先月の大阪の国立文楽劇場に続いて、東京の嶋大夫引退披露公演の千穐楽を観劇した。
今回の第二部の『関取千両幟』は、引退する豊竹嶋大夫最後の舞台であり、大阪同様に、終演後花束の贈呈式が行われたが、今回は、三味線の鶴澤寛治と人形遣いの吉田簑助の前に、茂木七左衞門日本芸術文化振興会理事長からも、嶋大夫に花束が贈呈された。
「嶋大夫! 嶋大夫!」と言う観客からの多くの掛け声と盛大な拍手に、嶋大夫は、感激の面持ちで、花束を握りしめていた。
嶋大夫が夫婦愛と哀切の限りを込めて語り切ったおとわの人形を遣った吉田簑助から花束を受け取る豊竹嶋大夫の写真をHPから借用すると次の通り。
簑助は、おとわに涙を拭わせて進み出て花束を渡し、嶋大夫の胸に倒れ込んで、左肩に顔をうずめて別れを惜しんだ。
舞台を再現しているような、感動的な幕切れであった。
さて、住大夫の引退披露狂言の時もそうだったのだが、特別な公演の時には、チケット購入が殺到するので、日頃の座席任意選択システムが中止されて自動選択に切り替えられて、チケットの席はあなた任せになる。
そして、そんな時には、既に、事前に、関係者や団体などの予約ででチケットを抑えてしまうので、発売瞬間にインターネットを叩いても、後方か端の席のチケットしか取得できない。
今回も、私のチケットは、13列34番。
舞台に向かって、右翼席の一番端から2番目、それも、殆ど後方で、本来なら最悪の席である。
ところが、何が幸いするのか分からないもので、今回、この席からの観劇で非常に楽しむことが出来たのである。
幸いなことに、前列の12列33番と34番が空席(早々に完売であったので来れなかったのであろう)であったので、視界を遮られるものは何もない。
少し舞台は遠いのだが、NIKONの10倍の双眼鏡を駆使すれば良い。
もっと幸いしたのは、上手であるから、大夫と三味線の床、そして、文楽回しが、真正面にあって、多少、舞台と被ってはいるのだが、殆ど、苦労することなく、大夫と三味線の演奏と舞台の人形の動きを、同時に鑑賞できることであった。
普通は、人形の動きばかりを追って文楽を観ているのだが、今回は、嶋大夫の義太夫語りや寛治の三味線を、息遣いを感じながらつぶさに鑑賞出来て、素晴らしい経験をした。
それに、寛太郎の曲弾きの至芸を、そして、錦吾の胡弓を、あたかも、小劇場の室内演奏のような臨場感を味わいながら真正面で鑑賞できたのも、感激であった。
嶋大夫は、やや、前かがみになって身を前に乗り出して座り、左手で見台に手を添えて床本を繰り、感極まると、見台に手をついて義太夫を語る。
寛治は、殆ど表情を変えずに、淡々と三味線を奏でる。
猪名川が相撲場に出かけて、残されたおとわが、猪名川の心中を思って身売りを決心して見送る幕切れのシーンでは、舞台に残っているのは、嶋大夫、寛治、簑助の人間国宝の3人だけ。
文楽界最高峰の至芸の静寂さ、これほどの伝統芸能の極地を築き上げた日本の文化の素晴らしさに、感激しきりであった。
やはり、この『関取千両幟』の山場は、相撲場に出かける前に、決死の覚悟で負け相撲に臨もうとする猪名川を引き留めて、乱れた髪を撫でつけながら、苦しい胸の内を吐露する猪名川に、悲しくも切ない心の内を切々とかき口説くおとわの神々しいまでも美しい健気な姿。
上気して紅潮した嶋大夫が、「相撲取りを男に持ち、江戸長崎国々へ、行かしやんすりゃその後の、留守は尚更女気の、独りくよくよ物案じ。・・・」血を吐くような心情の吐露に、観客は、息を殺して聴き入る。
簑助の遣うおとわの、もうこれ以上望み得ないような女の優しさ温かさを滲ませた崇高な美しさが、胸を打って切ない。
「進上金子二百両猪名川様へ贔屓より」の口上で、相撲に勝った猪名川が、その贔屓とは、自分の身を売って金子を捻出したのが我妻おとわであったことを知って、籠に乗って去って行くおとわに頭を下げて見送るのが幕切れ。
籠から、顔を覗かせてじっと猪名川を見つめながら、手を振っていた、一寸、モダンなおとわが印象的であった。
喜びも悲しみも、千穐楽。
この日限りで、嶋大夫の本舞台での公演は終わった。
