
満員御礼の立て看板が立った第二部の演目は、近松門左衛門の曽根崎心中と小鍛冶、共に素晴しい舞台で、やはり、吉田玉男と吉田簔助コンビの近松に人気があったのであろう。
しかし、1月の大坂公演に引き続いて、吉田玉男は病気休演で、代わりを桐竹勘十郎が勤めた。
曽根崎心中の徳兵衛は、玉男の持ち役で、歌舞伎のお初が、坂田藤十郎の持ち役であるように、何十年も余人が演じることはなかったが、今回は、簔助の一番弟子の勘十郎が徳兵衛を遣ったが、結果的には、呼吸ピッタリの師弟コンビで、新しい曽根崎心中が生まれた。
桐竹勘十郎、哀愁を帯びた徳兵衛を実に情感豊かに演じていて胸を打つ。
先月の坂田藤十郎襲名披露公演で、素晴しい藤十郎の曽根崎心中を堪能させて貰ったが、文楽にも、また違った曽根崎心中の楽しみ方があるような気がする。
特に、台詞主体の歌舞伎と違って、文楽は主役の大夫が浄瑠璃を語るので、近松門左衛門の原作の流麗な文章がそのまま直に鑑賞できる楽しみがある。
特に、徳兵衛とお初が、心中する為の道行きの「天神森の段」の冒頭の、
「この世の名残、夜も名残。死にに往く身をたとふれば、あだしが原の道の露。一足づつに消えて往く、夢の夢こそ哀れなれ。
あれ数ふれば暁の、七ツの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響の聞き納め
寂滅為楽と響くなり。」
簔助のお初が、勘十郎の徳兵衛を後に従えて下手からとぼとぼと出てくる。それまで黒衣を被って演じていた二人が出遣いになり、天神森に向かう。
七つとは、午前4時、少し東の空が白み始めるころで、最後の一つの鐘の音が鳴ると今生の別れとなる。
この文章を、荻生徂徠が嘆賞したと言うが、この冒頭の大夫たちの合唱を聴くと胸が痛む。
住大夫が、近松は字余りやから嫌いでんねん、と言っていたが、やはり、近松の世話物は、近松の原文で聴く値打ちは十分にある。
上原まりの平家琵琶を聴く時も同じ感慨を感じるが、やはり、美しくてリズム感に富んだ日本語の豊かさである。
元々、当時の文楽は、総て時代物だったようで、近松が始めて書いた世話物がこの曽根崎心中で、大変な人気となり、倒産寸前の竹本座を救ったと言う。
実際に起こった心中を題材にしているが、近松は、プレイボーイで道楽息子の九平次を創作して徳兵衛の恋敵に仕立て上げ、徳兵衛を借金証書偽造の罪に陥れて心中に追い込むことにした。
借用証書を徳兵衛に書かせてハンコを押したので、印判の紛失届を出されたら証拠が残らない、完全に仕組まれた罠に嵌ったのである。
簔助の遣うお初は、実に初々しくて涙が出るほど健気で優しい。
生玉社殿の場で、徳兵衛が語る縁談を断った話を聞く所など、ジッと徳兵衛の顔を見つめながら上目遣いで聴いていて、嬉しくなるとツーと擦り寄る。
ところが、天満屋の段で、縁の下にいる徳兵衛に、死ぬ覚悟があるかと足で促す時には、瞼を閉じて中空を仰ぎながら微動だにしない。
徳兵衛が、お初の足首を取って喉笛を撫で「自害する」と知らせると、目を見開いて懐紙を取り出し顔を隠して忍びなく。
九平次が徳兵衛が死んだら、可愛がってやると言うと、「お前も殺すが合点か」と凄み、「徳様私も一緒に死ぬるぞや」と足で伝える。徳兵衛は、足を押戴き涙に咽ぶ。
最後の心中の場面だが、「早よう殺して」と言って手を合わせて空を仰ぐが、菩薩の姿を観たのであろう、余りにも美しいので、徳兵衛が仰天して後ずさりをする。
この心中の場、人魂が飛んでお初が恐れて徳兵衛に縋り付くところとか、最後の心中の時とか重要な見せ場では、お初が後ぶりで身を反らせ、徳兵衛が、上から被さるように抱きしめるが、その姿が実に美しい。
