この章は、リオ・デ・ジャネイロの真夏の休日の一日から始まる。
午前中は、イパネマやコパカバーナの海岸は、人々で一杯。男は裸でバーミューダ・ショーツ姿、女はビキニでフリップ・フロップ、海岸べりのキオスクやカフェーに屯して、飲み物を啜りながら、ビーチ・バレーを眺めたり、政治やセレブや仲間たちのゴシップ話で花盛り。
午後にはビーチを離れて、シュラスコ料理を皆で満喫し、アフター5には、マラカニアンでサッカーの観戦、夜のとばりが降りると、サンバグループは、カーニバルのリハーサル・・・
レジャー・タイムは、ブラジル人にとっては、何よりも大切で、アメリカ人とは違って、仕事や富の蓄積と言った美名のもとに私的生活を犠牲にして働く仕事中毒者は、尊敬されるどころか一顧だにされない。
仕事は、生活上必要かもしれないし、時には満足を与えてくれるかも知れないが、ブラジル人にとっては、この世で与えられた自分の時間を如何に楽しむかを学ぶ事は、アートであり、このアートをマスターした人こそ、人生の達人として称えられるのである。
したがって、同じブラジル人でも、仕事人間のサンパウロ人を、リオの住人は、バカにしていると言う。
確かに、風景のみならず生活環境もそうだが、リオの素晴らしさは、格別かも知れない。
私の記憶では、ブラジル政府の高官など、リオに住居を構えていて、週末ごとにブラジリアを脱出してリオに帰っていたと言う。
この熱帯気候のお蔭で、ブラジルでは、戸外で、パブリック・ライフを過ごすことが多いので、自分の肉体を人前に晒すことが多くなり、人一倍、自分の肉体美に拘ることになる。
したがって、体型をスリムに保つ為に、ダイエットからエクササイズに意を用いることは当然で、プラスチック手術、脂肪吸引術を始めとしたあらゆる部位の美容整形手術にも熱心で、この美容関連技術や処置およびその施設などに関しては、ブラジルは、世界の最先端を行く正にメッカだと言う。
謂わば、国全体が、肉体オリエンテッドな文化に染まっていると言っても良く、Ivo Pitanguyと言ったその道の最高峰の外科医などが、ハリウッドスターなどのセレブの顧客を惹きつけて止まないのみならず、中流のプロフェッショナルたちも、本国より安くて良質な美容処置を受けられるので、わんさと押しかけて来ている。
これは、インドの白内障手術が世界の最先端・最高峰を行くのと同じで、必ずしも、最先端技術が、先進国の専売特許でなくなって来ているのが興味深い。
ところで、ブラジルの一般庶民は、このようにセレブのように美容整形手術を受ける経済的余裕も時間もない。
どうするかと言うと、初めての人間に対しても、肉付きの良い人間、特に、女性などは、惜しげもなく肉体を晒す。
そもそも、肉体美の観念が違っていて、ブラジル人の男は、豊かなボインのプレイボーイ誌の美女とは逆に、胸よりも後姿に注目し、骨に豊かな肉がついて大きくカーブするギターのような形をした肉体美を好むらしい。
尤も、普通のブラジル人は、そんな事とは関係なく、あるがままの自分の肉体に満足し、それなりに喜びを見出しながら、体を露出しているのだと言う。
私自身のサンパウロの4年間は、悲しいかな、仕事中毒人間で、南米のあっちこっちを飛び回って仕事に明け暮れていたので、このあたりのブラジル美人の印象など殆どなく、それに、写真と言えば風景や風物ばかり撮っていたので、コパカバーナの海岸やホテルでスナップした美女たちの写真が、いくらか残っている程度であろうか。
それに、キャリオカが馬鹿にする仕事中毒のパウリスタに混じってサンパウロで生活していたので、リオ人間のローターの説くトロピカル・ブラジル人気質に疎くなっていたのかも知れない。
しかし、カーニバルのみならず、あっちこっちで、素晴らしいブラジル美人に遭遇するチャンスがあったことは事実で、この太陽の燦々と照りつけるトロピカルでオープンなブラジルの風土が、ラテン民族の血と呼応して生まれた人間賛歌の一面と考えれば、この肉体美を謳歌する国民気質も良く分かる。
ところで、この人間の肉体を、生活の前面、かつ、中心に据えて、ブラジル人が最も楽しむ行動と言えば、ビーチ文化、カーニバル、サッカーを置いて他には考えられないと言う。
この三つこそが、ブラジルの価値を体現し、ブラジルを、活気溢れ、カラフルに、そして、エキサイティングにしている要素であることには疑いの余地がない。
したがって、ブラジル人の会話は、贔屓のサッカー・チームは何処か?、カーニバルで応援するサンバ・クラブは?、良く行くビーチは何処か?と言った調子だが、しかし、普通のどこの国でも初対面で交わす、仕事は? お住まいは? 出身校は?と行った問いに、この会話の答えをプラスすれば、そのブラジル人のステイタス、興味、そのロイヤリティなど総てが分かると言うものである。
この三つのテーマについて、ローターが、ビーチ、カーニバル、サッカーと言うサブタイトルで、ユニークな文化文明論を展開しているのだが、詳細は、次回以降に譲りたい。
