先日、ウォートン・スクールの同窓会年次総会が開かれたので出かけた。
恒例の新入生紹介および送迎をも兼ねているのだが、今秋は、7人のフレッシュ人財がフィラデルフィアへ向かうことになった。
中座したので、これが今秋日本から留学する全員なのかどうかは定かではないが、その内の3人の女性新入生(他は男性4人)の挨拶を聞いた。
東大を出た中国からの留学生と、みずほと東京証券取引所から派遣の2人の溌剌とした30歳くらいの女性で、はっきりしっかりした決意を語っていた。
私も、もう、40年近く前になるが、この会で、当時、会長であった富士ゼロックスの小林陽太郎さんの激励を受けてウォートン・クラブの仲間入りをしたのを思い出していた。
雑談の途中で、小林さんに、有馬稲子さんに口説かれたようですねえと言ったら、「あれは、ご愛嬌ご愛嬌」と照れていたが、あの頃、30代後半の歌舞伎役者顔負けの美丈夫で既にトップ経営者の一人であった。
ところで、最近、日本人の海外留学生の数が、極端に減っていると言うことで、多くの留学経験者の日本人学者たち(ノーベル賞学者も含めて有名学者の過半は留学経験者と言っても過言ではない)が、このことを指摘していて、私自身も、このブログで、この問題について何度か論じたことがある。
山岸俊男+メアリー・C・ブリントン著「リスクに背を向ける日本人」のなかで、ブリントン教授が、2008年度のハーバード大学の日本人の学部生はたったの5人で、韓国の42人、中国の36人に比べると圧倒的に少ないと指摘している。
また、1999年に全米で4万6000人いた留学生が、2009年には3万人で、インドや中国の10万人、韓国の7万人と比べて、そのダウンの激しさを指摘。何と言っても、アメリカの高等教育は世界で最高水準にあり、色々な国から色々な人が集まって来ていて学ぶ事も沢山ある筈で、この留学生の減少は日本にとって、大きな損失だと思うと語っている。
野口悠紀雄教授が、スタンフォードへの留学生が異常に減ったと嘆いていたが、問題は、アイビーリーグやオックスブリッジなどのトップクラスの大学や大学院への留学生の減少が急で、日本人の多くの留学生は、コミュニティ・カレッジや英語学校などへの留学であって、世界の最先端を行く学問や研究などのトップクラスの高等機関へのアクセスが、非常に貧弱だと言うことである。
教育は長期的な投資であるから、このような状態が続けば、将来、世界を背負って立つトップ・クラスの人々と対等に渡り合って、丁々発止と互角に切磋琢磨して戦える優秀な人材が先細りとなり、日本の国力の疲弊は火を見るより明らかである。
ブリントン教授は、日本人の留学生が減っている理由として、
第一に、アメリカでの大学での学位が日本の社会や企業で高く評価されていないこと
第二に、日本人の学生が自分を売り込む能力に欠けていること
第三に、日本人の若者が内向きになって来て、知らない国で知らない人たちの間で生きて行く経験をあまり求めなくなってきたこと
を挙げている。
これに対して、山岸教授は、経済的な理由が一番大きいと指摘している。
バブル崩壊後、日本企業の海外留学制度は、下火になったようだし、例えば、ウォートン・スクールでMBAを取得するためには、最低、2000万円は掛かると言うのであるから、優秀な若者が、艱難辛苦を玉にして、挑戦するには、あまりにもハードルが高い。
アメリカなど欧米のトップクラスの高等機関には奨学金制度があるが、並みの頭では、突破できる筈がない。
学生の頃、仏文の桑原武夫京大教授が、欧米の文化芸術の知識を通じて日本文化芸術の素晴らしさが理解できたのだと言うような話をしていたのを聞いた記憶があるが、欧米のみならず、中国やインドは勿論、異文化異文明への直接的な遭遇が何より必要かつ必須だと言うことであろう。
