熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・狂言の会「法師ヶ母」「彦市ばなし」ほか

2020年01月26日 | 能・狂言
   24日の国立能楽堂の狂言の会は、非常に充実していて面白かった。
   プログラムは、
   狂言 三本の柱 (さんぼんのはしら)  善竹 忠重(大蔵流)
   狂言 法師ヶ母 (ほうしがはは)  野村 万作(和泉流)
   新作狂言 彦市ばなし (ひこいちばなし)  茂山 千五郎

   「三本柱」は、慶事事で演じられる脇狂言。
   三人の冠者で三本の柱を二本ずつ持って、謡い舞う面白い狂言。
   シテ/果報者 善竹忠重、アド/冠者 善竹富太郎、忠亮、茂山忠三郎
   笛 栗林祐輔、小鼓 鳥山直也、大鼓 佃良太郎、太鼓 林雄一郎
   

   万作と萬斎が演じる法師ヶ母は、絶品の舞台。 
   一期一会、いつも、最高峰の舞台の鑑賞だと心して観ている。

   シテ/夫 野村万作 、アド/妻 野村萬斎、 地謡:中村修一、石田幸雄、高野和憲、内藤連
   酔っ払って帰宅した夫は、出迎えの態度が悪いと言って、酒の勢いで、妻を家から追い出す。妻は、暇の印の小袖を貰って、子を残して、泣く泣く家を出ていく。酔いが覚めて後悔した夫は、法師ヶ母(子の母=妻)を探して、笹を手にした狂乱の体でさまよい歩く。夫は実家に向かう途中の妻に偶然出会って、懸命に謝り、苦衷をかき口説いて許しを得て、一緒に家に帰ってゆく。
   前半は、普通の夫婦喧嘩のイメージだが、後半は、物狂能の雰囲気にかわって、掛素襖の右肩を脱ぎ笹をもって憔悴しきった体で千鳥足で登場したシテが、妻への恋しさと感謝の心情を切々と謡って涙に暮れて妻を求めて、カケリ(狂乱の舞)を舞う。
   能「丹後物狂」のシテの部分を一部用いて、パロディになっていると言うのだが、シテの万作の謡も舞も本格的な能舞台で、格調の高い狂言である。

   法師が母はただひとり・・・と涙に咽んで謡いながら親元に帰る妻の声を聴いて、夫が「聞かまほしの御声や」と近づくのだが、妻の第一声が面白い。みめの悪いのは生まれつき、一度離縁した以上何故帰られようかと断ると、夫が酔狂だったと謝って、みめは麗しいと応えて、「いとおしの人やの、こちらへわたしめ」と誘うと、妻は、「心得ました」と、連れ立って帰ってゆくハッピーエンド。
   30分の短い舞台だが、多くのストーリーがぎっしりと詰まった狂言である。
   
   彦市ばなしは、肥後の国に伝わる民話で、吉四六や一休と並ぶとんち話で知られているとかで、色々な彦一にまつわる「彦一ばなし」の中から、木下順二が、「天狗の隠れ蓑」と「河童釣り」とを繋ぎ合わせて脚色して作った新作狂言で、とにかく、愉快で面白い。

   天狗の隠れ蓑が欲しい彦市が、釣竿を遠眼鏡と称して天狗の子を騙して取り上げて散々悪さを重ねるが、妻にがらくたと間違われて燃やされてしまい、泣く泣く、試しに残った灰を体に付けてみたところ姿を消すことが出来、また悪さを続けるが、川に落ちて灰が全部流れてオジャン。
   彦市が魚釣りをしていると、通りがかった殿様が何をしているのか尋ねたので、河童を釣っていると口から出まかせを言うと、物好きな殿様は儂にも釣らせろと言う。困った彦一が、河童は鯨の肉しか食わぬと言ったので、殿様は沢山鯨肉を持ってきたが、彦市は餌にせずにくすねて、まだかと殿様が様子を尋ねると殿様が大声を挙げたので惜しいところで逃げられと答え、河童は非常に狡賢いと説明する。痺れを切らした殿様が、餌だけ取って姿を見せない、卑怯な河童じゃと叫ぶと、聞き捨てならぬと本物の河童が這い上がってきたので、彦市は、それを捕らえて、これぞ河童釣りと自慢げに答えたので、ご機嫌の殿様は彦市を誉めて沢山の褒美を与えた。

   ところが、木下狂言は、この後半部分を、変えてしまって、簑を取り返しに来た天狗と彦市の争いを、河童を捕まえていると勘違いしたお殿様は、彦市に声援を送って、彦市と天狗の子の後を追って、幕に消えて終わる。
   面白い創作は、殿様が、蔵から出てきた天狗の面をつけて出てきたので、彦市は、親天狗と間違えて平伏したり、これを騙して貰い受けたのだが、隠れ蓑を取り返しに来た子天狗に、面と鯨肉を盗まれて、持ち帰った面が祖父に似ており鯨肉が好物だと親天狗に喜ばれて許されたと言う話は、天狗の面で子天狗を脅し上げ、親天狗に鯨肉を差し出して許しを請おうと考えた彦市の悪知恵を超えてのどんでん返し。殿様を騙しての打ち首の心配は、どうするか後で考えようと言う瞬時に悪知恵が働く能天気ぶりが彦市らしい。

   悪知恵が体全体に満ち溢れるエネルギッシュで楽天的な食わせ物の彦市の千五郎、
   可愛くて剽軽な天狗の子の千之丞
   悠揚迫らぬ品の備わった大らかさと惚けた調子の殿様の逸平、
   この逸平については、NHKのドラマなどでよく見るのだが、品のよい茫洋とした大らかさと、どことなく世間離れした剽軽な公家の雰囲気を醸し出していて、歌舞伎の一条大蔵卿のイメージに一番近く、近松門左衛門の心中物のがしんたれで頼りない大坂男をやらせたら、どんなに面白い舞台になるかと思ってみている。

   新作狂言だが、私が観たのは、最初は、シェイクスピアの「ウインザーの陽気な女房たち」の「法螺侍」
   続いて、「鮎」と「楢山節考」
   すべて、万作・萬斎の舞台だが、ある程度思想性があって物語も豊かで芸術性も十分に加味して創作された舞台で、狂言と言うよりも、芝居を観ているような雰囲気で観ていて楽しい。
   特に、異業種と言った感じの芸域の違った芸術間の変換昇華などには、特に興味を持っているので、猶更、興趣をそそられている。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« スティグリッツ PROGRESSIVE ... | トップ | 映画「男はつらいよ お帰り ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

能・狂言」カテゴリの最新記事