劇場ホールで、この口絵写真の通り、勘十郎と和生の二人が、人形を遣って「東北地方太平洋沖地震義援金募金」を呼びかけていた。
和生が、禿を主遣いで、勘十郎も、左を遣って、募金者に応えていた。
私も、応分に協力した後、この写真を撮らせて貰ったのだが、チャッカリと、二人と並んで写真を撮って貰っている老婦人もいた。
流石に、大震災後2か月経つので、募金疲れか、募金箱に向かう人は少ない。
余談だが、この第一部は、綱大夫改め源大夫、そして、清二郎改め藤蔵の襲名披露口上があったので、ほぼ、満席であったが、第二部の方は、人形遣いの簔助と文雀と言う人間国宝の登場する意欲的な舞台でありながら、半分近くも空席があり、震災の為か文楽人気が下火になったのか、一寸、寂しい感じがした。
これと同じことは、新橋演舞場に移った歌舞伎座の歌舞伎にも言えて、劇場は小さくなったと思うのだが、やはり、いつも空席が目立つ感じで、観客数が減っている。
木曽義仲所縁の物語である「源平布引滝」の山場である「実盛物語」の段が襲名披露公演であったが、その前に、住大夫の挨拶を皮切りに三味線の寛治、清治の両人間国宝の挨拶が続いた。
住大夫の話し上手は当然としても、三味線の二人も立て板に水で、多少絶句したりとちったりくだけた調子の歌舞伎役者の襲名披露挨拶よりも上手い。
尤も、面白かったのは、清治が先代源大夫の夜の課外事業でお世話になったと言う程度で、真面目一方で面白さには欠けた。
文楽の場合には、披露される主役が、何も挨拶せずに頭を下げているだけなのが興味深い。
体調を崩していた源大夫は、先月の大阪での公演では、披露だけの出演だけだったようだが、今回は、体調が持ち直したと言うことで、「実盛物語」の前半の部分・実盛が、源氏の白旗を守るために白旗を握っていたこまんの腕を切り落として琵琶湖へ沈めたと述懐するところまでを語って、英大夫に後を継いだ。
その前の「妹尾十郎詮議の段」は、住大夫と錦糸が務めた。
ところで、この舞台では、平家の録を食みながら源氏に尽くす斎藤実盛を玉女、悪役に徹する平家の武将妹尾十郎(実は、こまんの実父で、孫太郎吉に自分を殺させて手柄を立てさせて義仲の家来にさせる)を勘十郎が遣って豪快な舞台を見せており、住大夫の十郎の高笑いなど、正に舞台を圧倒して、観客の盛大な拍手を呼んでいる。
それに引き替え、悲しんだり泣いたりする程度で、殆ど派手な演技も動きもない葵御前の清十郎の実に優雅で品格のある人形遣いぶりは、静と動の対比の妙で面白い。
私が興味を持ってみた舞台は、この「源平布引滝」の方ではなく、後半の近松門左衛門の「冥途の飛脚」を底本にした「傾城恋飛脚」の方で、今回は、歌舞伎や文楽で人気のある「封印切」を主体とした上之巻と中之巻ではなく、下之巻の物語である。
越後屋で、忠兵衛が、八右衛門に煽られて、とうとう、お屋敷へ届けなければならない金の封印を切ってからの話で、忠兵衛の実家のある大和の新口村への梅川との逃避行と実父孫右衛門との涙の別れが主題であり、舞台は、幼な友達の忠三郎の家である。
しみじみと展開されて行く夫婦の情愛、切っても切れない親子の絆が、激しく胸を打つ秀作である。
清十郎の亀屋忠兵衛と桐竹紋寿の遊女梅川が実に良く、紋寿の梅川は二回目だが、簔助の梅川とは一寸違った優雅さと色香が漂った生身の女を感じさせたオーソドックスな演技で、中々、面白い。
清十郎は、勘十郎ほど立役の人形を見たことがないのだが、この場合、どちらかと言えば、男くさい演技よりは、もっと人間の奥底にある優しさ悲しさ切なさを前面に出した演技の方が望ましいし、女形として梅川を知り尽くしている筈なので、清十郎の忠兵衛は、あの封印を切った時の忠兵衛ではなく、死と向かい合ったぎりぎりの心境であるから、紋寿の梅川との相性も良く、地味だが、非常に感動的で胸を打つ。
孫右衛門を遣う吉田玉也もしみじみとした味があって良い。
