
八月は納涼歌舞伎で、3部構成で一部が夫々3時間弱なので、鑑賞には丁度良い。
第3部は、曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」なのでそれなりに重みがあるが、1部と2部は舞台と舞踊のの構成で、確かに納涼気分でよいが、勘三郎が抜けている分、少々軽量級の舞台となっている感じはする。
第一部冒頭の河竹黙阿弥作「慶安太平記」であるが、家光の死後、江戸幕府が開かれてまだ半世紀しか経っていないのに起こった由井正雪と丸橋忠弥の幕府転覆を画策した慶安事件に材題をとった作品。
今回は、丸橋忠弥が酒びたり生活で企てを隠しながら事を進めていたが義父の密告によって露見し、幕府の役人に捕獲されるまでを舞台にしている。
油井が浪人3000人で久能山の家康の遺金を強奪して駿府城を落とし、それに呼応して丸橋が小石川の火薬庫を襲撃し、全国で浪人が蜂起すると言う計画だったのだが、幾ら脆弱とは言え天下の徳川幕府、馬鹿と言うか無謀と言うかとにかく、密告で簡単に潰れてしまった事件である。
そう思ってみれば、この歌舞伎の話も、妻を騙しおおせたことに満足して見方を騙しとおせたと喜んで企てを妻に打ち明け、それを盗み聞いた義父に総てをばらしてしまって、とどのつまりは密告されて一巻の終わりと言う、実に、将としてはお粗末限りない忠弥の最後である。
そこは歌舞伎で、実に上手く話を作っていて、橋之助の颯爽として重厚な忠弥は流石で、年々芸に深みが増し、器が大きくなって行くのが見えて頼もしい。
ただ、少し気になったのは、酔いつぶれていた忠弥が、江戸城の堀端で、水深を測るために石を投げ入れる時に、完全に正気に戻るところで、普通なら酔いの姿を残しながら正気を演じるのが役者であろうと思ったことである。
染五郎の松平伊豆守に傘を差しかけられた後の流れが、なんとなくぎこちなくなってしまっていた。
丸橋忠弥住居と裏手捕物の場は、手を変え品を変えての大立ち回りが素晴らしく、いずれにしろ、この舞台は橋之助あっての「丸橋忠弥」で、1時間一寸の舞台だが楽しませてくれた。
ところで、橋之助の酒飲みの演技であるが、かなり芸が細かく上手いと思ったが、酒飲みではないけれど、私の経験から言えば、先にも書いたが、幾ら正気に戻った様でも身体が酔っていると言うことである。これを如何に芸で表すか難しいところだが、これを感じさせなければ、取って付けたような演技になってしまう。
余談だが、欧米では、多少の飲酒運転は認められている。
検問に引っかかった友人(英人)の話では、ワインは2グラス程度、ビールは中ビン1本程度はOKだと言うことなので、かなり緩いように思う。
パーティーの時、2人当たり1本の割合でワインを準備するのだとウエイターが言っていたが大体近いかもしれない。(もっとも、他にも酒類は飲む。)
何しろ、レストランやレセプション等へは自分の車を運転して来て、皆それなりに飲んで帰るのだから、殆ど全員飲酒運転なのだが、全くお咎めがない。
郷に入ったら郷に従えで、私も、長い欧米生活で、欧米人と付き合う以上飲まない訳にも行かないので、多少気にして抑えながら飲酒運転をしていたことになる。
運悪く事故を起こした日本人駐在員は、即刻、某所にぶち込まれて夜を明かしたと聞いたことがある。
欧米人、すなわち、白人と黒人には、身体に酒の消化酵素があって、アルコールはすぐに消化されてあまり酔わないようである。
実際、一緒に重いビジネス・ランチやディナーを取って相当長時間ワインを飲み続けても、男女いずれも酔った欧米人を見た記憶がない。
従って、酔った振りをして相手を煙に巻くとか、酒の上のことで、と言った言い訳は、欧米では通用しないと言うことであろうか。
しかし、寒い北欧やロシアは別で、60度のウオッカやアクアビットをビールでわって飲むのだから、これは桁外れでエリツィンのような酔っぱらいは結構いる。
日本人には、このアルコール消化酵素が無いので、殆どの人は飲むと顔が赤くなって程ほどにしか飲めなくて、この欧米人並みが10%位いるが、全く飲めない人も10%いると言う。白人女性は酒で口説けない、日本人は酒に弱いと言うことであろうか。
あの大石良雄や大原庄助がどれだけの酒豪だったのか、日本の話には、大酒のみが沢山出てくるが、やはり、皆、アルコール消化酵素を持っていたのであろう。
ところで、日本では、酒と肴と言って酒が主体だが、欧米では、同じ醸造酒であるワインは、あくまで食事の伴奏者で、飲む食べ物なのである。
ただ、料理との相性が良いと、料理もワインも増幅して素晴らしく美味しくなる。
貧しい肴にちびりちびり酒を舐めるとか一気にに呷ると言った昔映画で見たような日本の酒の飲み方では、日本酒がかわいそうであることには間違いない。
