熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

世界の頭脳を一網打尽のオープンソース・イノベーション

2007年06月14日 | イノベーションと経営
   リナックスは、1991年にヘルシンキ大学生リーナス・トーバルズによってスタートしたオープンソースのOSだが、グーグルと共にマイクロソフトを追い上げている。
   リナックス現象は、コンピューターの世界の未来像を示しているだけではなく、これからのイノベーションのあり方を示すメタファーである。
   世界中から、自分の知識と有能さを積極的に発揮したいと考えている優秀で腕利きの情熱に溢れた人材を糾合して追求する新しい「オープンソース・イノベーション」手法であり、20世紀の「プロフェッショナルが頂点に立つ大きな階層的組織によって推進されるイノベーション」の対極にある。

   W.C.テイラーとP.ラバールが「マーベリック・カンパニー(Mavericks at Work)」という最新刊で、「常識の壁打ち破る超優良企業」の経営を浮き彫りにしながら、極めて斬新な切り口からイノベーションの生まれ出る舞台を活写しており、その一つがこのオープンソース・イノベーションである。
   マヴェリック(Maverick)とは、焼印のない、群れから離れた、独立独行の牛や馬のことで、いわば一匹オオカミと言った英語だが、この本の副題(何故、ビジネスにおける最もオリジナル・マインドが勝利を収めるのか)が示すようにオリジナリティやオンリーワンと言ったニュアンスを含んでいる。
   昔、サンパウロで4年間フォードのマヴェリックに乗っていたのを思い出して感慨一入でもあるが、このマヴェリックが、今日の企業経営のあるべき姿を一語で表現しているのが興味深い。

   イギリスのC.レッドビーターとP.ミラーが、このオープンソース手法による分散型の創造的プロセスを、「プロアマ革命」と呼んでいる。
   プロアマとは、「プロの水準で働くアマチュアであり、「博識で専門的知識が豊富で、献身的、新技術を利用したネットワークで繋がっている」人々を指す。
   プロアマは、正に、プロジェクトや組織に貢献できる才能の宝庫であり、彼らは自らの意思でそこに参加し、意欲的に働く。
   プロアマ革命は、「革新的、柔軟、低コスト、という新しい分散型の組織によって推進されるイノベーションのモデルとなっている。
   地球上に張り巡らされたインターネット網を活用して、世界中から最高の頭脳を糾合して「巨大ネットワーク型イノベーション」を追求して成功を収めている驚くべきケースを「マーベリック・カンパニー」は紹介しながら、あるべき経営革新の未来像を示している。

   最近では、パソコンから色々なオープンソースであるフリーソフトをダウンロードして結構重宝して使わせて頂いているが、最も利用価値の高いのは、ジミー・ウエールズが創設して世界中の利用者が執筆・編集するフリー・スタイルのインターネット上の百科事典ウィキペディアで、初見資料としてはブリタニカなどよりは遥かに便利で役に立っている。
   
   著者達は、およそオープンソース手法でイノベーションなどやれるように思えないような業種で成功しているエクセレントカンパニーを紹介している。
   金鉱山の開発に万策尽きたカナダのゴールドコープ社のロブ・マキューアン社長が、MITのセミナーでリナックスを知り、なんと、インターネットで自社の保有するあらゆるデータを総て開示して、世界中の科学者やエンジニアにダウンロードしてもらって、自由に分析した上で採掘プランを提起して貰うことにしたのである。
   トロントに膨大な数の提案が届いた。内容の多様さと独創性の豊かさ、そして、鉱業界とはまるで畑違いの分野の技術、データについての斬新な考え方をする科学者達が、様々な提案をしてきたが、結果は大成功で、業績と株価が急上昇したと言う。

   優良企業向けの高性能ソフトウエアを製作している「トップコーダー社」は、クライアントからコンピュータのアプリケーション・ソフトを受注すると、コンポーネントを細分化して、クライアント名を伏せて、登録しているプログラマーにオープンソース・スタイルで作成を依頼する。
   プログラマー達は、最高にエレガントなソフトウエアを構成する為に熾烈な戦いを繰り広げてライバルの鼻をあかそうと努力する。

   驚くべきは、芸術の世界にまでオープンソース・システムを導入して成功しているエジンバラ・フリンジ・フェスティバルのケースである。
   このフェスティバルは自主運営のシステムで、どんな個人でも団体でも参加できるが、条件はただ一つだけで、それは、250の会場の何処かと交渉して出演許可を貰うことである。
   パーフォーマー、会場、観客、メディアの4本柱が作り出すこのフェステイバルだが、世界中から観客とメディアが殺到する。交渉が成功して出演にこぎ着ければ、次の試練は、如何に自分たちを目立たせるかで、パーフォーマーは、必死になって観客やメディアの評価を高くして登竜門をくぐり抜けることである。
   「世界最大の芸術のインキュベーター」と呼ばれるこのフェステイバル、人気を博せばロンドンやニューヨークでの檜舞台が待っている。
   芸術監督という肩書きを持つ人物がいるが、アート界のカリスマが居る訳でもなく、委員会も、運営母体も何もない。間違いなくフェスティバルをそっくりアーティストと観客に委ねて、ルールを最低限に保つこと、これが鉄則だと言う。

   余談だが、賢くて優秀な日本の社会に、いまだに蔓延り、天下り先ばかりに興味がある官僚の支配する、官僚統制が如何に時代から遊離したシステムであるかが分かろうと言うものである。 
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