今、歌舞伎座の舞台の道成寺の玉三郎と菊之助も華麗な後振りを演じていたが、あの美しさとは別な人形にしか出来ない崇高な美しさである。
しかし、1月の大坂公演に引き続いて、吉田玉男は病気休演で、代わりを桐竹勘十郎が勤めた。
曽根崎心中の徳兵衛は、玉男の持ち役で、歌舞伎のお初が、坂田藤十郎の持ち役であるように、何十年も余人が演じることはなかったが、今回は、簔助の一番弟子の勘十郎が徳兵衛を遣ったが、結果的には、呼吸ピッタリの師弟コンビで、新しい曽根崎心中が生まれた。
桐竹勘十郎、哀愁を帯びた徳兵衛を実に情感豊かに演じていて胸を打つ。
先月の坂田藤十郎襲名披露公演で、素晴しい藤十郎の曽根崎心中を堪能させて貰ったが、文楽にも、また違った曽根崎心中の楽しみ方があるような気がする。
特に、台詞主体の歌舞伎と違って、文楽は主役の大夫が浄瑠璃を語るので、近松門左衛門の原作の流麗な文章がそのまま直に鑑賞できる楽しみがある。
特に、徳兵衛とお初が、心中する為の道行きの「天神森の段」の冒頭の、
「この世の名残、夜も名残。死にに往く身をたとふれば、あだしが原の道の露。一足づつに消えて往く、夢の夢こそ哀れなれ。
あれ数ふれば暁の、七ツの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響の聞き納め
寂滅為楽と響くなり。」
簔助のお初が、勘十郎の徳兵衛を後に従えて下手からとぼとぼと出てくる。それまで黒衣を被って演じていた二人が出遣いになり、天神森に向かう。
七つとは、午前4時、少し東の空が白み始めるころで、最後の一つの鐘の音が鳴ると今生の別れとなる。
この文章を、荻生徂徠が嘆賞したと言うが、この冒頭の大夫たちの合唱を聴くと胸が痛む。
住大夫が、近松は字余りやから嫌いでんねん、と言っていたが、やはり、近松の世話物は、近松の原文で聴く値打ちは十分にある。
上原まりの平家琵琶を聴く時も同じ感慨を感じるが、やはり、美しくてリズム感に富んだ日本語の豊かさである。
元々、当時の文楽は、総て時代物だったようで、近松が始めて書いた世話物がこの曽根崎心中で、大変な人気となり、倒産寸前の竹本座を救ったと言う。
実際に起こった心中を題材にしているが、近松は、プレイボーイで道楽息子の九平次を創作して徳兵衛の恋敵に仕立て上げ、徳兵衛を借金証書偽造の罪に陥れて心中に追い込むことにした。
借用証書を徳兵衛に書かせてハンコを押したので、印判の紛失届を出されたら証拠が残らない、完全に仕組まれた罠に嵌ったのである。
簔助の遣うお初は、実に初々しくて涙が出るほど健気で優しい。
生玉社殿の場で、徳兵衛が語る縁談を断った話を聞く所など、ジッと徳兵衛の顔を見つめながら上目遣いで聴いていて、嬉しくなるとツーと擦り寄る。
ところが、天満屋の段で、縁の下にいる徳兵衛に、死ぬ覚悟があるかと足で促す時には、瞼を閉じて中空を仰ぎながら微動だにしない。
徳兵衛が、お初の足首を取って喉笛を撫で「自害する」と知らせると、目を見開いて懐紙を取り出し顔を隠して忍びなく。
九平次が徳兵衛が死んだら、可愛がってやると言うと、「お前も殺すが合点か」と凄み、「徳様私も一緒に死ぬるぞや」と足で伝える。徳兵衛は、足を押戴き涙に咽ぶ。
最後の心中の場面だが、「早よう殺して」と言って手を合わせて空を仰ぐが、菩薩の姿を観たのであろう、余りにも美しいので、徳兵衛が仰天して後ずさりをする。
この心中の場、人魂が飛んでお初が恐れて徳兵衛に縋り付くところとか、最後の心中の時とか重要な見せ場では、お初が後ぶりで身を反らせ、徳兵衛が、上から被さるように抱きしめるが、その姿が実に美しい。
今、歌舞伎座の舞台の道成寺の玉三郎と菊之助も華麗な後振りを演じていたが、あの美しさとは別な人形にしか出来ない崇高な美しさである。