
経産省と日経の主催で「情報セクリティガバナンス・シンポジウム2007」が東京フォーラムで開かれたので出かけた。
基調講演が、寺島実郎氏の「日本の経済安全保障と情報セキュリティ」だったので、それを聞きたくて出かけたようなものだが、最後のパネル討論は端折ったものの結構充実した講演会で面白かった。
激しい国際競争の中で企業が生き抜くためには、安全を確保しながら効果的かつ有効にITを活用することは必須であり、そのための情報セキュリティ戦略はどうあるべきかと言う問題意識で、情報セキュリティをコーポレートガバナンスの一環として捉えて掘り下げたのが今回のシンポジウムである。
寺島氏は、IT革命とは何だったのかと問いながら次のような話題から話を始めた。
米国防省が、核攻撃等の軍事攻撃を受けても通信網が維持できるようにと開発されたアーバネット技術が、冷戦終結後の1990年代になって、民間に解放されたて、一挙にインターネットとして民間に普及した。
平和の配当と言われた、このアメリカの軍事技術の民間への解放と言うパラダイム転換が、1993年に商業ネットワークとリンクして、アメリカはITによって蘇った。
この情報ネットワーク技術の革命的な進展によって、これまで、特別なルートやコネでしか得られなかった情報に誰でもアクセス出来るようになった。
典型的なIT技術の変化を、阪神淡路大震災とその10年後の新潟大地震に見ることが出来るが、それは、IT技術の成果であるコンビニと携帯電話の活躍だったと言う。
IT技術が便利で効率的であればあるほど、セキュリティ等の問題が深刻化する。
逆に失ったものも多く、ITのディファクト化とブラックボックス化で、世界標準化され囲い込まれて一切手を触れさせなくなっている。
カーナビのGBSも24個の衛星をアメリカは無料で使用させているが、インターネットのエシュロンの問題も含めて、アメリカはIT技術の首根っこを押さえていて、場合によっては完全に情報を捕捉されて国家の存亡に関わることにもなりかねない。
EUはこれを恐れて、ガリレオプロジェクトで独自の衛星を打ち上げた。
寺島氏は、IT革命の陰の部分として、多くのIT関連技術者たちは生産性を高める為とか本物のIT革命を目指しているが、中にはITを利用してゲームに人びとを誘い込んで悪を働く輩が出現していると非難し、ホリエモンを筆頭に「ITの旗手青年実業家」などと言うのは一番信用出来ないと言って糾弾する。
もう一つ、ワーキング・プアーの問題について触れ、IT技術が労働の平準化とFool Proof(馬鹿でも出来る)を促進して、技術や能力、知識や資格等のない人々を仕事から益々駆逐していく弊害を説いていた。
ところで、今回、講演者たちが指摘していたのは、ITそのものが我々の経済社会に基盤化してしまって、生活から切っても切れなくなってしまった。
ITによって、経済社会のシステム事態が革命的な変化を遂げてしまった、と言うことである。
IT革命を第3の産業革命と捉えるのが一般的で、これを知識情報産業化社会と言う認識で把握しようとしている。
しかし、私は、知識情報産業化社会への革命が本筋の革命であって、ITはあくまでエンジンで、特にインターネットがその革命を加速したのだと考えている。
第一次の産業革命は農業で富を生み出す基本は土地、第二次の産業革命は工業革命で基本は資本、第三次の革命は知識情報革命で基本は人間の知識、と言う認識である。
IT革命で高揚した景気が、2000年初にITバブルが崩壊してIT革命が幻想であったように揶揄されたが、これは、特にIT関連新興企業の投機を伴った異常なブームが生み出した徒花現象で、1990年代初頭より始動したインターネットとコンピューターが生み出したIT革命は、その後順調にビルトインされて、大きく経済社会に浸透して革命的な産業構造の変化を起こしている。
それは、蒸気機関や電気等のエネルギーが、或いは内燃機関や飛行機が、経済社会に革命的な変化を惹起したのと全く同じである。
従って、ITをあくまで知識情報化社会を推進するエンジンだと考えれば、堺屋太一氏が言うように情報産業化社会を知価社会と捉えて、知識が価値を生む、エルメスやグッチのような人間の叡智が創造した美意識が価値を生むのだと言うコンセプトと全く矛盾はしない。
知識情報化社会を、技術的な側面と真の人間力が生み出す真善美の側面を持った経済社会革命だと言う理解が必要なのである。
しからば、この産業社会において、ITは技術的な色合いは強いが所詮エンジンでありエネルギーであるなら、やはり、人間自身がコントロールして訓化すべきであろう。
少なくとも、ITに内部統制システムで振り回され、今回また、情報セキュリティガバナンスで振り回されれば、何のためのITか分からなくなってしまう。