字余りで近松は嫌いでんねんと住大夫は言うのだが、千歳大夫と富助、津駒大夫と寛治の語りと三味線は、近松の名調子を朗々と、そして、実にしみじみと余韻を残しながら展開していて感動ものである。
梅川と孫右衛門の肺腑を抉るような会話の妙を余すところなく語り尽くした浄瑠璃の凄さは、格別と言うべきであろう。
この舞台は、近松の「冥途の飛脚」のオリジナルとは、多少脚色されていて短くなり分かり易くなっている。
前半には、大坂新町を出て、新口村までの死を覚悟した相合駕籠道中が書かれている。
梅川の遊女の身なりが人目につかぬよう駕籠を使って逃げ、藤井寺、富田林を経て、奈良や三輪の旅籠や茶屋あたりで五日三日夜を明かし、謂わば身の丈に合わぬ豪遊で、20日あまりで40両使って、新口村に着いた時には、持ち金はたったの2歩。最後の別れで、孫右衛門が、巾着より金一包みを梅川に渡すところで梅川が述懐しているが、原作には、これは旅の途中の叙述で、孫右衛門も路銀は渡さない。
もう一つ、面白いのは、育て親の妙閑が縄に掛かっているのに親子が面会するのは世間への義理が立たないと言って、孫右衛門は、会おうか会うまいか悩むものの、面会せずに去るが、この舞台では、梅川が気を利かして目隠しをして対面させ、後ろからそっと目隠しを外すと言う趣向が取られて、涙涙のシーンを演出している。
したがって、追手が踏み込む直前に、二人に裏道を教えて逃がすのも、この孫右衛門で、逃げて行く後姿をおろおろして見送るところで幕となっている。
近松の原作では、逃がすのは忠三郎で、心配して駆けつけた孫右衛門の喜びも束の間で、程なく、二人は、捕り手の役人に捕まる。
親の嘆きが目にかかり未来の障り、顔を包んでくれと哀願する忠兵衛に、最後の近松の原文が、”腰の手拭引絞り、めんない千鳥、百千鳥、泣くは梅川、川千鳥、水の流れと身の行方、恋に沈みし浮名のみ、難波に、残し留りし。”
いつか、この近松の「冥途の飛脚」を、上中下、全編通しで、上演してくれないであろうかと思っている。
和生が、禿を主遣いで、勘十郎も、左を遣って、募金者に応えていた。
私も、応分に協力した後、この写真を撮らせて貰ったのだが、チャッカリと、二人と並んで写真を撮って貰っている老婦人もいた。
流石に、大震災後2か月経つので、募金疲れか、募金箱に向かう人は少ない。
余談だが、この第一部は、綱大夫改め源大夫、そして、清二郎改め藤蔵の襲名披露口上があったので、ほぼ、満席であったが、第二部の方は、人形遣いの簔助と文雀と言う人間国宝の登場する意欲的な舞台でありながら、半分近くも空席があり、震災の為か文楽人気が下火になったのか、一寸、寂しい感じがした。
これと同じことは、新橋演舞場に移った歌舞伎座の歌舞伎にも言えて、劇場は小さくなったと思うのだが、やはり、いつも空席が目立つ感じで、観客数が減っている。
木曽義仲所縁の物語である「源平布引滝」の山場である「実盛物語」の段が襲名披露公演であったが、その前に、住大夫の挨拶を皮切りに三味線の寛治、清治の両人間国宝の挨拶が続いた。
住大夫の話し上手は当然としても、三味線の二人も立て板に水で、多少絶句したりとちったりくだけた調子の歌舞伎役者の襲名披露挨拶よりも上手い。
尤も、面白かったのは、清治が先代源大夫の夜の課外事業でお世話になったと言う程度で、真面目一方で面白さには欠けた。
文楽の場合には、披露される主役が、何も挨拶せずに頭を下げているだけなのが興味深い。
体調を崩していた源大夫は、先月の大阪での公演では、披露だけの出演だけだったようだが、今回は、体調が持ち直したと言うことで、「実盛物語」の前半の部分・実盛が、源氏の白旗を守るために白旗を握っていたこまんの腕を切り落として琵琶湖へ沈めたと述懐するところまでを語って、英大夫に後を継いだ。
その前の「妹尾十郎詮議の段」は、住大夫と錦糸が務めた。
