
ケンブリッジ大学学長のアリソン・リチャードさんは、初の女性学長で人類学の学者である。
MITのスーザン・ホックフィールド学長はじめ、ハーバード、プリンストン、ペンシルヴェニア、ブラウンと言った米国のアイビーリーグ7大学の内4大学の学長なども女性で決して珍しいケースではないが、ケンブリッジの場合は、ノーベル賞学者を82人輩出し800周年を記念する超名門大学であり、華奢で静かな、しかし、闘志満々のリチャードさんの話を聞くと流石にイギリスだと思う。
ケンブリッジ・クラスターとも呼ばれるシリコン・フェンは、ソフトウエア、エレクトロニクス、バイオテクノロジーなどのヨーロッパ一のハイテク・ビジネス・クラスターで、ケンブリッジ大学によって成り立っていると言うことを冒頭にリチャード学長は語り、如何に大学の地元ローカルへの貢献が大切かを語った。
リチャード学長は、大学の世界的な連携が深まれば深まるほど、大学との国際社会と地元との連携が深まるとして、グローバル社会への貢献も大切だが、大学独自のの歴史と本拠地の特殊性を誇りを持って維持しなければならないと強調する。
ケンブリッジ大学の重要な選択は、外国に分校なりサテライト施設を設置しないことで、教育と言うだけなら可能かも知れないが、研究やリサーチなど一切揃ったケンブリッジ大学がトータルで生み出す高度な知的な価値は、このイギリスの南東部にある故地ケンブリッジ以外では不可能だからだと言うのである。
私は、一度だけケンブリッジ大学に行ったことがあるが、オックスフォードと一寸違って、街全体が一つの大学と言った感じで、正に知を創造する学術クラスターの佇まいで、この雰囲気は、アメリカのプリンストン大学に似ていた。
私の学んだ京大もペンシルヴェニア大も大都市の中の大学なので、何となく雑多な感じがするが、あのケンブリッジは中世から息づいている学問の町で、リチャード学長は、このケンブリッジから世界を変えたと言うが、その誇りと気概が良く分かる気がする。
大学に席を置きながら全く授業に出たことがないと言ったピーター・ドラッカーでさえ、ケンブリッジのケインズの講義だけは聞いたと言うから、やはり、学問の府としての魅惑的な力があるのかも知れない。
リチャード学長は、ケンブリッジーMIT連携プログラムで、サイレント・エアクラフトの開発を進めているとして素晴らしい航空機の写真を披露していたが、東大・京大は勿論、世界の大学との知の交流は大変活発なようで、大学生の80%位はイギリス人のようだが、大学院生やリサーチ関係者の過半は外国人のようである。
カリフォルニア大学サンタバーバラ校も、ノーベル賞学者を輩出している名門校である。ヘンリー・ヤン学長は、同校の看板学者中村修二教授が、ミレニアム・テクロロジー賞2006受賞について語り、同校のノーベル賞学者ハーバート・クローマー教授の受賞祝賀スピーチでの「電球の終わりの始まり。我々は、物事をもっと良くすることではなく、これまでに出来なかったことをすると言うことを語っているのだ。」と言う言葉を引用して中村教授の業績を称えていた。
ヤン学長の言葉で印象的だったのは、多様性と卓越性はお互いに補完し合う(Diversity and Exellence Complement Each Other)と言葉で、学問の場において、異質な文化や技術の遭遇が如何に大切か、言うならば、大学が高度な学問芸術を生むためにはメディチ・エフェクトを発生させる場を如何に作り出すかと言うことが大変重要であることを示唆していたことである。
ヤン学長は、冒頭に、岬に突き出した素晴らしいキャンパスを俯瞰する航空写真を見せてくれたが、欧米では、大学が美しいとか、素晴らしい環境の中にあると言うのは、当たり前と言うか極普通の話で、観光資源となっていることは常識である。
私も機会を利用して歩いているが、ドン・キホーテのセルバンテスが学んだと言うサラマンカ大学などボロニア大学とともに世界最古の大学の一つとあって、正に骨董品的な大学で、新世界に雄飛したあの当時のヨーロッパの姿が彷彿として感激したことがある。
ところで、最近、この東大にも、結構観光客が訪れて、時計台のあたりで記念写真を撮っている姿を良く見かけるようになった。