あの学問芸術繚乱の最盛期を謳歌していたフィレンツェでは、文化文明の十字路を構築してスパークさせてルネサンスを開花させたが、あのようなメディチ・イフェクトを巻き起こすことが、如何に大切かと言うことである。
しかし、いくら、フラット化したグローバル世界になり、居ながらにしてインターネットを通じて最高最先端の知識情報の取得が可能になっても、十字路を生み出す場を移すことは不可能で、私自身は、実際に、欧米の最先端を行く学問や芸術の生まれ出る現地に行って、色々な人々と遭遇し、その大地に立って現地の空気を吸うことが大切であって、留学しなければ効果は薄いと思っている。
七つの海を支配しつつあった勃興期のイギリスの貴族たちは、挙って、子弟を、グランド・ツアーと称して、イタリアなど大陸ヨーロッパに送り込んで、実際に進んだ異文化異文明に遭遇させることによって、高度な学問や科学・技術、そして、哲学や芸術を学ばせた。
これが、偉大な大英帝国を築き上げた源になったことは、厳粛なる歴史上の事実である。
日本も、多くの留学生を海外に送り込んで明治維新を成功させ、廃墟と化した戦後の日本の大復興を成し遂げて来た。
アーノルド・トインビーが、4大文明の発祥は、悉く、厳しい自然環境に対する人類の飽くなき戦い故であったと喝破しているが、CHALLENGE AND RESPONSE 挑戦と応戦のないところには進歩も発展もないと言うことである。
今ほど、内向きとなって、世界から学ぼうとしない時代は、正に、末期的症状で、優秀な若者たちを、どんどん、外国へ叩き出そうではないか。
(追記)前述の山岸・ブリントン教授の「リスクに背を向ける日本人」は、「言葉を使わない、セカンドチャンスがない――実は日本の方がアメリカよりリスクが高いにも拘わらず、日本人は世界一リスク回避傾向が強いとして、安心・安全に胡坐をかく日本の落とし穴」を分析しながら、日本社会のあるべき姿を論じていて、非常に示唆に富んで興味深い。
恒例の新入生紹介および送迎をも兼ねているのだが、今秋は、7人のフレッシュ人財がフィラデルフィアへ向かうことになった。
中座したので、これが今秋日本から留学する全員なのかどうかは定かではないが、その内の3人の女性新入生(他は男性4人)の挨拶を聞いた。
東大を出た中国からの留学生と、みずほと東京証券取引所から派遣の2人の溌剌とした30歳くらいの女性で、はっきりしっかりした決意を語っていた。
私も、もう、40年近く前になるが、この会で、当時、会長であった富士ゼロックスの小林陽太郎さんの激励を受けてウォートン・クラブの仲間入りをしたのを思い出していた。
雑談の途中で、小林さんに、有馬稲子さんに口説かれたようですねえと言ったら、「あれは、ご愛嬌ご愛嬌」と照れていたが、あの頃、30代後半の歌舞伎役者顔負けの美丈夫で既にトップ経営者の一人であった。
ところで、最近、日本人の海外留学生の数が、極端に減っていると言うことで、多くの留学経験者の日本人学者たち(ノーベル賞学者も含めて有名学者の過半は留学経験者と言っても過言ではない)が、このことを指摘していて、私自身も、このブログで、この問題について何度か論じたことがある。
山岸俊男+メアリー・C・ブリントン著「リスクに背を向ける日本人」のなかで、ブリントン教授が、2008年度のハーバード大学の日本人の学部生はたったの5人で、韓国の42人、中国の36人に比べると圧倒的に少ないと指摘している。
また、1999年に全米で4万6000人いた留学生が、2009年には3万人で、インドや中国の10万人、韓国の7万人と比べて、そのダウンの激しさを指摘。何と言っても、アメリカの高等教育は世界で最高水準にあり、色々な国から色々な人が集まって来ていて学ぶ事も沢山ある筈で、この留学生の減少は日本にとって、大きな損失だと思うと語っている。