午前中は、イパネマやコパカバーナの海岸は、人々で一杯。男は裸でバーミューダ・ショーツ姿、女はビキニでフリップ・フロップ、海岸べりのキオスクやカフェーに屯して、飲み物を啜りながら、ビーチ・バレーを眺めたり、政治やセレブや仲間たちのゴシップ話で花盛り。
午後にはビーチを離れて、シュラスコ料理を皆で満喫し、アフター5には、マラカニアンでサッカーの観戦、夜のとばりが降りると、サンバグループは、カーニバルのリハーサル・・・
レジャー・タイムは、ブラジル人にとっては、何よりも大切で、アメリカ人とは違って、仕事や富の蓄積と言った美名のもとに私的生活を犠牲にして働く仕事中毒者は、尊敬されるどころか一顧だにされない。
仕事は、生活上必要かもしれないし、時には満足を与えてくれるかも知れないが、ブラジル人にとっては、この世で与えられた自分の時間を如何に楽しむかを学ぶ事は、アートであり、このアートをマスターした人こそ、人生の達人として称えられるのである。
したがって、同じブラジル人でも、仕事人間のサンパウロ人を、リオの住人は、バカにしていると言う。
確かに、風景のみならず生活環境もそうだが、リオの素晴らしさは、格別かも知れない。
私の記憶では、ブラジル政府の高官など、リオに住居を構えていて、週末ごとにブラジリアを脱出してリオに帰っていたと言う。
この熱帯気候のお蔭で、ブラジルでは、戸外で、パブリック・ライフを過ごすことが多いので、自分の肉体を人前に晒すことが多くなり、人一倍、自分の肉体美に拘ることになる。
したがって、体型をスリムに保つ為に、ダイエットからエクササイズに意を用いることは当然で、プラスチック手術、脂肪吸引術を始めとしたあらゆる部位の美容整形手術にも熱心で、この美容関連技術や処置およびその施設などに関しては、ブラジルは、世界の最先端を行く正にメッカだと言う。
謂わば、国全体が、肉体オリエンテッドな文化に染まっていると言っても良く、Ivo Pitanguyと言ったその道の最高峰の外科医などが、ハリウッドスターなどのセレブの顧客を惹きつけて止まないのみならず、中流のプロフェッショナルたちも、本国より安くて良質な美容処置を受けられるので、わんさと押しかけて来ている。
これは、インドの白内障手術が世界の最先端・最高峰を行くのと同じで、必ずしも、最先端技術が、先進国の専売特許でなくなって来ているのが興味深い。
ところで、ブラジルの一般庶民は、このようにセレブのように美容整形手術を受ける経済的余裕も時間もない。
どうするかと言うと、初めての人間に対しても、肉付きの良い人間、特に、女性などは、惜しげもなく肉体を晒す。
そもそも、肉体美の観念が違っていて、ブラジル人の男は、豊かなボインのプレイボーイ誌の美女とは逆に、胸よりも後姿に注目し、骨に豊かな肉がついて大きくカーブするギターのような形をした肉体美を好むらしい。
尤も、普通のブラジル人は、そんな事とは関係なく、あるがままの自分の肉体に満足し、それなりに喜びを見出しながら、体を露出しているのだと言う。
私自身のサンパウロの4年間は、悲しいかな、仕事中毒人間で、南米のあっちこっちを飛び回って仕事に明け暮れていたので、このあたりのブラジル美人の印象など殆どなく、それに、写真と言えば風景や風物ばかり撮っていたので、コパカバーナの海岸やホテルでスナップした美女たちの写真が、いくらか残っている程度であろうか。
それに、キャリオカが馬鹿にする仕事中毒のパウリスタに混じってサンパウロで生活していたので、リオ人間のローターの説くトロピカル・ブラジル人気質に疎くなっていたのかも知れない。
しかし、カーニバルのみならず、あっちこっちで、素晴らしいブラジル美人に遭遇するチャンスがあったことは事実で、この太陽の燦々と照りつけるトロピカルでオープンなブラジルの風土が、ラテン民族の血と呼応して生まれた人間賛歌の一面と考えれば、この肉体美を謳歌する国民気質も良く分かる。
ところで、この人間の肉体を、生活の前面、かつ、中心に据えて、ブラジル人が最も楽しむ行動と言えば、ビーチ文化、カーニバル、サッカーを置いて他には考えられないと言う。
この三つこそが、ブラジルの価値を体現し、ブラジルを、活気溢れ、カラフルに、そして、エキサイティングにしている要素であることには疑いの余地がない。
したがって、ブラジル人の会話は、贔屓のサッカー・チームは何処か?、カーニバルで応援するサンバ・クラブは?、良く行くビーチは何処か?と言った調子だが、しかし、普通のどこの国でも初対面で交わす、仕事は? お住まいは? 出身校は?と行った問いに、この会話の答えをプラスすれば、そのブラジル人のステイタス、興味、そのロイヤリティなど総てが分かると言うものである。
この三つのテーマについて、ローターが、ビーチ、カーニバル、サッカーと言うサブタイトルで、ユニークな文化文明論を展開しているのだが、詳細は、次回以降に譲りたい。