名物の銀杏並木は、色づき始めたばかりで、黄金色に輝くのは月末あたりであろうか。
MITのスーザン・ホックフィールド学長はじめ、ハーバード、プリンストン、ペンシルヴェニア、ブラウンと言った米国のアイビーリーグ7大学の内4大学の学長なども女性で決して珍しいケースではないが、ケンブリッジの場合は、ノーベル賞学者を82人輩出し800周年を記念する超名門大学であり、華奢で静かな、しかし、闘志満々のリチャードさんの話を聞くと流石にイギリスだと思う。
ケンブリッジ・クラスターとも呼ばれるシリコン・フェンは、ソフトウエア、エレクトロニクス、バイオテクノロジーなどのヨーロッパ一のハイテク・ビジネス・クラスターで、ケンブリッジ大学によって成り立っていると言うことを冒頭にリチャード学長は語り、如何に大学の地元ローカルへの貢献が大切かを語った。
リチャード学長は、大学の世界的な連携が深まれば深まるほど、大学との国際社会と地元との連携が深まるとして、グローバル社会への貢献も大切だが、大学独自のの歴史と本拠地の特殊性を誇りを持って維持しなければならないと強調する。
ケンブリッジ大学の重要な選択は、外国に分校なりサテライト施設を設置しないことで、教育と言うだけなら可能かも知れないが、研究やリサーチなど一切揃ったケンブリッジ大学がトータルで生み出す高度な知的な価値は、このイギリスの南東部にある故地ケンブリッジ以外では不可能だからだと言うのである。
私は、一度だけケンブリッジ大学に行ったことがあるが、オックスフォードと一寸違って、街全体が一つの大学と言った感じで、正に知を創造する学術クラスターの佇まいで、この雰囲気は、アメリカのプリンストン大学に似ていた。
私の学んだ京大もペンシルヴェニア大も大都市の中の大学なので、何となく雑多な感じがするが、あのケンブリッジは中世から息づいている学問の町で、リチャード学長は、このケンブリッジから世界を変えたと言うが、その誇りと気概が良く分かる気がする。
大学に席を置きながら全く授業に出たことがないと言ったピーター・ドラッカーでさえ、ケンブリッジのケインズの講義だけは聞いたと言うから、やはり、学問の府としての魅惑的な力があるのかも知れない。
リチャード学長は、ケンブリッジーMIT連携プログラムで、サイレント・エアクラフトの開発を進めているとして素晴らしい航空機の写真を披露していたが、東大・京大は勿論、世界の大学との知の交流は大変活発なようで、大学生の80%位はイギリス人のようだが、大学院生やリサーチ関係者の過半は外国人のようである。
カリフォルニア大学サンタバーバラ校も、ノーベル賞学者を輩出している名門校である。ヘンリー・ヤン学長は、同校の看板学者中村修二教授が、ミレニアム・テクロロジー賞2006受賞について語り、同校のノーベル賞学者ハーバート・クローマー教授の受賞祝賀スピーチでの「電球の終わりの始まり。我々は、物事をもっと良くすることではなく、これまでに出来なかったことをすると言うことを語っているのだ。」と言う言葉を引用して中村教授の業績を称えていた。
ヤン学長の言葉で印象的だったのは、多様性と卓越性はお互いに補完し合う(Diversity and Exellence Complement Each Other)と言葉で、学問の場において、異質な文化や技術の遭遇が如何に大切か、言うならば、大学が高度な学問芸術を生むためにはメディチ・エフェクトを発生させる場を如何に作り出すかと言うことが大変重要であることを示唆していたことである。
ヤン学長は、冒頭に、岬に突き出した素晴らしいキャンパスを俯瞰する航空写真を見せてくれたが、欧米では、大学が美しいとか、素晴らしい環境の中にあると言うのは、当たり前と言うか極普通の話で、観光資源となっていることは常識である。
私も機会を利用して歩いているが、ドン・キホーテのセルバンテスが学んだと言うサラマンカ大学などボロニア大学とともに世界最古の大学の一つとあって、正に骨董品的な大学で、新世界に雄飛したあの当時のヨーロッパの姿が彷彿として感激したことがある。
ところで、最近、この東大にも、結構観光客が訪れて、時計台のあたりで記念写真を撮っている姿を良く見かけるようになった。
名物の銀杏並木は、色づき始めたばかりで、黄金色に輝くのは月末あたりであろうか。