熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

PS:アン・O・クルーガー 「 アメリカの鉄鋼狂気 America's steel madness」

2024年02月22日 | 政治・経済・社会時事評論
   プロジェクト・シンジケートの論文アン・O・クルーガー 「 アメリカの鉄鋼狂気 America's steel madness」が非常に興味深い。

   昨年末、日本製鉄は、US スチール コーポレーションを 141 億ドルで買収することで合意に達したと発表した。これにより、同社は生産能力で世界第 2 位の鉄鋼生産会社となる。 日鉄は、USスチールの名前を保持し、ピッツバーグに本社を置き、労働組合が代表する労働者とのすべての契約を尊重し、生産性を日本のレベルに近づけるための技術アップグレードを行う製造施設を維持することに同意した。 そして日本製鉄は、既存の生産施設や雇用を海外に移さないことを約束した。 素晴しい取引である。
   ところが、現実認識の欠如した米国の政治家やバイデンさえも、寄って集って買収反対ののろしを上げている。アメリカ経済の起死回生とも言うべきこの妙手を叩き潰そうとするなんて madness 正気の沙汰とは思えない と言うのである。

   この発表は超党派の強力な政治的反発に見舞われた。 共和党のJ.D.バンス上院議員は、この取引は「米国の防衛産業基盤の重要な部分」を外国人に「現金で」「競売にかけること」に等しいと述べた。 民主党のジョー・マンチン上院議員は、これを米国の国家安全保障に対する「直接の脅威」と呼んだ。 民主党のシェロッド・ブラウン上院議員はジョー・バイデン米大統領に対し、「米国の鉄鋼産業、米国の鉄鋼労働者、そして国家と経済の安全を守るためのあらゆる選択肢を検討する」よう求めた。ホワイトハウスは現在、この協定の「真剣な精査」を求めており、これには米国の安全保障上の利益に適合するかどうかを判断する対米外国投資委員会(CFIUS)による審査も含まれる。 全米鉄鋼労働組合も買収に反対を表明している。

   しかし、こうした反対はすべて事実上理解不可能であり、それは全米鉄鋼労組が従業員の雇用と組合契約の遵守を保証しているからというだけではなく、 実際、政治指導者らはこの協定を歓迎すべきであり、この協定は米国の経済と労働者、そしておそらくは米国の外交政策と安全保障にさえも広範な利益をもたらすことを約束している。
   バイデンは、3つの主要な経済政策目標を定めている。外国直接投資の奨励などにより「良い仕事」の数を増やす。 米国の製造と現地生産を強化する。 そして最新テクノロジーの導入を加速する。 バイデンはまた、より多くの貿易、特に重要な物品の輸入を米国の同盟国に振り向けること、いわゆるフレンドショアリングを目指している。
   この鉄鋼合併はこれらすべての目標を前進させると同時に、米国の主要同盟国との関係を強化する可能性がある。

   何故、日鉄のUSスチール買収が得策なのか、時代背景から説明すると次の通り。
    第二次世界大戦終戦時、日本の鉄鋼会社は、当時アメリカの工業化の象徴であったUSスチールを含むアメリカの鉄鋼会社に比べて生産性がはるかに低かった。 しかし、その後数十年にわたり、日本の鉄鋼産業は急速な進歩を遂げ、1970年代には生産性が米国の鉄鋼産業を上回った。コスト競争では勝てないので、米国の生産者は長い間関税による保護を求めてその保護を受けてきたが、保護主義ですらこのギャップを埋めることはできず、米国の鉄鋼は世界くなっている。
   米国の鉄鋼産業の雇用は長年にわたって急減し、1987~91年の18万人超から、2010年には8万7,100人、2022年には8万3,200人となった。しかし、これを外国との競争のせいではなく、雇用の減少は主にテクノロジーによる生産性の向上の結果である。米国では 1 トンの鉄鋼を生産するのに、1980 年代には 10.1 人時かかっていたが、現在はわずか 1.5 人時で、このような大幅な生産性向上の中で雇用を安定的に維持するには、鉄鋼消費量を2倍以上に増加させる必要があったであろう。
   日本製鉄が採用した重要な技術革新は、生産性の高い電気炉だったが、 USスチールは依然として、鉄鉱石と石炭を使用する高コストで古く、より労働集約的な高炉への依存度を高めている。その結果、US スチールのコストは他のアメリカの生産会社と比較しても特に高く、 買収が発表された当時、USスチールは1970年代以来ほぼ継続的に国内および世界の市場シェアを落として、2008年の8位から2022年には27位に落ち、米国の大手鉄鋼メーカーの中で最も収益性が低く利益も低かった。

    したがって、日本製鉄による US スチールの買収とそれに伴う技術の向上により、この衰退は逆転するはずである。 取引条件は、この買収により米国の鉄鋼業界の生産性が向上する可能性が高いことを意味している。 米国の鉄鋼価格が下落すると、鉄鋼を輸入するインセンティブが低下し、冷蔵庫や自動車などの製品を製造する米国のメーカーはコストを削減できるため、競争力が高まるだろう。 これらすべてが米国の製造業と技術基盤を強化し、米国での「良い仕事」の継続的な提供、そして可能性のある創出を確実にするであろう。
   バイデンの最大の経済政策目標3つすべてを推進する大企業の取引はそれほど多くない。 鉄鋼労働者を含むすべてのアメリカ人はこれを歓迎すべきである。 US スチールの運命を逆転させ、アメリカの鉄鋼産業の見通しを改善する本当の機会を意味するこの出来事を歓迎すべきである。 代替案は暗い。もし買収が承認されなければ、米国の鉄鋼産業は保護関税に依存し続けることになり、他の米国産業はより高い鉄鋼価格を支払わされることで競争力を失い続けることになる。
   一方、外国関係者は米国で生産的な投資を追求することを思いとどまるだろう。 もし日本企業がアメリカの国家的、経済的安全保障を危険にさらすことなく、現代技術を導入し、労働者や工場の生産能力を維持しながらアメリカに製造施設を所有できないとしたら、外資系企業はアメリカ国内で何かを生産できるであろうか。

   クルーガーの論文は、理路整然。疑問の余地なく明快である。
   この程度の知恵さえもないアメリカ人の世論の行くへが世界を操作していると思うと恐ろしくなる。

   アン・O・クルーガーは元世界銀行チーフエコノミストであり、元国際通貨基金第一副専務理事であり、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題大学院の国際経済学の上級研究教授である。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« PS:クリス・パッテン「トラン... | トップ | インバル/都響:マーラー「交... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

政治・経済・社会時事評論」カテゴリの最新記事