基調講演が、寺島実郎氏の「日本の経済安全保障と情報セキュリティ」だったので、それを聞きたくて出かけたようなものだが、最後のパネル討論は端折ったものの結構充実した講演会で面白かった。
激しい国際競争の中で企業が生き抜くためには、安全を確保しながら効果的かつ有効にITを活用することは必須であり、そのための情報セキュリティ戦略はどうあるべきかと言う問題意識で、情報セキュリティをコーポレートガバナンスの一環として捉えて掘り下げたのが今回のシンポジウムである。
寺島氏は、IT革命とは何だったのかと問いながら次のような話題から話を始めた。
米国防省が、核攻撃等の軍事攻撃を受けても通信網が維持できるようにと開発されたアーバネット技術が、冷戦終結後の1990年代になって、民間に解放されたて、一挙にインターネットとして民間に普及した。
平和の配当と言われた、このアメリカの軍事技術の民間への解放と言うパラダイム転換が、1993年に商業ネットワークとリンクして、アメリカはITによって蘇った。
この情報ネットワーク技術の革命的な進展によって、これまで、特別なルートやコネでしか得られなかった情報に誰でもアクセス出来るようになった。
典型的なIT技術の変化を、阪神淡路大震災とその10年後の新潟大地震に見ることが出来るが、それは、IT技術の成果であるコンビニと携帯電話の活躍だったと言う。
IT技術が便利で効率的であればあるほど、セキュリティ等の問題が深刻化する。
逆に失ったものも多く、ITのディファクト化とブラックボックス化で、世界標準化され囲い込まれて一切手を触れさせなくなっている。
カーナビのGBSも24個の衛星をアメリカは無料で使用させているが、インターネットのエシュロンの問題も含めて、アメリカはIT技術の首根っこを押さえていて、場合によっては完全に情報を捕捉されて国家の存亡に関わることにもなりかねない。
EUはこれを恐れて、ガリレオプロジェクトで独自の衛星を打ち上げた。
寺島氏は、IT革命の陰の部分として、多くのIT関連技術者たちは生産性を高める為とか本物のIT革命を目指しているが、中にはITを利用してゲームに人びとを誘い込んで悪を働く輩が出現していると非難し、ホリエモンを筆頭に「ITの旗手青年実業家」などと言うのは一番信用出来ないと言って糾弾する。
もう一つ、ワーキング・プアーの問題について触れ、IT技術が労働の平準化とFool Proof(馬鹿でも出来る)を促進して、技術や能力、知識や資格等のない人々を仕事から益々駆逐していく弊害を説いていた。
ところで、今回、講演者たちが指摘していたのは、ITそのものが我々の経済社会に基盤化してしまって、生活から切っても切れなくなってしまった。
ITによって、経済社会のシステム事態が革命的な変化を遂げてしまった、と言うことである。
IT革命を第3の産業革命と捉えるのが一般的で、これを知識情報産業化社会と言う認識で把握しようとしている。
しかし、私は、知識情報産業化社会への革命が本筋の革命であって、ITはあくまでエンジンで、特にインターネットがその革命を加速したのだと考えている。
第一次の産業革命は農業で富を生み出す基本は土地、第二次の産業革命は工業革命で基本は資本、第三次の革命は知識情報革命で基本は人間の知識、と言う認識である。
IT革命で高揚した景気が、2000年初にITバブルが崩壊してIT革命が幻想であったように揶揄されたが、これは、特にIT関連新興企業の投機を伴った異常なブームが生み出した徒花現象で、1990年代初頭より始動したインターネットとコンピューターが生み出したIT革命は、その後順調にビルトインされて、大きく経済社会に浸透して革命的な産業構造の変化を起こしている。
それは、蒸気機関や電気等のエネルギーが、或いは内燃機関や飛行機が、経済社会に革命的な変化を惹起したのと全く同じである。
従って、ITをあくまで知識情報化社会を推進するエンジンだと考えれば、堺屋太一氏が言うように情報産業化社会を知価社会と捉えて、知識が価値を生む、エルメスやグッチのような人間の叡智が創造した美意識が価値を生むのだと言うコンセプトと全く矛盾はしない。
知識情報化社会を、技術的な側面と真の人間力が生み出す真善美の側面を持った経済社会革命だと言う理解が必要なのである。
しからば、この産業社会において、ITは技術的な色合いは強いが所詮エンジンでありエネルギーであるなら、やはり、人間自身がコントロールして訓化すべきであろう。
少なくとも、ITに内部統制システムで振り回され、今回また、情報セキュリティガバナンスで振り回されれば、何のためのITか分からなくなってしまう。