熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

秀山祭九月大歌舞伎・・・幸四郎と吉右衛門の「寺子屋」

2006年09月09日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   昼の部で熱気を帯びた素晴らしい舞台が、菅原伝授手習鑑の「寺子屋」で、松王丸に幸四郎、武部源蔵に吉右衛門兄弟が共演しており、千代に芝翫、戸浪に魁春、春藤玄番に段四郎、園生の前に福助、涎くりに松江、と言う豪華な配役陣で、素晴らしく緊張感のある充実した舞台を展開している。

   この幸四郎・松王丸、吉右衛門・武部源蔵は、81年10月の松本幸四郎襲名披露公演で行われていて、その時、千代は梅幸、戸浪は芝翫、春藤玄番は三津五郎(9)であったと言う。
   その後、別々に、両方の役を演じているが、最近では、吉右衛門は松王丸を演じることが多くなり、私もこれを観たのだが、源蔵役は、久しぶりのようである。   
   
   ところで、この「寺子屋」だが、主の子供の命を助ける為に、縁あって敵方に仕えていた松王丸が、最後に、恩返しの為に自分の子供を身替りに差し出して、その子の首実検を自ら行わなければならないと言う実に理不尽で残酷な物語である。

   何の演目でもそうだが、演じる役者によって印象が全く違ってくるのだが、私の観た松王丸でも、猿之助は又格別としても、幸四郎と吉右衛門でもその差は大きい。
   一番差を感じたのは、千代の役柄で、菊五郎、玉三郎、芝翫の至芸とも言うべき芸で、忠君ゆえに理不尽にも吾が子を死なせなければならなかった母親の悲哀を哀切の限りを尽くして演じていた。
   肺腑を抉るような苦しみを胸の底にずしりと訴えかける菊五郎、凛としてあくまで節度と格調を崩さずに悲しみを殺して咽び泣く玉三郎、武士の妻としての威厳を保ちながら理不尽さに死んでしまった自分の子に対して本当の母親の苦しみをこれ以上に表現出来ないほど痛切に演じた芝翫、最後に、悲しみを掻き口説くあの千代の独白は何時聞いても切なくて悲しい。
   今回の芝翫など、最後の幕が引かれて全役者が見栄を切っているのに、まだ、小太郎の亡骸を乗せた籠を振り向きつつ見送っていたのが印象的であった。
   源蔵の「せまじきものは宮仕えじゃな」と言う殺し文句も、富十郎は確か刀を杖にして立って言っていたが、吉右衛門は、戸浪と背中合わせに座りながら言ってその後立ったが、同じ苦渋の独白でも受ける印象は微妙に違う。

   大詰めの段切のところ、小太郎の亡骸の野辺の送りをする「いろは送り」の哀切極まりない流麗な義太夫節が私は好きで、今、日本語の美しさを見直す機運が強くなっているが、正にその典型的な価値ある日本の文章であり、文楽の公演の時には目を瞑って聞くことにしている。

   ところで、幸四郎の松王丸であるが、流石に素晴らしい舞台であった。
   本来、双眼鏡で舞台を見ると、その役者の顔や表情だけしか見えなくなって舞台全体の雰囲気が全く見えなくなるのだが、回を重ねているので、最近はオペラでも歌舞伎でも、大切なところは、当該主役の演技鑑賞に集中することにしている。
   幸四郎・松王丸は、花道の登場から実子小太郎が討たれるまで殆ど表情ひとつ変えずに苦痛を押し殺したような渋い顔で押し通す。
   源蔵が、寛秀才の首を討つ為に首桶を持って奥へ下がると、松王丸は立ち上がって正面に向かうが、途中、首を討つ音が聞こえると足がもつれてよろける。吾が子小太郎が討たれた瞬間であり、その苦痛と悲しみを全身に漲らせて後ぶりで演じる。 
   振り返った時に、居ても立ってもいられなくて走り出た千代とぶつかり、「無礼者めが!」と叫ぶが、目が引きつって正気ではなくなっている。

   首桶を前にして、一呼吸も二呼吸も置いて意を決したように眼を大開にして首を凝視し、吾が子であることを確信すると瞬時に首桶の蓋をする。
   「寛秀才の首に相違ない」
   「でかした」と源蔵を労うが、初代中村吉右衛門は、この言葉は、身替りになって死んでいった吾が子小太郎に対して発せられた言葉であると解釈して演じたと言う。そうでないと、身替りになった吾が子を殺した当人に、褒め言葉などおくびにも出せない筈である。
   團十郎型は、松王丸は刀を源蔵に突きつけて偽首だったら許さんと言う意味を込めて「でかした」と言ったのだと、幸四郎は「ギャルソンになった王様」の中に書いている。
   その後、右手を首桶において斜交いに構えて苦しみを噛み締め瞑目している幸四郎・松王丸の身体全体が泣いている。 

   一度退出して帰ってきた松王丸が、源蔵に一部始終を語る。
   寛丞相に大恩を受けながら敵対する主君に仕える身の不運を嘆き、退身を願ったが最後の役目が寛秀才の首実検。
   忠義一途の源蔵が寛秀才を見殺しにする筈がないと心底を察した松王丸は、身替りにと小太郎に因果を含めて寺子屋に送り出した。
   源蔵から、小太郎が潔く首を差し出して笑って死んで行った、と言う話を聞いて、流石の松王丸も泣き咽ぶ。

   しかし、これは男の世界で、分かっていても、女の世界それも母親としては、忠君愛国など全くナンセンスでそれは男のエゴ、この後、母親千代の口説きが語られるがこれが本当の心情の吐露。前の舞台で、千代が小太郎を寺子屋入門に連れて来て分かれる件など実に人間的である。

   ところで、別なところで幸四郎は、立派な武士が父親と言う人間本来の立場に戻った時、初めて声をあげて泣くことがあると言うことを語っている。
   企業戦士として、戦い抜いて家庭を犠牲にしてでも働き続けて来た団塊の世代が表舞台から去って行こうとしているのだが、人間として大切なものを見失って人生を送ってきたかも知れない悲哀、そんな思いと錯綜するような気がするが、源蔵の言葉「せまじきものは宮仕えじゃな」に凝縮されていると言ってもあながち間違いではなかろう。
   この寺子屋は、男が咽び泣き、そして、号泣する、そんな芝居である。
   分かっていても逆らえない、荒海の木っ端のように運命に翻弄されて、理不尽であっても耐え忍ばなければならない、そんな人生も一つの男の宿命かも知れないのである。しかし、意地と男と筋を通すと悲劇が起こる。

   この男の生きる為の苦渋と女の理不尽に泣く悲しさは、「熊谷陣屋」でも、吾が子小次郎を敦盛の身代わりとして殺さなければならなかった熊谷直実とその妻相模の間にも起こっており、同じ様に胸に響く。

   源蔵を演じた吉右衛門の類稀なる素晴らしい芸について書けなくなってしまった。
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