熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

株主総会とコーポレート・ガバナンス・・・企業の目的とは何なのか

2005年06月20日 | 経営・ビジネス
   3月期決算の会社の株主総会が、ボツボツスタートした。明日、ニッサンだが、会場が横浜パシフィコに移ったのでどうしょうかと考えている。
   相変わらず商法改正が続いていて、日本の会社法体系が、この数年で様変わりしてしまったが、アメリカ型のコーポレート・ガバナンスへの移行や国際会計基準関係については、企業の対応もほぼ落ち着きを取り戻した。

   株主総会であるが、かっての総会屋対策を主とした株主総会対策は少なくなって、一般株主や社会に開かれた株主総会を目指す会社が多くなったようである。
   株持合の解消によって安定株主が減った反面、機関投資家がモノをいい始め、消費者グループや株主オンブズマンの動きが活発になる等、企業を取り巻く環境の変化により、違法行為を行ったり不祥事を引き起こして悪評判を取った会社などには、極めて厳しい株主総会になろう。


   ところで、重要なコーポレート・ガバナンスであるが、一体、会社は誰のもので誰が支配しているのであろうか。
   会社は株主のものであると法が定めており、所有権こそ究極の権限であるとするならば、株主主権が厳然と存在する事になる。
   日本の場合は、会社は、株主のみならず、社員や顧客、サプライヤー、債権者等々多くのステイクホールダーのものであると言う意識が強い。
   しかし、ガルブレイスは、「悪意なき欺瞞」の中で、株主主権など存在しない虚構であり、私利私欲の飽くなき追求を旨とする企業システムの支配者は、企業経営者であると喝破。彼らの報酬の高いのは自分達で報酬を勝手に決める企業経営者の悪意の賜物であり、限りなく盗みに近いと言っている。

   盗みは兎も角、株主主権等は、既に虚構となっており、会社の実質的な権限は、経営者に移っており、かってミードたちが言っていた経営者資本主義に回帰してしまっている事は事実であろう。
   この視点から会社を見ない限り、投資家が権限を有すると言う神話、株主優遇の神話、儀礼としての役員会や株主総会、等々に幻惑されて会社が見えなくなってしまう。
   ホリエモンのニッポン放送買収問題に端を発して、既存の企業経営者の地位を保全するような法制整備の一連の動きがあったが、カネボー等の経営者の無能や西武鉄道関連の証取法違反、その他法令違反、大事故・大惨事、企業不祥事等が頻発している今日、現存の経営を浄化する必要がある場合もあるので、株主主権が幻想である以上、これが出来ないような法制度であってはならない。

   フォンブランは、株主の究極の目的・企業の時価総額を高める為には、株主重視の利益至上主義の経営だけではダメで、順法精神を涵養し社会的責任を追及する良き市民であり、従業員の士気を高め、公明正大かつ透明な経営を実践して説明責任を果たすなど総てのステイクホールダーに貢献・アピールして、コーポレート・レピュテーションを高めるのが経営者の使命だと言う。

   一方、「ザ・コーポレーション」の著者ベイカンは、フリードマンの言を取り、「経営者の唯一の社会的責任は、株主の為に多額の金を儲ける事で、社会や環境上の目的を利益に優先する(道徳的に振舞おうとする)経営者は、非道徳的だ。企業の社会的責任が容認されるのは、それが利益追求の方便である時のみで、その偽善や道徳的善意も収益に繋がらなければ非道徳的だ。」と言う。

   ところで、アメリカ型の委員会制度を導入したソニーが、新制度の効果を発揮して、業績悪化の責任を追求し経営者を入れ替える。
   アメリカ型のコーポレート・ガバナンスがアメリカで必ずしも有効に働いているとは限らないようであるが、日本の場合のコーポレート・ガバナンスは、もっと初歩的な段階である。
   例えば、監査役5人のうち、2人が社内生え抜きで、一人が、何十年も企業に奉仕した顧問弁護士、一人が、何十年にも亘って監査報告書を書いてきた公認会計士、残りの一人がいわば社友、そんな大企業が、コーポレート・ガバナンスを云々しているケース自体、実質的に商法違反だと思うが、問題にさえならないのが日本である。
   

   
   
コメント
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