
猿之助一門の歌舞伎「當世流小栗判官」を国立劇場で観た。
実際には、第二部で後半だけなのだが、呼び物の「市川右近 市川笑也 天馬にて宙乗り相勤め申し候」の宙乗りを観たのでスーパー歌舞伎を観たと思っていたが、帰って猿之助の新書「スーパー歌舞伎」を見たが、写真の毒々しい装飾過剰の衣装とは違っていたし、作者も近松他で違う。
大分以前に、梅原猛の本「オグリ」を立ち読みしていたのだが、同じ小栗判官でも違うらしいことが後で分かった。
最近は消えてしまったが、以前には夏の猿之助一座の歌舞伎興行は観続けていたので、猿之助の舞台は結構楽しんできたが、スーパー歌舞伎と言うジャンルは、三国志Ⅱだけで他は観ていないが、派手なだけと言う認識で別に違ったジャンルの歌舞伎だとは思わなかった。
何となく、ケレンミに抵抗があったので避けていたのだが、スペクタクルな要素と劇的効果を狙っただけではなく、結構、意欲的な演出なので、猿之助の「スーパー歌舞伎」や「夢見るちから」等を読んで少し勉強を始めてみた。
新・三国志を語るスーパー歌舞伎と言う未来、での横内健介との対談に、蜷川幸雄が、「これはまるで格闘技のように暴力的でスリリングな対談だ! 輝かしい才能はいつでも過激だ、おもしろい!」と言っている。
とにかく、歌舞伎の新境地を目指した猿之助の試みは、エポックメイキングで、その後の歌舞伎の新しい試みを誘発しており、素晴しいことである。
スーパー歌舞伎にゾッコン惚れこんだイギリス婦人が居た。
夫君の東京駐在中に通いつめたとかでファンになり、一緒に観ていたロンドンのロイヤル・オペラ「ドン・ジョバンニ」の舞台そっちのけで、猿之助の素晴しさを語っていた。
当時私自身は、長いヨーロッパ駐在中だったので、猿之助のスーパー歌舞伎と言っても見ていないし、どうせ宙乗り主体の派手な舞台であろう位にしか思っていなかった。
ところで、この小栗判官の物語は、説教節、説教浄瑠璃と呼ばれる中世期の野外の語り芸で、英雄譚や霊験譚など神仏習合の宗教色の強い人々の漂泊や流転をテーマとしている。
小栗・照手姫の物語だが、小栗の没落、放浪、罹病、再生の目まぐるしい展開の中で色々なエピソードが入り組んで奇想天外な活劇が進行する。
私が観た後半は、
小栗(右近)の捜し求める将軍家の重宝「勝鬨の轡」が万屋にあるのを知って取り戻す為に娘お駒(春猿)と祝言を挙げようとするが、許婚の照手姫(笑也)がその家の下女小萩として働いているのを知り結婚を解消する。
嫉妬に怒り狂ったお駒を、母の万屋後家お槙(笑三郎)が、照手姫が主筋に当るので仕方なく殺してしまうが、お駒の呪いで小栗が顔が爛れ足腰が立たなくなる。
照手姫に車を曳かれて熊野湯の遊行上人(段治郎)のもとに行き、熊野権現の霊験あらたかにより、小栗は病気快癒する。
神馬の絵馬から抜け出た白馬に小栗と照手姫が跨り中空に舞う。
謀反人横山大膳(猿弥)親子を、常陸国山中の大滝の前で誅伐してハッピーエンド。
笑三郎と春猿母娘のクンズホグレツの取っ組み合いの殺戮場面は凄まじく、母親から忠義一途の母に変身してゆく笑三郎、思いつめた執念の恋一筋に正気を失った春猿、流石に上手い。
小栗と照手姫の熊野への道行きの場は、真っ赤な笑弥の衣装と品の良いパステルカラーの右近の着物が淡いバックに映えて美しい。
白い神馬に乗っての宙乗りであるが、右近と笑也二人を乗せて馬ごと吊り上げられて花道の上を2階後まで移動するので、相当の大仕掛けであろう。
私は、一階中央花道横に座っていたので、すぐ斜め上を行くのであるが、演出ではあろうが、頭上で馬が大きくガタンと揺れて二人が慌てた恰好をした時にはドキッとした。
馬の足は、4本とも静かに前後に動いていた。
小栗たちと横山一族との決戦が終わったフィナーレで、頭上から大変な量の紙吹雪が舞い落ちるが、やはり壮観である。蜷川幸雄の近松心中物語の舞台の凄い紙吹雪を思い出した。
右近の小栗だが、凛とした品のある舞台を勤めていて好感が持てる。
笑也の照手姫は、猿之助が相手の時はダメで藤間紫に指導を頼んで良くなったと猿之助が言っているが、流石に、今回は舞台慣れしてしっとりとした味を出していて右近をリードしている感じであった。
花形若手歌舞伎と銘打っているが、上杉安房守憲座実の門之助、遊行上人の段治郎、大膳の猿弥、等も夫々役になりきっていて上手いと思って見ていた。何が若手なのか分からないが、猿之助一門の層の厚さを感じた舞台であった。
実際には、第二部で後半だけなのだが、呼び物の「市川右近 市川笑也 天馬にて宙乗り相勤め申し候」の宙乗りを観たのでスーパー歌舞伎を観たと思っていたが、帰って猿之助の新書「スーパー歌舞伎」を見たが、写真の毒々しい装飾過剰の衣装とは違っていたし、作者も近松他で違う。