野口悠紀雄教授が、スタンフォードへの留学生が異常に減ったと嘆いていたが、問題は、アイビーリーグやオックスブリッジなどのトップクラスの大学や大学院への留学生の減少が急で、日本人の多くの留学生は、コミュニティ・カレッジや英語学校などへの留学であって、世界の最先端を行く学問や研究などのトップクラスの高等機関へのアクセスが、非常に貧弱だと言うことである。
教育は長期的な投資であるから、このような状態が続けば、将来、世界を背負って立つトップ・クラスの人々と対等に渡り合って、丁々発止と互角に切磋琢磨して戦える優秀な人材が先細りとなり、日本の国力の疲弊は火を見るより明らかである。
ブリントン教授は、日本人の留学生が減っている理由として、
第一に、アメリカでの大学での学位が日本の社会や企業で高く評価されていないこと
第二に、日本人の学生が自分を売り込む能力に欠けていること
第三に、日本人の若者が内向きになって来て、知らない国で知らない人たちの間で生きて行く経験をあまり求めなくなってきたこと
を挙げている。
これに対して、山岸教授は、経済的な理由が一番大きいと指摘している。
バブル崩壊後、日本企業の海外留学制度は、下火になったようだし、例えば、ウォートン・スクールでMBAを取得するためには、最低、2000万円は掛かると言うのであるから、優秀な若者が、艱難辛苦を玉にして、挑戦するには、あまりにもハードルが高い。
アメリカなど欧米のトップクラスの高等機関には奨学金制度があるが、並みの頭では、突破できる筈がない。
学生の頃、仏文の桑原武夫京大教授が、欧米の文化芸術の知識を通じて日本文化芸術の素晴らしさが理解できたのだと言うような話をしていたのを聞いた記憶があるが、欧米のみならず、中国やインドは勿論、異文化異文明への直接的な遭遇が何より必要かつ必須だと言うことであろう。
あの学問芸術繚乱の最盛期を謳歌していたフィレンツェでは、文化文明の十字路を構築してスパークさせてルネサンスを開花させたが、あのようなメディチ・イフェクトを巻き起こすことが、如何に大切かと言うことである。
しかし、いくら、フラット化したグローバル世界になり、居ながらにしてインターネットを通じて最高最先端の知識情報の取得が可能になっても、十字路を生み出す場を移すことは不可能で、私自身は、実際に、欧米の最先端を行く学問や芸術の生まれ出る現地に行って、色々な人々と遭遇し、その大地に立って現地の空気を吸うことが大切であって、留学しなければ効果は薄いと思っている。
七つの海を支配しつつあった勃興期のイギリスの貴族たちは、挙って、子弟を、グランド・ツアーと称して、イタリアなど大陸ヨーロッパに送り込んで、実際に進んだ異文化異文明に遭遇させることによって、高度な学問や科学・技術、そして、哲学や芸術を学ばせた。
これが、偉大な大英帝国を築き上げた源になったことは、厳粛なる歴史上の事実である。
日本も、多くの留学生を海外に送り込んで明治維新を成功させ、廃墟と化した戦後の日本の大復興を成し遂げて来た。
アーノルド・トインビーが、4大文明の発祥は、悉く、厳しい自然環境に対する人類の飽くなき戦い故であったと喝破しているが、CHALLENGE AND RESPONSE 挑戦と応戦のないところには進歩も発展もないと言うことである。
今ほど、内向きとなって、世界から学ぼうとしない時代は、正に、末期的症状で、優秀な若者たちを、どんどん、外国へ叩き出そうではないか。
(追記)前述の山岸・ブリントン教授の「リスクに背を向ける日本人」は、「言葉を使わない、セカンドチャンスがない――実は日本の方がアメリカよりリスクが高いにも拘わらず、日本人は世界一リスク回避傾向が強いとして、安心・安全に胡坐をかく日本の落とし穴」を分析しながら、日本社会のあるべき姿を論じていて、非常に示唆に富んで興味深い。