
国立劇場の雰囲気は、木挽町の歌舞伎座とは一寸違った雰囲気で、何となくモダンで明るい。
劇場のオープンさも寄与しているが、それよりも、アラカルト公演の多い歌舞伎座と違って、通し狂言の舞台で見せる芝居好きの嗜好に合っているのかも知れない。
今回の忠臣蔵の舞台も、クラシックで定番の歌舞伎座の舞台セットと違って、新歌舞伎と言うことでもあるのか非常に今様の趣向を反映していて視覚的にも実に美しい。
11月の第二部は、赤穂城明け渡しの後、吉良邸討入り前までの中間の舞台で、「伏見撞木町」「浜御殿綱豊卿御座」「南部坂雪の別れ」。
大石内蔵助の京都での放蕩三昧の舞台から、南部坂を訪れての瑤泉院との別れまでの舞台で、忠臣蔵本来の派手さと活劇的な展開はないが、忠臣蔵とは一体何だったのか、大石の目的は何だったのか、を問いかけるある意味では一番重要な部分でもある。
非常に興味深かったのは、大石内蔵助を演じる坂田藤十郎をはじめ主な役者は上方歌舞伎陣で、それに、梅玉・魁春兄弟に松江、時蔵、彦三郎等が加わった役者達の非常にユニークな舞台で、忠臣蔵の新しい別な世界を見せてもらったようで楽しかったことである。
私の大石良雄像について大きく変ったのは、近松洋男氏の「近松門左衛門の真実」を読んでからで、今回の浜御殿の場でも出て来る近衛家と大石家の縁で御所勤めをしていた近松門左衛門(門左と略称)が赤穂に行って大石内蔵助に会っている。
その時14歳の内蔵助が門左に、「赤穂の先導により、京都や大坂の商人が全国に塩の道を張り巡らせるような仕組みをつくり、幕府の力が及ばぬようにしたい。そして、ゆくゆくは周辺諸国と力を合わせて塩貿易を展開したい」と途轍もないことを言っている。
史実では伏せられているようだが、繁栄し大きな収入源となっていた赤穂の塩業に対して将軍綱吉と吉良義央の幕府側が強引に製塩技術と塩販売の利権譲渡を要求していた。
これが遠因で起こった浅野内匠頭の刃傷事件に対して、即刻田村家お預け、夕刻には即日切腹、夜には泉岳寺に葬られると言う五代将軍徳川綱吉の即断即決と言う奇妙な結末となった。
浅野内匠頭の刃傷裁判で、このことが公になることを恐れた幕府が、「喧嘩両成敗」の武家の不文律にも背いて無理を押し通したのはもみ消しを図るためとしか考えられない。
従って、大石の幕府に対する敵愾心は、主君への仇討ち、御政道を正す等と言う以上に筋金入りで生半可ではない。
私の言いたいのは、
この内蔵助は、政治・経済感覚もあり、門左と一緒にスペイン人牧師からスペイン文学など西洋事情も習っていて極めて文明開化した人物であったと同時に、京や大坂等上方にいた時には、技芸にも交わり有名劇作家で自由の身になった門左から逐一吉良・浅野の評判など世情の情報を得ていた。
従って、今回の坂田藤十郎の大石内蔵助が醸し出すように、上方の豪商とお大人の風格を備え、かつ、武士道にも長け文武両道を行く極めて有能なマネジメント能力を持った人物ではなかったかと言うことである。
従って、私は、坂田藤十郎の内蔵助の入念に計算し尽くされた万感の思いを込めた素晴らしい演技を感激しながら観ていた。
真山成果のこの中盤の舞台は、吉良への仇討ちを急いで焦る赤穂浪士、縁戚や民衆の動きと一向に動かぬ内蔵助とを対比させながら、何故、内蔵助がことを起こそうとしないのかに焦点を当てている。
城明渡しの時点で、路頭に迷う家来達の前途を慮って、適わぬと確信して願い出た浅野大学の跡目相続嘆願が重臣や世評の後押しで実現しかかり、これが拒否されない限り幕府への反逆となって至誠の道が立たなくなり仇討ち出来なく成ってしまった。
抜け駆けしてでも江戸に出て吉良を討とうと逸る主税や安兵衛を叱り付けて、内蔵助は、混乱を凌ぐ方便で犯した唯一の間違い・浅野大学によるお家再興願いが未決で存続している以上仇討ちは出来ないのだ、時を待てと諭す。