大分以前に、梅原猛の本「オグリ」を立ち読みしていたのだが、同じ小栗判官でも違うらしいことが後で分かった。
最近は消えてしまったが、以前には夏の猿之助一座の歌舞伎興行は観続けていたので、猿之助の舞台は結構楽しんできたが、スーパー歌舞伎と言うジャンルは、三国志Ⅱだけで他は観ていないが、派手なだけと言う認識で別に違ったジャンルの歌舞伎だとは思わなかった。
何となく、ケレンミに抵抗があったので避けていたのだが、スペクタクルな要素と劇的効果を狙っただけではなく、結構、意欲的な演出なので、猿之助の「スーパー歌舞伎」や「夢見るちから」等を読んで少し勉強を始めてみた。
新・三国志を語るスーパー歌舞伎と言う未来、での横内健介との対談に、蜷川幸雄が、「これはまるで格闘技のように暴力的でスリリングな対談だ! 輝かしい才能はいつでも過激だ、おもしろい!」と言っている。
とにかく、歌舞伎の新境地を目指した猿之助の試みは、エポックメイキングで、その後の歌舞伎の新しい試みを誘発しており、素晴しいことである。
スーパー歌舞伎にゾッコン惚れこんだイギリス婦人が居た。
夫君の東京駐在中に通いつめたとかでファンになり、一緒に観ていたロンドンのロイヤル・オペラ「ドン・ジョバンニ」の舞台そっちのけで、猿之助の素晴しさを語っていた。
当時私自身は、長いヨーロッパ駐在中だったので、猿之助のスーパー歌舞伎と言っても見ていないし、どうせ宙乗り主体の派手な舞台であろう位にしか思っていなかった。
ところで、この小栗判官の物語は、説教節、説教浄瑠璃と呼ばれる中世期の野外の語り芸で、英雄譚や霊験譚など神仏習合の宗教色の強い人々の漂泊や流転をテーマとしている。
小栗・照手姫の物語だが、小栗の没落、放浪、罹病、再生の目まぐるしい展開の中で色々なエピソードが入り組んで奇想天外な活劇が進行する。
私が観た後半は、
小栗(右近)の捜し求める将軍家の重宝「勝鬨の轡」が万屋にあるのを知って取り戻す為に娘お駒(春猿)と祝言を挙げようとするが、許婚の照手姫(笑也)がその家の下女小萩として働いているのを知り結婚を解消する。
嫉妬に怒り狂ったお駒を、母の万屋後家お槙(笑三郎)が、照手姫が主筋に当るので仕方なく殺してしまうが、お駒の呪いで小栗が顔が爛れ足腰が立たなくなる。
照手姫に車を曳かれて熊野湯の遊行上人(段治郎)のもとに行き、熊野権現の霊験あらたかにより、小栗は病気快癒する。
神馬の絵馬から抜け出た白馬に小栗と照手姫が跨り中空に舞う。
謀反人横山大膳(猿弥)親子を、常陸国山中の大滝の前で誅伐してハッピーエンド。
笑三郎と春猿母娘のクンズホグレツの取っ組み合いの殺戮場面は凄まじく、母親から忠義一途の母に変身してゆく笑三郎、思いつめた執念の恋一筋に正気を失った春猿、流石に上手い。
小栗と照手姫の熊野への道行きの場は、真っ赤な笑弥の衣装と品の良いパステルカラーの右近の着物が淡いバックに映えて美しい。
白い神馬に乗っての宙乗りであるが、右近と笑也二人を乗せて馬ごと吊り上げられて花道の上を2階後まで移動するので、相当の大仕掛けであろう。
私は、一階中央花道横に座っていたので、すぐ斜め上を行くのであるが、演出ではあろうが、頭上で馬が大きくガタンと揺れて二人が慌てた恰好をした時にはドキッとした。
馬の足は、4本とも静かに前後に動いていた。
小栗たちと横山一族との決戦が終わったフィナーレで、頭上から大変な量の紙吹雪が舞い落ちるが、やはり壮観である。蜷川幸雄の近松心中物語の舞台の凄い紙吹雪を思い出した。
右近の小栗だが、凛とした品のある舞台を勤めていて好感が持てる。
笑也の照手姫は、猿之助が相手の時はダメで藤間紫に指導を頼んで良くなったと猿之助が言っているが、流石に、今回は舞台慣れしてしっとりとした味を出していて右近をリードしている感じであった。
花形若手歌舞伎と銘打っているが、上杉安房守憲座実の門之助、遊行上人の段治郎、大膳の猿弥、等も夫々役になりきっていて上手いと思って見ていた。何が若手なのか分からないが、猿之助一門の層の厚さを感じた舞台であった。
「オグリ」では、ピーターフォイという「ピーターパン」等のフライングの第一人者を招いて花道の上で馬に乗ったままハシゴ乗りをするというケレンが売り物でした。
また猿之助の奮闘公演は七月と決まっていて、昨年は
「NINAGAWA十二夜」が上演されており、勘三郎の納涼歌舞伎とはまった関係がありません。
失礼ながらシャシャリ出て参りました。