熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂~素の魅力

2012年06月03日 | 能・狂言
   今月の企画公演は、「素の魅力ー源氏物語をめぐってー」で、面や装束をつけずに演者の声や音楽、動きを鑑賞する舞台で、私にとっては初めての経験であったが、能楽界の重鎮、トップ演者が登場する舞台でもあり、私の好きな源氏物語に題材を得た能楽と言うことなので、多少、難しいかも知れないと思ったのだが、出かけていった。
   仕舞の夢浮橋(梅若玄祥)、浮舟(関根祥六)、玉葛(本田光洋)は、抜粋なので、夫々、10分弱の舞台なのだが、舞囃子の野宮(近藤乾之助)と葵上(観世清和)は、これも抜粋とは言え、面や装束をつけていないだけで、殆ど本格的な舞台で、葵上など、ワキ(福王茂十郎)が登場して、丁々発止を演ずるのであるから、感動的でさえある。

   やはり、源氏物語としては、嫉妬に狂う怨霊や生霊として現れて、源氏の女たちに禍いをもたらす六条御息所が最も能の題材として格好のテーマなのか、この源氏物語の中でも大曲だと言われている野宮も葵上も、シテは、六条御息所で、葵上に至っては、本人の葵上は、一切登場さえしていないのである。
   この二曲で重なるのが、二人の唯一の接点である葵上との車争いでの屈辱で、見限られて遠のいた光源氏を姿だけでも見たいと身分を隠して、源氏が供奉する葵祭の行列を見に出かけたのだが、正妻・葵の上の一行と、見物の場所で車争いを起こし、権勢を誇る葵上一行の乱暴によって六条御息所の牛車は破損し、一条大路の衆目監視の面前で、恥をかかされ耐え難い屈辱を味わう。大臣の娘で元東宮妃であった御息所にとっては、大変な苦痛だが、それよりも、正妻で懐妊中という光源氏の自分への不実にたいする強烈な女の嫉妬の方が強烈で、もうひとつの「夕顔」でも、某院に光源氏が連れ込んだ夕顔が、六条御息所と思しき女の霊に苛まれて人事不省に陥り明け方息を引き取る。
   高貴で何拍子も揃った完璧な女性であった筈の六条御息所の光源氏への狂おしい程の思いと恋焦がれの激しさが、実に悲しくて切ないのだが、若くてドンファンな光源氏にとっては、煙たくてアットホームに愛を交わせなかったのであろうか。
   
   今回の舞囃子「葵上」は、前場の「枕ノ段」から終曲までで、舞台正面に広げて置かれている病床の葵上を示す小袖を巡って、これを打擲し、壊された破れ車に引き込もうとする六条御息所の生霊(シテ)と、それを阻止して調伏しようと必死に数珠をする横川の小聖(ワキ)との激しい攻防が演じられるのだが、削ぎに削ぎ抜かれてシンプリファイされた能の舞台であるから、表現されようとする世界は、もっとはるかに凄まじいのであろう。
   舞囃子で、ワキの登場するのは、「舟弁慶」だけだと言うことで、この舞台は、観世清和宗家の監修で、福王茂十郎が作成し、東京では初演だという。
   次には、やはり、本当の能で見たいと思う。

   ところで、薫の君と匂宮と二人に愛されて、恋の板挟みに悩んで宇治川に身を投げた浮舟も、源氏物語では、最も愛されている女性のキャラクターの一つで、今回も、「夢浮橋」と「浮舟」と二曲登場した。
   興味深いのは、「夢浮橋」の方で、瀬戸内寂聴が、短編「髪」をもとにして新作した能で、宇治十帖で、浮舟の出家の時に髪を切る坊さんが、修行一途であったばかりに、女の美しい髪にクラっと来て、それで身を滅ぼすと言う話である。
   この主人公の阿闍梨は、恵心僧都の弟子で、一緒に、浮舟を川からすくい上げた僧で、どうも、川で抱き上げた女の柔らかさとずっしりとして艶かしい重みを覚えていて、剃髪した髪の一房を懐に忍ばせてしまい、その髪が阿闍梨の淫欲に火を点けて、煩悩に焼かれる地獄に苛まれると言う凄まじい話である。
   この極一部を、地謡をバックに、梅若玄祥が仕舞を演じたのだが、八大地獄に責め苛まれる阿闍梨が、「樹上に、窈窕たる美女ありて、・・・疾く來たれ、われをば抱け抱けとさし招く」と言った激しさである。
   実際の舞台では、舞の途中で、匂宮が浮舟の背後から十二単を脱がせて、摺箔と言う白い着物と緋の長袴姿にさせるのだが、これは、能ではヌード姿を意味するというから、相当、官能的な舞台のようで面白そうである。

   もう一つの「浮舟」は、終局の場面だけだったので、何とも言えないが、シテの関根祥六の舞台は、少し前に、宝生能楽堂で、「羽衣」の素晴しい能を見ている。
   この後の「玉葛」もそうだが、アラカルトの触りだけで、多くの演者の芸を楽しむのも、いっこうかも知れないが、何となく、欲求不満となって、一寸、残念ではある。

   間語り(野村又三郎)の「源氏供養」は、源氏物語とは関係なく、作者の紫式部の霊が成仏を求めると言う話である。
   この間狂言は、紫式部が源氏物語を書く経緯なども語るのだが、光源氏を供養しなかったので、紫式部が成仏できなかったと言うのが、面白い発想だと思った。
   
   
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