後進の指導に当たると言うことなので、ご多幸とご健康をお祈り致したい。
今回の第二部の『関取千両幟』は、引退する豊竹嶋大夫最後の舞台であり、大阪同様に、終演後花束の贈呈式が行われたが、今回は、三味線の鶴澤寛治と人形遣いの吉田簑助の前に、茂木七左衞門日本芸術文化振興会理事長からも、嶋大夫に花束が贈呈された。
「嶋大夫! 嶋大夫!」と言う観客からの多くの掛け声と盛大な拍手に、嶋大夫は、感激の面持ちで、花束を握りしめていた。
嶋大夫が夫婦愛と哀切の限りを込めて語り切ったおとわの人形を遣った吉田簑助から花束を受け取る豊竹嶋大夫の写真をHPから借用すると次の通り。
簑助は、おとわに涙を拭わせて進み出て花束を渡し、嶋大夫の胸に倒れ込んで、左肩に顔をうずめて別れを惜しんだ。
舞台を再現しているような、感動的な幕切れであった。
さて、住大夫の引退披露狂言の時もそうだったのだが、特別な公演の時には、チケット購入が殺到するので、日頃の座席任意選択システムが中止されて自動選択に切り替えられて、チケットの席はあなた任せになる。
そして、そんな時には、既に、事前に、関係者や団体などの予約ででチケットを抑えてしまうので、発売瞬間にインターネットを叩いても、後方か端の席のチケットしか取得できない。
今回も、私のチケットは、13列34番。
舞台に向かって、右翼席の一番端から2番目、それも、殆ど後方で、本来なら最悪の席である。
ところが、何が幸いするのか分からないもので、今回、この席からの観劇で非常に楽しむことが出来たのである。
幸いなことに、前列の12列33番と34番が空席(早々に完売であったので来れなかったのであろう)であったので、視界を遮られるものは何もない。
少し舞台は遠いのだが、NIKONの10倍の双眼鏡を駆使すれば良い。
もっと幸いしたのは、上手であるから、大夫と三味線の床、そして、文楽回しが、真正面にあって、多少、舞台と被ってはいるのだが、殆ど、苦労することなく、大夫と三味線の演奏と舞台の人形の動きを、同時に鑑賞できることであった。
普通は、人形の動きばかりを追って文楽を観ているのだが、今回は、嶋大夫の義太夫語りや寛治の三味線を、息遣いを感じながらつぶさに鑑賞出来て、素晴らしい経験をした。
それに、寛太郎の曲弾きの至芸を、そして、錦吾の胡弓を、あたかも、小劇場の室内演奏のような臨場感を味わいながら真正面で鑑賞できたのも、感激であった。
嶋大夫は、やや、前かがみになって身を前に乗り出して座り、左手で見台に手を添えて床本を繰り、感極まると、見台に手をついて義太夫を語る。
寛治は、殆ど表情を変えずに、淡々と三味線を奏でる。
猪名川が相撲場に出かけて、残されたおとわが、猪名川の心中を思って身売りを決心して見送る幕切れのシーンでは、舞台に残っているのは、嶋大夫、寛治、簑助の人間国宝の3人だけ。
文楽界最高峰の至芸の静寂さ、これほどの伝統芸能の極地を築き上げた日本の文化の素晴らしさに、感激しきりであった。
やはり、この『関取千両幟』の山場は、相撲場に出かける前に、決死の覚悟で負け相撲に臨もうとする猪名川を引き留めて、乱れた髪を撫でつけながら、苦しい胸の内を吐露する猪名川に、悲しくも切ない心の内を切々とかき口説くおとわの神々しいまでも美しい健気な姿。
上気して紅潮した嶋大夫が、「相撲取りを男に持ち、江戸長崎国々へ、行かしやんすりゃその後の、留守は尚更女気の、独りくよくよ物案じ。・・・」血を吐くような心情の吐露に、観客は、息を殺して聴き入る。
簑助の遣うおとわの、もうこれ以上望み得ないような女の優しさ温かさを滲ませた崇高な美しさが、胸を打って切ない。
「進上金子二百両猪名川様へ贔屓より」の口上で、相撲に勝った猪名川が、その贔屓とは、自分の身を売って金子を捻出したのが我妻おとわであったことを知って、籠に乗って去って行くおとわに頭を下げて見送るのが幕切れ。
籠から、顔を覗かせてじっと猪名川を見つめながら、手を振っていた、一寸、モダンなおとわが印象的であった。
喜びも悲しみも、千穐楽。
この日限りで、嶋大夫の本舞台での公演は終わった。
後進の指導に当たると言うことなので、ご多幸とご健康をお祈り致したい。