この日は、奈良で、昼に友人との会食を予定していたので、2時間ほどしか余裕がなかったので、迷うことなく、近鉄で、西大寺経由で西ノ京に向かった.
長い間、金堂の平成大修理で建屋に覆われており、行きそびれていたので、どうしても、唐招提寺へ行きたかったし、時間調整すれば、薬師寺でも十分に時間が取れると思ったのである。
唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山であるが、苦難を乗り越えて唐から渡来した鑑真大和上が、東大寺で5年を過ごした後、鑑真和上の私寺として始まった鑑真が建立した寺院であり、晩年を過ごした寺である。
奈良時代建立の金堂をはじめとして、講堂、鼓楼、経蔵、宝蔵など殆どの建物が国宝であり、それに加えて、御影堂に安置されている乾漆鑑真和上坐像や、金堂に安置されている乾漆盧舎那仏坐像、木心乾漆千手観音立像、木心乾漆薬師如来立像の3仏、木造梵天・帝釈天立像、木造四天王立像なども、すべて国宝と言う凄い文化財のある寺である。
私は、学生時代に、井上靖の「天平の甍」を読んで、いたく感激して、斑鳩の法隆寺と、この西ノ京の唐招提寺と薬師寺を頻繁に訪れた。
何の変哲もない田舎道に立つ南大門を入ると、すぐ正面に金堂、その背後に講堂があり、金堂・講堂間の東西にはそれぞれ鼓楼と鐘楼がある。
今回の金堂の大修理は、創建以来最大規模の大修理であり、現代の建築技術の粋を結集して構造補強を行ったと言うことで、講堂の中に模型が置かれていて、明治期の修復で追加された屋根のトラスの上に、更にトラスが追加されて補強されている。
この建物は、屋根がけた違いに巨大で、重量感十二分の重厚な国宝建築なのである。
法隆寺でも薬師寺でも驚嘆するのだが、東大の建築学科も京大の建築学科もなかった大昔に、よくも、このような凄い建物を建てたものである。
今回、多方面からの調査によって数々の新知見が得られたと言うことだが、とにかく、実に美しい建物である。
興味深かったのは、日本には、既に、千年もの齢を重ねた檜がなくなったので、薬師寺は台湾から檜を輸入し、興福寺の中金堂の再建には、台湾では輸出禁止であったために、カメルーンの欅を調達したと言うことだが、幸い、唐招提寺の金堂は、檜材を吉野から調達できたのだと言う。
背面の中央扉の右柱が、それだと言うことだが、よく見ても、建物に溶け込んでいて全く違和感などない。
普通の寺院と違って、本堂の中には、廬舎那仏を真ん中にして、左右に千手観音、薬師如来、梵天・帝釈、四天王が、安置されているだけであり、そのスケールの大きさと虚飾を排除した佇まいに感激している。
ネット張りの正面から、目を近づければ、仏像が良く見えるのだが、ウィキペディアの写真を借用すると次の通り。
美しい仏像と言うジャンルではないが、廬舎那仏の光背の素晴らしさや、普通は手を40本などに省略した千手観音が多いのだが、この寺の千手観音は、文句なしの千手観音で、その凄さは格別である。
国宝の鑑真和上像は、限られた日しか拝観不可能だが、現在では、開山堂で鑑真大和上御身代わり像を拝観することが出来る。
大分、以前に、上野の国立博物館で、唐招提寺の名宝展か何かがあった時に、国宝の鑑真和上像を拝観する機会があったので、よく覚えているのだが、両像の印象は殆ど違っていなかった。
境内の一番奥の右外れに、開山御廟がある。
鄙びた門をくぐると、広い前庭があり、林間にびっしりと埋め尽くされたように微かに光っている苔が、美しい。
その前の池は、今年最高の寒さで氷点下のために、氷が張っていて、シーンと静まり返った厳しい雰囲気に調和して清々しい。
異国で亡くなった偉大な鑑真和上の御廟としては、シンプルな佇まいだが、ごてごてした大きな中国の廟よりは、素晴らしい大地との調和だと思って、しばらく佇んでいた。
