熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

大学の試練と挑戦(1)・・・東大・朝日連続シンポジウム

2007年11月18日 | 政治・経済・社会
   土曜日の午後、東大安田講堂で、欧米日の学長達が集ってシンポジウム「大学の試練と挑戦」が開かれた。
   激しく激動する経済社会のグローバル展開の中で、如何に大学がその使命を果たす為に対峙すべきか、標題をテーマにして非常に興味深い議論が戦わされた。
   小宮山宏東大総長の基調講演に始まり、アリソン・リチャード・ケンブリッジ大学長、ヘンリー・ヤン・カリフォルニア大サンタ・バーバラ校学長の講演と続いて、最後に、宮田亮平東京芸大学長や丹羽宇一郎伊藤忠会長などが加わって討論が行われた。

   小宮山総長は、冒頭、現代は「曲線」の時代だとして、様々な方向へ向かう価値や考え方を受け止め、発信することが大切だと述べた。
   20世紀における知の爆発によって、知識の専門化、細分化が進んだが、広い視野から俯瞰して、知を構造化して、発信することが大学の使命だと言うのである。

   その為には、東大では、まず、外国語教育を重視して、「アカデミック・ライティング」を1年生に履修させて、これまでの知識の「受容」:読む力から、知識の「発信」:書く力の涵養へと比重を移し、発信能力を高める。
   第2外国語も重視し、2つ以上の異なった文化や世界に接することによって多様で複眼的な知的能力を養うとともに、フランス人が日本語で中国哲学を講義すると言った場を作り出すなど、異文化との遭遇の場を作り、フュージョン型の文化の多様性を追求する。

   次に、教養教育の重視で、知識の幅の広さをキーワードにして、一般教養とリベラル・アーツに力を入れる。この幅の広い知識はものづくりに不可欠で、特に、この面での学生への教育は工夫が必要だと言う。
   東大では、「学術俯瞰講義」と言う特別な講座があり、東大の学者のみならず卒業生のノーベル学者などその道の第一人者を全学に渡って糾合して、非常に幅の広い学際的な教育の場を持っている。
   これは、小宮山学長の「細分化した学問分野間を最先端の視点から俯瞰し、「知」の大きな体系の中に位置づける」の発案で昨年からスタートし、これまで、物質の科学、社会の形成、生命と科学、エネルギーと地球環境、数理の世界等々テーマは多岐にわたって実施されている。
   「基盤的能力(InfraCompetence)」を養うことを基本として課題を発見して課題を作る能力を養う為小クラス制をとったり、人間的魅力やコミュニケーション能力を身につけるためカレッジ型のアプローチなどに力を入れているとも言う。

   東大には、生命科学関係に携っている人は1600人もいるようで、この生命科学教育支援ネットワークでは、知の構造化と最新の情報技術を活用し、知の急速な進歩に対応した教科書作りをしている。生命科学専攻のみならず、理工系の人のために、続いて、文科系の人のために、と言った異分野の人々にも、最先端の知を構造化して発信し続けるのだと言うのである。
      
   
   司馬遼太郎が、東大を知識の配電盤と言ったが、私自身、最近、開かれた東大になったお陰で、法学部や経済学部などの公開講座などで結構東大キャンパスに行く機会が多くなったが、非常に有り難いことだと思っている。

   後半の討論会で、浅島誠東大副学長が、東大の教育方針等について語っていたが、ハーバードやケンブリッジなど外国大学との連携(Global Alliance)による教育や研究・リサーチなどが活発に行われているようである。

   ところで、東大の理想の教育の追求として、浅島氏が指摘したのは次の点である。
   ・世界最高の人材育成の場を提供
   ・本質を捉える知、他者を感じる力、先頭に立つ勇気を持つ人材の育成
   ・地球持続性に貢献する人材の育成
   ・英語教育による国際化の加速
   小宮山総長も最前列で聞いていたのでこれが正しいのであろうが、大上段に構えた最初の理想はとも角としても、小宮山総長の話も含めて英語教育云々などは末梢的な話で、入学試験に、英語の能力試験を課すとか、大学の授業を英語乃至英語交じりで行えば済むことで、英語力がなければ、東大に入学できないし卒業できないようにすれば自然に解決し、大学が力を入れて教育することではないと思う。
   そうすれば、優秀な外人教授を招聘できて国際化が進む。
   立命館の本間政雄副学長は、立命館の某学部は、授業のすべてが英語だと言っていたし、伊藤忠の丹羽会長など、伊藤忠の公用語は英語だとハッパをかけていて英語力はマストだと断言していた。

   余談ながら、サイマルなどの同時通訳は実に質が高くなり充実してきたが、やはり、それでも、時には誤解や間違いがあって、英語力があれば通訳なしで話を聞くに越したことはないと思う。
   しかし、専門外の話になって専門用語や耳慣れない外国語に接するとどうしても通訳が欲しくなることもあり、両刀使いになるには相当の修練が必要である。
   ところで、グーグルの自動翻訳だが、時々、私自身のこのブログを英語の翻訳で見るが、酷いもので殆ど使い物にならない。
   結局、自動的な翻訳・通訳機械の出現等はずっと先の話で、このグローバル化した世の中においては、英語能力が、生きて行くためには必須だと言うことである。

   NOVAの問題などは、文部科学省がいい加減な対応をするから発生した問題で、嘆かわしい限りであるが、日本の英語教育の現状をいみじくも露呈してしまった。
   ところで、本シンポジウムで、世界の趨勢に逆行して、日本のアメリカ留学生が減少傾向にあると言うことなどが話題になったが、このコメントは次回に譲る。
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