
オペラの殿堂METを極めて斬新かつイノベイティブな経営で蘇らせたピーター・ゲルブ総支配人が、2時間以上にわたって自分自身のキャリアを紐解きながらMET経営に対する熱い思いを語った。
昭和音楽大学が精力的に推進している世界の主要歌劇場の運営や現状を調査分析の一環としての公開講座で、今回は、「メトロポリタン歌劇場の未来戦略 メディアと劇場の融合」と言うタイトルで、やっと初年度のシーズンを終えたばかりのピーター・ゲルブを招聘したのである。
この5月で終わったシーズンでは、大晦日に歌舞伎座で上映された高度なIT技術を駆使してハイビジョン映像と素晴らしい音響とでモーツアルトの「魔笛」を筆頭に、6回にわたってMETの生中継映像を世界各地の映画館で上映して話題になった。
私はロンドンに居た時に、BBCがロイヤル・オペラの舞台をよく放映していたのでそれほどオペラの劇場生中継には驚きはないが、今回のMETの試みは、それより遥かに大規模で、カメラが縦横無尽に舞台裏に入り込んで舞台設営の様子を映し出したり、休憩途中にビバリー・シルスやルネ・フレミングがドミンゴやネトレプコの楽屋を訪れてインタビューするなど想像を絶する企画で、それも生中継(日本は時間の関係で録画)だと言うからその質の高さに驚かざるを得ない。
このプログラムの4演目を、この週末にNHKがハイビジョンで、早速放映すると言うから楽しみでもある。
今回の公開講座でも、最後に、プッチーニの「外套」が上映されたが、M.グレギーナ、S.リチャートラ、J.ポンスの素晴らしい舞台を改めて楽しむことが出来た。
ゲルブは、この映画劇場の上映をスポーツ、特に、あらゆるところで必ず放映されているニューヨークヤンキースの生及び録画による放映にヒントを得た。
野球と同じ様に、オペラにも熱烈なファンがいて必ず歓迎されるであろうと思ったと言う。
それに、METの観客のアンケートを調べたら、その平均年齢が65歳であることを知って愕然として、若い観客やオペラに触れたことのない人々への関心を高める必要に駆られて、その一環でもあったと言う。
素晴らしかったのは、昨年のオープニングの演目であった「マダム・バタフライ」を、タイムズスクエアとリンカーンセンターに野外ステージを設けて大スクリーンで放映しニューヨークっ子たちの度肝を抜いて一挙にオペラファンの裾野を広げたことである。
当時のTV映像を放映していたが、あのタイムズスクエアの交通が遮断されて、道路全体にイスが並べられて客席になり、コーナーの円形大スクリーンに蝶々夫人の映像が大写しになって素晴らしいアリアが流れていたのにはビックリしてしまった。
ところで、この「マダム・バタフライ」だが、「イングリッシュ・ペイシェント」や「リプリー」のアンソニー・ミンゲラ監督演出のイングリッシュ・ナショナル・オペラの舞台で、音楽と劇との融合を目指すゲルブ総支配人にとっては願ったり適ったりの舞台で、ライオン・キングのジュリー・テイモア演出の「魔笛」と同様、これから、オペラ劇としての劇に比重をかけた奥行きの深い舞台が楽しめそうである。
METをシアターとして見てくれとゲルブ氏は言っているが、歌が上手いだけの大根役者的な歌手はどんどん排除されて行くのであろう。
私は、その意味では、シェイクスピアの国イギリスでは元々芝居を演じられないオペラ歌手は評価されず、ロイヤル・オペラもイングリッシュ・ナショナル・オペラでも、歌手達が皆芸達者なのには常々感心していた。
ついでながら、日本の役者や芸人には、歌えなかったり踊れなかったりする人が結構居るが、イギリスのシェイクスピア役者は何でも出来るのが普通であることを付記しておこう。
従来のオペラ演出家の枠を超えて幅広く演出家を起用して、新演出のオペラ公演をシーズン8演目に倍増すると言うから、益々、楽しみである。
ミュンヘンのズビン・メータのリハーサルの「リゴレット」を見たら、殆どの歌手が、サルさながらのプラネット・エイプの格好をしていて、ラモン・ヴァルガスが衣装を脱ぎ捨てて舞台を下りたのを見たと語りながら、こんな舞台は創らないと言っていた。
演出家には、あまり注文をつける心算はないが、一つだけ、オペラの中身に誠実であること、ストーリーを守り立てる演出をしてくれるよう頼むことにしていると強調していた。
独善的で、中身を勝手に変えたり、奇を衒った演出をする演出家が多いが、あくまで作品に忠実にオーソドックスな正攻法で臨もうと言うことであろうか。