同じ趣旨を形を変えて、お浜御殿で、吉良を討とうとした赤穂浪士富森助右衛門(翫雀)に、徳川綱豊が、「吉良を殺すのだけが目的か、義理を踏み正義を尽くす誠を示せ」と叱り付け、
また、綱豊が、師である新井白石(我當)に儒学の教えに反してでも敵討ちをさせたいと心情を吐露し、助右衛門に蔵助の放蕩の胸中を明かすことによって真山成果は、仇討ちの趣旨とあるべき筋を語っている。
坂田藤十郎の大石は、前述したが私のイメージしていた大石内蔵助像そのもので、粋なお大人ぶりの放蕩姿も、赤穂浪士に至誠を諭す場面や決死の覚悟を秘めて瑤泉院に面会する場面の重厚な演技など素晴らしいし、微妙な心理描写が心憎いほど冴えている。
中村梅玉の綱豊卿の何と凛々しく風格のある大名ぶりか。あれだけの品格と威厳を具えて演技の端々に木目細かく気配りし演じれる役者は極めて稀で、絵を見ているようであった。
時蔵の瑤泉院の品ある凛とした奥方は正に秀逸で、藤十郎との絡みが舞台後半の最大の見せ場で素晴らしかった。
秀太郎の遊女浮舟は、さすがに老練で風格と威厳のような艶のある素晴らしい傾城像を見せてくれていた。
新井白石の我當は正に適役で、真面目一徹、座っているだけでも様になる。 印象的だったのは、老いの一徹、頑固一徹だが優しさと忠義を併せ持った浅野本家の新藤八郎右衛門を演じた彦三郎だが、実に上手い。
控えめだが、御右筆江島を演じた魁春も舞台に花を添えていたが、後に江島生島スキャンダルを起こすのだが、この江島だったらどう演じるのかと思いながら興味深く見ていた。
特筆すべきは、翫雀と扇雀兄弟と愛之助の瑞々しい舞台。
翫雀の富森が綱豊に真っ向から挑む姿や咽び泣きながら嘆願する辺りなど実に感動的で、扇雀のお喜世の後の将軍の母・月光院を思わせる品と雰囲気を秘めた初々しさなど中々良かった。
大阪から動かないと言う数少ない関西歌舞伎のホープ愛之助は、主税と羽倉斎宮を演じていたが、両方とも内蔵助に意見する役ながら全く性格は違うが、地で行っているような感じで自然体の演技で面白かった。
劇場のオープンさも寄与しているが、それよりも、アラカルト公演の多い歌舞伎座と違って、通し狂言の舞台で見せる芝居好きの嗜好に合っているのかも知れない。
今回の忠臣蔵の舞台も、クラシックで定番の歌舞伎座の舞台セットと違って、新歌舞伎と言うことでもあるのか非常に今様の趣向を反映していて視覚的にも実に美しい。
11月の第二部は、赤穂城明け渡しの後、吉良邸討入り前までの中間の舞台で、「伏見撞木町」「浜御殿綱豊卿御座」「南部坂雪の別れ」。
大石内蔵助の京都での放蕩三昧の舞台から、南部坂を訪れての瑤泉院との別れまでの舞台で、忠臣蔵本来の派手さと活劇的な展開はないが、忠臣蔵とは一体何だったのか、大石の目的は何だったのか、を問いかけるある意味では一番重要な部分でもある。
非常に興味深かったのは、大石内蔵助を演じる坂田藤十郎をはじめ主な役者は上方歌舞伎陣で、それに、梅玉・魁春兄弟に松江、時蔵、彦三郎等が加わった役者達の非常にユニークな舞台で、忠臣蔵の新しい別な世界を見せてもらったようで楽しかったことである。
私の大石良雄像について大きく変ったのは、近松洋男氏の「近松門左衛門の真実」を読んでからで、今回の浜御殿の場でも出て来る近衛家と大石家の縁で御所勤めをしていた近松門左衛門(門左と略称)が赤穂に行って大石内蔵助に会っている。
その時14歳の内蔵助が門左に、「赤穂の先導により、京都や大坂の商人が全国に塩の道を張り巡らせるような仕組みをつくり、幕府の力が及ばぬようにしたい。そして、ゆくゆくは周辺諸国と力を合わせて塩貿易を展開したい」と途轍もないことを言っている。
史実では伏せられているようだが、繁栄し大きな収入源となっていた赤穂の塩業に対して将軍綱吉と吉良義央の幕府側が強引に製塩技術と塩販売の利権譲渡を要求していた。
