだが、亡くなる前の休日に、殆ど動きを止めていた筈だったが、静かに、動き出して、庭を回り始めたのである。
リオのお気に入りの場所は、庭に何か所かあって、その場所に良く寝そべったり休息していたので、草が倒れたりして寝癖がついていたり、私が木を間引いて空間を作ったりしているので良く分かるのだが、この日は、何時もは行ったこともない場所に入ったり行って、暫くとどまり、また、動き出して、殆ど庭全体を回り始めたのである。
暑い時も寒い時も、共に生活を共にしてきた生きとし生けるものの命の交感であろうか、私には、リオが、一本一本の花木や草花に、別れの挨拶をしているようにしか思えなかった。
その前日、陽が傾きかけて柔らかい夕日が、庭の芝生に輝き始めた頃、お気に入りの庭の片隅に寝込んで動かなかったリオが、静かにとぼとぼと出て来て真ん中に座って、夕日に向かって顔を上げ、全身に夕日を浴びて彫像のようにジッと座って動かなかった。
私は、二階に急いで駆けあがってカメラを持ってきて、何枚か写真を撮ったのだが、この時の写真が一番美しいリオの姿であった。
皮膚病を患っていたので、風呂に入れて丁寧に手当てをしていたのだが、痛いのであろう、断末魔のような鳴き声を出して訴えながら、私の手に口を当てるのだが、決して噛みつくことはなかったし、リオのために必死で面倒を見ていることを分かっていたのか、私には一切逆らうこともなかった。
亡くなる前の苦痛など、耐えられない程痛い筈だったが、泣き声一つ上げずに、苦痛を一切訴えずに、耐えに堪えて死んでいったリオのことを思い出すと、もう、犬を飼いたいとは決して思わなくなったのである。
そんなリオとの生活を思い出しながら、長女から預かったダックスフントと付き合っている。
リオは、ブラジルでの生活の思い出に、長女が、川を意味するポルトガル語のリオを借用したのである。
リオは、子犬を貰って、家族と同じように室内犬として可愛がっていたのだが、心臓病が悪化して、10年少しで亡くなってしまった。
可愛そうだったので、もう、二度と犬を飼わないことにした。
ところが、先日から、長女の家族が、1週間タイで休日を過ごすと言うので、飼い犬を預けられてしまった。
レシペと言うかメニューと言うか、詳しく指示書きを置いて行ったので、それに従って、犬の世話をしている。
この口絵写真のダックスフントなのだが、人懐っこいと言うか、これまでにも、何度も会っているので、違和感がないのか、素直に従ってくれているので、特別雑作はない。
私の担当するのは、朝晩の犬の散歩くらいなのだが、やはり、生き物なので、どの程度犬任せにしたら良いのか、迷うところもあって、多少気を使っている。
犬か猫かと聞かれれば、私の場合には、完全に犬で、何故か、猫には興味はないし、NHKで岩合光昭の世界ネコ歩き が放映されたり、猫の写真の展示会などがあるが、見たこともないし、犬猫の混ざったカレンダーを頂いても、かけることもない。
猫が嫌いだと言う訳ではなく、関心がないだけではある。
犬の良さは、飼い主になついて、完全に反応してくれることで、幼児3歳くらいの智慧があって、十分に受け答えしてくれて、十分に対話が出来ることである。
もう、10年以上も前になる。
会社からの帰途、最寄の駅について、何の気なしに家に電話したら、丁度来ていた長女が電話に出て、リオが亡くなったと泣きだして、まだ、温かいからすぐ帰って来てと言った。
私は、一目散に家にダッシュして、リオを取り巻いて沈んでいる家族を尻目に、リオを抱きしめたら、まだ、体が柔らかくて温かかった。
死に目には会えなかったけれど、私の帰りを待ってくれていたのだと思うと、愛しくて愛しくて、リオとの思い出を走馬灯のように巡らしながらしっかりと抱きしめて、少しずつ体温が引いて行くのを待って、毛布に静かに横たえてやった。
翌日、火葬にして、庭の椿の根元に埋葬した。
今回、移転に伴って、庭の土を少しと、墓石代わりにしていた長女が創った土偶風の人形と脇侍にしていたブラジルのインディオの男女の彫像を持ってきて、墓代わりにして思い出を反芻している。
リオが亡くなる前、数日間は、何も食べずに、ずっと、小さなサークル型の寝床に横たわっていて、殆ど動かなかった。
ところが、亡くなる二日前の夜、晩く帰宅したら、これまでのように、ベッドから飛び出して来て、尻尾をあらん限りの力を振り絞って振りながら、私の足元に飛んで来た。
良くなったのかと一瞬錯覚を覚えたが、そんな筈はない。
私は、心なしか軽くなってやつれたリオを抱き上げて、しっかりと抱きしめたらじっとしていたので、何時ものように頭を手で押さえて肩に引き寄せると子供のように頭を肩に擦りつけて来た。
後で聞いたら、その日は一日中ベッドで動かなかったので、奇跡だと言う。
10年間、朝昼晩、出来る限り一緒に生活を共にしながら息づいて来た命の証であろうか、最後の力を振り絞って、私に、別れの挨拶をしてくれていたのだと思うと、居た堪れなくなって、その夜は眠れなかった。
もう一つ強烈に覚えているのは、かなり、広い庭は、リオの天国であったので、自由に振舞わせていたのだが、亡くなる前の休日に、殆ど動きを止めていた筈だったが、静かに、動き出して、庭を回り始めたのである。
リオのお気に入りの場所は、庭に何か所かあって、その場所に良く寝そべったり休息していたので、草が倒れたりして寝癖がついていたり、私が木を間引いて空間を作ったりしているので良く分かるのだが、この日は、何時もは行ったこともない場所に入ったり行って、暫くとどまり、また、動き出して、殆ど庭全体を回り始めたのである。
暑い時も寒い時も、共に生活を共にしてきた生きとし生けるものの命の交感であろうか、私には、リオが、一本一本の花木や草花に、別れの挨拶をしているようにしか思えなかった。
その前日、陽が傾きかけて柔らかい夕日が、庭の芝生に輝き始めた頃、お気に入りの庭の片隅に寝込んで動かなかったリオが、静かにとぼとぼと出て来て真ん中に座って、夕日に向かって顔を上げ、全身に夕日を浴びて彫像のようにジッと座って動かなかった。
私は、二階に急いで駆けあがってカメラを持ってきて、何枚か写真を撮ったのだが、この時の写真が一番美しいリオの姿であった。
皮膚病を患っていたので、風呂に入れて丁寧に手当てをしていたのだが、痛いのであろう、断末魔のような鳴き声を出して訴えながら、私の手に口を当てるのだが、決して噛みつくことはなかったし、リオのために必死で面倒を見ていることを分かっていたのか、私には一切逆らうこともなかった。
亡くなる前の苦痛など、耐えられない程痛い筈だったが、泣き声一つ上げずに、苦痛を一切訴えずに、耐えに堪えて死んでいったリオのことを思い出すと、もう、犬を飼いたいとは決して思わなくなったのである。
そんなリオとの生活を思い出しながら、長女から預かったダックスフントと付き合っている。