熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

オーバー・スペック・・・過剰仕様の日本製品

2006年02月12日 | 政治・経済・社会
   良い天気になり、気持ちが良かったので田舎道を散歩に出た。
   この頃、目につくのは遠出姿のシルバー族の散歩姿、何故か、カップルが多い。
   ウオーキング関係の出版物が多くなったのも分かるような気がする。

   河畔を歩いていると、もの凄い羽音がして数羽の鴨の群れが頭上から急降下してきたと思ったら、一羽の鴨だけがすぐ側の川の中に飛び込んだ。
   あとの鴨は、私の耳元をかすめて飛び去って行った。
   一瞬だったので、何が起こったのか分からなかったが、誰も居ない畑の広がる田舎道で私を目掛けて飛んできたのであるから、逃げる為に、危険な筈の私を隠れ蓑に使ったのであろうか。
   そう思って空を見たら、一羽鳶らしき鳥が悠々と南の空へ飛んで行くのが見えたが、数羽の鴨の群れが鳶に追いかけられて逃げて来たのかも知れない。
   あんな大きなカルガモでも鳶は餌食にするのか、或いは、よく見かける鳥達の争いか。
   しかし、この川に、毎年、冬になると可なりの数の鴨が渡って来て住んでいるが、余程の事がない限り、殆どつがいで行動していて一羽だけで泳いでいることは滅多にない。
   この鴨、凄い速さで飛び込んできたので、羽が乱れたままで、川面を泳いでいた。

   ところで、この話は前座であって、私が言いたかったのは、日本の工業製品のオーバースペックの問題である。
   今、姉歯事件で、耐震強度偽装問題で建築物の質が問われているが、本来建設物は相当余分な安全率を加味して建てられているもので、今回は、ビジネス倫理の欠如と法律違反の為に発生しているので、これは論外であろう。

   さて、先ほどの追いかけられて逃げてきた鴨を、先日のコニカミノルタのαSweet Degitalで、望遠側の450ミリで撮ったのが、この写真である。
   完全オートで写したのだが、データを見るとシャッター速度500分の1、絞りはF6.5で、ASAは100、本来ならぶれて写真にはならない筈だが、このカメラの手ブレ補正機能のお陰で、可なりしっかりとピントがあって立派に写っている。

   私は、学生の頃からだから、もう何十年も写真を撮り続けているが、折角の写真がピントが甘かったりぶれたりで、これまで随分失敗を重ねてきた。
   最近、露出の測定やオートフォーカスの技術が進んだので、この方面はカメラ任せで良くなったが、カメラブレだけは、まだ十分ではなかったので、大口径の明るいレンズを使用してシャッター速度を速めて、少しでもぶれを避けようとしてきた。
   私は、自然光で写真を写しフラッシュは極力使わない主義であるし、また、三脚を使わずに手持ち撮影する事が多いので、とにかく、カメラ・ブレが一番困るのである。
   一眼レフカメラの重さがぶれ防止の助けになっていたが、最近では重いカメラと交換レンズを持って遠出をすると可なりこたえる様になった。
   また、花を写すことが多いので、マクロレンズを使って、花に10センチ以上も近づくことがあるので、すぐにぶれてしまって写真がダメになることが多いのである。

   カメラは、今まで、キヤノンとニコン、コンタックスTVSⅢで、他に使ったカメラは、ドイツのライカと超小型のミノックスだけだった。
   今回、ミノルタがこの世から消えてしまうので、キヤノンかニコンが手ブレ補正機能を本体に備えた上等な一眼レフを製造販売するまでと思って、ミノルタの素晴しい技術に敬意を表しノスタルジアを兼ねて、私にとっては最大の武器である手ブレ補正機能を備えたαSweetを買った。
   使ってみると随分立派なカメラで、これまで使っていた銀塩の一寸高級な一眼レフと遜色なく、写真歴の永いだけの私などに十分に使いこなせるかどうか疑問な程である。

   露出機もない頃から、マニュアルでカメラを使っているので、露出や絞を調整してピントを合わせるのは何の苦痛もないが、良く考えてみると、最近は、写真を撮る場合、大概の場合は、オートでカメラ任せで撮っていて、被写体にカメラを向けてフレームを決めてシャッターを押すだけである。
   それに、幸いなことに、多少失敗しても、充実した写真ソフトがあるので、パソコンでいくらでも修正・加工出来る。
   露出モードは、時には、シャッター優先や絞り優先、或いはマニュアルに切り替える事もあり、露出補正を行ったり、測光方式を変えることもあるが、それらは特別な意図を持って写真を写す場合で、大半は、カメラ任せでフラッシュを焚くか焚かないか程度で済む。

   このαSweetは、まだまだ、セミプロにも仕えそうな機能を備えており、とにかく、一寸写真に慣れた人にも対応できる中上級機としての充実した撮影機能を持っている。
   また、問題の画素数であるが、610万画素で見劣りするようだが、500万画素あれば、A4版程度の引き伸ばしなら、フィルムカメラに劣らないプリントが作成出来るので600もあれば十分である。

   とにかく、大概の人は、いくら高級なカメラを使っていても、殆どオート撮影のカメラ任せで、カメラの持っている機能の殆どは未使用のままに終わっていると言うことである。
   それなら、無意味な機能を極力削って、オート仕様で手ぶれ防止機能を搭載してシャッターを押すだけのカメラを作ってコストを下げればどうなのか、と思う。
   デルのコンピューターのように、カスタム・オーダーに近いシステムが使えれば自分の好みで必要なものをオーダー出来るので良い。
   しかし、カメラは生産者の独断と偏見の画一生産品。高齢化社会になり、益々、ITデバイド、機械デバイドで、難しい機械を使えなくなってくる顧客が多くなるにも拘らず、いまだに、プロだけが必要とするようなどうでも良い機能をふんだんに付け加えて差別化競争して採算割れになっているメーカーが多いと聞く。
   大体、沢山のメーカーが色々な小型デジカメを販売しているが、どれも帯に長くて襷に短し、どれを買っても大差なく、安ければ安い方が良い。過当競争で採算割れ筆致である。
   早晩、機能がアップすれば、携帯電話に取って代わられてしまう。

   薄型のデジタルTVも然り、DVDレコーダーも然り、パソコンも、多くの家電製品も然り、とにかく、日本の工業製品の多くは、殆ど使われないような機能を搭載したオーバースペックの製品を生産して過当競争を行っているが、考えるべき時期に来ているのではないかと思う。

   あのauの携帯電話で、小林桂樹のコマーシャルでやっている数字だけをプッシュすれば良いだけの電話、あの電話の精神である。

   思い出したが、半世紀ほども前に、ガルブレイスが、「豊かな社会」の本の中で、何故、エアコン付の電気芝刈り機が必要なのか、何故、1人の人間を運ぶのに6トンもの鉄を使った長い尾びれ付の乗用車が必要なのか、と言って、金儲け資本主義の馬鹿さ加減を揶揄していた。

   
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