熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

原田泰治とクロアチア素朴派画家による懐かしい絵画の世界

2006年01月21日 | 展覧会・展示会
   1月29日まで、日本橋の三越で、「原田泰治とクロアチアの仲間たち展」が開催されている。
   原田泰治のクロアチアに関係する絵は、1987年に制作された100号の「ザグレブの昼下がり」と最近の「コウノトリの村」の2点だけで、他に4点のブラジルの大作と日本各地を描いた牧歌的で故郷への郷愁を無性に感じさせてくれる懐かしい絵の数々が展示されている。
   原田泰治の絵は、空を埋め尽くすことから描き始めて、少しづつ前に前進して来るが、瓦一枚、石垣一つでも同じものがなく、細部に渡って克明に描かれている。しかし、やはり、時に感動するのは、雲が微妙にアクセントを付けている空の何ともいえない美しい色である。
   ところで、今回は、旧ユーゴ戦争の疲弊から立ち直ったクロアチアの原田泰治の友人達・素朴派画家の沢山の絵が、同時に展示されていてこれがまた楽しい。

   原田泰治とクロアチアとの関わりは、1973年に朝日新聞の「ユーゴの素朴派」の記事で、当時は、サイケデリックアート全盛時代で、日本の田舎を描いた原田泰治の絵などに見向きもされなかった失意の時期だったと言う。
   観念的な前衛絵画や専門的な知識や技術を必要とするアカデミックな当時の絵画界とは違って、専門ではない画家が、他に仕事を持ちながら自分達の生活の中から、その生活の夢を絵筆に託して仕事の合間に絵を描き続けているユーゴの素朴派画家の紹介に、わが意を得て痛く感激して勇気付けられたのである。
   その頃英国で出版された「ナイーブアート世界辞典」で、日本の代表的な素朴派画家は、原田泰治、山下清や谷内六郎であると紹介されていると言う。

   原田泰治が新聞から切り抜いて大切に持っていたイワン・ラブジンの「私の故郷」をはじめ、8人のクロアチアの素朴派画家の絵が展示されている。
ヨーロッパのお伽話の絵本のような絵画や、古いヨーロッパの風俗や風物を色濃く残した懐かしい牧歌的な絵など見ていて楽しい。

   私が興味を持ったのは、何人かの画家が描いているガラス絵である。ガラス板をキャンバス代わりにして描かれた実に精巧な綺麗な絵画であった。
   ガラスに描かれた絵は、反対の裏側から鑑賞するのであるから、左右はさかさまであり、その上、絵の具を何層も重ね塗りをする場合には、本来なら一番最後に塗る部分は一番最初に描かなければならないので大変な技術が必要な筈なのだが、実に精巧で細密画を見ているような感じで全く違和感がなく美しいのである。
   ガラスに密閉されたようなものだから保存性が良く何百年も色あせしないと言うが、表面に凹凸がなく滑らかなので写真を見ているような感じで実に美しい。
   14世紀に東欧で始まり、キリストやマリア像をイコンのように描いていたようで、18世紀には、風景画や風俗画、肖像画にも使われるようになったと言われている。

   口絵のソフィア・ローレンの絵は、若手のユシップ・ゲネラリッチの絵だが、暗いリア王の世界のような空と真っ白に雪化粧した東欧の田舎をバックに、レースのドレスとつば広の帽子で正装したソフィア・ローレンが、ドラ猫を左手で抱えている何とも不思議な絵だが、これもガラス絵である。

   口絵のもう一つの絵は、原田泰治の「コウノトリの村」であるが、田舎の民家の屋根にコウノトリが巣を作っている。下では、農家の老婆が鶏に餌をやっている、何処にでもある東欧風景である。
   私は、チェコとハンガリーしか知らないが、クロアチアもスラブ系の強い旧ユーゴ南部と違ってオーストリア・ハンガリー帝国領のヨーロッパの国だったので、今回のクロアチアの仲間たちの絵も東欧と言ってもスラブ色はそれ程ないように思った。

   やはり素晴しい異国のムードを豊かに描いてくれる安野光雅とは一寸違った雰囲気ではあるが、原田泰治の外国の風景を描いた絵は、やはり、メルヘンチックでムードがあって素晴しい。
   私が住んでいたブラジルの絵が4点あったが、懐かしく感じながら見せてもらった。
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