ところで、この舞台では、平家の録を食みながら源氏に尽くす斎藤実盛を玉女、悪役に徹する平家の武将妹尾十郎(実は、こまんの実父で、孫太郎吉に自分を殺させて手柄を立てさせて義仲の家来にさせる)を勘十郎が遣って豪快な舞台を見せており、住大夫の十郎の高笑いなど、正に舞台を圧倒して、観客の盛大な拍手を呼んでいる。
それに引き替え、悲しんだり泣いたりする程度で、殆ど派手な演技も動きもない葵御前の清十郎の実に優雅で品格のある人形遣いぶりは、静と動の対比の妙で面白い。
私が興味を持ってみた舞台は、この「源平布引滝」の方ではなく、後半の近松門左衛門の「冥途の飛脚」を底本にした「傾城恋飛脚」の方で、今回は、歌舞伎や文楽で人気のある「封印切」を主体とした上之巻と中之巻ではなく、下之巻の物語である。
越後屋で、忠兵衛が、八右衛門に煽られて、とうとう、お屋敷へ届けなければならない金の封印を切ってからの話で、忠兵衛の実家のある大和の新口村への梅川との逃避行と実父孫右衛門との涙の別れが主題であり、舞台は、幼な友達の忠三郎の家である。
しみじみと展開されて行く夫婦の情愛、切っても切れない親子の絆が、激しく胸を打つ秀作である。
清十郎の亀屋忠兵衛と桐竹紋寿の遊女梅川が実に良く、紋寿の梅川は二回目だが、簔助の梅川とは一寸違った優雅さと色香が漂った生身の女を感じさせたオーソドックスな演技で、中々、面白い。
清十郎は、勘十郎ほど立役の人形を見たことがないのだが、この場合、どちらかと言えば、男くさい演技よりは、もっと人間の奥底にある優しさ悲しさ切なさを前面に出した演技の方が望ましいし、女形として梅川を知り尽くしている筈なので、清十郎の忠兵衛は、あの封印を切った時の忠兵衛ではなく、死と向かい合ったぎりぎりの心境であるから、紋寿の梅川との相性も良く、地味だが、非常に感動的で胸を打つ。
孫右衛門を遣う吉田玉也もしみじみとした味があって良い。
字余りで近松は嫌いでんねんと住大夫は言うのだが、千歳大夫と富助、津駒大夫と寛治の語りと三味線は、近松の名調子を朗々と、そして、実にしみじみと余韻を残しながら展開していて感動ものである。
梅川と孫右衛門の肺腑を抉るような会話の妙を余すところなく語り尽くした浄瑠璃の凄さは、格別と言うべきであろう。
この舞台は、近松の「冥途の飛脚」のオリジナルとは、多少脚色されていて短くなり分かり易くなっている。
前半には、大坂新町を出て、新口村までの死を覚悟した相合駕籠道中が書かれている。
梅川の遊女の身なりが人目につかぬよう駕籠を使って逃げ、藤井寺、富田林を経て、奈良や三輪の旅籠や茶屋あたりで五日三日夜を明かし、謂わば身の丈に合わぬ豪遊で、20日あまりで40両使って、新口村に着いた時には、持ち金はたったの2歩。最後の別れで、孫右衛門が、巾着より金一包みを梅川に渡すところで梅川が述懐しているが、原作には、これは旅の途中の叙述で、孫右衛門も路銀は渡さない。
もう一つ、面白いのは、育て親の妙閑が縄に掛かっているのに親子が面会するのは世間への義理が立たないと言って、孫右衛門は、会おうか会うまいか悩むものの、面会せずに去るが、この舞台では、梅川が気を利かして目隠しをして対面させ、後ろからそっと目隠しを外すと言う趣向が取られて、涙涙のシーンを演出している。
したがって、追手が踏み込む直前に、二人に裏道を教えて逃がすのも、この孫右衛門で、逃げて行く後姿をおろおろして見送るところで幕となっている。
近松の原作では、逃がすのは忠三郎で、心配して駆けつけた孫右衛門の喜びも束の間で、程なく、二人は、捕り手の役人に捕まる。
親の嘆きが目にかかり未来の障り、顔を包んでくれと哀願する忠兵衛に、最後の近松の原文が、”腰の手拭引絞り、めんない千鳥、百千鳥、泣くは梅川、川千鳥、水の流れと身の行方、恋に沈みし浮名のみ、難波に、残し留りし。”
いつか、この近松の「冥途の飛脚」を、上中下、全編通しで、上演してくれないであろうかと思っている。