昨シーズンの劇場版オペラは、その意味では実に素晴らしい演出ばかりであったような気がしている。
昭和音楽大学が精力的に推進している世界の主要歌劇場の運営や現状を調査分析の一環としての公開講座で、今回は、「メトロポリタン歌劇場の未来戦略 メディアと劇場の融合」と言うタイトルで、やっと初年度のシーズンを終えたばかりのピーター・ゲルブを招聘したのである。
この5月で終わったシーズンでは、大晦日に歌舞伎座で上映された高度なIT技術を駆使してハイビジョン映像と素晴らしい音響とでモーツアルトの「魔笛」を筆頭に、6回にわたってMETの生中継映像を世界各地の映画館で上映して話題になった。
私はロンドンに居た時に、BBCがロイヤル・オペラの舞台をよく放映していたのでそれほどオペラの劇場生中継には驚きはないが、今回のMETの試みは、それより遥かに大規模で、カメラが縦横無尽に舞台裏に入り込んで舞台設営の様子を映し出したり、休憩途中にビバリー・シルスやルネ・フレミングがドミンゴやネトレプコの楽屋を訪れてインタビューするなど想像を絶する企画で、それも生中継(日本は時間の関係で録画)だと言うからその質の高さに驚かざるを得ない。
このプログラムの4演目を、この週末にNHKがハイビジョンで、早速放映すると言うから楽しみでもある。
今回の公開講座でも、最後に、プッチーニの「外套」が上映されたが、M.グレギーナ、S.リチャートラ、J.ポンスの素晴らしい舞台を改めて楽しむことが出来た。
ゲルブは、この映画劇場の上映をスポーツ、特に、あらゆるところで必ず放映されているニューヨークヤンキースの生及び録画による放映にヒントを得た。
野球と同じ様に、オペラにも熱烈なファンがいて必ず歓迎されるであろうと思ったと言う。
それに、METの観客のアンケートを調べたら、その平均年齢が65歳であることを知って愕然として、若い観客やオペラに触れたことのない人々への関心を高める必要に駆られて、その一環でもあったと言う。
素晴らしかったのは、昨年のオープニングの演目であった「マダム・バタフライ」を、タイムズスクエアとリンカーンセンターに野外ステージを設けて大スクリーンで放映しニューヨークっ子たちの度肝を抜いて一挙にオペラファンの裾野を広げたことである。
当時のTV映像を放映していたが、あのタイムズスクエアの交通が遮断されて、道路全体にイスが並べられて客席になり、コーナーの円形大スクリーンに蝶々夫人の映像が大写しになって素晴らしいアリアが流れていたのにはビックリしてしまった。
ところで、この「マダム・バタフライ」だが、「イングリッシュ・ペイシェント」や「リプリー」のアンソニー・ミンゲラ監督演出のイングリッシュ・ナショナル・オペラの舞台で、音楽と劇との融合を目指すゲルブ総支配人にとっては願ったり適ったりの舞台で、ライオン・キングのジュリー・テイモア演出の「魔笛」と同様、これから、オペラ劇としての劇に比重をかけた奥行きの深い舞台が楽しめそうである。
METをシアターとして見てくれとゲルブ氏は言っているが、歌が上手いだけの大根役者的な歌手はどんどん排除されて行くのであろう。
私は、その意味では、シェイクスピアの国イギリスでは元々芝居を演じられないオペラ歌手は評価されず、ロイヤル・オペラもイングリッシュ・ナショナル・オペラでも、歌手達が皆芸達者なのには常々感心していた。
ついでながら、日本の役者や芸人には、歌えなかったり踊れなかったりする人が結構居るが、イギリスのシェイクスピア役者は何でも出来るのが普通であることを付記しておこう。
従来のオペラ演出家の枠を超えて幅広く演出家を起用して、新演出のオペラ公演をシーズン8演目に倍増すると言うから、益々、楽しみである。
ミュンヘンのズビン・メータのリハーサルの「リゴレット」を見たら、殆どの歌手が、サルさながらのプラネット・エイプの格好をしていて、ラモン・ヴァルガスが衣装を脱ぎ捨てて舞台を下りたのを見たと語りながら、こんな舞台は創らないと言っていた。
演出家には、あまり注文をつける心算はないが、一つだけ、オペラの中身に誠実であること、ストーリーを守り立てる演出をしてくれるよう頼むことにしていると強調していた。
独善的で、中身を勝手に変えたり、奇を衒った演出をする演出家が多いが、あくまで作品に忠実にオーソドックスな正攻法で臨もうと言うことであろうか。
昨シーズンの劇場版オペラは、その意味では実に素晴らしい演出ばかりであったような気がしている。