これが遠因で起こった浅野内匠頭の刃傷事件に対して、即刻田村家お預け、夕刻には即日切腹、夜には泉岳寺に葬られると言う五代将軍徳川綱吉の即断即決と言う奇妙な結末となった。
浅野内匠頭の刃傷裁判で、このことが公になることを恐れた幕府が、「喧嘩両成敗」の武家の不文律にも背いて無理を押し通したのはもみ消しを図るためとしか考えられない。
従って、大石の幕府に対する敵愾心は、主君への仇討ち、御政道を正す等と言う以上に筋金入りで生半可ではない。
私の言いたいのは、
この内蔵助は、政治・経済感覚もあり、門左と一緒にスペイン人牧師からスペイン文学など西洋事情も習っていて極めて文明開化した人物であったと同時に、京や大坂等上方にいた時には、技芸にも交わり有名劇作家で自由の身になった門左から逐一吉良・浅野の評判など世情の情報を得ていた。
従って、今回の坂田藤十郎の大石内蔵助が醸し出すように、上方の豪商とお大人の風格を備え、かつ、武士道にも長け文武両道を行く極めて有能なマネジメント能力を持った人物ではなかったかと言うことである。
従って、私は、坂田藤十郎の内蔵助の入念に計算し尽くされた万感の思いを込めた素晴らしい演技を感激しながら観ていた。
真山成果のこの中盤の舞台は、吉良への仇討ちを急いで焦る赤穂浪士、縁戚や民衆の動きと一向に動かぬ内蔵助とを対比させながら、何故、内蔵助がことを起こそうとしないのかに焦点を当てている。
城明渡しの時点で、路頭に迷う家来達の前途を慮って、適わぬと確信して願い出た浅野大学の跡目相続嘆願が重臣や世評の後押しで実現しかかり、これが拒否されない限り幕府への反逆となって至誠の道が立たなくなり仇討ち出来なく成ってしまった。
抜け駆けしてでも江戸に出て吉良を討とうと逸る主税や安兵衛を叱り付けて、内蔵助は、混乱を凌ぐ方便で犯した唯一の間違い・浅野大学によるお家再興願いが未決で存続している以上仇討ちは出来ないのだ、時を待てと諭す。
同じ趣旨を形を変えて、お浜御殿で、吉良を討とうとした赤穂浪士富森助右衛門(翫雀)に、徳川綱豊が、「吉良を殺すのだけが目的か、義理を踏み正義を尽くす誠を示せ」と叱り付け、
また、綱豊が、師である新井白石(我當)に儒学の教えに反してでも敵討ちをさせたいと心情を吐露し、助右衛門に蔵助の放蕩の胸中を明かすことによって真山成果は、仇討ちの趣旨とあるべき筋を語っている。
坂田藤十郎の大石は、前述したが私のイメージしていた大石内蔵助像そのもので、粋なお大人ぶりの放蕩姿も、赤穂浪士に至誠を諭す場面や決死の覚悟を秘めて瑤泉院に面会する場面の重厚な演技など素晴らしいし、微妙な心理描写が心憎いほど冴えている。
中村梅玉の綱豊卿の何と凛々しく風格のある大名ぶりか。あれだけの品格と威厳を具えて演技の端々に木目細かく気配りし演じれる役者は極めて稀で、絵を見ているようであった。
時蔵の瑤泉院の品ある凛とした奥方は正に秀逸で、藤十郎との絡みが舞台後半の最大の見せ場で素晴らしかった。
秀太郎の遊女浮舟は、さすがに老練で風格と威厳のような艶のある素晴らしい傾城像を見せてくれていた。
新井白石の我當は正に適役で、真面目一徹、座っているだけでも様になる。 印象的だったのは、老いの一徹、頑固一徹だが優しさと忠義を併せ持った浅野本家の新藤八郎右衛門を演じた彦三郎だが、実に上手い。
控えめだが、御右筆江島を演じた魁春も舞台に花を添えていたが、後に江島生島スキャンダルを起こすのだが、この江島だったらどう演じるのかと思いながら興味深く見ていた。
特筆すべきは、翫雀と扇雀兄弟と愛之助の瑞々しい舞台。
翫雀の富森が綱豊に真っ向から挑む姿や咽び泣きながら嘆願する辺りなど実に感動的で、扇雀のお喜世の後の将軍の母・月光院を思わせる品と雰囲気を秘めた初々しさなど中々良かった。
大阪から動かないと言う数少ない関西歌舞伎のホープ愛之助は、主税と羽倉斎宮を演じていたが、両方とも内蔵助に意見する役ながら全く性格は違うが、地で行っているような感じで自然体の演技で面白かった。