長い間、金堂の平成大修理で建屋に覆われており、行きそびれていたので、どうしても、唐招提寺へ行きたかったし、時間調整すれば、薬師寺でも十分に時間が取れると思ったのである。
唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山であるが、苦難を乗り越えて唐から渡来した鑑真大和上が、東大寺で5年を過ごした後、鑑真和上の私寺として始まった鑑真が建立した寺院であり、晩年を過ごした寺である。
奈良時代建立の金堂をはじめとして、講堂、鼓楼、経蔵、宝蔵など殆どの建物が国宝であり、それに加えて、御影堂に安置されている乾漆鑑真和上坐像や、金堂に安置されている乾漆盧舎那仏坐像、木心乾漆千手観音立像、木心乾漆薬師如来立像の3仏、木造梵天・帝釈天立像、木造四天王立像なども、すべて国宝と言う凄い文化財のある寺である。
私は、学生時代に、井上靖の「天平の甍」を読んで、いたく感激して、斑鳩の法隆寺と、この西ノ京の唐招提寺と薬師寺を頻繁に訪れた。
何の変哲もない田舎道に立つ南大門を入ると、すぐ正面に金堂、その背後に講堂があり、金堂・講堂間の東西にはそれぞれ鼓楼と鐘楼がある。
今回の金堂の大修理は、創建以来最大規模の大修理であり、現代の建築技術の粋を結集して構造補強を行ったと言うことで、講堂の中に模型が置かれていて、明治期の修復で追加された屋根のトラスの上に、更にトラスが追加されて補強されている。
この建物は、屋根がけた違いに巨大で、重量感十二分の重厚な国宝建築なのである。
法隆寺でも薬師寺でも驚嘆するのだが、東大の建築学科も京大の建築学科もなかった大昔に、よくも、このような凄い建物を建てたものである。
今回、多方面からの調査によって数々の新知見が得られたと言うことだが、とにかく、実に美しい建物である。
興味深かったのは、日本には、既に、千年もの齢を重ねた檜がなくなったので、薬師寺は台湾から檜を輸入し、興福寺の中金堂の再建には、台湾では輸出禁止であったために、カメルーンの欅を調達したと言うことだが、幸い、唐招提寺の金堂は、檜材を吉野から調達できたのだと言う。
背面の中央扉の右柱が、それだと言うことだが、よく見ても、建物に溶け込んでいて全く違和感などない。
普通の寺院と違って、本堂の中には、廬舎那仏を真ん中にして、左右に千手観音、薬師如来、梵天・帝釈、四天王が、安置されているだけであり、そのスケールの大きさと虚飾を排除した佇まいに感激している。
ネット張りの正面から、目を近づければ、仏像が良く見えるのだが、ウィキペディアの写真を借用すると次の通り。
美しい仏像と言うジャンルではないが、廬舎那仏の光背の素晴らしさや、普通は手を40本などに省略した千手観音が多いのだが、この寺の千手観音は、文句なしの千手観音で、その凄さは格別である。
国宝の鑑真和上像は、限られた日しか拝観不可能だが、現在では、開山堂で鑑真大和上御身代わり像を拝観することが出来る。
大分、以前に、上野の国立博物館で、唐招提寺の名宝展か何かがあった時に、国宝の鑑真和上像を拝観する機会があったので、よく覚えているのだが、両像の印象は殆ど違っていなかった。
境内の一番奥の右外れに、開山御廟がある。
鄙びた門をくぐると、広い前庭があり、林間にびっしりと埋め尽くされたように微かに光っている苔が、美しい。
その前の池は、今年最高の寒さで氷点下のために、氷が張っていて、シーンと静まり返った厳しい雰囲気に調和して清々しい。
異国で亡くなった偉大な鑑真和上の御廟としては、シンプルな佇まいだが、ごてごてした大きな中国の廟よりは、素晴らしい大地との調和だと思って、しばらく佇んでいた。