第3部は、曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」なのでそれなりに重みがあるが、1部と2部は舞台と舞踊のの構成で、確かに納涼気分でよいが、勘三郎が抜けている分、少々軽量級の舞台となっている感じはする。
第一部冒頭の河竹黙阿弥作「慶安太平記」であるが、家光の死後、江戸幕府が開かれてまだ半世紀しか経っていないのに起こった由井正雪と丸橋忠弥の幕府転覆を画策した慶安事件に材題をとった作品。
今回は、丸橋忠弥が酒びたり生活で企てを隠しながら事を進めていたが義父の密告によって露見し、幕府の役人に捕獲されるまでを舞台にしている。
油井が浪人3000人で久能山の家康の遺金を強奪して駿府城を落とし、それに呼応して丸橋が小石川の火薬庫を襲撃し、全国で浪人が蜂起すると言う計画だったのだが、幾ら脆弱とは言え天下の徳川幕府、馬鹿と言うか無謀と言うかとにかく、密告で簡単に潰れてしまった事件である。
そう思ってみれば、この歌舞伎の話も、妻を騙しおおせたことに満足して見方を騙しとおせたと喜んで企てを妻に打ち明け、それを盗み聞いた義父に総てをばらしてしまって、とどのつまりは密告されて一巻の終わりと言う、実に、将としてはお粗末限りない忠弥の最後である。
そこは歌舞伎で、実に上手く話を作っていて、橋之助の颯爽として重厚な忠弥は流石で、年々芸に深みが増し、器が大きくなって行くのが見えて頼もしい。
ただ、少し気になったのは、酔いつぶれていた忠弥が、江戸城の堀端で、水深を測るために石を投げ入れる時に、完全に正気に戻るところで、普通なら酔いの姿を残しながら正気を演じるのが役者であろうと思ったことである。
染五郎の松平伊豆守に傘を差しかけられた後の流れが、なんとなくぎこちなくなってしまっていた。
丸橋忠弥住居と裏手捕物の場は、手を変え品を変えての大立ち回りが素晴らしく、いずれにしろ、この舞台は橋之助あっての「丸橋忠弥」で、1時間一寸の舞台だが楽しませてくれた。
ところで、橋之助の酒飲みの演技であるが、かなり芸が細かく上手いと思ったが、酒飲みではないけれど、私の経験から言えば、先にも書いたが、幾ら正気に戻った様でも身体が酔っていると言うことである。これを如何に芸で表すか難しいところだが、これを感じさせなければ、取って付けたような演技になってしまう。
余談だが、欧米では、多少の飲酒運転は認められている。
検問に引っかかった友人(英人)の話では、ワインは2グラス程度、ビールは中ビン1本程度はOKだと言うことなので、かなり緩いように思う。
パーティーの時、2人当たり1本の割合でワインを準備するのだとウエイターが言っていたが大体近いかもしれない。(もっとも、他にも酒類は飲む。)
何しろ、レストランやレセプション等へは自分の車を運転して来て、皆それなりに飲んで帰るのだから、殆ど全員飲酒運転なのだが、全くお咎めがない。
郷に入ったら郷に従えで、私も、長い欧米生活で、欧米人と付き合う以上飲まない訳にも行かないので、多少気にして抑えながら飲酒運転をしていたことになる。
運悪く事故を起こした日本人駐在員は、即刻、某所にぶち込まれて夜を明かしたと聞いたことがある。
欧米人、すなわち、白人と黒人には、身体に酒の消化酵素があって、アルコールはすぐに消化されてあまり酔わないようである。
実際、一緒に重いビジネス・ランチやディナーを取って相当長時間ワインを飲み続けても、男女いずれも酔った欧米人を見た記憶がない。
従って、酔った振りをして相手を煙に巻くとか、酒の上のことで、と言った言い訳は、欧米では通用しないと言うことであろうか。
しかし、寒い北欧やロシアは別で、60度のウオッカやアクアビットをビールでわって飲むのだから、これは桁外れでエリツィンのような酔っぱらいは結構いる。
日本人には、このアルコール消化酵素が無いので、殆どの人は飲むと顔が赤くなって程ほどにしか飲めなくて、この欧米人並みが10%位いるが、全く飲めない人も10%いると言う。白人女性は酒で口説けない、日本人は酒に弱いと言うことであろうか。
あの大石良雄や大原庄助がどれだけの酒豪だったのか、日本の話には、大酒のみが沢山出てくるが、やはり、皆、アルコール消化酵素を持っていたのであろう。
ところで、日本では、酒と肴と言って酒が主体だが、欧米では、同じ醸造酒であるワインは、あくまで食事の伴奏者で、飲む食べ物なのである。
ただ、料理との相性が良いと、料理もワインも増幅して素晴らしく美味しくなる。
貧しい肴にちびりちびり酒を舐めるとか一気にに呷ると言った昔映画で見たような日本の酒の飲み方では、日本酒がかわいそうであることには間違いない。